「バラエティで稼いで、プライベートでサッカーに金使って。それが僕の生き方」と語る武田さん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

前回、元Jリーガー・現FC岐阜監督のラモス瑠偉さんからご紹介いただいた第21回ゲストは、元Jリーガー・日本代表の武田修宏さん。

サッカー解説者にとどまらずバラエティ番組などでも活躍、モテ男キャラとして知られるが、いまだ未婚の独身貴族。しかし、意外や?本人は準備と努力が大切と語る几帳面な苦労人で、幼少時からのストイックな出自や熱いサッカー魂を吐露(とろ)していただいたーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―当時の読売クラブは本当に野武士でありサムライのような個性派集団で。ラモスさんやジョージ与那城さんといったブラジルから来日した選手にも触発されて…。

武田 やっぱり、あの時のメンバー、あの環境だったから今の自分があるんだと思ってます。仕事はサッカーできちんとやる、でもプライベートではもう、とにかくみんなで人生楽しく生きる。

ブラジル人監督が来て、ブラジルに遠征したんですけど、試合は試合、遊びは遊びでメリハリをつけていましたし。遊び行ってもそれでまた次の日は気合い入れてね。それをダメだっていう人もいるけど、サッカー以外の世界でもトップの人は仕事する時はやるし、遊ぶ時とのメリハリがしっかりできてる方が多いですよね。

―そういうアイデンティティという意味でも、やはりヴェルディ愛っていうのがずっと魂として植え付けられているんでしょうね。

武田 なんか、ラテンの血が自分に合ったのかね(笑)。でもそういうプロ意識があるところで、すごい強かったし仲良かったしっていうのはありますよ。僕の時代では西武(ライオンズ)もそうですよね。清原(和博)、工藤(公康)さん、秋山(幸二)さんが大活躍して、カッコいいなーっていう。六本木でよく飲んでたしね(笑)。

ヴェルディになって、あの頃もね(90年代)、いまだに槙野(智章、浦和レッズ)にしたって柿谷(曜一朗、セレッソ大阪)とかも、カッコよかったって言いますもん。川島(永嗣、ダンディー・ユナイテッド)だって「あの時のヴェルディに憧れてたんです」って…カッコよくて強くて。やっぱりそういう憧れって大事だなって思いますよ。

―時代もありますが、今のどのチームとも比べられない、ヴェルディしか醸(かも)し出せないブランドみたいなものがありましたね。それこそ往年の巨人のごとく。

武田 ありましたね。最近、時代と共にやっぱりこじんまりとまとまってきて。個性はダメだ、チームは組織だっていう風になってきて。プロっていうより、なんか会社みたいなね。時代が違うし、しょうがないんだろうけど。本質が違っちゃってる気はするよね。

今はなんでも経営、経営だから…でもやっぱり大事なのはサッカーを強くするのが一番なんですよ。その次に経営でしょ。強くするために金が回らないっていう、それで上手い選手でもクビにしたり。もちろん経営も難しいんですけど。その辺を間違ってるから本質的にどうなの?って。

―経済に影響されやすいというのも、結局、お国柄というか、やはりそれもサッカーに限らずスポーツ文化が根付いていないという。

武田 そうですね。だから、日本の本当のプロってなんなのかなって思っちゃうんだよね。結局、いまだアマチュアリズムじゃないですけど…。まぁ、もちろん時代の流れもあって、しょうがないなと思いながら。ちょっと引いたところで、サッカーを見てますね。自分の中でこう…考えながらサッカーと向き合ってますけど。

「日本のサッカーの歴史の中で5位か6位くらい」

―時代ということでは、どの仕事、会社にしても、それこそひとりひとりが野武士でなければいけないはずが、よりまとまったサラリーマン化している気がします。

武田 そういう面では、僕らの歳もね、今一番、中途半端でしょ? 20代、30代の若手社長が出てきて、バブルも知らないコが多いし、お金も使わない、服も買わないとか、ネット社会でみんな若くなってるから。そういう意味じゃ、常に時代感とか自分の身の置き場所をやっぱり考えますよ。

―でもだからこそ、バブル期みたいな華やかな時代も挟んで、昭和と平成の両方を経験している我々くらいの世代がブリッジになるというか。次に伝えていく大事な役割かなとも思いますが。

武田 まぁそうですね。だから今勉強する時だなと思って。…でも友達に言われたんだよね、占いで。42年生まれは、今年から2年間は良いことないからって。まぁその後ですごいステップアップするらしいけど。

もう2、3年したらこの世代がまたトップになって復活して、今、監督とかもいるけど、サッカー協会のトップのほうに入ってきたり、ようやく力を出すのかなって。そのための準備期間って感覚ですよね。自分の中では耐える時間かなって思いますけど。

―今はまだ雌伏(しふく)の時と…。でも若い頃から注目されて、ずっとヒーロー的な陽の当たる道を歩かれて。その一方で正直、物足りなさ、もっと何か為し得たはずなのに、という思いも?

武田 まぁ自己分析すると、高校卒業して1年目でMVP、新人王獲って、メディアが結構騒ぎ過ぎてしまったと思ってますし。そこで自分の10しかない力をスゴいスゴいって15、16あるように言われて。注目されたことによって、2年目から19、20歳の時は試合に出れなかったり、苦しい時期もありましたから。そりゃそんなもんだろうなと。

―代表入りでも、それこそ1年目の1得点だけという…当時はまさか自分のサッカー人生、まだまだもっとと思ってたでしょうが…。

武田 でも常にどの世界でもやっぱりライバルはいましたしね。ヴェルディではカズ(三浦知良、横浜FC)・武田でしたけど、代表では当時、高木(琢也、現V・ファーレン長崎監督)・カズっていうツートップをオフト監督は変えなかったから。ヴェルディで活躍しても使われなかったんで、まぁそれはもう監督が決めることだから、どうしようもなかったですし。

代表では18試合で1点で、もうちょっと獲りたかったなっていうのはありますけど。イタリア遠征でユヴェントス戦でも点獲ったし、キリンカップ優勝した時もBマッチだったけど、バスコダガマ戦とかトットナム相手にね。数字で残らないとこでもありますよ。

―確かに記録ではなく記憶に残るというのもありますし。間違いなく歴代FWの中でもスターの輝きを足跡として残したプライドはあるかと。

武田 まぁ、僕は日本リーグを5年やって、たぶん40点くらい獲って、Jリーグも94点ですよね。これいつも言ってるんだけど、それトータルしたら佐藤寿人(サンフレッチェ広島)とか大久保(嘉人、川崎フロンターレ)、カズと中山(雅史、現アスルクラロ沼津)がいて、日本のサッカーの50年の歴史の中で、ストライカーとして釜本(邦茂)さんが202ゴールっていうのがトップで、俺、5位か6位くらいなんですよね。

そういう意味では、自分で評価するんですよ。まあそこそこ獲ってるし、そんなもんだよなっていう。時代のタイミングもありますからね、プロができちゃう前の日本リーグって、もうみんな忘れちゃってるでしょ。で、そこには光が当たらないっていう。

「調子こいてたら1年目でいなくなってる」

―当然、運とか巡り会わせっていうのはあるわけです。

武田 だけど、プロができる前、読売クラブで5年やって、Jリーグで調子こいてたら1年目でいなくなってる人いっぱいいたけど。その後も10年、プロでやれたってことはやっぱり日本リーグのそういう苦しい時もあって、自分を忘れないからやってこれたと思うし。

今、引退して14年かな、TVの仕事だって、努力してなかったり調子にのってたらもういないと思うんですよね。サッカーより浮き沈み激しいですし。そういう意味では、自分なりに自己分析できてるから今があるんじゃないのかな。48年間、ずっと継続してやってこれてるかなって思いますし、ポジティブに考えてますね。

―引退直後に出された著書『武田流ポジティブの貫き方』というタイトル通りですね(笑)。

武田 あれはバラエティっぽい作りにされちゃって、あんまり好きじゃないんだけど(苦笑)。グラビアとか写真集っぽくてね。もっと真面目なのを出したかったんだけど、まぁしょうがないですよね。

―そうやってポジティブに捉えつつ、自分の中ではずっとストイックにサッカーと向き合ってきて。やるべきことはやり尽くしてきた満足感はある?

武田 後悔はしてないですね。ヴェルディから磐田(ジュビロ)に行って1年やって、京都パープルサンガで半年ひとり暮らしして、千葉(ジェフユナイテッド)にも2年間。33歳で南米、日本人で初めてパラグアイリーグでプレイしましたし。で、最後またヴェルディでやって。…だから“Don’t look back”って言葉が好きで。過去は振り返らないですね。あそこでああしておけばよかったなとか、一切無いです。

結婚しておけばよかったなとか、それも全てタイミングがあることですし。ただ、過去があるから今がある、今することが未来に繋がるんで。時間はだらだらしてたら何もならない。次のステップのために休みの時間で指導者の勉強したり、現場に行くっていう風に…次、次、次と考えてますね。

―そもそも人生設計で今のタレント的なビジョンは元々あったんですか?

武田 全くないですね。サッカーの選手で一生やろうと思ってたし、本当だったらS級ライセンス取って監督やろうと思ってたんですよ。まずラモスさんがヴェルディで監督やった時のコーチで入って。それが日テレが撤退して、経営不振で会社がボロボロになっちゃって行けなくなった。

で、千葉に2年いたんで、江尻(篤彦、あつひこ)って同級生が監督でいた時にコーチ頼まれて奄美大島行ったんですよ。そのまま千葉でやろうかなと思ってたら、彼がクビになっちゃって。で、スポーツ番組のほうも土日ずっと『うるぐす』やってたんですけど、もうあんまりサッカー扱わないってなって。そういういろんな巡り合わせの中で、バラエティとかね、お金をもらって仕事ができるっていうことで。

「サッカーやったらTV辞めるんでリスクは大きい」

―それもプロ意識としてシビアに、稼ぐため、生活するためにという。

武田 やっぱ南米に33歳でひとりで行った時も、クビになって戦力外通告されて、そういう逆境が生きる強さになってるのはありますけど。お金をもらえるってすごい大変ですよ。向こうなんかプロだって靴買えない奴いっぱいいるし、チームメイトで両親が亡くなっても葬式あげられない奴とかね。それを選手たちでカンパとかするんですけど。

やっぱ、僕もチャラいとか言われてもね、何かを犠牲にしなかったらそんな簡単にお金を稼げないっていう考えで。お給料をTVの仕事とかでもらってるワケですよ。その時代の流れで生きていかなきゃいけないし。そういう中で、またサッカーに呼ばれるように頑張るとか、それは考えてます。

―ラモスさんは「武田は目立ちたがりだから、TVの仕事が好きだしやめられない。そろそろサッカーに戻ってこないとダメ」っておっしゃってましたが(笑)。

武田 (笑)。まぁでもラモスさんのコーチもやりたかったですよ。ぶっちゃけ今、岐阜で「タケ、コーチ来いよ」って言ってもらったら行きましたけどね。ただ、俺からはそこまでお願いをしたくないし、ほとんどそういうのラモスさんにしたことないんですよ。でも、苦しい時に「来いよ」って言ってくれたらね。

この間も、観に来てねえじゃんって言われたけど。まぁ正直遠いし、プライベートで自腹で行くのも難しいよね(笑)。他のコーチもいるんで迷惑かけたくないし。まぁでも心情的にはそういう感じで。今は遠くから見守ってるのが一番いいのかな。

ラモスさんの結婚式でね、パーティーには行ったんですよ、泊まりで。まぁそれは当然かもしれないけど。

―ラモスさんからすると、タレント活動を1年、2年休んでも「指導者として挑戦するなら、もう今なんじゃないの?」って。

武田 そこも、さっき言ったタイミングですよね。辞めるタイミングって難しいし、そこが決断力なんですけど。今時、監督がTV出てたりとか、解説者がどっかのチームのアドバイザーやったりするのは僕、すごい嫌なんで。サッカーやったらTV辞めるんで、それくらい覚悟が必要ですし。リスクはすごい大きいですよ。

サッカーの監督やって、長くて3年、短くて1年…そのあとクビになったら仕事ありますか? 全くないですよ。みんな苦しいですから。それをあえて今の仕事捨ててゼロでいくって、人生考えますし…そこはしっかりとね。ほんと、いつもサッカー行きてえなって思いながら、やっぱ若い時はいいけど、でももう歳取るとね、なかなか難しいですよ。

―尚更、その占いでも1、2年は動かないほうがいいとか言われて。飛び込みづらい(苦笑)。

武田 じゃあ今何をしなきゃいけないのかって、休みの日に練習見に行ったりね。もしいつ呼ばれてもいいように、いろんなチームの現場に行って、そのための準備をしてるんですよ。チームに入っちゃえばそのチームのことしかわからないんで、今できること、時間を大事にしようと思って。

だから逆にいえば、バラエティで稼いで、プライベートでサッカーに金使って。それが僕の生き方なんで。

「こだわり過ぎちゃうから結婚できない(苦笑)」

―そこもやはり準備であり、慎重さであり、ポリシーに通じてる感じですね。それで普段から合間にランニングされてたり、体の準備も整えているようで…。

武田 それはやっぱりTVでも出る以上はカッコいいほうがいいしね。俺はTVに出る時はずっとネクタイで、前園(真聖)もあの事件以来ネクタイするようになったけどさ(笑)。そういう身だしなみだったり、いつも大事だと思ってるから。そこが仕事場で、その中で生きている以上、いかにカッコよくオシャレでいるかでしょ。サッカーだったらグラウンドで金もらうけど、そこがプロの考えだと思いますね。

―ストイックであり、やはり尋常じゃなく几帳面ですよね(笑)。

武田 だから、こだわり過ぎちゃうから結婚できないんですよ(苦笑)。

―いや本当に、そこに行き着くんですけど。相手に求めるハードルも高そうですし…。

武田 厳しいですよ! 爪のネイル汚えなとかね。女性に対してもやっぱ、めっちゃ厳しいです。挨拶とか礼儀、メシ連れて行って、次の日ありがとう言わなかったらふざけんなと思いますし。店員に対する態度悪かったりとか、そういうのも許せないですよね。

―あははは、わかりますけど。細かいこと気にしてたら一緒に暮らせないですよ(笑)。

武田 いや、暮らせるんですけど。キレイなコのほうがそういうのできないですから、全然。昨日もそういう話で盛り上がりましたけど、結局、キレイでできる人っていないんだよなって。

―それだったら、自分で生活はできるし? 自炊も最近いろいろ作ってるようですもんね。

武田 まぁそれも生きるためです。だって、外食行くと近所のラーメンかカレー屋さんしかないから。そしたら健康が大事だし、食べ物がやっぱり一番ね。野菜とか自分で作って摂るしかないんですよ。

―相変わらず六本木で飲み歩いて、華やかなおつきあいでお酒と食事も…ってイメージでも不思議ないんですが…。

武田 月に1回は六本木に飲みに行ってますけど、でも後は行かないですね。普段、月~金は酒飲まないですし、土日仕事だと飲めないから、基本的に12時前とか11時には寝てますね。

―えっ…そこまで健全すぎる生活なんですか!

武田 最近、六本木も危ないしね。昔は女のコと行ってたけど、最近はひとりだし、お金使わない、気は遣わない。女性がいると金も使う、気も遣うでしょ(笑)。もう、今はひとりメシが多くなってますよね。

●この続きは次週、4月24日(日)12時に配信予定!

●武田修宏1967年5月10日生まれ、静岡県浜松市出身。小学校1年生からサッカーを始め、中3でジュニアユース日本代表に。清水東高校では1年時より全国高校サッカー選手権で準優勝の原動力となり注目を集める。卒業後、読売クラブ(現:東京ヴェルディ1969)入団。新人王、MVP、4度のベストイレブンに輝き、19歳で日本代表に選出。ヴェルディの中心選手として黄金期を支える。2001年に現役引退後はサッカー解説者やタレントとして活躍。チャリ ティーサッカー2014チャリティーマッチでは監督・コーチを務める。

(撮影/塔下智士)