中村勘九郎(左)とファンキー加藤(右)が隈取りをしてそっくりだったら…

ファンキー加藤」「そっくりさん」。このふたつのキーワードでググると、トップに出てくるのは…歌舞伎俳優の六代目・中村勘九郎かんくろう)! 

「やっぱり似てますかねぇ!? いやぁ、今回はいつもとは違った意味で緊張するなぁ」。東京・東銀座に静かに佇(たたず)む「歌舞伎座」の稽古場に乗り込んだファンキー加藤が苦笑いを連発する。そっくりなふたりが抱える悩みと本音。交錯する言葉と言葉が、熱い火花を散らした。

前回記事(「ネットで似てると話題?の中村勘九郎とファンキー加藤が対面!」)に続き、その後編!

■子供にとって父の影響は大きいですね

加藤 アーティストは、どんなステージでも、自分の言葉で、自分の声で、思いを伝えようとしますが、歌舞伎役者さんの場合は、その役になりきることで、何かを伝えようとされるんですか。

勘九郎 なりきるというのも大事ですが、それより、せりふも動きもちゃんと生きていなきゃいけない。決められたせりふなんだけど、それは単なるせりふではなく、声にーそれも役の声になっていないと、見てくださる方には伝わらないと思っています。

加藤 それって、リアルに演じるということですか?

勘九郎 そう言い換えてもいいかもしれません。でも同時に、歌舞伎はリアルさだけを求めちゃいけないよって、亡くなった父(十八代目中村勘三郎。2012年没)に言われていて。

加藤 えっ!? それって、どういうことでしょう?

勘九郎 歌舞伎の醍醐味(だいごみ)は荒唐無稽(こうとうむけい)さにあるんですよ。勧善懲悪(かんぜんちょうあく)…まず、見るからに悪いやつが舞台に出てきて、悪の限りを尽くす。で、次にヒーローが現れて悪者を懲(こ)らしめる。そして、あとは羽が生えて飛んでいっちゃうみたいな。そこに面白さがあるんです。そこでリアルさを追求すると、せりふも芝居も小さくなっちゃうぞ、と。

加藤 リアルさと荒唐無稽さを両立させる?

勘九郎 言葉にすればそうなるんですけど、実際にやろうとするとものすごく難しくて。父が言うには、絶対にやっちゃいけないことだけど、お辞儀をしたり、せりふを言いながら心の中では、“あー、今日はこの後、何を食べようかな”というくらいの心づもりでなければいけないって言われていましたけど…そんなの無理ですよね(苦笑)。

加藤 勘九郎さんにとってお父さんの存在は、ものすごく大きいんでしょうね。

勘九郎  ヒーローそのものでしたね。他の子が仮面ライダーやウルトラマンに憧れたように、僕は舞台に立つ父の姿を見つめていて。それがまた、まぶしいほどカッコよ くてね。僕も弟(二代目七之助[しちのすけ])も、いつかあのようになりたい。一緒に舞台に立ちたいって、ずっと思っていました。

ふたりにとっての父親の存在

ふたりとも花粉症で、寝ている時は口呼吸になっていることまで同じ…顔だけじゃなく、体質までそっくりだった!?

加藤 勘九郎さんほどじゃないけど、僕も父の影響を受けてますね。アマチュアバンドをやっていたオヤジが、たまに酔っぱらってギターを弾くんですけど、それがミョーにカッコよく見えて。それで中学に入って、オヤジにギターを教えてもらった。それが音楽への入り口でした。

勘九郎 近くに音があるというのは、やっぱりいいですよね。稽古している父のせりふだったり、芝居の音だったり…“門前の小僧”じゃないですけど、覚えちゃうんですよ、自然とね。

加藤 特に小さい頃の記憶は強く印象に残りますからね。今でも、オヤジが好きだったアリスや谷村新司さんの歌を聴くと、あの頃の情景や気持ちを思い出します。

■あっちもこっちも、危機感持ちまくりです

加藤 5歳で初舞台を踏んで、やめたいと思ったことはないですか?

勘九郎 自分は向いていないんじゃないか、やめたほうがいいんじゃないかと思ったことはありますけど、やめたいと思ったことはないです。

加藤 なんか、心の奥行きと覚悟を感じさせる言葉ですね。

勘九郎 覚悟…そうかもしれないですね。実は、高校に入る前、父から、弟とふたり、「この世界で生きていくのか、そうじゃないのか、どっちか決めなさい」と言われて。

加藤 歌舞伎をやらないっていう選択肢もあったと?

勘九郎 その時に、「家のことなら養子を取るから心配しなくていい」と言われたんですけど…。それって、おまえたちはいらないと言われているみたいなものじゃないですか!? それがすごく悔しくて、悲しくて…。もう、ふたり並んで必死で、「やらせてください」ってお願いしたんですよ。

加藤 その気持ち、すっごくよくわかります。

勘九郎 今もこうして続けているのは、歌舞伎が好きだからというのはもちろんあるんですけど、あの時、自分で決めた道だからというのが大きくて。挫(くじ)けそうになっても、その都度、弱音は吐けないぞと自分に囁(ささや)いて。それで立ち直れたような気がします。

加藤 自らやるのと、無理やりやらされるのとでは、気持ちの入り方も違うし、結果に天と地ほどの差ができますからね。それをわかっていて、決断を委ねた勘三郎さんは、やっぱりすごい人ですね。

アマチュアの時のほうが大好きでいられた

やんちゃ坊主が、気がつけば父になり、背中で子供を引っ張る立場に。いつか見た光景がまた繰り返されている

勘九郎 父に対しては賛否両論あって、いろいろなことを言われてますけど、心から歌舞伎が大好きで、歌舞伎を愛していて、その歌舞伎を守るためならなんでもやる人で。僕ら兄弟にとっては今もヒーローのままです。

加藤 それが今度は、勘九郎さんのふたりの息子さんに受け継がれていくわけですね。

勘九郎 だといいんですけど。もし、自分が輝けなくなったら、それはそのまま息子たちにも影響することなので、ちょっとやべぇなと(苦笑)。変なプレッシャーを感じますよね。

加藤 そんなことはないでしょうけど、危機感を持つのは悪いことじゃないと思います。僕も、自分に対して、音楽業界全体に対して、このままでいいのかって危機感持ちまくりですから。

勘九郎 同感です。歌舞伎は高尚なものだと言われてますけど、いつだって、100%庶民のものじゃないといけない。それが歌舞伎役者としての矜持(きょうじ)であり、誇りだと思います。

加藤 僕らも一緒ですよ。今は家にいてなんでもできちゃう時代だけど、それに甘んじていたら死滅しちゃう。チケット代は高いけど、それでもファンキー加藤のライブになら行きたいーそう思ってもらえるようなものを見せないとダメだと思うんです。

勘九郎 そのためには日々努力を重ね、自分自身も進化しなきゃいけないですよね。

■アマチュアの時のほうが大好きでいられた

加藤 変な話をしていいですか?

勘九郎 むしろ、そっちのほうが好きです(笑)。

加藤 最近、もしかしたら、アマチュアでの時のほうが、純粋に音楽を好きだったんじゃないかと思い始めて…。

勘九郎 何も考えずに、音楽を好きでいられたってこと?

加藤 そうなんですよ。さっき、勘九郎さんが、歌舞伎が好きだからここまで続けてこられたと話していたので、そこらへんはどうなのかなと。

勘九郎 確かに微妙ですね。ただの憧れだったのが、いろんな役をやらせていただくことで、技術だったり力量だったりが自分でもわかってしまって。好きなだけじゃやっていけないことに気づかされて。

加藤 好きとか楽しいだけじゃ済まされない問題が、次々に襲いかかってきますよね。もしかすると、もっと経験を重ね、年を取っていけば、“いいんだよ、そういうのは”って思えるのかもしれないけど、今はそれも思えなくて。

学べば学ぶほど、先人たちの偉大さが心に響く

勘九郎 プロになると、追求していかなきゃいけないことも、考えなければいけないことも、どんどん増えていきますからね。

加藤 で、学べば学ぶほど、先人たちの偉大さがガツンと心に響いてきて。逆に、自分の才能のなさにしょぼくれちゃう(苦笑)。

勘九郎 僕も、まったく同じことを思ってます(笑)。

加藤 そういう時、勘九郎さんはどうやってそこから抜け出すんですか?

勘九郎 気持ちをリセットすること…かな。いったん歌舞伎のことは忘れて友人と飲んだり…。とにかく新鮮な気持ちを持ち続けられるように心がけています。

加藤 そこですね。僕、こう見えて結構引きずるタイプなんで(笑)。ライブでも、できないとわかっているのに、次は、次こそはと、100%燃え尽きることを目指しちゃう。

勘九郎 僕は一度も100%出し切れたなと思ったことはないです。歌舞伎を見に来てくださる方ってご高齢の方々も多いわけで。その方々にとって、もしかしたら最後に見る歌舞伎なのかもと思ったら、絶対に手を抜けないですが、表現者として満足できたこともないんですよね。

加藤 100%に近かったのはファンモンのラストライブですね。2日間、全力ですべてを吐き出して、最後はぶっ倒れた。でも、あれが100%なのかって聞かれると、もっともっと上に行けるような気がして…。

勘九郎 まだやれる。もっとやれるはずだっていう気持ちが、心のどこかにあるんですよね。でも、それでいいんじゃないかな。僕らは永遠にそれを追い続けるしかないんだろうと思います。

加藤 今年一年、『週刊プレイボーイ』でいろんな方と対談させていただいて、何かヒントが見つかったら、もう一度、対談したいですね。

勘九郎 ぜひ。その時はふたりして隈取(くまど)り(歌舞伎独特の化粧法)でやりましょう。

加藤 マジですか!? 本気にしますよ?

勘九郎 もちろん、約束です。でも、それでそっくりだったら…大爆笑ですよね(笑)。

(取材・文/工藤 晋 撮影/熊谷 貫)

●中村勘九郎(NAKAMURA KANKURO)1981年10月31日生まれ、東京都出身。1986年1月に初お目見え。翌87年1月には初舞台を踏む。2012年2月、東京・新橋演舞場にて六代目中村勘九郎を襲名。歌舞伎以外にも様々なTV、映画、舞台などに出演する

●ファンキー加藤(FUNKY KATO)1978年12月18日生まれ、東京都出身。初主演映画『サブイボマスク』が6月11日に公開予定。さらに映画主題歌が6枚目のシングル『ブラザー』として6月8日にリリース予定。詳しくは公式サイトまで http://funkykato.com/