あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
第24回のゲストで野球解説者の江本孟紀さんからご紹介いただいたのは女優・歌手の木の実ナナさん。
長年、舞台やミュージカルで活躍、ロングランとなった故・細川俊之との2人芝居『ショーガール』でも知られるが、男女問わず素敵な女性として語られる存在。
その下町育ちのルーツとともに、まずはあの大ヒットドラマの舞台裏を明かしてもらったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―友達の輪を勝手に引き継いで、もう1年以上続いている企画なんですが…。
木の実 あははは、語っていいとも(笑)、いいじゃないですか~。でも、タモリさんのあれは本当に出てるほうはたまりませんでしたよ。もう寝起きでも起こされちゃって(笑)。何回か出てるんですけど、ある時、「ナナさんですよね?」ってかかってきて、出たら「いや、その声違う、変わってください」「あーたーしー!」って。
実は前日がお祭りで、声つぶしちゃって(笑)。神輿(みこし)担いで声出なくって。それが金曜日だったんで「土日で元に戻すから」って月曜日に行ったんですよ。「祭りが好きでさー、飲んじゃ担(かつ)ぐわで、みんなもうすごかったのよ!」とか言ってね。
―それはプライベートで? 東京の下町の生まれですもんね。
木の実 そうなんです。子供の頃から向島のお祭りっていうのはあったんですね。でもまだ子供だったから、大人の神輿を早く担げるようになりたいって思った時には、今の北沢っていう所に住むようになって。
引っ越した最初の頃はね、皆さんなんとなく町内に芸能人が来ちゃったみたいな。で、周りがちょっとガードしちゃって、母親と「どうしよう」って…。自分たちは下町の人間だから平気なんだけどね。そしたらちょうどお祭りがくるってんで、母がご寄付を300万ばーんって出しちゃって(笑)。
「それやったら貯金なくなっちゃう」って言ったんだけど、気前よくばーんって! そしたら、向こうも驚いたんですけど、ありがたいことにその後にできた新しい神輿に木の実ナナって彫ってくれて。もう最高の財産ですよ。ちゃんと神社に奉納されてるわけだから嬉しいですよね~。
―それはまた粋(いき)なやりとりというか。それですっかり受け入れられて?
木の実 そうです。みんな優しいですし。だから祭りの時は必ず出るようにしてるんですけど、もう何があろうと(笑)。
―やっぱりそこで、生来の下町心がうずくというか(笑)。
木の実 そうですそうです。経験なかったらわかんないと思いますけど、やっぱり小さいうちにいろいろ経験してね。大人になって、ある程度、分別がついて、あれしろこれしろってなってからじゃ遅いんですよ。
だから私はそういうのがあってよかったみたい。親なり大人がね、子供のうちに教えてあげるとか、赤の他人に蹴飛ばされたりひっぱたかれたりして育っていくもんですよね、あははは。
「えっ、北野たけしさんの母親?」
―それが下町気質でもあり、生粋(きっすい)の江戸っ子的な感じなんでしょうかね。
木の実 そうです。祖母、母、私とで3代ですね。私が3代目ですから。
―実は僕にとっての木の実さんの印象でいうと、85年にドラマの『たけしくん、ハイ!』があって。ビートたけしさんの自伝的作品でお母さん役をやられてたじゃないですか。あれがすごく素敵で、やっぱり下町的な気っぷのいいおふくろさんで。
木の実 んー、あれはまぁ最初ね、いろいろ抵抗を感じてたんですよ。だって『ショーガール』っていうミュージカルをその頃はやってて、そこにこういう話が今度あるんだけどって、まず原作をいただいて。「えっ、北野武さんの母親?」って…母親役もやったことなかったんですよ、ドラマでもね。
―自分にできるのかなと抵抗があった?
木の実 ありましたよ。まだ30代で、他の俳優さんもいらっしゃるのに、なんで他にいかないで私のところきたのかしらって…。でも、ちょっと読ましていただいたら、妙に自分の下町の気持ちと本に書いてある“たけし像”が一致したんですよ。で、「あっ、こういうお母さんに育てられたんだ」って。私もちょっと気取っても1分か2分しかもたずに、すぐ庶民的になっちゃう人でしょ(笑)。
―(笑)ですから洋風でモダンなイメージだったのが、割烹着で髪を結ってるスタイルもしっくり合うんだなって。ガラッパチな気性も(笑)。
木の実 そう、ガラが出ちゃう。あの髪の結い方とかも、それこそ子供の頃に見た自分の好きなおばちゃんたちのヘアスタイルをNHKの結髪さんに作ってもらって。脚本を皆さんで本読みする時なんかも、いろんな言い方、江戸弁ってあるもんですから「嘘でしょ、そんな言い方しないよ?」って。それまでは私が一番、本読みで困ってた人なんですけどね(笑)。
―そこで自分が関わる意義というか、役割も見出せたんですかね。
木の実 そうですね。また脚本の方がとっつきやすいようにって、たけしさんのお母様の名前を私の鞠子(まりこ)って本名と同じ読みで付けてくださって。だから近所の人が「真利子さーん! 電話だよ」「はーいっ」って出て行く…そういうことまでね。
だから、お母さん役でありながら、自分は全然お母さんではないんだけど…いかに自分とその役とが早く仲良くなるか、家族はもちろん、ご近所の方と仲良くなるか、役として自然の会話が出てくるようにっていうのを考えてましたね。
「新しい母親像が普通だとつまんないって」
―その頃のイメージではギャップもあるし、独身で年齢的にもまだ抵抗感があったところをやってみたら自分のものとして馴染んだ?
木の実 だから最初はもうびっくりしましたよ。プロデューサーの女性が「これね、ナナさんしかいないの」って来て。他の女優さんいっぱいいるじゃないって言ったんだけど、そこでたけしさんがこう漫才ブームを経て出てきて、子供の頃の自伝をドラマでやるのに、そのおっかさんに見合った、新しい母親像が普通だとつまんないからどうしてもって。
―いかにも昭和の下町のというんでもなく、和風の顔立ちじゃない木の実さんが斬新というか意外性もあったんでしょうね(笑)。
木の実 やってることも西洋かぶれしてるみたいな人がね(笑)。そういう私がお母さんやったらっていうのはあったんでしょうけど。でもあんなにヒットするとは思いませんでしたね。失礼ですけど(苦笑)。
―いや、それは面白かったですし、たけしさんも旬でね。そこにキャラクター、キャスティングがそうやってマッチしたことが大きかったでしょうし。でも今、お話を伺って思うのはやっぱり巡り合わせというか縁だなと。
下町で生まれ育ったのに、顔が派手だとか外人風だからって幼少時はいじめられたそうですけど。それが昭和の原風景のような母親役をやれたということで感慨深いものもあったのでは…。
木の実 本当そうです。近所のおじちゃんたち、おばちゃんたちのことを思い出して、あぁそうだ、うるさかったな、みんなー。やたら毎日宴会で呼び出されて、鞠ちゃん歌ってくれ!って歌ったり。子供ながらに杯(さかづき)を後ろ返しにして、お酒入れてクって飲まされたりとか。とんでもない親だったなー、大人たちだなって思いながら…そういうのが甦ってきて。
だから、とってもプラスになりましたね。やればやるほど思い出してくるんですよ、この時はこうだったって。なんか調べてとかじゃなく、目をつぶって思い出せば。
―そういう意味では、いい思い出として払拭(ふっしょく)できたものもありましたかね。
木の実 でも逆になんか、他の女優さんは勿体なかったですよね(笑)。それこそ私が知ってる限りでは、三益(みます)愛子さんっていう、作家の川口松太郎さんの奥さんで大変有名な女優さんがいらっしゃって。子供の頃に観た映画館で、母ものって言ったら三益さんっていうイメージはあったんで。私がやると明るくなっちゃいますよ~って(笑)。
「たけしさんもびっくりしたんだから」
―いや、それがまた人情コメディっぽくハマってましたから(笑)。
木の実 うちの子っていうかね、小磯(勝弥)くんなんかは、もうたけしさんになりきってましたからね。本当よく似てましたよ。
―子役で本当に上手かったですよね。見た目の雰囲気や表情もまさにこんなイメージだろうなと。
木の実 上手かったですよねぇ。もうたけしさんもびっくりしたんだから。「ううっ」とかって言いながら「なんだ、おまえはっ」って(笑)。
私も仲良くなっちゃって、結局、最初の1年目の後半からほとんどうちへ泊まりに来てね。帰るのが埼玉のほうなんですけど、大変だからって。彼のお母さんがいつも付いてくるんだけど、ちょっと放ったらかしだったのもあってね。
で、この子、ダメになっちゃうから私に任せてくれない?って言ったら「私は生みの親、あなたは育ての親」って、お母さんとも仲良くしたんですよ。それで番組終わった時もうちで過ごしたりとか。もう完全に親子でしたね。
―そんなやりとりがあったとは…。そこまで親子になってたんですね。
木の実 だから未だに仲がいいですよ。一番最初、相談するのはたけしですもん。「たけし、ここが痛いんだけどなんだと思う?」とかね。
―えっ、じゃあずっとプライベートでもたけしって呼んで、おつきあい続いてるんですか?
木の実 そうです。みんなが勝弥って言うんだけど「勝弥って?」って言って。「あ、そっか、勝弥だよね、たけし」って、すぐ変わっちゃうから言えないんです(笑)。
―いい話ですねー(笑)。
木の実 なんでしょうね…もう、すごくいい感じだったんです。本当にドラマの役作りとか云々じゃなくて、たけしがよかったから母親になれたし。
それでおばあちゃんの千石規子(せんごくのりこ)さんっていう、素晴らしい女優さんとか大ベテランの中に入って、対等に会話をしなきゃいけないってんで。私も育ててもらったんですよ、『ショーガール』の木の実ナナが。だから、たけしにはふたりで同じスタートなんだよって言ってました。
「ふたりで抜けて、ディズニーランドへ…」
―千石さんも往年の名脇役で素晴らしかったですよね。では、共演者が皆さん本当の家族のようで。
木の実 それもね、やっぱり自分が子供の時そうだったように、狭い部屋に常に一緒でしたから。…そう! で、ある時、可笑しかったの。撮影してるスタジオでね、急に上の照明がガタガタガタガタってきたんですよ。地震だ!ってんで、うわーどうしようと思って、たけしが目の前にいるから「ちゃぶ台! ちゃぶ台の下!」って入ったのよね。
それで、止まるまでふたりでじーっと。それから「たけし、止まったよ」って出てみたら、周り誰もいないんですよ。「あれ?…まぁいっか、恐かったね」って。そしたらみんながドア開けて入ってきて「えっ、ナナさん何してんの? ダメでしょ地震の時、出なきゃ!」って(笑)。
―そんな状況まで一緒に体験して、また親子の絆が深まりますねー。
木の実 それで撮影が早めに終わったんで、ふたりで抜けて。ディズニーランドがまだできて間もなかったんで、たけしに「私、行きたいんだけど、行きたいか?」って睨(にら)んだら「行こう!」って。そのままディズニーランドへ。
―睨んだらって…自分が行きたくて強制みたいな(笑)。しかしふたりでディズニーランドも遊びに行ってるんですか!
木の実 たけしと帽子被りながら「おまえね、『たけしくん、ハイ!』って有名だからさ、あんまり声出して言わないように」って。で、うんって答えるんですけど、私のほうが「おい、たけし!」とか言って「あの…ナナさんが呼んでます」って。それで周りに気がつかれちゃうんですけどね、「(番組を)見ててくださいねー」なんて言って(笑)。
―人気ドラマの親子がディズニーランドいたら、だいぶ驚きますよ(笑)。
木の実 でも本当に未だに仲良くしてくれて。私が「最近、足つるんだよ」って言ったら、仕事の帰りに薬を買ってきて、うちのドアの取っ手に置いといてくれたりするんです。「これは漢方だから毎日飲んでくださいね」って書いて。私のこと一番わかってるのよ。
ーそれもまた素敵な話ですね~。
●この続きは次週、6月26日(日)12時に配信予定! 『ショーガール』の舞台裏、そして恋の噂の真相とは…。
●木の実ナナ 1946年7月11日、東京都生まれ。中学生の時に参加した新人オーディションで優勝。1962年、デビュー。67年には『ミニ・ミニ・ロック』という曲をヒットさせて人気を集めた。その後、本場のショー・ビジネスを学ぶため、70年に渡米。帰国後、73年に劇団四季のミュージカルに応募し『アプローズ』に出演。このヒットがきっかけで舞台女優として高い評価を得る。74年から始まった細川俊之との2人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。85年にはTVドラマ『たけしくん、ハイ!』で自身初となる母親役に挑戦。現在も舞台、ドラマ等で活躍
(撮影/小澤太一)