俳優、高倉健が死去して2年。その圧倒的な存在感に迫る長編ドキュメント『健さん』が8月20日に公開。
『ブラック・レイン』で共演したマイケル・ダグラス、『タクシードライバー』のマーティン・スコセッシ監督、『ミッション:インポッシブル2』のジョン・ウー監督、『幸福の黄色いハンカチ』の山田洋次監督など、生前の高倉健を知る国内外20人以上の証言を元に構成される、その知られざる“健さん像”は必見だ。
メガホンを取ったのはニュヨーク在住歴30年、写真家としても知られる日比遊一(ひび・ゆういち)監督(51)。この作品で日比監督は人間・高倉健の魅力をどう描こうとしたのか? 独占直撃した。
―国民的スターでありながら、限られたインタビューしか受けないなど、素顔や私生活は厚いベールに包まれていた健さんのドキュメントを作るのはたやすいことではなかったはず。プレッシャーは感じませんでした?
「なかったわけではない。でもオファーを引き受けるにあたり、ためらいは全くありませんでした。理由はふたつ。ひとつは僕自身が高倉健の大ファンであったこと。もうひとつは国内だけでなく、世界の映画ファンに『日本にこんな凄い映画スターがいたんだ』ということをきちんと知ってもらいたかったからです」
―アメリカなど海外では高倉健という役者はあまり知られていない?
「残念ながら、知名度はさほど高くありません。日本のムービースターといえば、最初に名前が上がるのは圧倒的に三船敏郎さんです。三船さんの名前が浸透しているのは、多くの国の映画人が彼らの言語でその魅力を分析・評論していることが大きい。それに比べると、俳優・高倉健について適切に語っているものはあまりにも少ない。これでは健さんの魅力が世界に伝わりません。だからこそ、多くの世界的にも著名な映画人に登場してもらい、魅力を率直に語ってもらうことにこだわりました」
―とはいえ、そういった世界的な大物から狙い通りのコメントを得るのは並大抵なことではなかったはず…。
「スコセッシ監督が健さんを尊敬しているという噂は聞いていましたが、実際にあれだけの賛辞を尽くして語ってくれるとは想像もしませんでした。しかし、一番印象に残ったのはマイケル・ダグラスのインタビューです。あのアカデミー賞俳優が『ブラック・レイン』で健さんとソバをすするシーンを『これまでやった映画の中でもっとも記憶に残っている。とても緊張した』と明かしたのは圧巻でした」
―インタビュー実現までには20通以上もの電子メールをやりとりしたとか。
「ええ。それに加え、自筆の手紙も送りました。健さんのことだけでなく『あなたのこともよく知りたい』と伝えるためです。そうすることで、質問者と回答者というだけでなく、映画に関心を抱く人間同士としての会話ができる関係性を築いておきたかったんです。
インタビュー当日も、カメラを回す前に30分以上もコーヒーを飲みながら会話を重ねました。偶然ですが、僕は『ブラック・レイン』の撮影現場を訪ねたことがあるんです。そのことを伝えると、彼はとても喜んでいましたね。その結果、単なるイエス、ノーという回答だけでなく、同じ映画スターとして健さんに共鳴した部分、リスペクトを感じた部分を具体的な言葉として引き出せたのではないかと自負しています」
高倉健とは何者だったのか?
―その一方で、国内の映画人のインタビュー証言もバラエティに富み、貴重なものばかりです。
「海外の一流映画人に語ってもらうだけでなく、日本国内の関係者が何を語るのか、その対比も見せたかった。“凄い俳優”という賛辞だけでは魅力的な高倉健論にならない。最愛の人(江利チエミ)との離婚や死別、オフの間の生活ぶり、撮影時のエピソードなどを通じ、様々な葛藤や苦悩があったからこそ、これだけ凄いスターになったという部分を伝えたかった。
とはいえ、作り手側から結論を押し付けるような映画にはしたくない。だから、まずは世界の映画人が語るアーティストとしての健さん、国内の関係者が語る素顔の小田剛一(高倉健の本名)というふたつのピースを提示する。それを観客が自由に組み合わせて『高倉健とは何者だったのか?』というジグゾーバズルを解いてもらえればいいかなと考えたんです」
―撮影を終えた今、日比監督自身、高倉健とはどのような俳優だったと感じていますか?
「不器用とは真逆の、とても器用な人ですね。寡黙(かもく)で耐える男というイメージが強い健さんですが、『網走番外地』など初期の代表作ではかなり多弁です。アドリブのセリフや演技も多かったそうです。両方できた健さんは、そういう意味ではとても器用な俳優だったのだと思います。
また、これも取材を通じてわかったことですが、健さんの周りには“スター・高倉健”のことをペラペラと語るような人物はほぼいない。健さんはそういう口の固い人だけを選んで自分の周囲に置いたのです。つまり、小田剛一という人は高倉健という存在であり続けるためにどんな人を周りに置くべきなのか、考えに考え抜いていたはず。そんなことがごく自然にできた俳優だったのですから器用という他はありません」
―では、その高倉健と小田剛一の間の距離をどう取ってきたのでしょう?
「高倉健と小田剛一をふたつに分けること自体がナンセンスです。これはあくまでも僕の想像ですが、健さんにとって高倉健は最高の到達点だったのでしょう。黙って耐える男やネクタイの似合わないアウトローなど、庶民が俳優・高倉健の中に見出した“日本の美”の魅力に小田剛一本人が気づき、そこに一歩でも近づこうと壮絶な努力をした。
そのうちに健さん本人も高倉健と小田剛一が混然一体となり、どっちが本当の自分なのかわからなくなった。そんな高みに到達した俳優で存命の人は、今の日本では吉永小百合さんくらいしか思い当たりません」
健さんがこよなく愛した「寒青」という言葉
―映画は「寒青」という言葉で締めくくられています。「寒青」とは、風雪ですべてが枯れ果てる冬に、青々と葉を茂らせる松のことだそうですね。
「健さんがこよなく愛した言葉で、冬の松のように自分も生きたいと、時計の裏に彫って持ち歩いていたそうです。この『寒青』こそ、高倉健というジグゾーバズルを完成させるために欠かせないピースだと思ったんです。健さんが目指した到達点だったのではないかと。
だから、ラストは冬の松のシーンで締めようと、制作に入る前から決めていました。そのため、海沿いで風雪にさらされる一本松を頭の中で想像しまして、やっとそんな情景を、ある北陸地方に見つけたのですが、2月というのに晴天続きで。雪まじりの荒天候を何日も待つハメになりましたけど(笑)。
ちなみに、映画に登場する『寒青』という文字は直筆です。時計の裏の文字は職人さんが彫ったもので、健さんの文字ではない。どうしても健さんの直筆を見てもらいたくて探し回りました。結局、知人に宛てた手紙の中に『寒青』の文字をついに探し当てた時は本当に鳥肌が立ちました。
健さんファンはもちろんですが、高倉健を知らない若い世代や世界の人々にこそ、このドキュメントを見てほしいですね」
(取材・文/姜誠 撮影/週プレNEWS編集部)
●日比遊一 愛知県名古屋市出身。ニューヨーク在住。2013年、長編プロジェクト『ROAD KILL』がカンヌ国際映画祭〈アトリエ部門〉にアメリカ代表として招待され、翌14年には長編映画『An Ornament of Faith』がアメリカのインデペンデント映画をサポートする団体IFPから同年デビューのベスト25作品に選出される。近作は昨秋公開の 『A Weekend with Mr.Frank』で写真家・映像作家のロバート・フランクを追ったドキュメンタリー。
◆『健さん』は8月20日より全国公開 http://respect-film.co.jp/kensan/