ベストセラー『タモリ論』などで知られる作家、樋口毅宏(たけひろ)氏の最新小説『太陽がいっぱい』が猛烈に面白い。
表紙の帯文に大槻ケンヂ氏が「リアルを超える空想のプロレス史は燃えるように熱い!」と寄せているように、実在のプロレスラーやエピソードを基に“虚実皮膜”と称されるプロレスの妖しい魅力を存分に際立たせている。
ところが、本作は樋口氏の引退作品になるという…。現在、本人が住む京都を訪れ、創作の原点と引退の真相に迫った――。
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―本作は「樋口毅宏引退作品」と謳(うた)っています。引退の真相はズバリ、昨年末にお子さんが生まれたことですか? 最近は育児に専念しているようですが…。
樋口 もう完全に主夫です。息子のショーンくんを育てていた時のジョン・レノン状態。妻が働きに出ている日中ずっと、僕がすべての家事・育児をやっています。
もうすぐ1歳で、ヨチヨチ歩きを始めたのでますます目が離せない。この前も妻の化粧液を口にしそうになっていたし。だから小説の執筆のような、日頃から継続的な集中力を要する仕事はムリなんです。
純文学とか、他の作家の方はまた違うでしょうが、僕自身の作家の定義は「350枚以上の長編を書くこと」。短いコラムしか書けない現状で作家を名乗ることはできない。この1年間はついに書けませんでした。少し前までは「100冊は余裕で書けるなあ」と思っていたんですけどね。でももう、暗い戦いには疲れた。
―でも、ジョン・レノンは育休を経て復帰したじゃないですか。引退というか「活動休止」?
樋口 どうなんですかね? ただ、子育てだけが100%理由じゃないんです。プロレスラーの中には何度も引退・復帰を繰り返す人がいますけど、調べてみたら他のジャンルでも活動休止している人が結構いるんですよね。
例えば、本宮ひろ志さん。80年代に『やぶれかぶれ』というマンガがあって、ご本人が主人公なんですけど、『男一匹ガキ大将』や『俺の空』など大ヒット作を連発した後に活動休止宣言をして、実際に田中角栄と会ったりして参議院選挙の出馬を目指す作品ですが、当時まだ30代半ばなんです。ジョージ秋山先生も30代で一度引退している。
俳優のイーサン・ホークが今年、初めてドキュメンタリー映画を監督しました。90歳近いピアノ教師の人生を追ったものですけど、イーサンは今45歳で順調にキャリアを重ねているように見えて実は行き詰まりを感じていたのが、この映画を撮った動機だったようです。
やっぱりみんな悩むし、疲れちゃうんだなと思いました。僕も今45歳。この程度の才能なのに、白石一文さんのおかげで文学賞も取らずに文芸の世界に入れてもらった。いわば裏口入学ですよ。それなのに10冊以上も本を上梓できて、会いたい人にもほとんど会えた。
自分の好きな方たちに本の帯の推薦人になってもらったり、対談をやらせていただいたりと、夢は大体叶(かな)ってしまった。それだけに、このままやり続けていいのかな?という思いはずっと抱えていたんです。
西加奈子さんには「正直スマンかった!」
―そうだったんですか…。でも、世の中“一寸先はハプニング”ですから!
『太陽がいっぱい』についてうかがいます。各媒体で仰ってますが、執筆のきっかけは、西加奈子さんが直木賞受賞会見で発した「プロレスに感謝」という言葉に「カチンときた」ことだったと。「プロレスは『感謝』だけじゃないだろ。怒り、嘆き、憐憫、しょーもなさ、惨め、失笑、救済…様々な感情を抱合したものがプロレスではないのか」とも書いていますね。
樋口 あれは今となっては西さんに申し訳ないことをしたなあと思ってます。この本ができた時、一筆書いてお送りしたんですけど、ご本人に届いているのかな…。いろんな人から西さんはすごくいい人だって聞くんですけど、僕はそういう人さえ怒らせるタイプだから。今となっては、手を合わせて「正直スマンかった!」という気持ちでいっぱいです。
―佐々木健介の迷言で謝られても…(笑)。でも、ある意味、これは出版界の「かませ犬事件」ですよ! 樋口さん(長州力)が西さん(藤波辰爾)にかみついた構図で…。
樋口 僕が長州になれたらいいんですけどね。西さんとでは、すべてにおいて差がありすぎる。そうそう、長州と聞いて思い出しました。取材などのオファーをいただいても引退した身なのでお断りしていますが、今日、インタビューをお受けしたのは、田崎健太さんの『真説・長州力』の担当編集者が聞き手だとお聞きしたからです。あの本、本当に面白かった。
―ありがとうございます! ノンフィクション『真説・長州力』はもちろん長州が主役ですけど、キラー・カーンや谷津嘉章(やつ・よしあき)など夢破れた人たちも掘り下げていて、そういう部分が『太陽がいっぱい』と共通していると思うんですよ。
勝利街道を歩んできたレスラーではなく、負けた人に光を当てていますよね。違う名前になっていますが、「ある悪役レスラーの肖像」という章の主人公は明らかにラッシャー木村だし、「最強のいちばん長い日」は1995年10月9日の東京ドームで武藤敬司に負けた高田延彦の姿をパラレルワールド的に描いています。
樋口 この前、燃え殻さんという天才と対談した時にも指摘されましたが、自分でも気がつかなかったんですよ。言われて初めて「そうか、僕自身が負け犬だからこういうレスラーに共感して書いたのかな」と思いました。
「平凡」という章のモデルは「谷津嘉章でしょ?」って言われるんですけど、そういうつもりではなくて。いろんな人のいろんなエピソードを使って、僕が理想とするプロレスラー像を好き勝手に書かせてもらった感じです。
この本を書く動機として、「歴史を書き換えたい」という気持ちもあって。と言っても、誤解しないでくださいね。前田日明も同じようなことを以前言っていて、ちょっとニュアンスは違うかもしれないけど、引っかかっていたんです。
吉川英治の小説によって宮本武蔵が生前より名を残したように、『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』という名ノンフィクションによって、後世で木村政彦が再評価されました。いつも思うんですよね。キリストより偉いのは聖書を書いた人だって。大山倍達(ますたつ)より偉いのは梶原一騎だと。
話がちょっと変わっちゃうかもしれないけど、「あの時、高田が武藤に負けなかったらどうなったんだろう?」と、どうしても妄想しちゃうわけです。
―「あの時、こうなっていたら?」とか「この人だったらどうする?」と想像して書くんですね。
樋口 例えば「(映画監督の)ビリー・ワイルダーだったらこの後の展開はどうする?」と考える人がいるように、僕も「猪木だったらどうする?」「小沢健二だったら?」とか考えてしまう時もあります。
人が驚くシーンを書くにしても、「目の前で突然自ら前髪を切り始めた藤波辰爾を見て驚く猪木」とか「IWGPタッグ王座を獲った後藤達俊の、控室で不意に小原道由からビールをかけられた時の鳩が豆鉄砲食らったような顔」とか。
偉大な作家は、やってはいけないことのオンパレード
―マニアック!(笑) そういった思考作業は作家になる前からやっていたんですか?
樋口 子供の頃から割と妄想癖があったと思います。勝手に神様と通信したり。あとね、未だにそうなんですけど、悪いことしか考えられないんですよね。
―悪いこと?
樋口 最悪の状況しか考えられなかったりする。心配性。その割にはワキが甘くて、やらかしちゃう。サービス精神が裏目に出て、温厚な人まで怒らせてしまう人生ですね。
―やらかしちゃうといえば、先日、水道橋博士さんが「しくじり先生」に出て、様々なやらかしエピソードを語っていましたね。
樋口 僕は浅草キッドが「オールナイトニッポン」2部を担当していた時代からのファンですから、あの番組で語られたエピソードはすべて知っていました。世間はどう思ったか知りませんけど、ウケ狙いで早稲田を受験しようが、変装して免許証を不正取得しようが、芸人なんだからいいじゃないですか。
いわゆる良識派は眉をひそめるんでしょうけど、僕は全肯定でしたよ。「博士、泣かんでください」って画面に向かって何度も呟(つぶや)いていました。横を見たら妻も目を真っ赤にしていた(笑)。
―僕もそう思いますけど、ある意味、猪木イズムに毒されているのかも(笑)。
樋口 自作自演と言われている「新宿伊勢丹前襲撃事件」とか「IWGP決勝戦舌出し失神事件」とかね。僕らからすれば、待ってました!って感じですよね(笑)。猪木イズム、たけしイズムですよ。たけしさんも、あれほどのバイク事故からよみがえっちゃうんだから。「尊敬」という言葉以外見つからない。
―昨今の芸能人不倫スキャンダルについて、たけしさんは「芸人にとっては勲章だ。俺なんか殴り込みに行っちゃってんだから」みたいなことを言っていました。
樋口 「フライデー襲撃事件」。その釈明会見の時、記者にキレぎみで。「顰蹙(ひんしゅく)はカネを出してでも買え」は見城徹イズムですけど、「いい人」って言われるより、「あいつは何をしでかすかわからない」って思われているほうが人生楽しいと思いますけどね。
僕も今回の引退宣言でいろいろ言われたみたいですけど、作家の人格を否定してバッシングされても…。そもそも僕の引退なんて誰も気にしていないでしょう。それに、奥さんの貸し借りをするわ、姪っ子に手を出すわ、旦那子供を捨てるわ、偉大な作家たちは、やってはいけないことのオンパレードでしたから。
新しいプロレスファンへの入門書になってくれれば
―そういう意味で、小説とプロレスって似ていると思うんですよ。ブラックホールのようにあらゆるモノを吸収する。瀬戸内寂聴さんは、小保方晴子さんや乙武洋匡さんに「小説を書きなさい」と勧めてましたが、猪木もいろんな人をリングに上げて再生させてきましたからね。
そんなプロレスという、そもそも現実離れした世界を小説にすることに難しさはなかったんですか?
樋口 それはありますよね。どうやっても超えられないジャンルではあるけど、ミッキー・ローク主演の映画『レスラー』ってあるじゃないですか。このモデルはジェイク・ロバーツだねとか、これはWWEの誰それの要素だねとか、いろいろ元ネタを詮索されながらも、あれだけの名作が実在するわけですから。
―昔からのファンは、つい元ネタを考えちゃいますよね。
樋口 ただ、この本は長年のプロレスファンよりも、新しいファンやライト層に向けて書いたつもりなんです。大槻ケンヂさんは以前、「3年経ったら十代は知らない」と名言を仰っていましたが、今の若いファンの大半はラッシャー木村を知らなくて当然ですよね。
そういう人にとっての入門書になってくれればいいなって。「こんな悪役レスラーがいたんだ」って気になったらネットで調べてくれてもいいし、プロレスという奥深い世界をもっと知ってほしいっていう思いですね。
―昭和のプロレスはリング外の事件もたくさんあって、現代にはないダイナミズムがあった、昔のほうが面白かったというオールドファンも多いです。
樋口 僕も昔のプロレスラーのほうが色香(いろか)とか哀愁とか凄みがあったとか思い込んでいた。ところがね、夢中になって見ていた80年代の試合を見直してみたら、今の新日本プロレスの試合のほうがよっぽど体を張っているし、展開も読めないし面白い。これはショックでした。当時はあんなに猪木に夢中になっていたのに。
例えば、UWF勢が新日本に戻ってきて正規軍と5対5マッチをやりましたよね。上田馬之助が前田の脚を掴み、場外に引きずり下ろして心中し、終盤、UWFは高田、木戸修のふたりが残り、対する正規軍は猪木ひとりとなった時、猪木が怪鳥の如く両手を広げた。その神々しさに当時は打ち震えたものですが、これも最近見直してみたら今のプロレスのほうがスゴイんですよ。
―リング上の攻防は本当に進化していますよね!
樋口 「ポケモンGO」とか無料のゲームアプリなど、様々な娯楽が溢(あふ)れている中、今のプロレスはあそこまでやらなければいけないのかという。石井智宏が、脳天がマットにめりこむような落とされ方をしたり。オカダ・カズチカも先日のIWGP戦で丸藤正道(なおみち)に何発頭を蹴られたか…。
あれだけ全力で戦っていたら、今のレスラーのほうが選手寿命が短いでしょう。見ていて切ない。もっと報われてほしい。また年に3回、東京ドームで6万人を集めてほしい。オカダにカネの雨を降らせてほしいと思いますよ。
三沢光晴の命日は映画『レスラー』の公開初日だった
―樋口さんはプロレスが下火だった時代もずっと見ていたんですか?
樋口 PRIDEやK-1が全盛期で、新日が“なんちゃって格闘技”をやっていた頃は見ていなかったんですけど、凱旋したオカダが王者・棚橋弘至に挑戦表明して、棚橋がマイクで「IWGPは遠いぞ」と言っているのをたまたま見て、最高!って。
長いプロレス史を見ても、若い選手が初挑戦でベルトを獲れたことがないでしょう? ところがその後の大阪でオカダが勝った。すげー華がある、この人!と思って、毎週また見るようになったんです。
―じゃあ、オカダがいなかったら、この作品は書いてなかった?
樋口 書いてなかったですね。それは断言できます。それにしても、プロレスって本当に不思議ですよね。僕は他のジャンルでも映画監督、ミュージシャン、好きな人はたくさんいますけど、プロレスラーへの思い入れって別種なんですよね。並々ならぬ思い入れがある。
橋本真也が亡くなった時、僕はまだ編集者でしたけど、しばらくは仕事が手につかなかった。それこそ三沢光晴が亡くなった時なんて、どう受け止めたらいいのかと。僕は三沢が二代目タイガーマスクになる以前の若手時代から見てきましたから。
タイガーのマスクを脱いで観客席に投げ込んだ試合も東京体育館で見たし、初めてジャンボ鶴田にフォール勝ちしたのも日本武道館で見た。そういう人が突然亡くなるというのは…ね。
覚えてますか? 三沢が亡くなった2009年6月13日は、ちょうど映画『レスラー』の日本公開初日だったんですよ。
―え、そうだったんですか!
樋口 公開後すぐ観にいくつもりだったのに、劇場に足を運べなかった。三沢がリング上でああいう死に方をして、『レスラー』もあのような結末でしょう。当時観ていたら、頭がおかしくなっていたかもしれない。今話していても恐い。
―ちょっと鳥肌が立ちました…。しかし、プロレスラーって、なぜ見る者にここまで感情移入させるんでしょうね。そんなコアなファンが多いからこそ、この実験的な小説は厳しい目に晒(さら)されているかと思いますが…。
樋口 プロレスを題材にした小説は、つかこうへいさんの『リング・リング・リング』とか、中島らもさんの『お父さんのバックドロップ』など少ないですが、プロレスファンって面倒くさいですからね。自分も含めて。
「樋口はプロレスがわかってない」とか言われてるんでしょうね。でもそれでいいんですよ。僕は「これがプロレスだ」「あれはプロレスじゃない」とか喧々諤々(けんけんがくがく)やるのは好きじゃない。「あの時のあの試合、面白かったよなあ」「あの時の猪木の表情! 後藤達俊の驚いた顔!」とか、笑いながら話したりするのがプロレスで一番楽しいですね。
●樋口毅宏(ひぐち・たけひろ) 1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。出版社勤務の後、2009年『さらば雑司ヶ谷』で作家デビュー。2011年『民宿雪国』で第24回山本周五郎賞候補・第2回山田風太郎賞候補、2012年『テロルのすべて』で第14回大藪春彦賞候補に。新潮新書『タモリ論』はベストセラーに。その他、『日本のセックス』『雑司ヶ谷R.I.P.』『二十五の瞳』『ルック・バック・イン・アンガー』『甘い復讐』『愛される資格』『ドルフィン・ソングを救え!』やサブカルコラム集『さよなら小沢健二』がある
●『太陽がいっぱい』扶桑社 1400円+税
(取材・文/中込勇気)