「“ベロ”に対する思いは複雑です。僕の本当の夢は“舞台”。劇団を大きくして、一緒にやってる仲間たちを食わせてあげたい」と語るイジリー岡田氏

イジリー岡田、という芸名そのものが、どうしたって下ネタを想起させる。実際、テレビの中の彼は“高速ベロ”で数々のAV女優やアイドルをイジり倒してきた。しかし、素顔の彼は下ネタ嫌いの超オクテ。酒も煙草もやらない無類のまじめ人間だ。

そんな彼が、アイドルを追っかけていた少年時代から、『ギルガメッシュないと』(以下、『ギルガメ』)でブレイクし、現在は“清純派アイドル”乃木坂46らの番組司会を務めるようになった道程をつづったのが『イジリー岡田のニッポンのアイドル』だ。

そこに記された様々なエピソードをもとに、テレビでは見られない本当の彼―「岡田昇(のぼる)」に迫った。

―今日は、イジリー岡田としてではなく、本名の「岡田昇」さんとしてお話を聞きたいと思っています。

岡田 いいんですか? 岡田昇になるとね…口数が減りますよ(笑)。

―では、時間をかけて聞かせてください(笑)。この本にも書かれている通り、1987年に芸能界に入った当時は、正統派のお笑いをやっていましたよね?

岡田 ええ。元々、僕は萩本欽一さんやチャプリンみたいな“温かいお笑い”に憧れていたので、今のような下ネタはやっていませんでした。むしろ、「エロや裸で笑いを取るのは卑怯だ」とさえ言ってましたね。

―そんな岡田さんが、『ギルガメ』で下ネタを解禁することになったんですよね?

岡田 はい。『ギルガメ』に初出演したときのロケでAV女優さんの部屋に行った際、僕はタンスの中にあった下着をスルーしてしまったんです。そこですぐにカットがかかって、ディレクターに言われました。「下着があったら嗅ぐだろ、普通は!」と(笑)。そこで初めて「それが普通なんだ」と学んだんです。しかも、その隣の引き出しからはピンクローターが出てきたんですが、僕はそれが何か知らなかったから、「これはなんですか?」と女優さんに教えてもらってました。

―下ネタを演じることに対する戸惑いはなかったんですか?

岡田 いや、あの番組は初めてもらった地上波レギュラーでしたからね。僕は「ここで頑張らないと次がないから、なんでもしよう…どうせ3ヵ月の辛抱だ」って考えていたんですよ。番組が3ヵ月で終わると思っていたから(笑)。それがあんな高視聴率のお化け番組になるなんて、ねぇ(『ギルガメ』の最高視聴率は9.4%。番組は6年半続いた)。

奥さんもベロで食べさせていきますよ(笑)

―その後、同番組で高速ベロなど様々な技を生み出しますが、下ネタ嫌いはどうやって克服したんですか?

岡田 いえ、克服してはいないですね、今でも。当時のマネジャーにも「芸人は遊ぶことが芸の肥やしになるんだ」と言われていましたが、「僕はそうは思いません」って逆らったんですよ(笑)。初めてキャバクラに行ったのも27歳のときというオクテ。仲間から頼まれて合コンをセッティングしても、「もう23時だけど、大丈夫? 電車ある?」って時計ばかり気にしちゃう人間なんです(笑)。芸人には、元々クラスの人気者だったっていうヤツと、教室の隅にいた暗いヤツっていう2種類がいると思うんですけど、僕は完全に後者ですね。

―テレビでは正反対のキャラクターを見せていますね。

岡田 はい。最近もマツコ・デラックスさんから「高速ベロは好きでやってるのかと思ってた」って言われましたけど、そこまで世間を騙(だま)せていたんだと思うと、ちょっと得意げですね。

ただ、エロだからこそ、まじめにやらないといけないのは確かです。『ギルガメ』時代は、ちゃんと収録日前に自分で台本を取りに行って、「このコーナーでは何をしよう?」って練ってました。収録日も朝早く現場に入って、なぎら健壱さんと「リハーサルは台本どおりにやろう。本番はネタを変えて、スタッフを笑わせてやろう」と綿密に打ち合わせをしてましたね。

あの番組では、AV女優のコたちも朝の9時半に入って、本読み、カメリハをしっかりやった上で、午後1時の収録時には深夜1時のテンションにちゃんと持っていっていました。そういうことをきちんとまじめにやらないと、“エロ神様”は降りてこないんですよ。今でも、台本は事前にもらうようしています。

―芸風にまったくブレがないのも、その作業の積み重ねがあるからなんですね。今年9月に結婚されましたが、今後は家庭人としての一面も見せていこうという考えはありますか?

岡田 家庭人? いや、正直、考えたことがないです。結婚しても高速ベロはやるし、アイドルの使ったストローを舐(な)めろと言われたら舐める。僕は世界でもまれな“ベロでメシを食ってる芸人”ですから、奥さんもベロで食べさせていきますよ(笑)。

僕が一番、言われたくないのは「イジリー岡田は結婚してベロが遅くなった」ということ。それはテレビで見てても絶対にわからないはずなんです。僕の舌は1秒間に9往復する上に、上下の動きも加わってますから、スーパースローカメラじゃないととらえられない。

この間、高速ベロが生まれた瞬間の昔の映像を見返したんですが、あの頃の僕は全然高速じゃなかった。ひよっこです。ベロも筋肉なので、今はアンチエイジングに取り組んで、大事な収録の前日は必ず家で練習しています。

だから、僕の本当の夢は…

―ますます速くなってるということでしょうか。

岡田 そうだと思いますよ。もしおじいちゃんになっても、白髪で高速ベロをやって、“思わずベロで入れ歯を飛ばしてしまう”という芸をやりたい(笑)。そのために、「ベロ保険」を誰かつくってくれませんかね?

―(笑)。今後、そのベロを生かして何かを成し遂げたいという野心はありますか?

岡田 野心か……。そう言われると、複雑なんですよね。僕はベロでメシを食っているんですが、本当にやりたいのは“舞台”。今、「東京アンテナコンテナ」という劇団の座長を務めているんですが、そこでやっているのは、当初から憧れていた“温かい笑い”なんですね。その舞台を見てくれた方は、みんな「テレビとは違うんですね」と言って応援してくれる。

だから、僕の本当の夢は、「この劇団を大きくして一緒にやってる仲間たちを食わせてあげたい」ということなんです。…まあ、事務所はどう考えてるかわからないんですけど(笑)。

●イジリー岡田1964年生まれ、東京都出身。お笑いコンビ「キッドカット」を解散後、本名の「岡田昇」として活動。後に、アイドル誌の編集長から「客イジリがうまいから、イジリー岡田として連載をやってみないか」と言われ、今の芸名に。90年代に一世を風靡した『ギルガメッシュないと』(テレビ東京)で高速ベロを初披露。2014年、『アメトーーク!』(テレビ朝日系)でフィーチャーされ、再び脚光を浴びる

■『イジリー岡田のニッポンのアイドル』 (主婦の友社 1400円+税)今年で芸歴30周年を迎えるイジリー岡田が、自らの半生を折々のアイドルとの思い出に絡めて語った自伝書。キャンディーズや石野真子に夢中になった少年期から、コンビとして「ホリプロお笑いタレント第1号」になった初期の芸能活動。そして“高速ベロ”誕生の瞬間や、現在のAKB48や乃木坂46との仕事まで語り尽くす

(取材・文/西中賢治 撮影/山上徳幸)