怒っていいとも? 激怒キャラでもブレイクした吉木さんがここでもキレるのか…!?

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』

第35回のゲストでラグビー日本代表の畠山健介さんからご紹介いただいたのはタレント、グラビアアイドルの吉木りささん。

人気グラドルとしても人気を不動のものとしているが、ここ最近はバラエティ番組『吉木りさに怒られたい』での“激怒”キャラが大ブレイク。

お嬢様イメージから脱皮し活躍の場を広げているが、20代ラストを恋愛ネタでもお騒がせな彼女の現在とはーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

―いきなりこんなお話しさせてもらうタイミングで、ちょっと前に熱愛報道が出ちゃったじゃないですか!

吉木 あっ。すみません(笑)。

―いやいや、謝ることではないですけど。先日の最新写真集発売イベントでも当然、取材陣からツッコマれてましたしね。

吉木 そうなんです。毎回、囲み取材では聞かれるので。まぁ、それで来ていただくのもありがたいといえばありがたいんですけど(笑)。

―でも、そこで答えてるあのままで。よいお付き合いをさせていただいてますと。

吉木 そうですね、すごく。お互いにイイ歳なので、ちょうどいいというか。

―ついに吉木さんも20代ラストですもんね。そういう話もないと、逆に心配な…(笑)。

吉木 私、プライベートは本当に地味に過ごしてたんですよ。結構、人見知りなので、芸能界のお友達とかもほとんどいなくて。週刊誌の方がずっとカメラ…待ってたとしても、すぐ直帰っていうタイプだったので。ある意味、遅く来た春というか(笑)。

―でも、恋愛自体は喜ばしいことですよね。

吉木 久々の恋愛でちょっと嬉しくて。はしゃぎ過ぎました(笑)。

―ははは、トキメキしてるわけですね(笑)。でも、相手が30代半ば過ぎた年齢っていうのもちょうどいい感じですよね。

吉木 あー、それはありますね。向こうも今の歳くらいの私の感じが、やっぱり仕事のことも話もわかるし、すごくいいなって。

―実際、自分的にはそういう願望とかどうだったんですか? 20代ラストを前に地味なプライベートだったということで。

吉木 いや、その時は全然なかったんですよね。もう仕事が楽しくて、仕事のことばっか考えてて。たまに地元の友達と話すと、やっぱり結婚してるコとか千葉だと多いんですよ。で、自虐で「やばい、売れ残っちゃう」くらい言ってたんですけど。でもやっぱお仕事は楽しいし、タレントさんって結婚年齢の平均が遅いじゃないですか。30代も多いので。

―芸能界やマスコミ関係、いわゆる業界は結構そうですよね。女性も自分で働いてバリバリやって…特に東京だと周りもそうだから、特に焦りとかもなく。

吉木 そうなんですよ。それで生活も仕事も楽しいみたいな感覚…。

「ぶん殴ってやりたいと思ったんですけど(笑)」

―その中で理想もハードルも高くなってね。東村アキコさんの漫画『東京タラレバ娘』みたいな世界になっていくんですけど(笑)。

吉木 まさに、タラレバ娘で! 読んでます、発売当初から。

―やっぱり(笑)。さすが漫画・アニメ好きを自称してるだけに。僕もタラレバ娘、大好きなんですけど。

吉木 面白いですよね。まさに地元とかだとあんな感じ。デートかなんかあったら集まって飲んで、緊急会議みたいな。あいつはやめたほうがいいとか、いろいろ話して。

―そのああだこうだ飲み語りしてる時間が一番楽しいみたいな。で、30代のイイ歳になっても言い訳作って、傷を舐(な)め合ったりね。

吉木 お互いに傷の舐め合いで、それもいいんですけどね。いやー、でもあの中では特にネイリストの女のコ、結構共感できますね(笑)。私、家族が好きで、今はひとりで暮らしてるんですけど、結構実家にいたんですよ。で、隙あらば家族と一緒にごはんだったんで(笑)。

―3人の主人公のうち、売れないミュージシャンを当時は袖にして、再会したらビッグになってた彼のセフレ的腐れ縁っていう。振り回されるというか、翻弄されるコなわけですが。

吉木 ねー。ちょっとまぁあれなんですけど…でも面白いですよね。以前、番組で話したことがあるんですけど、私も大学入った当初、いいなって思ってもらえて、付き合ったことがある人が「俺、DJ目指してます」みたいな、ちょっとパリピ(パーティーピープル)な感じだったんです(笑)。

自分色に染めたいような人で「俺って『CanCam』とかコンサバ系なコが好きなんだよね」って。私はちょっとタイプが違ったんですけど、でも彼のために全部洋服捨てて変えて。そしたら、友達からちらほら浮気の話を聞くようになって「なんか、他の彼女と歩いてたよ」とか。しかもそれが、みんな大体、コンサバ系の服着てるんですよ(笑)。

―ははは(笑)。みんな彼好みに仕上がっちゃって。

吉木 私は何番目の女なんだろうって思ったんですけど、なんか量産型みたいなことになってて…ぶん殴ってやりたいと思ったんですけど(笑)。まぁ数ヵ月間だけだったので、すぐ別れて。そういうダメンズもいましたし。

―そこから『吉木りさに怒られたい』的な怒りキャラの原点が(笑)。結構、ダメンズにハマった過去も?

吉木 そう。男子ってバカだなみたいな(笑)。たまに思う時ありますね。

「モー娘。のオーディション受けたりしたんです」

―まぁでも女子大生だった時代も、ちゃんと女子が経てくる道を経験して。年代ごとに大人になって今に至るわけですから。

吉木 そうですね。ついに大台に、もうすぐ乗ることに。私、週プレさんに一番最初、お世話になり始めたのが、たぶん22とか23なので。

『キャンパスナイトフジ』って番組に出させていただいた時に、それまで水着が家族の反対でNGだったんですけど、水着ファッションショーみたいなのにどうしても出なきゃいけなくて。それで、まぁもう大人だし、いいんじゃないって解禁されて。で、大学を卒業してから本格的にグラビア始めたので。ほんと23とかだったと思います。

―もっと早くからのイメージもありますけどね。そもそも子供の頃から民謡をやっていて、実は歌手デビューも演歌でという。元から芸能界に興味が?

吉木 高校1年生の時から一応、芸能界入ったんですけど、全然オーディション受からなくて。で、唯一、日本民謡を小学4年生から高3まで習っていて、賞とか獲らせてもらっていたので、じゃあ演歌とか歌えるんじゃないっていう。事務所の人のノリとともにボイストレーニングを1年間習って、演歌の歌い方を教わって。

―演歌デビューも意外でしたが、最初から目指してたわけではないと。美空ひばりさんが大好きという話もあって、そこを目指したのかと…。

吉木 あ、美空ひばりさんは美空ひばりさんとしてすごい個人的に好きなんですけど。当時、母も大好きで、私も『悲しき口笛』っていう映画のワンシーンで、シルクハット被って、バラを1本、女性に渡す仕草とか。こんな小さな子供がこんな粋(いき)なステップ踏んでっていう。当時から天才少女だって言われてたのを観て、本当に綺麗だな、素敵だなって感じで。カラオケでモノマネなんかもしてたんですけど。

―憧れ以上のものではなかった?

吉木 美空ひばりさんになりたいとか、そういうわけじゃないんですよ。なれるわけがないっていうか、もう神様みたいな感じで。

だから自分がそのボイストレーニングの練習する時も、ひばりさんの曲で練習させてもらったりはしてましたけど、演歌全般が詳しいわけではなく…。元々、事務所に入る前はモーニング娘。さんに憧れてたので。それは女のコとして、割と普通な。

―オーディションも受けたりしたそうですね。そういうアイドル的なものになりたいって、現実的な夢はあったわけだ。

吉木 そうですね。当時から私、引っ込み思案で。すごく人見知りで、ちょっと根が暗くて。クラスメイトからも結構、浮いてたんですよ。なんかあのコ、静かだし…って。で、当時から声が高いから、なんであんなに声高いの? 不思議、みたいな(笑)。

―不思議ちゃん扱いされるような、敬遠されがちなキャラだったとは。まぁヲタ要素もあるし、変わって見られたんでしょうね。

吉木 はい。それで、あーあ、つまらないなって思ってたんですけど、TV観ると同世代のコがすごい輝いていて。私もこんな風に人に認めてもらいたい、必要とされてキラキラ輝きたいみたいな風に思って。で、モー娘。のオーディション受けたりしたんです。

―そんな地味で根暗な自分に対する反動もあって、変わりたい願望みたいな。

吉木 そうなんですよ、すごい変わりたい願望でしたね。

「腐女子街道まっしぐらで。BLも…」

―でもその一方で、ずっと漫画やアニメは好きで自分の世界に浸ってたり?

吉木 もう大好きでした。りぼんもなかよしもずっと読んでいて。やっぱりひとりぼっちだったから、暇なんですよ。そうすると妄想するしかないんです。学校とかで授業受けながらも窓の外を見て、こういうお話とか面白いかなって、そういうのをよく…漫画家さんにも憧れてたので、漫画もダンボール一箱分くらい作品描いたりとか。

―ある意味、典型的な腐女子タイプだ(苦笑)。

吉木 そうなんです。腐女子街道まっしぐらで。BLも嗜(たしな)んで。

―それはそれで仲間ができそうじゃないですか。

吉木 でも仲間ができたのは大人になってからでしたね。まだ腐女子とかBLみたいなのがあんまりメジャーになっていない時だったので。

―時代的には2000年前後なのかな。まだネットとか情報が氾濫してない頃で。

吉木 はい。だから、ひとりで楽しんでましたね。自分の殻に閉じこもって、妄想ばっかりしてました。

―それで自分から変わりたい願望もあって。モー娘。から入って、まさかの演歌に挑戦と。

吉木 意外な方向で演歌も歌わせてもらって。でも正直、そんなに売れなかったんですよ。デビューさせてもらってありがたいんですけど、1曲で終わっちゃって。

―そのデビュー曲が坂本冬美さんのカバーで。売れてたら人生変わってたね(笑)。

吉木 そう、変わってたかもしれないんですけど…。さて、どうしよう、大学生だし就活とかしなきゃかなって。そしたら『キャンパスナイトフジ』のオーディションの話が来て「いや、バラエティ…」みたいな。人見知りで喋るの下手だし、無理ですよって思いながら、正直やる気がない感じでオーディション行ったら、まさか受かっちゃって。

女のコが20何人もいて、絶対イジメられるじゃん、やだーって。のび太~みたいに思ってたんですけど、やってみたら結構みんな、すごい真面目なコが多くて。生放送でガチンコのコーナーが多くて、そんなギスギスしてる場合じゃない、みたいな。どっちかっていうと、ディレクターさんVSうちら女のコみたいな感じで。

―女のコ同士で一体感というか、共闘する仲間意識も生まれて?

吉木 それができて、バラエティのスゴさとか面白さも体感できて。そこから面白いなって思って、勉強になりましたね。

―みんな一所懸命だろうし。刺激というか、自分の中にムラムラっと意欲も湧いてきて…。

吉木 そうなんですよ。だから今もキャンナイメンバーとは、たまに会いますね。

「アムロちゃんとかスピードとか憧れて…」

―いろんなものやってみたら面白がれるというか。こういう世界もあるんだ、みたいなね。でも、そもそも親御さんも芸能界に入ること自体、応援はしてくれて?

吉木 最初、話をしたら、お父さんが結構反対して。やっぱり心配してたし、そんな生半可なものじゃないだろうって。だけど、なんだかんだお仕事増えて、いただけるようになってきたら、出ている番組とか録画で全部残してくれてたり。

―まぁ大概そうなりますよね、お父さんって(笑)。

吉木 そうなんですよ(笑)。で、母は母で週プレさんとか出させていただけると、グラビアの私のページと表紙を分けてアルバムにしてくれてたり。すごい応援してくれてますね、今も。

―それは嬉しい話です。やっぱりご両親からすると、引きこもり気味だった娘に対して、外に出てオープンになっていくのはいい傾向だしっていう思いもあったのかな。

吉木 うん、あったと思います。特に母がすごい心配していて…。でも、すごい私のことを子供の頃から、こういう芸能界とか、なんかやるんじゃないかってふと思ってたらしいんですよ、なんとなーくな感じで。

―それはさすが親の勘ですね~。

吉木 だから、ずっと応援してくれてて。すごく嬉しかったですね。芸能事務所に入る前、中学生の時に小っちゃな劇団も入ってたんですよ。『赤毛のアン』とかやるような。で、エキストラみたいなのを演じさせてもらってたんですけど。

その稽古場が毎回違うんですね、すごい遠くて。新大久保とか新宿とか。で、母が千葉から一緒に連れてってくれたり、サポートしてくれて。民謡も大会とかがあればそこまで連れてってくれてたんですけど。

―だいぶ積極的に応援してくれてたんだ。そもそも民謡もお母さんきっかけではなく?

吉木 それはなんか…まさに私、沖縄のアクターズスクールみたいなところに入りたくて。アムロちゃん(安室奈美恵)とかスピードさんとかすごい憧れてたから、小学生の時に「私もボイストレーニング受けたい、養成所入りたい!」って言ったら、母が「千葉にそんなオシャレなとこないし、お金もかかる。最近、近所に民謡教室できたから」って(笑)。

―はははは(笑)。確かにボイトレだけど、ダンス要素は皆無ですね…。

吉木 とりあえずそこに入れようってなって、行くじゃないですか。ドア開けたら、おじいちゃんおばあちゃんばっかりで「何ここ!?」って思ったんですけど。先生がおばあちゃん先生で、すごく優しくて。いつも帰り際にヤクルトとかくれたんです。「はい、じゃあ来週も来なね」って。それがすごく嬉しくて、結局、一番お稽古事で続いたんですよね。

●この続きは次週、1月1日(日)12時に配信予定!

■吉木りさ1987年7月27日生まれ、千葉県出身。高校1年生の時にスカウトされ芸能界入り。小学生の頃から民謡を習い、地域の大会で優勝するほどだったため、2008年に坂本冬美の『夜桜お七』のカバーで歌手デビュー。翌年にはフジテレビのバラエティ番組『キャンパスナイトフジ』に出演、注目を集める。現在は多方面で活躍し、今年11月に出版した写真集『konikonikoniko』も好評発売中!

(撮影/塔下智士)