手塚治虫や本宮ひろ志といった巨匠たちの絵柄を真似して下ネタ漫画を描く、パロディ漫画家・田中圭一。
そんな彼が“うつ”経験者の体験をレポートした漫画『うつヌケ―うつトンネルを抜けた人たち―』が話題を呼んでいる。今年1月の発売から約3ヵ月で15万部突破、現在もその売り上げを伸ばし続けているのだ。
本書では、10年以上うつに苦しみ、「50歳で自殺」を考えたという自身の経験をはじめ、ロックミュージシャンの大槻ケンヂ氏、AV監督の代々木忠氏、フランス哲学研究者の内田樹氏などの著名人を含めた17人の“うつヌケ”体験がレポートされている。
そこで前編記事に続き、自身のうつ経験を振り返りつつ、『うつヌケ』に込めた思いを田中氏に聞いた。
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―そんな不景気で元気がない時代だからこそ、誰しもが“うつ”へ傾きやすくなっているというか。とはいえ、それでもうつになる人・ならない人がいますよね。本作を読むと、「自分を嫌いになること」をきっかけに入り込んでいく人が多いような…。
田中 何かがきっかけで自分を嫌いになって“うつトンネル”に入り、何かがきっかけで自分を好きになってトンネルを抜けた人は多いですね。うつになりやすい・なりにくいっていう意味でいうと、なりにくい人に共通するのは「自分が大好き」ということですかね。
そもそも日本人って、謙虚が美徳なので「自分が大好き!」「俺はイケてる」って誇ることを嫌うじゃないですか。でも、やっぱり心の中では「自分はイケてるぞ」って思っておかないと、精神的に健康が保てない気もしますね。だから、ちょっとでも「これは他の人よりも優れてるな」って思う側面があれば、自分の中で認めてあげるほうがいいですよね。
―ただ、仕事などで大きなミスをしてしまった時はどうしても自分を責めてしまうかと…。仕事のミスや挫折からうつへ突入するケースは多いですよね。
田中 そういう時に考えてほしいのは「無茶な仕事を振られたら、それは誰がやっても無理」なケースも多いということですね。自分にとって不相応なとんでもなく責任の重い仕事やら大量の仕事をやらされると、当然上手くいかない。そうなると、自己嫌悪に陥るじゃないですか。
例えるなら、草野球の4番の人がいきなり甲子園の舞台に立たされたら、当然バットを振れどもボールにかすりもしなくて「俺はなんてダメなんだ」ってなりますよね。でもそれって、当たり前なんですよ。『ツレうつ』なんかも、スーパーサラリーマンだった旦那さんの会社が大量リストラで人が減って、それでも今まで通りにやれるように頑張ろうとする描写がありますけど、そんな状況になったら誰だって無理ですからね。
―それで「自分はダメだ」と思って落ち込まなくてもいいと?
田中 そう、そこをちゃんと認識したほうがいいかもしれない。あと、仕事がしんどい中でも褒(ほ)められることが絶対ないわけじゃない。私は褒められたら心の中でそれを100回くらい繰り返しますからね(笑)。それで半ば無理やり、ナルシシズムを取り戻しているところがあるんですよ。
真面目な人ほどミスしちゃったり上司に怒られた時でも軽く流したり、気楽に考えるようにする。ちょっと「いい加減になる」といいますか。うつだったり、気分の落ち込みでこれ以上苦しみたくなければ、適当になるように努めたほうがいいのかなって。
「俺はなんてひどいことを言ったんだ…」
―うつの人以外でも、仕事のストレスをラクにする上で大切なことかもしれないですね。
田中 逆に「褒める」側の話で言うと、実は私もうつをやる前は結構、他人に厳しかったんですよ。以前、ゲーム会社で中間管理職をやってる時に部下のひとりがうつ病で「会社を辞めたい」って言い出したことがあったんですけど。相談に乗る時も「それは自分を甘やかしてる」「普通に頑張ればどうにでもなるんだから、頑張れ頑張れ」って…。
自分がうつになった時に「俺はなんてひどいことを言ったんだ…」って思いました。今は大学で学生を教える仕事もやっているんですけど、やっぱりいいところはちゃんと褒めてあげないといけないなっていうのがありますよね。
―ご自分の中でも、うつになる前後で様々な変化があったはずですが、実際、描くにあたってツラかった時のことを思い出してしまうとか「あの頃には戻りたくない」と思ってしまうようなことはなかった?
田中 『うつヌケ』は第1話~第3話が私の話なんですが、1話目のネームはずいぶん時間をもらいました。なかなか踏ん切りがつかないというか、一歩踏み出すのに躊躇(ちゅうちょ)があって…。まあ、3話まで終わっちゃうと、あとは人の話ですから(笑)、冷静に描けましたけどね。
「あの頃に戻りたくない」っていう話でいうと、うつトンネルを抜けた後に、うつの渦中の時期に住んでいた川崎の登戸に行く機会があったんですけど、その日の夜にガーって気持ちが落ちたんですよ。ツラかった時の場所に戻ることを体はすごくイヤがってたんでしょうね。だから、そういう場所に戻るとか、その時に相対していた人と会うのはちょっと気をつけないと危ないなと。
―やはり「こうしたらダメ」という傾向みたいなものがあるというか。トンネルを抜けた後も浮き沈みを繰り返し、その中で性質がわかってくるとも描かれていますよね。
田中 私の場合は「うつを重くしているのは激しい気温差」だっていう、それが自分にとっての“トリガー”だと気づけたことはすごく大きかったですね。気温差が激しいと体がついていけなくなってダルくなり、精神面に直結して気持ちが落ちる。それに気づけたから週間天気予報みたいに「今週くるな」ってわかるようになったんですよ。
正直、この1ヵ月くらいもあまり気持ちが晴れなかったんです。『うつヌケ』がこんなに売れてるのにね(苦笑)。気持ちが落ちる要素がないのに、でも落ちてる。それはやっぱり、この時期特有の気温の差が原因だからってことなんですよね。それがわかっていると安心感があるというか。
―外的要因がわかっていれば、まだ気持ちはラクですよね。
田中 気づいてなかったら「また、うつに戻ってる」って錯覚しちゃうんですけど、今は気づけているので。落ちる要因がないのにいきなり落ち込んでしまうような時に原因がなんなのか調べてみると、自分のトリガーがわかるかもしれないですよね。
当初は「誰がこれを読むんだろう…」と
―なるほど。うつは性質を掴むのに時間がかかる病気ですもんね。実際になった人はもちろん、周囲にいる人たちも理解は難しいし、接し方に悩んでしまうと思いますが、接する側の心得みたいなものは?
田中 健康な人でも気分が沈むことはあるし、体の変調は訪れますよね。うつになっている人はその振り幅がでかくなってる状態なんです。そうでない人との間に明確な差があるんじゃなくて、たぶんグラデーションのようになってると思うんですよ。そう考えると、うつって他人事じゃなくて「苦しんでいる人と自分は地続きだ」と思えば、それ相応の接し方ができるのかなと。
それこそ未だに「うつは怠け病」みたいなことを言う人がいますけど、怠けているわけじゃないんですよね。ですから、うつじゃない人や周りの方々にも『うつヌケ』を読んでいただいて「こんな状態にあるのか」って理解してもらえれば、少し変わるかもしれないですね。
―そういう相手の気持ちになるという接し方もですが、“うつ”から学べることって本当にたくさんありますね。
田中 元々はうつのど真ん中にいる人に向けて描いた本でしたけど、実際は結構広い層にウケたということはそうなんでしょうね。当初は「誰がこれを読むんだろう…」という不安がありましたが、実際は誰が読んでも引っかかるものだったという。
―そのトンネルを抜け、『うつヌケ』を描かれて、それが売れた今、改めて思うことはどんなことでしょう?
田中 私はうつのトンネルにいる間も漫画を描き続けていたんですけど、キツかった時もやっぱり編集さんと打ち合わせをしたり、原稿を書いている最中だけは唯一、自分の居場所を確認できている感じがしたんですよ。
大槻ケンヂさんも「どんなにキツくてもライブが生き甲斐だった」と言われてましたけど、うつのトンネルにいるからこそ、自分が必要とされて、輝ける場所が必要なのかもしれないなって。私が本当に働けなくなるところまで重症化しなかったのも漫画を描き続けていたからだと思います。
もちろん、仕事を続けながらうつと付き合うのは難しい場合もあるので、そういう時は一回休む。休むことで、かつて最大パフォーマンスを発揮できた自分の能力を取り戻せるわけですから。私は以前、漫画とサラリーマンを両方やっていて、サラリーマンのほうの仕事が辛くなってうつになったんですけど「漫画家一本でやっていくのは怖い」「ここで会社を辞めたら、次の転職はないな」と思って辞められなかったんです。でも今思うと、本当に早く辞めるべきでしたね。
―最終的にはリストラで会社を去られたそうですが、その時に「明日から“自分に向いた仕事”を探せる」「今、僕は背中を押された」と前向きに思えたと描かれていますね。
田中 それも、うつヌケしたからこそ思えたことなんですけどね。あと、抜けて初めて、かつての元気だった頃のパフォーマンスが発揮できることは、何より『うつヌケ』が売れたってことが証明してくれたんです。抜けたらちゃんといい仕事ができて、それがヒット作に繋がったから…。
女性が手に取れない漫画で有名だった(笑)
―田中さんにとって『うつヌケ』という作品の持つ意味は、本当に大きいものなんですね。
田中 そうですね。仮にうつを経験しないまま50代になっていたら、人間としてもっとイヤな奴だっただろうなと(笑)。弱者に冷たくて「脱落していくヤツなんて関係ないよね」っていう。それと以前、漫画でヒットを出した時、うつになる前は「自分に実力があったから売れたんだ」っていう気持ちが強かったんです。
でも、『うつヌケ』に関しては担当編集さんのスキルも、女性でも手に取りやすい表紙のデザインもそうだし、単行本を世に出すということはいろいろな人たちのベクトルが合って初めてなし得ることなんだって。それを実感できたのもたぶん、うつトンネルを抜けるという経験をしたからだと思うんです。「うつに苦しむ人を救い出せるような、偶然手にとるような一冊を作りたいね」という気持ちで出したんですけど、ある意味、そうなれたんじゃないかなと。
―確かに表紙からして優しいピンクで、思わず手に取りたくなる感じがあります。
田中 僕の漫画って、キャビンアテンダントさんが裸で椅子に座ってる『死ぬかと思ったH 無修正』とか『あわひめ先生の教イク的指導』とか、女性が手に取れないことで有名なんですけど(笑)、今回は女性の読者も多くて。女性の方から「読みました」「この本を描いてくださって、ありがとうございます」みたいに、こんな感謝されたことがないもので…ドッキリカメラの看板を持った人がどっかに隠れてんじゃ?っていう気も時々するんですけど(笑)。
―そんな大掛かりなドッキリ!?(笑) ちなみに、続編の可能性はないですかね?
田中 まあ、無理くり描く内容でもないですし、私自身がうつになって本当にキツかったから「描かねば」っていう使命感で描いたので「ヒットしたから次を…」って同じものを描くのとでは、ちょっと志が全く違いますよね。
口の悪い知り合いが「田中さんがもう一回うつトンネルに落ちて、そこから脱出したら第2弾が描けるじゃない」って言ってましたけど、「他人事だと思いやがって…!」って。本を描くために病気になる必要はないですからね(笑)。
(取材・文/週プレNEWS編集部、岡本温子[short cut])
●田中圭一(たなか・けいいち) 1983年、大学在学中に小池一夫劇画村塾(神戸校)に第1期生として入学。翌年、『ミスターカワード』で漫画家デビュー。1986年から連載がスタートした『ドクター秩父山』はアニメ化される。大学卒業後は、おもちゃ会社に就職し、漫画家とサラリーマンの二足のわらじを履くことに。2002年、手塚治虫、藤子不二雄、永井豪といった漫画の“神”の作品をパロディにした作品集『神罰』がヒット。以降、その作風で人気を博す。