なじみの薄い講談を見事なエンターテインメントに仕立てる神田松之丞 なじみの薄い講談を見事なエンターテインメントに仕立てる神田松之丞

最初は「講談って…何?」と訝(いぶか)しんでいた人たちが今、この男を目当てに続々と高座になだれ込んでいる。

33歳ながら、旧来の講談のイメージをことごとく打ち破る神田松之丞(かんだ・まつのじょう)。もう十分“来てます”が、今後もまだまだ“来ます”!!(参照→前編記事「話題の講談師・神田松之丞が語る使命感」

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■講談という伝統芸をリフォームする

落語、マジック、漫才など様々な芸を披露する場の寄席で講談をやる場合、松之丞は、簡単な説明から入る。

「最初に言っておきます。講談は話が長いので、大抵いい場面で『ここでお時間が!』と終わってしまいます」

松之丞の講談は、ある意味で落語以上に落語っぽい。つまり、笑えるのだ。

「講談はカタい印象があるので、笑いのためにはこうしたほうがいいかなとか、いろいろ手を加えてます。あとは注釈を増やし、言葉も簡単にしています。例えば、大きな力士が出てくる話でも六尺五寸の…というところは、197cmと言い換える」

講談は右手に竹と和紙で手作りした張り扇(おうぎ)を持ち、それで机を小気味よく叩きながら語るのが特徴だ。

「音を鳴らしたほうが、気持ちよく聞けるし、叩くのは句読点を打っているのと同じ意味もあるんです。(宮本)武蔵は歩きました、トン、とか。迫力あるシーンでは、パンパーンッ!と強く叩いたり」

松之丞は会場の規模、あるいはシーンに応じ、実に繊細に叩く音のボリュームと調子を変えている。

寄席での持ち時間は、約15分と短い。残り3分を切ったあたり、話が盛り上がってきたところで松之丞は「なんと、なんと、なんと! ここでお時間が、いっぱい、いっぱいに…」と大仰に嘆く。

ネタに入る前の伏線が効き、ここでまたどっと沸く。笑いが収まったところで、すかさず畳みかける。

「皆さんラッキーです。あと2分ございます! 続けてもいいですか?」

もう、やんややんやの大喝采。わずか15分ながらなじみの薄い講談を見事なエンターテインメントに仕立てている。

本当に示したいのは講談の「深度」

ただ、自由にアレンジするネタがある一方で、一言一句変えない読み物もある。

「そこは柔軟に、ネタの持ち味を最大限引き出せるよう、話し方を変えています。笑いを取って間口を広げつつも、その奥行きも見てほしい」

本当に示したいのは、講談の「深度」だ。じっと聴かせるときの松之丞は、寄席のときとはまるで別人。むしろ、こちらのほうが真骨頂だ。

例えば、殺し屋が登場するシーン。松之丞が黙った瞬間、場内は水を打ったように静まり返る。押し殺したような語り口に狂気が宿った目。鞘(さや)から抜いた白刃が月夜に光ると、観客である我々まで思わず身動きできなくなってしまう。次の瞬間、血しぶきが上がり……そんな様子がありありと目に浮かぶのだ。

――残虐な人物を演じているときの目は、本当に人を殺したことがあるんじゃないかと思ってしまいますね。

「そう言っていただけると、うれしいですね」

講談には長い「連続もの」と、一話完結の「端物(はもの)」の2種類がある。松之丞は年明け、1月4日から9日まで6日間連続、計19席からなる『畦倉重四郎(あぜくらじゅうしろう)』に挑んだ。江戸時代の殺人鬼の話で、真打ちでも尻込みするような大ネタである。キャリアから考えたら無謀ともいえる試みだったが、松之丞は見事に読み切った。

「寄席を入門編としたら、正月にかけた畦倉重四郎は最終段階。寄席でこういう世界もあるんだと知ってもらって、最終的には、こうした本格的な連続ものにも興味をもってもらえればうれしいですね」

畦倉重四郎の公演期間中、こんなことがあった。2日目、空調の音が気に触ったのだろう、松之丞は高座でこうスタッフにいら立ちをぶつけた。

「集中できないから消して」

場内が一瞬にして、ピリリとした緊張感に包まれた。

「19席って、記憶の中から取り出すだけでも大変な作業なんです。今回のように長くて繊細なネタは、お客のあくびが目に入っただけでパーンと(記憶が)飛んじゃうこともある。(忘れて)絶句するんじゃないかという恐怖との闘いでした」

ライブでしか味わえない、空気感のすごさ。10代のとき、松之丞が談志の高座で感じたのと同じものを、この若者もすでに発する力を備えている。

落語も低迷した時期はあったが、そのなかで、残すべきものは残し、変えるべきところは変え、今の隆盛につなげている。そうした「伝統芸のリフォーム」とも呼べる作業を松之丞は講談においても、極端に短い工期で、しかも、たったひとりで成し遂げようとしているように映る。

まじめに生きるのが嫌いじゃない(笑)

■学生時代は携帯も持たなかった

普段の松之丞は、モノトーン系の私服を無頓着に重ね着し、風邪予防のためにマスクで顔を覆っている。高座で発している光量とのあまりのギャップにやや戸惑う。昔の知人が高座の自分を見ても、あのネクラだった「古舘克彦」の今の姿だとは、おそらく気づかないだろうと話す。

「一度、中学のときの同級生が彼女を連れてきてたことがあるんですけど、着物姿だし、たぶん、俺だって認識してなかったと思う。他人に対する笑い方でしたから」

男の性(さが)であり、その言い訳として“芸の肥やし”ともいわれる「飲む、打つ、買う」にも興味がなさそうだ。

「意外に、まじめに生きるのが嫌いじゃないんです(笑)。酒を飲むことほど無駄なことはないと思ってますから。だったら家に早く帰って稽古していたほうがいい。本質的にひとりが好きなのかもしれませんね。学生時代も、誰ともつながりたくなくて、携帯電話を持っていなかったくらいですから」

しかし、そんな松之丞が講座に上がった途端、「最強の二ツ目」にして「最強の講談師」に変貌する。

3月27日には舞台芸人の憧れの地、418人収容の東京・紀伊國屋ホールを満員にした。おそらく二ツ目としては、史上初の快挙だ。高座では笑わせて、聴かせてと、今の松之丞を客に余すところなく見せつけ、堪能させた。

しかし松之丞の潜在能力はこんなものではないはずだ。今後、まだまだ「来る」。“松之丞・未体験者”には、プロレス好きの松之丞がファンだというアントニオ猪木の「名言」をもじって、こう言いたい。

迷わず聴けよ。聴けば、わかるさ。

●神田松之丞(かんだ・まつのじょう) 1983年東京都生まれ。本名・古舘克彦。高校時代に立川談志に多大な影響を受け、演芸を志す。2007年、三代目神田松鯉に入門。12年、二ツ目昇進。連続物といわれる演目を数多く持ちネタとし、芸歴10年となる今年は1月に『畦倉重四郎(あぜくらじゅうしろう)』全19席の完全通し公演を行った。

(取材・文/中村 計 撮影/村上庄吾)