■「アメリカンズ(THE AMERICANS)」の時代
1本の映画を観ることで、ひとりの真摯な写真家の作品と波乱に満ちたその長い人生の深みに触れることができる――そんなドキュメンタリー映画の秀作『Don‘t Blink ロバート・フランクの写した時代』がGWの4月29日より公開される。
ロバート・フランクは1959年に出版された写真集「THE AMERICANS」で、ウイリアム・クラインの「New York」(56年)とともに、写真に革命を起こしたと言われている稀有(けう)な写真家だ。
1924年11月9日、スイスのチューリッヒで裕福なユダヤ系スイス人の家に生まれた彼は、ラジオから流れてくるヒトラーの演説を聴いて育っている。ヒトラーが35年に成立させたニュルンベルク法でドイツ人としての公民権を喪失した父は、41年にふたりの息子たちとともにスイス国籍を取得。彼が14歳の誕生日を迎えた夜、父の祖国ドイツ各地で反ユダヤ主義の暴動(クリスタルナハト)が始まり、やがて父方の家族の多くがユダヤ人絶滅収容所で亡くなっている。
フランクは自分が長い歴史の中で迫害されてきたユダヤ人であること、どこにいても「異邦人」であることを少年時代から強く意識していたはずだ。それが写真家という職業へ向かう意志を強靭なものにしたのだろう。10代半ば頃からプロの写真家たちのスタジオでアシスタントとして技術を磨いた彼は第二次大戦後の47年、自作した写真集「40 Fotos」を持って“運だめしに”自由の国アメリカに渡った。
ニューヨークを拠点に雑誌の仕事をしながら自分のスタイルを模索していたこの下積み時代に彼は南米やヨーロッパを旅して、ペルーのインディオ農夫やパリのストリート・チルドレン、ウェールズの炭鉱夫やロンドンの投資家を撮っている。
その後、9歳年下のアメリカ人アーティスト、メアリー・ロックスパイザーと結婚して子供がふたり生まれ、精力的に仕事をこなして55年には写真家ウォーカー・エヴァンスの勧めと指導でグッゲンハイム財団の奨学金を得た。その申請書に彼はこう書いている。
「この地で生まれ、世界に広がっていったアメリカ文明を観察し、記録する」
中古のフォード車を買い込み、ライカを手に55年から56年にかけて合計1万マイルに及ぶアメリカの旅を続けて撮りためた2万7千カットから1千枚のワーク・プリントを用意し、それを83枚に絞り込んで、写真集「THE AMERICANS」が誕生した。そのページを埋めているのは、ブレ、ボケ、傾き…カメラマンの主観を色濃く反映したスナップ・ショットのようなモノクロの写真だ。
アフリカ系アメリカ人やネイティブ・アメリカン、ラティーノ、ゲイ、女性や子供たちへの心遣いが伝わってくるその写真集には、異邦人としてのロバート・フランクのまなざしが永遠に刻まれ、それは60年後の今も古びていない。それらの写真が表現した一番美しいもののひとつが、サウスカロライナの夏の夕暮れに椅子を持ち出して涼んでいる黒人女性の大らかな笑顔と、彼女の全身からこぼれるような優しさだ。
だが、それだけではない。女性はカメラの視線を避けるように右を向いているが、その顔を向けている先は次のページで、めくると喪服をまとった黒人の男たちと棺の中で眠る老人の葬儀の風景が現れる。全体は四部構成で、映画のモンタージュ技法のように写真を組み合わせてページの間に別の意味を浮き上がらせ、それが写真集に奥行きと広がりをもたらしている。
彼が「アメリカ文明を観察し、記録する」その旅に必要な奨学金を申請した54年、この年、60年近く続いた判例を覆(くつがえ)し、白人と黒人は「分離すれども平等」であるというアメリカの因習が「違憲」であると最高裁が判決を下し、後にくる変革の時代への扉が開かれた。
それは冷戦が進み、朝鮮戦争が始まって、マッカーシズムの赤狩りの嵐が吹き荒れた後のアメリカだった。「ロック・アラウンド・ザ・クロック」が大ヒットし、エルヴィス・プレスリーがメンフィスのサン・スタジオでデビュー曲「ザッツ・オール・ライト」を録音したのも54年だ。「THE AMERICANS」にはジューク・ボックスの周りにたむろするティーン・エイジャーたちの写真も掲載されているが、その背景にあったロックン・ロールはレコードになり、ラジオの電波に乗って爆発的に流行していく。
「反アメリカ的」と批判された写真集は当時、売れなかった
翌55年、旅先のニューオーリンズで黒人と白人を分離したままの「路面電車」の写真を撮った翌月の12月、アトランタ州モンゴメリーの市営バスの中で、仕事に疲れたローザ・パークスが席を白人に譲るのを拒んで逮捕された。それを契機に繁栄の陰に取り残されていた人々が立ち上がり、公民権を獲得するための運動がアメリカ全土に広がっていった。
「THE AMERICANS」からは激動の60年代が始まる前夜のようなその時代にアメリカの街角を歩いていた人々の視線や息遣い、その場の空気まで感じ取ることができる。
旅の途中、アーカンソーの町を車で走り抜けようとしてパトカーに停止させられた。その場で“アメリカを撮影して回っている怪しげな外国人”としてスパイ容疑で逮捕され、グッゲンハイム財団が発行した奨学金の証明書類を提示したにも関わらず、真夜中まで留置所に拘留された体験がアメリカ人への眼差しをさらに鋭くしたといえる。
先述した「路面電車」の窓から哀しい眼をしてこちらを見ている黒人を撮ったのは、その4日後のこと。黒人は異邦人フランクの分身でもあった。星条旗、ハイウエイ、車、ジュークボックス、棺、テレビ、そして十字架。アメリカ文明のイコンを追い、時代とともに彼の地に生まれて世界に広がっていった文明の本質に迫り、そこに写しだされた人々の不安や不信、傲慢、虚栄心、暴力、孤独、空虚さは繁栄を謳歌していたはずの50年代アメリカの過剰な豊かさの極北にあるものだ。
もっとも、「反アメリカ的」と批判されたこの写真集は当初、あまり売れなかったらしい。その後、彼は一時、写真を離れて映画を撮り始めている。ビート世代の詩人アレン・ギンズバーグやグレゴリー・コルソたちを役者として使い、写真集に序文を寄せた作家ジャック・ケルアックの脚本を元に撮影した無声映画に、弁士のようなケルアックの詩的なナレーションを加えて『プル・マイ・デイジー』(59年)を完成させた。それはジョン・カサヴェテス監督の『アメリカの影』(59年)などとともに、後にくるインディ映画時代の先触れとなった。
その後の彼に何が起こったのかは、今作『DON‘T BLINK』で確かめてほしい。60年代にアメリカに帰化した後、アーティストのジューン・リーフと再婚し、70年にカナダのノヴァスコシアに家と土地を買い、ニューヨークとカナダをふたりで行き来しながら92歳の今も作品を生み続けている。
そして代表作「THE AMERICANS」は出版から60年近くたった今、世界で最も有名な写真集と言われている。
(取材・文/奥平謙二)
◆後編⇒世界に革命を起こした稀有な写真家・ロバート・フランクーー彼が信頼したドキュメンタリー監督が明かす素顔
■『Don‘t Blink ロバート・フランクの写した時代』は4月29日からBunkamuraル・シネマ他、全国ロード・ショー