実兄で数々の大ヒット作を描き続けてきた漫画家・ちばてつや氏(右)と『キャプテン』の初代担当編集者である谷口忠男氏

41歳で夭折した天才漫画家、ちばあきおの名作にして野球漫画の金字塔『キャプテン』。その主人公・谷口タカオが弱小高校野球部に入部し、甲子園を目指す姿を描いた『プレイボール』の続編『プレイボール2』が今春、39年ぶりに『グランドジャンプ』で復活、大きな反響を呼んだ。

ペンを取ったのは『グラゼニ』原作者としても知られるマンガ家、コージィ城倉(じょうくら)氏。そのコージィ氏とちばあきおの長男であり現・同プロダクション社長である千葉一郎氏が新連載の制作秘話を語る対談は週プレNEWSでも3回にわたって配信した。

そして、8月18日にはついに単行本1巻も刊行! 今回はそれを記念し、第2弾として、ちばあきおの実兄にして『あしたのジョー』などの大ヒット作を描き続けてきた漫画家・ちばてつや氏と、初代担当編集者にして谷口タカオのモデルともされる谷口忠男氏(元『月刊少年ジャンプ』編集長)のおふたりに対談していただいた。

ちばあきお氏の人物像と思い出、そして話題の『プレイボール2』への期待など貴重なスペシャルトークをお送りする!

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ちば あきおのデビュー当時を一番よく知っているのは谷口さんですよね。

谷口 そうですね。あきおさんがてつや先生のお手伝いをしている頃、僕が少年誌へ描かないかと声をかけたんです。それで掲載されたのが『校舎裏のイレブン』(1971年、『別冊少年ジャンプ』掲載)という読み切り。描き上げるのに1年かかったんだけど、完成したものが素晴らしくて。すっかり惚れ込んじゃった。それで次は『半ちゃん』(1971、同)って草野球漫画を描いもらって。

ちば 『半ちゃん』はどれくらい続いたの?

谷口 それも読み切りです。あきおさんもてつや先生と同じくらい描くのが遅かったから連載なんて、とても(笑)。で、もう一度、野球漫画をやろうかって話になって『がんばらなくっちゃ』(1972年、同。『キャプテン』の原型となる野球漫画)を描いてもらったんです。それも45ページの読み切り予定だったんだけど、あきおさんが風呂場で転んで怪我をしてね。結局、前後編に分けて掲載されたんです。

ちば 1本の短編が2本になったんだ。

谷口 そうしたら、長野(規・ただす、『週刊少年ジャンプ』初代編集長)さんが連載をやってもらえって言ってきて。連載なんて、とても無理ですって言ったんだけど、前後編で2ヵ月やったんだから大丈夫だろって押し切られちゃって(笑)。それで『キャプテン』ってタイトルも替えて、連載が始まったんですよ。でも、あきおさんを漫画の世界に引き込んだのはてつや先生ですよね。

ちば 引き込んでないよ。きっかけは作ったけどね。

谷口 彼も漫画が好きだったからアシスタントをやり出して。でも、てつや先生とそっくりにならないように意識してたってことをアシスタントから聞きました。

ちば 私は当時は全く気づかなかったけど、彼はずいぶん悩んだみたい。同じちばというペンネームだし、兄弟だから、亜流みたく言われるのはイヤだっただろうし。でも個性はいずれ自然と出てくるものなんだけど。

私が続きを描いてみようとしたんです

―その『キャプテン』があきお先生の代表作となるわけですが、そもそも野球漫画を描いたことについては?

ちば 野球を題材に描くこと自体は、自分たちで草野球チームを作って一緒にやってたし、特に違和感とかもなかった。それより最初は絵がちょっと下手だなと思ったかな。ペンの根元でなく真ん中辺りを持って描いてるような頼りない線でね。でもそれが彼の味なんだと、すぐ気づいたけど。

あとは、私に似てあんなに筆が遅いのに、根気よくちゃんと描き続けただけで本当によく頑張った、立派だなと思っています。

谷口 あきおさんの絵柄は独特でしたよね。最初、アシスタントもつけず、全てひとりでやってたの。みんなフリーハンドで。でもそこに優しさがあっていいんです。

ちば あきおは丸っこい線を描き続け、成熟させていった。タッチに温もりがあるんだよね。私は『あしたのジョー』(1967~1973年)を描いたあたりから絵がリアルになって重くなってきて、実はその後の作品で元のタッチに戻そうと苦しんだんです。あきおは最初から描かなくていいものは描かない。わかりにくいところは軽く描く。その辺の演出や構図のバランスもよかった。

谷口 コマの中で遊んだりもしてるんですよ。こんなのはどうかなとか言いながら、変なコマでやってみたりね。特に最初の頃は僕と一緒に楽しんでやってましたよ。

でもストーリー作りも天才的で、ものすごくうまい。『キャプテン』の行間っていうか、コマにも独特のリズム感があってね。まぁそこがコージィ城倉さんもインタビューで言ってたけど、「あきおさん(の作品)に刺激はない」って。ドラマチックなものを見せないけど読者を引っ張っていく。あれは不思議ですね。

―てつや先生に作品のことで相談することはあったんでしょうか? 

ちば 仕事の話はほとんどしなかったね。聞かれたら答えるけど、こっちから何かを言うことはなかったし。迷ったことがあったとしても、相談にいくのは下の弟の樹之(しげゆき。漫画原作者・七三[なみ]太朗)のところ。私の仕事を手伝いながら、合間を見てふたりでよく打ち合わせしてましたよ。

―『プレイボール』のラストは突然のように終了しました。いつか自分で続きを描きたいというお話をされたりしたことは? 

谷口 それはなかった。『週刊少年ジャンプ』(『プレイボール』)と『月刊少年ジャンプ』(『キャプテン』)と2本の連載をやっぱり同時にはできないってことで終了した時、あれだけの人気漫画なんで他の作家を立ててでも続けようって声は周りにあったけど。でも実現には至らなかった。

―てつや先生が描いてみては?というお話があったと聞きました。

ちば やりませんか?ではなく、私が続きを描いてみようとしたんですよね。でも、あのなんとも言えない味のある絵は、リアルな絵になった私じゃ無理だなって諦めたんです。

奇跡的な再開に不安はなかった?

―今回、コージィ城倉さんが引き継いで奇跡的な再開となりました。連載が決まった時、正直なところ、不安に思われませんでしたか? 

ちば コージィさんはあきおの漫画を読んで育ったような方でしょ。しかも、どの作品も全て何ページにどのコマがあってというようなことまで記憶してる。実際に会って話をしたら、あきおの絵のことから独特の間(ま)、個性的なキャラクターまでちゃんと考えてもらってる人だったしね。心配もなかったです。

―長男の一郎さんとの対談でコージィさん自身、「日本で一番、ちばてつや&あきお兄弟を理解してる漫画家だって自負があります」と。

谷口 ただ、そこは一郎くんも素晴らしいと思ったんですよ、僕は。賛否両論あったかもしれないけど、コージィさんという方にやってもらうと決めて、納得いく形で任せたんですから。

でも、ほんとコージィさんって、よく読んでるなと。特に第1話で谷口家が洗濯機を買う場面から話が始まってるのがすごい!と。(注:『プレイボール』終盤で谷口の両親が洗濯機を買い替えようと話をする描写がある)。あきおさんの漫画にすごく惚れ込んでるのがわかって、すごくいい人に描いてもらったなって。…ただ、ちょっとまだテンポが少し早いかなとは思うけどね。

ちば あぁ、それはそうかもしれないですね。

谷口 もっとゆっくりでもいいんじゃないかとは思う。でも、それだとあきおさんの漫画そのまんまになっちゃうのかな。

ちば あきおは、主人公がただ起きて味噌汁吸って、お母ちゃんに叩き出されて学校に行くまでで1回終わっちゃうことがあるからね。もちろんコージィさんもそれが魅力だって気づいてると思うけど。原作者で活動するほどのストーリーテラーだから、毎回、核というか読み応えある部分を入れたいと思うのかも。

でも話も面白いし、絵もあきおの面影を残しながらコージィさんの力強いタッチも入ってるし、いいバランスだと思いますよ。

●後編⇒漫画一家・ちばファミリーの物語を朝ドラに!? 大反響の『プレイボール』復活で、実兄・てつや氏が弟・ちばあきおを語る

(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一、構成/大野智己、撮影/五十嵐和博)