デビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』が発売即重版になり、書店でも売り切れが続出したことで話題になった新人作家・燃え殻。
ツイッターの日々のつぶやきが注目され、糸井重里、小沢一敬(スピードワゴン)、大根仁、堀江貴文など著名人も絶賛。現在はツイッターで13万人を超えるフォロワーに支持されている。
まさに“SNSが生んだ新たな売れっ子”といった感がある燃え殻氏だが、今回、週プレNEWSで連載中の『キン肉マン』原作者・嶋田隆司先生との対談が実現。
この異色なコラボのきっかけとなったのは、燃え殻による「心はいつもキン肉マンのジェロニモのつもりです」という何気ないツイート。もしや『キン肉マン』のファンなのでは――。そこでオファーしてみると是非お話してみたいとのこと。嶋田先生にも快諾いただき、ふたりのトークは開始早々、意外なほどの盛り上がりを見せた。
■「不遇なキャラに自分を投影してしまう」(燃え殻)
嶋田 今日はわざわざ事務所までありがとうございます。『ボクたちはみんな大人になれなかった』、すごく面白かったです。
燃え殻 こちらこそありがとうございます! 僕は『キン肉マン』のドンピシャ世代で、子どもの頃からずっと読ませていただいて、いろんな影響を受けてきました。プロレスも大好きで「あぶない木曜日」(『週刊プロレス』誌上にあった読者投稿コーナー)にプロレスラーのイラストを投稿したこともあるのですが、筋肉の描き方が絶対に『キン肉マン』に似ちゃうんですよ。これは僕と同世代の人はみんな共感してくれると思います。
嶋田 『トリコ』の島袋光年くんも同じことを言っていました。じゃあ今は40代?
燃え殻 43歳です。『キン肉マン』は本当に青春で、週刊プレイボーイで『キン肉マンII世』が始まった時はガッツポーズしました。
―ツイッターでもつぶやいていたように、ジェロニモがお好きなんですか?
燃え殻 僕は地味なキャラクターが好きで、ジェロニモって不遇じゃないですか。自分を重ねちゃうんですよ。フォロワーの方でプロフィールに「ビッグボディが好き」って書いていた人がいたんですけど、それもどういう人生を送ってきたかわかっちゃいますよね。「こいつとは一緒にハイボール3杯は飲めるな」っていう。
嶋田 『キン肉マン』は昔から不思議と主人公が人気なくて、読者投票でも不遇なキャラクターのほうが人気はあったんですよ。
燃え殻 そうなんですね。先生から直接聞けて感動です。そういう不遇なキャラって、子どもの頃は「もっと活躍が見たい」と思っていたんですけど、それが20年以上の時を経て今やっているじゃないですか。これって続編のあり方としてすごく正しいと思うんですよ。
しかも、ネットで新作が毎週読めますからね。昔はお小遣いを握りしめて月曜深夜のコンビニに行って「ジャンプ」が届くのを待っていましたから、そこから考えると夢みたいです。
嶋田 僕も読者の頃は同じことをやっていましたね。
燃え殻 まさか先生とこんな話ができるとは…。これはマジで嬉しいですね。
―子どもの頃に『キン肉マン』を読んだくらいかと思いきや、まさかここまでガチのファンだとは驚きです。
燃え殻 僕の青春はかなり暗くて、恋愛もしてないのに恋愛のテクニックは『ホットドッグプレス』を参考にしていましたし、『キン肉マン』やプロレスが大好きでした。小説に出てくる彼女とのデートでも、大槻ケンヂさんが応援していたからっていう理由で小田原まで「W☆ING」(※)の釘板デスマッチを観に行きました。
(※)1991年に大仁田厚が率いるFMWから離脱した団体。ミスター・ポーゴなどが活躍しており、過激なデスマッチ路線でカルト的人気を誇った
嶋田 それはかなりのマニアですね!
バブル時代のTV業界と遠い出来事
■「燃え殻さんは時代の空気を見事に捉えている」(嶋田)
―嶋田先生は『ボクたちはみんな大人になれなかった』を読まれて、どんな感想を?
嶋田 今まで恋愛小説なんてほとんど読んだことがないんですけど、面白かったですね。時代をちゃんと追いかけてらっしゃるなと。こういう第二次ベビーブーム世代の人たちとは読者でよく会うんですよ。その人たちのリアルを捉えている感じがすごくありました。
―その第二次ベビーブーム世代のリアルとは?
嶋田 バブルの恩恵は受けていないけど、文化は日本の歴史上一番っていうくらい豊かだった時代ですよね。『少年ジャンプ』も600万部の黄金期で。
燃え殻 ただ、ネットだけがなかった。
嶋田 そう、ネットだけがないんです。当時の文化は今でも残っているけど、ネットも携帯電話もないから待ち合わせするだけでも大変。小説でも女のコとの待ち合わせで「何時に◯◯で」って細かく指定する描写がありましたね。
燃え殻 ちょっとでも立っている場所がズレていると出会えなかったですよね。
嶋田 そういう不便さと、でも文化はめちゃくちゃ豊かでっていう部分が、まさに時代の空気を捉えているなって感心しました。一方で、後半のストリッパーの話みたいに昔風の泣ける話もある。小説の内容はほとんど実体験なんですか?
燃え殻 そうです。7割は僕が実際に体験したことです。
嶋田 今でもTVの美術制作の仕事を?
燃え殻 はい。
嶋田 当時のTVの現場って、本当にあんなに派手なお金の使い方をしていたんですか?
燃え殻 赤坂プリンスホテルでバラエティ番組の打ち上げがあって、そこで「万札のつかみ取り」っていうイベントが行なわれていたところですよね。あれも本当です。僕がTV業界に入った時は、世間的にはバブルが崩壊していましたけど、TVの人たちにはまだ名残があったんです。だから、めちゃくちゃなお金の使い方はかなり目撃しました。
嶋田 僕はその頃、『キン肉マン』の次が当たらなくて、雌伏(しふく)の時でした。だからバブルの恩恵は全然受けてないんですよ。同じ時代を生きていたのにそこは遠い世界の出来事みたいでした。
燃え殻 でも僕はその時期の『ゆうれい小僧がやってきた!』も『蹴撃手(キックボクサー)マモル』も全部読んでました!
飲み交遊録と高円寺の思い出
■ふたりのもうひとつの共通点「高円寺」
燃え殻 バブルの恩恵は受けてないとはいっても、先生は高校生デビューでいきなり売れっ子作家ですから、若くしてかなりの大金持ちなんだろうというイメージで見ていたんですが。
嶋田 23歳くらいの時に長者番付の2位になったんですけど、お金を使う暇がないくらい忙しかったです。
燃え殻 そんなことになっていたんですね…。
―しかも、その頃はクリーニング屋さんの2階に下宿していたんですよね。
燃え殻 えええ!?
嶋田 そうです。お金がある時は忙しいから使う暇がない、停滞期はお金がないから遊びにも行けない。散々でしたよ(笑)。でも『キン肉マン』が終わってからは友達が増えました。
それまでまともに飲みに行ったこともなかったのに、甲本ヒロトくんに出会い、天龍源一郎さんにも出会い、いろんなところに連れて行ってもらいました。特に天龍さんにはめちゃくちゃ飲まされましたね。
燃え殻 天龍さんの飲み方のすごさは有名ですよね。
嶋田 僕も天龍さんと飲んだ帰りに何度か道端で行き倒れたことがあります。お酒は強いほうなんですけどね、天龍さんには勝ったことがない(笑)。
―プロレス以外でもおふたりには「高円寺」という接点もあるようで…。
嶋田 小説に彼女との思い出の場所として何度も出てきますよね。僕は事務所を高円寺に構えて長いから、その意味でも内容がすごくリアルでした。
燃え殻 あの頃は高円寺にハマっていて、彼女も本当に「仲屋むげん堂」(高円寺の老舗アジア雑貨店)でバイトしていました。小説では彼女が自分でブスだと言うんですが、僕よりもずっと世の中に詳しくて、とにかくカッコよかったんです。そこに惹(ひ)かれたし眩しかった。
嶋田 そんな彼女を20年ぶりにフェイスブックで見かけたっていうエピソードも本当なんですよね?
燃え殻 おしゃれで尖(とが)っていることに命をかけていたようなコだったのに、アイコンがビックリするほどダサくて。旦那とおそろいのジャージ着て「東京マラソンに出ます」とか書いてあったんです。「あの時、『サイババが好き』って言ってたじゃん」って思いましたよ。
―それはショックだった?
燃え殻 「そっち側の人間ならそう早く言ってよ!」という気持ちですね。「それならこっちもうまくやったのに」っていう。でも、実際はできなかったと思いますけどね。
嶋田 彼女、本当はそういう人だったのかもしれないですね。
燃え殻 そう思います。僕は等身大の彼女を見ていなくて、彼女が演じていた“なりたい私”を見ていたのかなって。というのも、自分も“なりたい僕”を見せていたんですよね。その組み合わせじゃうまくいくわけねえよなって、今はわかります。
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『キン肉マン』以外にもネットでの連載、高円寺、プロレスなど共通点がたくさん見つかったおふたり。当然、話がこれで終わるはずもなく、SNSとの付き合い方までを語り尽くした後編は次週10月1日(日)配信!
(取材・文/小山田裕哉 撮影/榊智朗)
◆燃え殻(もえがら) 1973年生まれ。TV美術制作会社で企画、人事を担当。現在、Twitterフォロワーは13万人超。Twitter【@Pirate_Radio_】
●『ボクたちはみんな大人になれなかった』燃え殻著 新潮社 1404円(税込) ●『キン肉マン 60巻』ゆでたまご著 小社 400円(税別)