歯医者さんで大物作家の書き下ろし未発表作を、しかも手書き原稿で読めるとは!

数日前からズキズキと痛み始めた奥歯を放っておけなくなり、出かけた歯医者で意外なものに出会ったーー。

薬品の匂いと高周波の金属音で緊張感が高まる待合室で、落ち着きなくキョロキョロしていると、受付の脇にひっそり置いてある風変わりなものを発見したのだ。

それは原稿用紙に手書きで書かれた歯にまつわる読み物だった。「はなはなし」と隅に印刷されている…「歯な話」ってこと??

ところが、さらに著者を見て驚いた。「又吉直樹」とあったのだ。タイトルは「差し歯とコント」ーー駆け出しの頃、コント日本一を決める大会で、コント中に差し歯がとれてしまい、必死で作ったネタよりも笑いを取ってしまったという内容だった。

正直、面白すぎて感動してしまった。本当にあの"芥川賞作家"又吉氏が書いた直筆原稿!? なぜ、普通の歯科医院にそのおもしろ原稿が?

というわけで、謎を探るべく、仕掛け人の株式会社ミックを訪ねた。答えてくれたのは、総合企画部の大木聡課長と井上広視係長だ。

-歯科の受付に置いてある原稿用紙の作文は一体なんですか?

大木 「はなはなし」と言いまして、歯科医院の患者さんのためだけに書かれた読み物です。診療前後のちょっとした待ち時間に患者さんの気持ちが少しでも明るくなるよう、B5サイズの原稿用紙に歯や歯科医院に関連したエッセイ、ショートストーリー、詩を書いてもらってます。漫画の時もありますよ。

-そもそもミックさんは、何をしている会社なんでしょうか?

大木 歯科医院の皆さんが医療事務をスムーズに行なうためのソフトウェアを開発・販売しています。歯科医院は医療費の請求データを毎月1回、保険者に提出しなければなりません。そのデータを簡単に管理できるシステムを開発し、販売するのがメイン業務。会社としては創業40年を超えたところです。

-そんなデジタルの最先端をいく会社がどうして「原稿用紙」というアナログを使った企画を?

大木 そう思われますよね(笑)。弊社が普段おつきあいしているのは、歯科医院はもちろん、医療機器販売店さんが中心です。でも、実際にはその先に患者様がいらっしゃるわけですよ。そこで歯科医院と患者様のつながりを何かお手伝いできないかと。その部分は今までノータッチでしたので、自分たちのブランディングも兼ねて始めたわけです。

―なぜ原稿用紙だったのでしょう?

井上 歯科医院の待合室って緊張感があるじゃないですか。だからコンセプトは「リラックスできて、できればクスッと笑えるようなもの」としたんです。

-確かに匂いとか、キーンという音とか、待合室にいるだけでゲンナリすることがあります。考えようによっては、一番笑いが必要な場所かも。

大木 普段、デジタルなものを扱っている弊社がアナログなものにトライするのも面白いんじゃないか、という思いもありました。どうせやるならつきつめようと「原稿用紙に手書きされた読み物」という企画に固まっていったんです。

特に印象に残っている執筆者は…

穏やかな笑顔で執筆依頼の苦労を語る、大木聡課長

-創刊はいつですか?

大木 2015年11月です。基本的にはひとりの方に2回分の原稿をお願いしていて、毎月1日と15日に発行です。

-それにしても、そうそうたる執筆陣ですよね! 谷川俊太郎さん、朝井リョウさん、吉田修一さん、山崎ナオコーラさん、犬山紙子さん、和田ラヂヲさん、平野啓一郎さん、辺見庸さん、町田康さん、角田光代さん、畑正憲さん、吉本ばななさん、又吉直樹さん、松尾スズキさん、椎名誠さん等々…。これだけのビッグネームは文芸誌でも揃えるのが難しいんじゃないかと思うんですが、どのように選び、依頼しているのですか。

井上 すごくシンプルです。1回は原稿用紙1枚分ですから、短くて面白い文章を書いてくださる方に頼みたい。我々は文章のプロではありませんが、候補になる方々のエッセイなどを拝見し、自分たちなりの勝手な感性で選び、お声がけさせていただいています。

-ミックさんから直接、ご依頼されるんですね。書いてくれる確率は?

大木 高くは…ないですね(苦笑)。半分くらい…それ以下かな。

-結構、断られるんですか?

井上 というか、オファーさせていただいても返事がない場合が多いです。正直、謝礼も高くはないですから。ビジネスライクには進みませんね。こちらの意図を説明し、ご理解いただいた方が書いてくださるという感じです。最初のコンタクトから原稿をいただくまで3ヵ月くらいかかることもザラです。

-結構、手間暇がかかると。そうやって上がってきた原稿を読んで「ちょっとこれは…」と思うことは?

井上 企画意図と大きく外れたことはありません。

―これだけの執筆陣だと印象的な出来事もあったのでは?

井上 原稿用紙に手書きというのが企画のポイントなんですが、谷川俊太郎さんから「書くのはいいけど、手書きは遠慮したい」と言われました。

大木 さらに当初は2回分の原稿ということでご理解いただいていたのですが、途中から「スケジュールの都合で1回にしてほしい」と。

井上 でも、そのままお願いしました。断るわけないですよね。それで「せめて署名は手書きで」とお願いし、それは実現しました。

-たくさんの原稿を読まれて、特に印象に残っている方はいますか。

井上 ムツゴロウ(畑正憲)さんですね。TVで観る動物好きの優しい印象とは違う、破天荒な内容だったので。

-ロケ先でドリアンと一緒に自分のさし歯(前歯)を食べちゃって、そのままの顔じゃ撮影できないから、消しゴムを削って前歯を作ったという話ですね。

井上 ムツゴロウさんが差し歯になる原因も虫歯じゃなくて、クマの犬歯にぶつかってというエピソードには驚きました。

2013年に「火山のふもとで」第64回読売文学賞受賞した小説家・松家仁之さんの作品

達筆すぎた元女子アナに驚き?

谷川俊太郎さんなどプロの編集者でも怯むような大物作家の名前が井上広視係長の口からポンポンと出てくる

-松尾スズキさんの「ないんだ、とにかく、本物の歯が。」で始まる作品も印象深いです。若い頃に貧乏で歯医者に通い続けることができず、その結果、現在5年にわたり11本の歯を治療中で「信じられないほどお金がかかる。しんどい。実にしんどい」と嘆いていたのが忘れられません(笑)。

大木 椎名誠さんは、ワイルドなイメージそのままでした。若い頃に喧嘩ばかりしていて、踵蹴りをくらい犬歯から3本もの歯を折っちゃった話。こういうパーソナルな部分が楽しいエピソードとして出てくると、コンセプトの「クスッと笑える」話になりやすいのかもしれません。

あと、これから発行予定(2017年11月)の小島慶子さんが達筆すぎてビックリしました。もちろん元女子アナなので、それなりの字だとは思っていたのですが、それをはるかに超えた美しい字でした。

-どんな字なのか、興味が湧きますね。基本的に2回掲載ということですが、掲載順はどのように決めているのですか。

井上 ほとんどの方はお任せですが、稀(まれ)に「1回目はこっちで、2回目はこれ」と指定される方もいます。漫画は掲載順を指定される方が多いですね。

大木 オーサ・イェークストロムさんはスウェーデン出身の漫画家さんなんですが、日本語もすごく上手。海外の方には日本の歯科医はこういう風に見えているのかと新たな発見がありました。

-それにしても、企画がスタートした頃、こんな著名な名前が並ぶことを想像していましたか?

大木 それどころか、いつまで続けられるだろうと思ってました。でも、それは今も同じ。ドキドキしながら次にお願いする方について考えています。

-今、何ヵ所くらいの歯医者さんに「はなはなし」が置いてあるんでしょうか?

井上 150ヵ所くらいです。日本全国には約7万の歯科医院があると言われていますから1%にも満たないですね。

-もったいない! でも、逆に言えば、それだけ広がる可能性があるということですね。

大木 そうなるといいんですけど、我々も本業をやりながらですし、メインの商品は別なので…残念なことにPRもあまりできていません。

井上 とにかく、まずは書いていただける方をもっと増やしていきたいですね。そうして続けていけば、草の根的に広がっていくんじゃないかと期待しています。

―今後、執筆をお願いしてみたい著名人は?

井上 スポーツ選手の方にお願いしてみたいですね。競技と歯は関係が深いと言いますから。

-なるほど、作家以外の方も興味深いですね。その直筆も見たいですし…ぜひ長く続けていただくことを期待しつつ…一冊にまとめる時は週プレ編集部にご相談いただければ!(笑)

歯医者さんにしか置いてない読み物「はなはなし」は最新号に限り、ミックのホームページから読めます!

株式会社ミック1976年の創業以来、歯科向けソフトウェアの開発・販売。「もっと、人と医療のそばへ。」をスローガンに、事業を通じて社会と歯科医療への貢献を目指す。患者の歯みがきを見守る新サービス「Curline(キュアライン)」も発表。歯科で処方する「処方電動歯ブラシ(TM)」とスマートフォンが連動することで、歯磨きのデータをクラウド共有。それにより歯科でそれぞれの口腔状況に合わせて処方してもらった磨き方がどのくらい実現されているかチェックし、個人のセルフケアを様々な角度からサポート可能にする。