いきなりの漫画家デビューで成功をつかんだカラテカ・矢部太郎

喋りは覚束(おぼつか)ないが、注目されるきっかけとなった『進ぬ!電波少年』では何ヵ国語もマスターし、07年には気象予報士の資格まで取得した多才の芸人、「カラテカ」の矢部太郎。

異能を発揮する彼が、新たな境地を見せたのはなんと漫画執筆――描いた初の実話漫画『大家さんと僕』が評判を呼び、各界から絶賛する声が寄せられ、10月末の発売ですでに15万部超を突破する勢いで売れている。

8年前から入居する部屋の下に住む50歳近く年上の大家のおばあさんと、その2階を間借りする矢部との何気ない交流を描いた作品だが、ほっこりするエピソードが満載だ。

そこで、いきなりの漫画家デビューで成功をつかんだ矢部太郎に直撃インタビュー!

―15万部突破おめでとうございます! どうですか、反響は?

矢部 今回、芸人生活20年間分をはるかに超える量の取材が舞い込んできています(笑)。

大げさですね(笑)! 作品中では、部屋に帰るたびに大家さんが「おかえり」の電話をくれたり、洗濯物を部屋に入れてくれてたり、世話を焼いてくれる様子が描かれていましたが、そんな干渉(やさしさ)に正直、煩わしさはなかったんですか?

矢部 僕は元々、人見知りなんですけど、ようやく慣れました。今はほどほどの距離感が良いと思っています。あと、当初そんなに忙しくなかったんで、大家さんのお誘いやお願いに応えることができたので今の関係があるように思います。

―今回の単行本化は、まず小説新潮の連載から始まって。連載中から手ごたえは?

矢部 2ちゃんねるでスレッドが立ち、「ほっこりした」と好評だったそうですが、怖くて見てなかったので、当時はそんな手ごたえはないですね。それに、さっき小説新潮の編集長が現れて「すごいビックリしました、こんなことになるとは…」と驚かれてましたね(笑)。あまり期待されてなかったのかも…。あとは、鉄拳(ピン芸人。昨今、パラパラ漫画で活躍)が面白いと言ってくれて、自分に才能があったら映画化したいとまで言ってくれました。

―そもそも、漫画を描こうと思ったきっかけは?

矢部 大家さんとホテルでお茶をしていたところ、懇意にしている漫画原作者の倉科遼先生に目撃されて、僕と大家さんの関係を舞台化したい、映画化したいと…。たった1回見て、ちょっと話しただけなのに、青年と老人が車を途中でぶつけながら旅をし、知覧(鹿児島県、太平洋戦争時の特攻隊の出撃地があった場所)まで行くというラストシーンまでドラマを想像されてたのでビックリしましたよ。

その流れで、僕が細かいストーリーを書くことになって。きっと倉科先生はプロットを期待していたと思うんですけど、漫画で表現してしまいまして…。

―絵コンテのような…そこで倉科さんの反応は…。

矢部 10Pほど書いたのですが、褒(ほ)められて、自費出版でもいいから本として出そうよとかいろいろ考えていただいて。結果、小説新潮で連載することになりました。

お笑いコンビ「カラテカ」の矢部太郎、初漫画が15万部超!

大家さんの遺産をもらえるんじゃないか…

カラテカ・矢部太郎の初漫画「大家さんと僕」より

―それ自体、漫画のような経緯が(笑)。でも文芸誌ですよね。漫画誌の王道でいきたいとか野望はなかった…?

矢部 いやいやいや。小説新潮さんでよかったと思っています。とにかく漫画誌は怖かったですから。アンケート至上主義なら僕は生き残れない。文芸誌ならライバルもいないので打ち切りの危険はないし、月1回なので、落ち着いて描けますしね。メリットだらけです(笑)。

―絵や漫画は普通に小さい頃から? やはり絵本作家の父親(やべみつのり氏)の影響もあったり?

矢部 確かに影響はあるかもしれません。アトリエにいつも一緒にいて、親のやっていることを見ていました。小さい頃は紙芝居や家族新聞みたいなものを描いていましたね。そういえば、大人になって、実家からそういう昔描いたものがいっぱい送られてきて、びっくりしたことがあります。

―ほっこりした内容にあった絶妙な絵柄も好評ですが…試行錯誤したんですか?

矢部 いろいろと描き分けるほどではないですが、大体こういうマンガはこういう絵みたいな感じじゃないですか?

―簡単に言いましたが…今、他の漫画家さんをみんな敵にしましたよ(笑)。それにしても人の良さが滲(にじ)み出ているタッチで。

矢部 ありがとうございます。漫画家さんのようにGペンで描くのはムチャクチャ難しいので、実はデジタルで描いています。例えば、デパートの伊勢丹にタクシーで行くというコマでは、伊勢丹とタクシーしか描けないからそれだけです(笑)

プロの方なら、いろいろ描きたくて引き算しなくちゃいけないようなとこも、僕の場合はゼロからの足し算の結果というか。スッキリしたモノのない部屋も、その結果です。それが味になって幸いでした。

―作品の内容は事前に大家さんに相談して決めているとか…。

矢部 そうなんです。大家さんは、自分のことをもっとカワイく描いてほしいとか、戦争にまつわるエピソードも自分なりの考えを反映してほしいところがあるようですね。

そもそも大家さんのことを描きたかったわけですが、やっているうちに自分のこともさらさないとダメだなと思うようになって、自分が薄々思ったりしていることも描くようになったんです。大家さんの遺産をもらえるんじゃないかって、そそのかしてくる先輩の話なんかはそうですね。さすがにそのエピソードは相談していませんけど…。

―ひょっとしたら、ホントに遺産もらえるんじゃ…とか?(笑)

矢部 いやいやいや、大家さんには前もって、「本当にやめてくださいね!」と釘を刺しています。

―ちなみに、「ババ―ジャンボ当てたな」「いやババ6か」などと宝くじに例えたり、遺産相続をそそのかしてくる先輩ってどなたなんですか?

矢部 漫画ではひとつのキャラクターにまとめましたが、何人かいまして…ほんこんさんとか…木下ほうかさん、石田靖さん、板尾(創路)さんもですかね。

「みんな簡単に続編とか言ってくるけど…」

カラテカ・矢部太郎の初漫画「大家さんと僕」より

―納得の顔ぶれですね(笑)。相方の入江(慎也)さんは今回のヒットにどんな反応でした?

矢部 知るやいなや、マネージャーにコンビを売り込むチャンスだと電話してました。「俺が描けって言った!」と、すっかりこの本のプロデューサー気分です(笑)。

毎年、入江君は放送作家と一緒に年間の計画を立てるんですが、来年の箇条書きの中に「〇〇と俺」っていう漫画を描くプランが挙げてありました(汗)。

―売り込む気、満々ですね~。矢部さん自身、某全国紙のインタビュー記事で、今後は芸人よりも漫画に専念したいと…。

矢部 いえいえ! あれ、やっぱり誤解させちゃいますよね? あんな大真面目なニュアンスに書かれちゃって…冗談のテンションで言ったんですけど。いやほんと、芸人はやめられないですよ~。やめるっていうことはないですよね。

素人時代に『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』の「たけしお笑いファクトリー」のオーディションでビートたけしさんに会って「あんちゃん、いいね! 北朝鮮の工作員みたいで…」ってイジっていただいて。「あんちゃん」とは言ってないですけど(笑)、それでお笑いに向いているんじゃないかと勘違いして、ここまでやってきましたから。

―ソウル(魂)はやっぱり芸人だと。…残念です、週プレNEWSでも執筆オファーをさせていただきたいと思ったんですが…。

矢部 えっ、ホントですか? いえいえ、やります! 漫画家でやっていきたいです!(笑) もう、なんでもやってないと食べていけないんで…。

―あははは(笑)。ではご縁があれば是非ともよろしくお願いいたします!

矢部 僕、ほとんど仕事を断らないんですけど、ただ1回だけありまして…それが『週刊プレイボーイ』さんのフレッシュマンに送るフーゾク特集とかいうので。「カラテカ矢部のソープランドで童貞喪失!!」みたいな企画だったんです(苦笑)。

―なんか、覚えがあります(汗)、それは大変失礼を致しました! さて、連載は終了してますが、このヒットで『大家さんと僕』の続編も期待されてるかと…。

矢部 みんな、それを簡単に言ってくるんですけど、単行本にするために50Pも描き下ろししたんですよ。8年住んでても1冊がやっとですよ。僕的には過不足なくパーフェクトだと思ってるんで。

でも、たぶん続編を書いちゃうんだろうなぁ。大家さんもどんどん歳をとっていきますし、ボクの独身ネタも笑えなくなるでしょうが、大家さんが読んでくれることで元気になるなら書きたいですね。それになかなか引っ越しはできないから(笑)。

―楽しみにしている人は多いですから。期待してます!

(撮影/松井秀樹)

矢部太郎(やべ・たろう)1977年06月30日生まれ 東京都 東村山市出身 身長158cm 体重39kg 趣味=読書、音楽鑑賞、ファミコン 特技=絵画、空手 〇お笑いコンビ「カラテカ」のボケ担当。役者としても活躍し、気象予報士の資格を持つ。『大家さんと僕』(新潮社)についての詳細はHPにてhttp://www.shinchosha.co.jp/ooyasantoboku/