乃木坂46としてのキャリアを終え、生駒里奈の物語がここから始まる

デビューから5作連続でシングルのセンターを務めた“乃木坂46の象徴”生駒里奈がグループを卒業する。彼女の新たな旅立ちに、万感の思いを込めたラストインタビュー。

* * *

―4月22日。とうとう乃木坂46を卒業する生駒さん。約6年半。いろいろありましたね。

生駒 そうですね。昨年末に22歳になりました。乃木坂に入ったのが……え? 何歳だ? ……15歳だ! それから16歳になってから翌年の2月にCDデビューして。

―以前、週刊プレイボーイの連載「乃木坂46物語」で取材させていただいたときにも聞きましたが、当時は東京になじめず。 

生駒 そうですよ、生まれて初めて感じる種類のストレスで。そもそもストレスを感じたことがなかったから、口内炎が口の中にたくさんできて。外でご飯をあまり食べたことがなかったから、そりゃ体もびっくりするよな、って。喉の奥にもできてて、ずっと血の味がしてました。

―そんなスタートを切った生駒里奈の“乃木坂46物語”ですが、4月22日で卒業を迎えます。今回、最後のシングル『シンクロニシティ』で、「生駒里奈は、センターへの打診を断った」と話題になりました。

生駒 これまでの王道の流れだと、「最後のシングルをセンターで」とか、「生駒のソロ曲を」っていう感じだとは思ったんですよ。でも断ろうって。レコード大賞をいただいた後のシングルでもあるし、私の卒業一色だけにしたくなかったから。せめて一歩引いたところから見たかったっていうのはあります。

でも、自分もそういうことが考えられるくらい大人になったんだなって思いますね。今は、卒業の先について考えられるようになってきて。「卒業するのは、寂しいな」とか「6年半、頑張ったな」って気持ちよりも、「次に進もう」っていう意識のほうが強いです。

―10代の頃から考えると、成長したと感じますか?

生駒 10代の頃は、やっぱり夢中で走っていたし、“アイドル”というものにまっすぐでした。買い物に行ったり、遊びに行って楽しく過ごすことができなかったんですよ。自分で勝手にアイドルに縛られて苦しんでいたというか。そういう苦しみによって「うわ!!」ってなっちゃってたこともあったから。

でも20代になってからは、その頃の自分を「そんな時間あったら、服とか化粧品を買いに行って気分転換して、もっと自分をいたわってあげればいいのに」って思って。成人式のときに、この「枷かせ」のような、「トゲ」のようなものをゆっくり外して、抜いていってあげようって思いました。

―当時の「アイドルへの思い」は、トゲでしたか。

生駒 トゲだった気がします。しかもきれいで鋭利なトゲじゃなくて粗いトゲ。乱暴に抜くといっぱい血が出ちゃう感じの。

―そのトゲは、気がついたら刺さっていたんですか?

生駒 気がついたら刺さっていたものもありますけど、真正面から刺さるものもありました。でも逃げれなかった。私、「自分は頑張った!」と認めたくなかったんですよ。

―以前、取材させていただいたときにも言ってましたよね。「ネガティブは生駒里奈の武器」「達成感を得たり納得をしてしまうと成長しなくなるから」と。

生駒 今もそうなんですよ。自分に「頑張った」って言えない人で。だから常に「耐えなくちゃ」「もっと頑張らなきゃ」「自分勝手なことはしちゃいけないんだ」って思っていて。トゲだらけになりながら、自分に優しくできなかったんです。

★乃木坂46の次に目指す道とは? 3期生に思うことは? このインタビュー全文は『週刊プレイボーイ』18号(4月16日発売)にてお読みいただけます!

(取材・文/篠本634(short cut) 撮影/武田敏将)

●生駒里奈(いこま・りな)1995年12月29日生まれ 秋田県出身 身長154cm 血液型=AB型 星座=やぎ座 ○4月25日に発売される20thシングル『シンクロニシティ』をもって乃木坂46を卒業する。卒業コンサートは4月22日(日)に日本武道館で開催予定