今も日本の音楽シーンに多大なる影響を与え続けているhide氏の永眠から20年──。 今も日本の音楽シーンに多大なる影響を与え続けているhide氏の永眠から20年──。

X JAPANのギタリストとして、そしてソロアーティストとしても活躍し、まさに絶頂を迎えていた1998年5月2日、突然この世を去ってしまったhide

永眠から20年となる今年は、お台場の野外で2日間にわたるメモリアルライブの開催、ドキュメンタリー映画の公開、トリビュートアルバムの発売など数多くのイベントやリリースが予定されており、今なお絶大な影響力を放ち続けている──。

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hideといえば、ロックの中に様々なエッセンスを取り込み、絶妙なポップソングとして仕上げた音楽性の素晴らしさもさることながら、常に驚きを与えてきたステージ演出も革新的だった。

特にお茶の間を揺るがしたのは、ソロでの3rdシングル「DICE」を引っ提げ出演した1994年の『ミュージックステーション』。全裸と見紛うような女性ダンサーたちが檻によじ登り、最後は檻越しに手を伸ばしてhideに絡みつく。今では絶対に放送不可能といえる強烈な演出で、鮮明に焼き付いているファンも多いだろう。

その際、ダンサーを務めていたのが舞踏カンパニー「友惠(ともえ)しづねと白桃房」のメンバーたちだ。いわゆる暗黒舞踏の流れを汲み、その創始者である土方 巽(ひじかた・たつみ)を唯一、継承する友惠しづね主宰の団体で、hideとはソロデビュー前の1992年から関わり始め、以降は主要なステージの多くに帯同。きっかけはX JAPANが所属するソニー・ミュージックのスタッフが、演劇フェスティバルに出演していた彼女たちを見て、hideに推薦したことだった。

当時のメンバーのひとりで、現在は同団体の代表を務める加賀谷早苗(かがや・さなえ)が振り返る。

 当時を振り返るhide氏のダンサーを務めた加賀谷氏。 当時を振り返るhide氏のダンサーを務めた加賀谷氏。

「その頃の舞踏は白塗りに剃髪(ていはつ)というスタイルが形骸化(けいがいか)していたのですが、それをあえてしないで、どれだけ素の人間として深いコミュニケーションができるかを模索していたんです。その私たちが新しい領域を求めていた時期と、hideさんがソロ活動を始めた時期がリンクしたこともあって、お互い新たなもの、見たことないものを作っていこうという想いが共振したのかなと思います」

初めてステージで共演したのは、1993年末に東京ドームで行なわれたX JAPANのライブだった。hideのソロコーナー「HIDEの部屋」に登場した彼女たちは、真っ赤な部屋でハーレムのようにhideを取り囲み、妖艶に交わりながら身支度を手伝う。ロックスター然としたhideは、彼女たちを従えてステージへ向かうと、ファンからの大歓声を浴びながら演奏を披露した。

「あの時はリハーサルもなく、事前に導線の確認などはしていましたが、本人とは本番で初めて対面したんです。その緊張感も演出のひとつだったのかなと思うのですが、セットと衣装の世界観、そしてhideさんの様子から察して、どういうパフォーマンスをするか考えました。方向性だけ決めて、あとは即興だったんです」

ダメ出しをされた「HIDEの部屋」のリハーサル

これだけ聞くと、hideは何も考えてなかったのかと思われてもおかしくないが、もちろんそんなことはない。それから1ヵ月足らず、前述の『ミュージックステーション』出演時には、加賀谷とhideのスタッフの間でこんなやりとりがあった。

「あの時も本番までhideさんとは会ってなくて。スタッフさんに『hideさんにアイデアはありますか?』と訊いたら、『最後にhideに絡んでみてはどうでしょう?』と言われたので『檻によじ登って、引きずり込みましょうか?』と提案したんです。そしたらスタッフさんは『hideもそんなことを言ってました』って。アイデアはあったのに明かされなかった。ひょっとしてこちらの力量を試されてるのかもしれないと気を引き締めた覚えがあります」

加賀谷は「hideさんは何か具体的に指示というよりも、お互いのものを引き出したいと考えていたのかなと思います」と話すが、一度だけダメ出しをされたことがあるという。1994年に行なわれたX JAPANの東京ドーム公演、「HIDEの部屋」のリハーサルでのことだった。

「hideさんとPATAさん(X JAPANのギタリスト)が大きな鳥かごに入って、私たちダンサーがふたりをムチで叩いたり蹴り飛ばしたり、いじめるような演出があったんです。それでリハーサルをしたのですが、『もっと思いっきりやってよぉ!』と言われて。

PATAさんからは『これってリハーサルかよぉ』と思うくらい怖かったと言われたんですけど、たぶんhideさんは自分が身動きをとれない設定だから、私たちに全部託さなきゃいけないという気持ちがあったと思うんです。それが最初で最後の"檄(げき)"みたいな感じでしたね。本番が終わった後は『カメラ回ってないところでもお尻蹴ってたよね』と、いたずらっぽく言われましたけど(笑)」

"おもちゃ箱をひっくり返したようだ"と形容されることも多かったhideのステージ。プライベートでも人を驚かせることが大好きだったと言われているが、それはステージでも同じだった。

初のソロツアー時は、オープニングで着ぐるみの怪人がメンバー紹介をしたと思ったら、その中からhideが登場。2ndツアーでは終演して楽屋へ戻る様子がスクリーンに映し出されたが、実は事前に撮られた映像で、hideやバンドメンバーが突然、場内に現れた。

客席のファンをステージで踊らせることも日常茶飯事だったが「絶対に呼ばれないだろうと思っている2階席のコまで呼ぶから、連れてくるのが大変でした」と、加賀谷ですら何度も意表を突かれたという。時には裏方のスタッフやガードマンが予告なくステージに引っ張り出されることもあった。

そしてhide自身のパフォーマンスも、加賀谷を驚かせるものだった。

「私たちの専門用語で言うと、"身体感覚"がものすごいんです。等身大で舞台に立つと、普通は自分のことをやるだけで精一杯になって、ただそこにいるだけのお人形さんみたいになっちゃう。だけどhideさんは体を拡張していくというか、いろんなものを一体にしてパフォーマンスできるんです」

「hideさんのために死ねると思えばできる!」

 常に近い距離でhide氏(右)を見てきたギターテクニシャンの熊谷氏(左)。 常に近い距離でhide氏(右)を見てきたギターテクニシャンの熊谷氏(左)。

1993年からギターテクニシャンを務め、常に舞台袖の一番近い距離でhideを見てきた熊谷拓哉(くまがい・たくや)は、X JAPANとソロでのパフォーマンスの違いを説明する。

「X JAPANでは当時、hideさんを中心にリハーサルが進んでいたのですが、きっちり時間に来て、しっかり演奏して本番に臨んでいました。X JAPANの音楽は決して簡単ではないですし、ギタリストとしての役割を果たさなきゃいけないという意識もあったと思うんです。でも、ソロではパフォーマーとしての意識が強いというか、ギターソロとか肝心な部分は自分で弾いてましたけど、ほとんどはバンドメンバーに任せていました。途中でギターを放棄する時もありましたし、全体の流れの中で自分がどうパフォーマンスするのがベストなのか、常に考えていたと思います」

さらに加賀谷は、hideの視野の広さにも言及する。

「hideさんは現場のステージと同時に、映像にどう残すかも意識していて。ライブ中に何か叫んでいると思ったら、『カメラ!』と言ってて(笑)。パフォーマンスをしながら、ここを撮ってほしいとカメラマンに指示していたんです。ステージのこと、カメラのこと、共演者のこと、ファンのこと、あらゆることに目を配っていましたね」

 ダンサーとして加賀谷氏と舞台に立っていた浅井氏(右)。 ダンサーとして加賀谷氏と舞台に立っていた浅井氏(右)。

こうしたhideのステージに対して、加賀谷は「hideさんに負けずにやらなきゃと常に思っていました」と当時の気持ちを語り、同じくダンサーとして舞台に立っていた浅井翔子(あさい・しょうこ)「お互い、どこまで感じ取れるかの勝負でした」と振り返る。

それを象徴するエピソードが、1996年の「HIDEの部屋」。ダンサー陣はデジタル警察に扮し、ウィルスに侵され狂っていくhideを捕まえようとするが、返り討ちにあってしまうという設定だった。その舞台裏を加賀谷が語る。

「私たちがhideさんにやられる時に、能で使われる仏倒れという技を取り入れたんです。棒立ちで後ろに倒れるので、本来は脳震盪(しんとう)を起こさないように、最後に顎(あご)を引いて後頭部を守るんですけど、友惠先生からは『顎を引いちゃダメ!』『hideさんのために死ねると思えばできる!』と言われて(笑)」

もちろんhideにそんなことは伝えていない。そして本番を迎える──。

「その一瞬、ハッとした表情をされていたのが印象的でした。hideさんに衝撃を与えることができたというか。でも、それはhideさんから引き出されたものなんですよね。決して馴れ合いではできないことだったと思います。いつだって、これが最後かもしれない。そういう緊張感を持っていました」

文字通り、命がけのパフォーマンス。その言葉からは、生半可な気持ちで務まるステージではなかったことが容易に想像できる。プレッシャーも尋常ではなかっただろう。何がそこまで彼女たちを駆り立てたのだろうか。

「hideさんがどういうものを作り上げて、ファンに見せたいか。hideさんが見たいものは、ファンが見たいもの。ファンが見たいものは、hideさんが見たいもの。そんな関係があるような気がして、それに応えたいというか、引き出されるような感じでした」

『やってるかー?』って問いかけられている気がする

それに加えて、hideの人間性に惹かれた部分も大きかったのではないだろうか。前出の熊谷はツアーでのスタッフの様子について、こんなことを述べていた。

「hideさんはツアーでもセットリストを会場ごとに変えていて、決まるのは当日になってから。オープニングの演出も2種類は用意していました。毎回、それに対応しなければならなかったのですが、自然と対応できた時はいいライブになったし、みんながそこに向かっていた。誰ひとり不平不満なくできていたのは、座長のhideさんの人柄も大きかったかなと思います」

その人柄を物語るのが、加賀谷から出てきたテディベアの話。今回、取材は「友惠しづねと白桃房」の応接間で行なっていたが、テレビ横に置いてあったテディベアが目に入ると、その思い出を語ってくれた。

「1996年にX JAPANのコンサートが中止になった時、私たちはニューヨークの公演から帰ってきたタイミングで、そのままhideさんに会えないかもしれないからお土産にテディベアを買って、ホテルまで行ってお渡ししたんです。ここにあるのはそれと同じものなんですけど、hideさんはよくクマのCGを作っていたんですよね。それがhide MUSEUM(2000~2005年に期間限定でオープンした記念館)に展示されていて、大事にしてくれていたんだなって」

 お土産のテディベアをhide氏に渡すと「和毛(にこげ)だぁ~」と言って喜んでくれたと語る加賀谷氏。 お土産のテディベアをhide氏に渡すと「和毛(にこげ)だぁ~」と言って喜んでくれたと語る加賀谷氏。

この他にも、大きなイベントの後にはいつも丁寧なお礼のメールが本人から届いていたと、hideの律儀な面を教えてくれた加賀谷。永眠から20年を迎えるにあたり、改めてhideとともにしたステージを振り返ってもらうと、宮沢賢治「春と修羅」の一文に、その日々を重ね合わせる。

「『風景やみんなといっしょに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける』、こういう感触が思い出されます。この取材のお話をいただいてから、何かを思い出すたびにメモしていたんですけど、出てくるのは『あったかさ』『ファンのため』『みんな一緒』という言葉。

今思うと、スタッフの方のお店をプロデュースしたり、ライブでもバンドメンバーが主役になるコーナーを作ったり、ファンにも能動的にライブを楽しんでもらえる仕掛けを考えたり、それぞれが持つものを活かして生きていってほしいという想いがあったのかなと。

今も毎年5月2日にはhideさんの映像を見るんですけど、『やってるかー?』って問いかけられているような気がして、もっと頑張らなくっちゃなというパワーをもらえるんです」

(取材・文/田中 宏 インタビュー撮影/保高幸子)

hide 1964年12月13日生まれ 神奈川県横須賀市出身。X JAPANのギタリスト"HIDE"として、ソロアーティスト"hide"(hide with Spread Beaver/zilch)として、日本の音楽シーンに多大なる影響を与え続けている。1998年に永眠してから20年という節目を迎える今年、その残した「サウンド」と「メッセージ」を後世に伝えるべく様々なメモリアルプロジェクトが展開される。

「君のいない世界~hideと過ごした2486日間の軌跡~」I.N.A.(hide with Spread Beaver著) 2018年4月28日発売。I.N.A.が初めて綴る、hideと過ごした2486日間の軌跡。

hide 20th memorial SUPER LIVE「SPIRITS」 2018年4月28日(土)29日(日) お台場野外特設ステージJ地区。

hide Memorial Day 2018~献花式~ 2018年5月2日(水)CLUB CITTA'。旅立って20年を迎え、愛してもらったファンとの献花式を開催。たくさんの笑顔に逢えますように感謝を込めてという想いが。

hide 1998-Last Words- 2018年5月2日(水)発売。1998年春。hideが自ら語った最後のストーリー。永遠のメッセージを完全コンプリート。

hide 20th Memorial Project Film「HURRY GO ROUND」 2018年5月26日(土)全国公開。あの衝撃の日から20年。なぜ彼は時代を超えても生き続けるのか。その真実に迫った究極のドキュメンタリー。

詳細はオフィシャルH.P.「hide-city」にて

(C)HEADWAX ORGANIZATION CO., LTD. photo by HIDEO CANNO(CAPS)/KAZUKO TANAKA(CAPS)/ M-ON! Entertainment Inc.