昨年12月、ネット上に「日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと」という記事が掲載された。
20代の若者が中国のバーチャル・リアリティ市場を調査するために現地を訪れたところ、その活気にあふれた様子に衝撃を受け、若者たちを搾取し続ける日本のオッサンたちに苦言を呈したこの記事は、同世代の圧倒的な共感と、中高年世代の反感を背景に、10日間でフェイスブックの「いいね」が2.7万件に達するなど、大きな反響を呼んだ。
この記事を執筆したのが、文筆家でゲーム批評家の藤田祥平氏だ。彼は最近、小説『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)を上梓(じょうし)した。ゲームにのめり込むあまり高校を中退し、日本代表のゲーマーとして戦った自身の過去が、ゲーム的な非現実を交えながら描かれている。
平成生まれの異色の文筆家は何を考え、どう生きようとしているのか。創作や思考の原点に迫った。
* * *
―ネット記事、すごいバズってましたね。
藤田 もともとあれは、『現代ビジネス』の片隅にちょろっと出して、忘れ去られてくれればいい、というくらいの軽い気持ちで書いたものなのですが、朝起きたらすごいことになっていまして。普段ネットをほとんど見ない、実家で車屋をやっているうちの父親から、「祥平、おまえなんか載ってるやんけ」と久しぶりに連絡があったほどです。
でも正直なところ、ご感想があまりにも膨大で、なおかつ濃いものが多かったので、途中で読むのを諦めてしまいました。ちなみにタイトルや見出しは編集者の方がお考えになられたもので、そうやって話題をつくったわけですから、編集者さんには「さすがプロやなあ」と感心しましたね。
―若者世代からは「よくぞ言ってくれた!」という意見も多い印象でした。
藤田 同世代の意見を代弁するつもりで書いたわけではないんです。ただ、僕らの世代って生まれてからずっと不景気なんですよね。そういう気持ちが背景にあって、中国に行ってわっとなって書いたのがあの記事なんです。もともと、自分はプロフェッショナルの記者として原稿を書く能力が低いといいますか…。ゲームとか小説とか、興味のある題材のほうが筆が乗るタイプなんです。
―今回書かれた小説の前半の多くがPCゲーム『ウルフェンシュタイン』について。これってどんな作品なんですか?
藤田 もともと1981年から出ている人気シリーズで、主人公のアメリカ軍人が、ナチスと戦うという内容です。僕がやっていた『エネミーテリトリー』はそのなかでも少し特殊で、フリーゲームでありながら、ユーザーが機能を拡張して遊べたんです。
ユーザー同士がコミュニティをつくり上げてプレイしているうちに、「こんなルールおかしいやろ」「ならこのルールで」と議論が進んで、だんだんと洗練されていった。実際、そこでのルールが公式に採用されたりして。『エネミーテリトリー』は通算プレイ時間が出ないタイプのゲームだったのですが、1日最低5時間として、5年はやっていたから……合計1万時間くらいはやっていますね。
―結果、高校を中退されたそうですけど、ゲームにのめり込んだのは学校に不満があった?
藤田 無意識のうちに「あんまりこのルールは良くないな」と、ゲームの延長線上じゃないですけど、学校というシステムに感じていたのかもしれませんね。僕は「ゲームとは、システムの芸術である」と考えています。
どんなゲームでも一定のルールがあり、それに対してプレイヤーはいかにうまく入力を行なっていくかを競う。でも、現実はそんなふうにわかりやすくはできていない。そうやって多くのゲームに触れているうちに、社会に存在する様々なルールへの、批判的な視点が培われてきたのかもしれません。
批評と創作は別物ですから
―確かに学校は理不尽な校則とか多いですしね。
藤田 よく、ゲーマーが「現実はクソゲーだ」と言うのですが、確かに現実をゲームと見立てると、これほどわかりにくいゲームはない。例えば、『ドラクエ』で最初の村を出たとき、主人公は必ずスライムに出会いますけど、それってスタート時点の主人公のレベルに合わせて、いい勝負をさせるためですよね。でも、現実はそうじゃない。至る所に理不尽が存在していて、最初の村を出てすぐにデスピサロが立っているようなこともある。
―今回の小説では現実世界と非現実のゲーム世界が混ざり合っていきます。
藤田 この小説を書き終えてみて、もしかしたら自分は、自分が存在する世界をまったく別の世界と接続させることに興味があるのかもしれないと感じました。それは、健康を害するほどゲームに打ち込んでいたからこそ得られたのかもしれない。
今思うと中国ルポも同じですよね。バブル崩壊後に生まれた僕にとって、まさに経済成長真っただ中の中国のあの活気や、将来に希望を抱いて生きる中国人の若者たちが非現実的に思えたというか。
―ところで、今注目してるゲームってありますか?
藤田 インディーズゲームが世界中で盛り上がっているので注目していますね。ひとつの作品に関わっている人間が少ない分、製作者のやりたいことがよく見えるのが魅力なんです。例えば、『ヴァルハラ』というベネズエラの作品は、プレイヤーがバーテンダーになって、やって来るお客さんにお酒を出すというシンプルなノベルゲームなんですけど、お客さんが語ることが、なんとなく社会不安的なものを感じさせる。
「今日、銃声めっちゃ聞こえへん?」みたいな(笑)。このゲームの製作者は、自分の好きなゲームを作っていたら自国の文化や世界情勢を語ってしまったんだと思うんです。そうなるともはや文芸だなって思いますし、そこに魅力を感じますね。
―そうやって現実を反映する作品もあるんですね。藤田さんは、ゲームを作りたいと思ったりしないんですか?
藤田 いえ、「俺はゲームのことを一番わかってるんだぞ」みたいな、こういう頭でっかちなのが作ると、間違いなく駄作ができるんですよ(笑)。やっぱり毎日地道にゲームを作っている人の作品のほうが絶対いい。批評と創作は別物ですから。
(取材・文/テクモトテク 撮影/山上徳幸)
●藤田祥平(ふじた・しょうへい) 1991年生まれ、大阪府出身。京都造形芸術大学文芸表現学科クリエイティブ・ライティングコース卒業。オフィシャルサイト【http://shoheifujita.smvi.co/】
■『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』 (早川書房 1700円+税) 筆者は独自のゲーム批評で注目を集める26歳。『ウルフェンシュタイン』などのネットゲームにのめり込んだ結果、高校を中退し、日本代表のゲーマーとして世界大会に出場。その後も母親の自殺、自身の鬱などいくつもの困難を乗り越え、大学でひとりの教授と出会い、文芸の道へ。彼の目に映るものは現実なのか、それとも非現実なのか。無数の文学とゲームに彩られた、驚異に満ちた半生を描く自身初の書き下ろし小説