昭和から年号が変わった年に誕生し、平成という時代を生きた子どもたちが30歳を迎える。その顔ぶれを見渡すとスポーツ、エンタメなど各界の第一線で活躍する"黄金世代"だった!
社会は阪神淡路大震災やオウム真理教事件など世間が震撼した災害や事件が続き、ゆとり世代として教育改革の狭間に置かれ、ある意味で暗い時代を生き抜いたーーそんな彼らの人生を紐解くインタビューシリーズの第2回は元ボクシング世界王者・亀田大毅。
前編では、内藤戦後のバッシングに耐え、20代で2階級制覇という偉業を成し遂げた時を振り返った大毅。日本人初の偉業を達成した"新生・亀田大毅"だったが、世間の知らないところで浪速の弁慶はさらなる進化を遂げていた――。
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「マスコミはそんなに取り上げてくれへんいうても、2階級制覇した時は嬉しかったな。24歳か...そう、この後、俺めちゃくちゃ強くなったんよ」
何かを思い出したように大毅が饒舌になった。
「2階級制覇した後、(リボリオ・)ソリスに負けてん(2013年、24歳)。ちょうどその時、試合とは別のところでゴタゴタしとって、ボクシングいつまで続けられるかわからん状況やった。それで和毅(ともき)と一緒にね、マイアミ合宿に行ったんよ」
話の流れがうまくつかめず問い直す。なぜ、マイアミに?
「やから、『次やる試合が最後かもしれんから1回、練習本気でしたろ』と思って海外が大嫌いな俺がマイアミ合宿してん。ほんならめちゃめちゃ強なった。うん、あれは最強やったな。それまで正直、まともに練習したことなかったから」
ひょうひょうと言葉を継ぐ大毅に思わず苦笑する。世界チャンピオンになった男が普段、本気で練習していないわけがない。嘘や嘘、冗談やって――それに類する言葉を待ったが、彼はこちらを見たまま口を開かなかった。
「では、なぜ"最強"の状態で再び王座を狙いにいかなかったのか?」...こちらのそんな疑問が顔に出ていたのかもしれない。すると、
「でも、目見えんくなってもうたからねえ」
再び競馬新聞を開きかけた大毅に再び問いかける。ではもしその時期、左目が万全であったなら?
「俺、"たられば"は大嫌いやから」
即座に鋭い視線で制された。だが一拍置いて、また何かを思い出したように言葉を継ぐ。
「......でもね、だいぶ強かったと思うよ。実はマイアミのすぐ後、ゲレロと戦ったんよ」
第23代IBF世界スーパーフライ級王者、ロドリゴ・ゲレロ。亀田とは2013年に対戦し敗れているが、並外れたタフネスで最後までマットをなめることはなかった。そんな"ビッグマッチ"が日本から遠く離れた場所で人知れず行なわれていたという。
「スパーリングやけどね、一発もパンチもらわんかった。俺もびっくりしたし、ゲレロもびっくりしとったよ。あと、『亀田が来とる』っていう噂聞きつけてきた15戦15勝の世界ランカーともスパーやった。そこでも一発も食らわへん。終いにはそいつが怒りだして『もう一回勝負しろ』ってしつこいから、和毅とやらせたらこれがめっちゃええ勝負しよる。『和毅、何してんねん?』ってその時は思ったけど、俺が強くなっとったんやな」
そう言って大毅は寂しそうに笑った。その後、網膜剥離を発症。"完成版・亀田大毅"はついに日の目を見ることはなかった。20代前半の喧嘩スタイルが選手生命を縮めていたであろうことは想像に難くない。
そして2015年、26歳で亀田大毅はひっそりと引退する。日本での引退試合はついに行なわれないままだった。
もう少し勉強しとったらよかったな...
「ボクシングはやめたけど、すぐ子供も生まれたし、いいことづくめよ。(明石家)さんまさんも言うとるやんけ、『生きてるだけでまるもうけ』て」
引退後のプランは全く立てていなかったという。1月にはAbemaTV『亀田大毅に勝ったら1000万円』に出演し、久々に公の場に姿を見せた。番組では全国から集まった5人のケンカ自慢相手に全勝4KO。比べるのも失礼だろうが、2年2ヵ月のブランクを経ても尚、元王者は次元が違った。
「(AbemaTVに向けて)練習? うん、2日にいっぺん散歩したよ」
人を食ったような言葉も真実なのだろうと納得できる。現在はジムのトレーナー業務をこなしつつ、時折、TV番組に出演するといった、本人曰く「特に何もしてへん」日々らしい。
「でも、そろそろ大きく動くよ。プラン立てへんいうても、それは昔の話。今は子供も奥さんもおるしな」
自身のブログには愛息と風呂に入る写真もアップされている。"浪速の弁慶"は案外、子煩悩なようだ――と感想を述べると「俺、ブログやってたかな?」ととぼける。やはり、とらえたと思えばするりとかわされる、軽やかなフットワークは現役時代と変わらない。
「息子には毎晩、絵本読んでるわ。えっ、意外って? 俺も父親なんやから当たり前やん」
そうすごんでみせた後、「振り返ったら、もう少し勉強しとったらよかったなって思う時、あるもん。『本好きな子は賢くなる』ていうやろ。俺なんて競馬でカタカナ覚えたからね」とおどけた大毅。彼の視線がiPhoneに向いた。
「もうすぐ走んねん。中継聞いてもええですか?」
心底、嬉しそうに破顔した大毅
インタビューカット撮影のため立ち上がった大毅が中継アプリを立ち上げ、実況中継が流れ出す。ちょうどレースが終わったところだった。
「ああ、あかんやったか...ん、次どこで撮る? 窓んとこな、オッケーオッケー」
ひいきの馬が負けたらしい。インタビュー当日は土曜日だった。全国の競馬場で馬が駆けている。間もなく次のレースが始まる。
「これな、この馬。次見とって、絶対勝つから」
カメラの前の亀田はレンズをにらみ、言い聞かせるように口にした。
「絶対、勝つからな」
撮影が終盤に差し掛かった頃、iPhoneからファンファーレが聞こえた。亀田が指名した馬があっさりと逃げ切った。圧勝だった。
「ほらな! 勝ったやろ」
心底、嬉しそうに破顔した大毅は「取材おつかれさまっした。ありがとうございました。」と深々と頭を下げた。チャンピオンは最後には必ず勝つ。再び競馬新聞を広げた亀田大毅の視線は早くも次のレースへと移っていた。
●亀田大毅(かめだ・だいき) 1989年1月6日生まれ、大阪府出身。2010年にボクシングWBA世界フライ級王者、13年、IBF世界スーパーフライ級タイトルマッチを制し二階級制覇を達成。兄の興毅、弟の和毅とともに史上初の3兄弟世界王者、3兄弟同時世界王者に輝く。15年、左目網膜剥離のため26歳で引退。