LOVEをテーマにした書籍の専門店「歌舞伎町ブックセンター」をオープンし仕掛ける元カリスマホスト・手塚マキさん LOVEをテーマにした書籍の専門店「歌舞伎町ブックセンター」をオープンし仕掛ける元カリスマホスト・手塚マキさん

あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ"友達の輪"を!とスタートした『語っていいとも!』

第60回のゲストで女優の鈴木杏さんからご紹介いただいたのは元カリスマホストでSmappa!Group会長の手塚マキさん。

大学時代から歌舞伎町に飛び込み、ナンバーワンホストを極めると、ホストクラブやBAR、飲食店を運営するSmappa!Group会長に。現在は歌舞伎町振興組合常務理事も務める。

ボランティア団体「夜鳥の界」を立ち上げ、定期的に深夜の街頭清掃活動を行なうなどホストのイメージ向上と社会的貢献を目指すなど異色の話題作りでも注目され、昨年10月には"LOVE"をテーマにした書籍の専門店をオープン。この日はその「歌舞伎町ブックセンター」に伺ったーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)

手塚 週プレ酒場はたまに行きますね。

ーほんとですか。行っていただいているとは嬉しいです。

手塚 逆に、先週もここで昔の週プレの島地(勝彦)さんにトークイベントをやってもらったりして。

ー元・名物編集長で今はコラムニストとしても活躍されてますね。それはもう、すごいコラボさせていただいている感じで(笑)。

手塚 週プレ酒場のツイッターでも担当者がつぶやいて宣伝してくれてました(笑)。

ー同じ歌舞伎町で盛り上げつつ(笑)。今回は、鈴木杏ちゃんからのご紹介ということで。意外といえば意外な?

手塚 なんで僕になったんですかね。

ーいや、杏ちゃんもすごい交友が広い中で、芸能人とか役者のお友達よりはいろんな魅力的な人がいるんだよということで、逆に気を遣って挙げていただいたみたいで(笑)。

手塚 なるほど。ありがとうございます。なんか、恥ずかしいラインナップになっちゃいましたけど(笑)。

ーいえいえ。すごく個人的にも興味を持たせていただいたというか...。ちなみに、僕も30年近く歌舞伎町は徘徊してるので(笑)。ほんとこちらはど真ん中ですよね...。

手塚 どこに遊びに行ってるんですか?

ーいやいや...まぁ目の前のビルもですし、ここら辺としか言えませんが(笑)。

手塚 でもこの書店には寄ったことはなかった?

ーここなんだなぁと、前を通り過ぎてはいましたが(笑)。

手塚 ははは、入ってくださいよ(笑)。

ーなんかちょっとね、オープンすぎて(笑)。

手塚 そうですね。歌舞伎町の封鎖感はないですよね(笑)。

ーそういうあれこれもあって、本当にご縁というか流れみたいな...アンテナがピピピじゃないですけど(笑)。まさに今回も気になっていた方との巡り合わせで。

手塚 嬉しいです。いやでも...杏ちゃんも俺でいいのかな(笑)。元々はうちの奥さんが友達で、今引っ越しちゃったんですけど、そこのバーで結構集まって。すごい仲良いコたちがそこでよく会ってたんですよ。

ー奥様はアーティスト集団として知られるchim↑pomのメンバー、エリイーさんということで。ほんとご夫妻ともにかなり幅広い人脈をお持ちな...。

手塚 そんなこと全然ないと思いますよ(笑)。有名人じゃなくて面白い人とかだったらいっぱいいるなと思いつつ...。

ー活動が多岐なジャンルなのもあるでしょうしね。ちょっと前も朝日新聞にインタビューで出てらしたのを読ませていただきましたが。

手塚 ホストが朝日新聞にね(笑)。でも確かに女性差別やジェンダーの話とかでインタビューも多いかもしれないです。

ー男女格差とかハラスメントの連載企画でしたね。だから、改めてそういうのを含めて女性の愛し方的なトークもありますし、取材慣れはされてるんじゃないかと。

手塚 なんか、ここができてからは特に多いですね。もう100回くらい受けたんじゃないですか。ま、取り上げられるだろうなとは思いますけど...違ったのが、僕自身を扱いやすくなったんだなっていうのを感じましたね。

今まではちょっと変わったこととか、去年は歌舞伎町振興組合のビルの一階をサテライトスタジオとして借り、街ゆく歌舞伎町の人たちを出演させる放送局をを間借りしてやったり、そのビルでchim↑pomと一緒に展覧会をやったり、その前だとホストが街のゴミ拾いしたり、そういうのではあったんですけど。

ーそれらも踏まえて、戦略的といえば戦略的だったんですよね。

手塚 うーん。なんていうか、10年くらい前に自己啓発本みたいなのも出して...ホストの延長線上にあって、ちょっと社会派みたいな見方からのスパイスが僕に乗っかったことによって、媒体が扱いやすくなったのかなとはすごく感じましたね。

ホストだけど、そういうサブカル路線的な人間っていうので、なんかね。そこで今回も本っていう要素がすごく面白いなと。

ーもちろんギャップもでしょうし、偏見を逆手に取って?

手塚 でも本の力ってすごいなって思いました。なんか、いきなりまともな人に見えるのかなって、それが一番面白かったですね(笑)。

ーでもご自身の結婚式なんかも歌舞伎町でイベントパフォーマンス的にやられて話題になりましたけど。それを面白いって言ってもらう一方で、イロモノ的に見られたり。清掃活動でも、ホストが綺麗事でやってんじゃないかとか、偏見や曲解して取られるのはありますよね。それが今回のブックセンターで色目が変わったみたいな?

手塚 ほんとそうです。仰る通りかもしれない。それがやっぱり本のパワーなのかなって気がしたんですよね。

ーこれを一緒に仕掛けられた御三方の対談も読ませていただいて。その中で、他の場所だったら違ってたと。麻布ではダメで、歌舞伎町だから成立したという話も戦略的だなと。

手塚 あとタイミングもよかったんじゃないですかね。歌舞伎町がまた今、流行ってるじゃないですか。ゴールデン街もそうだし、海外の映画とかが結構、新宿で撮影したり舞台になったりが多いのもあるかなと。そういうブランドとしてね。

ーかつての怪しい場所だったゴールデン街に若いコたちが入ってきて、外国人観光客のツアーコースとしての流れもあったり...確かにサブカル的な場所として復活しつつある。

手塚 たぶん、それで僕らが思っているより若いコたちの偏見が昔より減ってる気がするんですよ。大学生とか20代前半くらいのコが怖くてダサい街と思ってない...だからタイミングもよかったなという。

ーまぁ20年くらい前は在留中国人マフィアが青龍刀振り回して殺傷沙汰とか...ヤクザとのトラブルも街角で頻発してね...。

手塚 それがイメージで残ってるっちゃ残ってますけど。今は全然ないですね。めっちゃ安全ですよ。この前にいれば、もうパトカーめっちゃ通りますし、なんかあってもすぐ防犯カメラがそこら中にあるんで。警察呼べば3分で来ますから。道で寝てても全然平気(笑)。

ー僕は数年前、そこらへんの階段で寝てて中国人にカバン全部持っていかれてヤラれましたけど(笑)。朝の6時にあちこちのカード会社からガンガン電話がかかってきて...。

手塚 それ、大丈夫だったんですか? まぁそうですね...盗みは未だにありますよね。

ーその危なさは自己責任も含めてですけど。清濁併せ呑む部分もあってね。濁の一面もないのが寂しいみたいな人もいるだろうし。石原(慎太郎)都政の時に「歌舞伎町浄化」みたいなのをやられて、妙な健全さに反感もありましたが。

手塚 そっちのほうが古い人には多いかもしれないですね。僕は今の感じもいいですけど、年をとったっていうのはあるかもしれないなと。20代の頃はちょっと反発というか、ダサい街だっていう認識があったから。自分自身は働いているだけみたいな気持ちで、住むのも遊ぶのも港区みたいに生きてたんです。

今でもそうですけど、例えばファッションもだし、集まる人が基本的に歌舞伎町って地方出身の田舎者ばっかりなんですよ。先端を追うんじゃなく、すごく大衆カルチャーなので...その瞬間を楽しむ分にはいいけど、自分の感度として刺激的かっていうと、当時はそういう風にあんまり思えなくて...。

それがだんだん僕自身、その東京で感じるハイカルチャーというか、前衛的なところに面白みをもうあんまり感じなくなって...まぁ大人になった部分もあると思うし。

ー実際、今はどこ行っても新しいものがそんなあるわけじゃない。六本木も違うし、当時の熱気のように動いている感じはないですからね。

手塚 そう考えると、別にどっかの街に魅力を感じるわけでもないし、歌舞伎町でいる自分を30歳くらいから受け入れ始めて...結構、面白い街だなって。今が僕40なので...この5年くらいですかね、この辺ですごい遊ぶようになったのは。

ー元々はすごい真面目というか、勉強もしっかりやられて、埼玉の川越高校ですから進学校ですよね。で、そこから中央大に行かれて。その前に医者を志していたのが、医大に落ちられたということで。それは挫折なんですか?

手塚 その前にたぶん、受験勉強に挫折したんですよ。川越はみんな一浪するんで、僕もみんなと同じように一浪したんですけど、その時にはもう社会のほうにすごく興味があって、早く働きたかったんです。社会の一員じゃないことがイヤで...予備校に通ってる自分もそうだし、親からお小遣いもらってるとか、アルバイトしてても実家に住んでたし...。

一応、医者になるって目標があるから我慢して大学には行かなきゃって思ったんだけど、なんで今、こんな受験勉強しなきゃいけないんだっていう矛盾に勝てなかったし、それで大学入って、社会に出るのが遅れるっていうのも当時は考えられなくて。でもまぁ流れで大学に行きながら、働こうかなって...。

パソコン系の学部だったんですけど、それも耐えられなくなって、じゃあ仕事ひと筋にしようかなって感じです。だから挫折っていうより、早く社会に出たかった。一人前になりたかったんじゃないですかね。

ー疑問を持つのが早かったんですね。

手塚 でも、中学校の時もそうなんですよ。高校に行く理由があんまりわからなくて、田舎だから、みんな専門に行ったり、自動車学部とか、家が××屋さんだから継ぐとか。で、普通科に行く理由がよく理解できなくて。自分の納得感を得るために医者になろうって目標設定をしただけなんです。

だから、高校の時もそんなに考えてなかったですね。すごいリベラルな高校で、先生も授業なんか出ないでもいいみたいな...。

ーそういうのもあって、自分の中で夢中になれるものとしてラグビーをされていたとか?

手塚 運動はずっと好きだったので、最初は中学で全国大会によく出てる部活があるのを見て、指導者が大事だってことがその時にわかって。高校では一番強い部活に入ろうって決めてたんですよ。その当時の川越ではそれがラグビー部だったので、自分がどうとかは関係なかったですね。

ーでも選び方もはっきりしてますね、ピンポイントで一番強いところに行こうと。

手塚 なんであんな運動神経悪いやつらが全国大会出てるんだって。やっぱり、スポーツは指導だなって思いましたね(笑)。

ーでは大学に入ってからも、早く社会に出たいと思いながら...でも中央だってエリートコースじゃないですか。僕も仙台一高っていう地方の伝統校から一浪で早稲田に入りましたが、とりあえず大学卒業しなきゃ始まらないというか。早く社会に出て、こんな無駄な時間を送りたくないという気持ちはあっても、モラトリアムを経てグダグダするわけで(笑)。

手塚 いや、今考えるとそれも羨ましいですよ。だから僕はそれを大人になってやってる気がします。今、どっちかって言ったら暇なので...。皆さんが大学時代にやってたことを俺はできなかったから、みたいな言い訳でね(笑)。

ー(笑)でも早く社会を見たいって言っても、いきなりホストいきますか?

手塚 なんか、極端なことしたかったんですよ。埼玉の田舎で真面目に勉強してきて、たぶん都会に対する憧れもあったので...。その当時、ヒップホップが流行ってて、ダンサーだったりDJだったりと友達だったんですけど、自分は音楽にあんまり興奮を覚えるタイプじゃなかったんで。

別に、クラブの店員とかもいいなと思ったんですけど。キレイ目ファッションが流行ってて、スーツをこう着るような...そこからホスト業界入ったのが強いんですよね。女のコでどうこうとかモテる仕事だっていうのもあんまりなくて、とにかくそのアングラの世界を見たいっていう。

ー好奇心があった? ホストに対する危ないイメージに惹かれるとか。

手塚 好奇心ですね、本当に。不良に対する憧れがあったかもしれない。その世界を覗いてみたいというか...。

だから、いつも僕、異端児ですよ。その頃のホスト業界には高校卒業したやつもほとんどいないわけで、不良の全国大会みたいな感じだから面白かったですよ。同じ日に面接来たコがその日のうちにボッコボコにされてたりして、すごい世界だなと思いながらも...こいつは殴られてしょうがないなって見てたりしたんですよね。

ー今だといろいろ問題になってシャレにならないですけど(笑)。ガチで体育会的な暴力もね。

手塚 だから、あんまり違和感はなかったですね。理不尽な先輩もいたし、暴力とかもあったけど、今それを否定も肯定もできないというか。過ぎてしまった過去で、よかったとも悪かったとも...。それを時代のせいにもしたくないし、自分自身のモラルの弱さだったとも言いたくはない。ただそういう時代だったし、そういうふうに生きてたとしか言いようがないんですよね。

ーもちろん時代もそうですけど、その時に生きた自分のそれも大人の階段みたいな?

手塚 最初は仕事しながら大学にも両方行ってたけど、1ヵ月ぐらいで断然こっちの先輩のほうがカッコよくて。ビジュアルもそうだし、なんていうか...ちゃんと自分で生きてるじゃないですか。大学の先輩のサークルとかも覗きに行ったけど、みんな子供に見えちゃって。魅力が全くなくなっちゃってましたね。

ー以前のインタビューでも仰ってましたが、それで片手間でできる仕事でもないと。

手塚 それはありました。まぁ今思えば、試験に出てくる微分積分の考え方でも生きてく上で活かせると思うし、逆に勉強したいなって思うんですけど。当時はもっと即効性あって社会に通用することを学びたい気持ちが強かったっていうか。

その微分積分のテストの時、この教室の外に出て、社会に放り出された時に生きてく処世術としてなんの意味があるんだろうって30分くらい考えて、白紙のまんま出して。それ以来、学校には行かなかったです。結構、それ覚えてますね。

ーなんか尾崎豊の歌詞みたいな(笑)。ちなみに、親にはいつ報告したんですか?

手塚 そこからは家出して...報告してないですね。

ーいきなり極端に家出まで! 親からすれば、だいぶショックだったのでは? 

手塚 だと思いますけど。自分自身の中ではすごい決意を持って、友達とも連絡とらなくなりましたし。それまでの人生を基本的には全部切り捨てて、大学分の4年間くらい頑張ろうと思って。4年間をのらりくらり遊ぶよりかは絶対成長するって決めたので、自分では納得してたし理解できるんですけど。

それを誰かに説明できる言葉を持ってなかったのと、そんな時間も無駄だと。だから一切、説明もせず...可哀想でしたね。留守電とか入ってて、でも行かないみたいなのをずっとやってて。2年後くらいに母親が退学届を出しに行ったんですよ。その時にみんなが楽しそうに学生生活を送っているのを見て「なぜ、あのコはここにいないんだ」ってすごい悲しくなったとは言ってましたね。

ーちなみにその当時、ホストに入る前からモテてたんですか?

手塚 たぶん、高校の時とかモテてたとは思いますよ。いい高校でスポーツもやってて、ちょっとやんちゃで。でも最近、自分で結構イケメンだと思ってたら、普通だって妻に言われて。衝撃的だったんですけど(笑)。

ー(笑)ではホストの世界に入るのに、自分が田舎者だという引け目や劣等感みたいなものもなかった? 俺がここで通用すんのか?っていう。

手塚 なかったですね。なんか、ラグビーやってたのと同じ気持ちで、結局、高校3年間やって、県のベスト8、準々決勝まで...花園に行ってないわけですよ。もちろん、その後悔はすごいあるんですけど、始めた時の気持ちは絶対、花園で優勝してやるぞってモチベーションで。

ーただ、トップ目指してやるだけ?

手塚 まぁもうちょっと子供っていうか。『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』ってあったじゃないですか。あんな考えでもやってなかったし、当時は自分たちがどんなラグビーをするかということが重要で、相手の分析とか戦術もなくて(笑)。3年間練習してきたラグビーをぶつけるみたいな感じだったので。

そのホストの仕事入る時も、厳しい競争する環境に飛び込む面白さが強くて、金持ちに絶対なってやるぞとか、ナンバーワンになってお店出すぞとか全然考えてなかったんです。

ーそういうのはやっていく中での後付けだったんですかね。仰ったように、周りは不良も多くて、自分はインテリ派の異端じゃないですか。その違いも個性としてメリットになったんですか? 

手塚 だから普通なんで、逆に異端児になるんですよ。スーツとかも当時はモード系の着てるやつもいなかったりしてファッションも違うし。インテリって言葉もないくらい、あいつ変わってるね、みたいな感じかもしれない。両親がいるだけで普通じゃないやつみたいな扱いですね(笑)

ーなんでこんなやつがホスト入ってきたんだって(笑)。それが浮いてて目立った?

手塚 あったと思いますよ。でも、たぶん他のホストと違ったのは、ちゃんとやってましたね。その勢いで入ったところから、3、4年くらい経ってから変わっていったので。それまでは周りと一緒に遊んで、暴走族みたいな一員になってやんちゃしてたのが...。

●この続きは次週、7月8日(日)12時に配信予定!

■手塚マキ(てづか・まき)
1977年9月20日、埼玉県生まれ。ホストクラブ経営者、JSA認定ソムリエ。97年から歌舞伎町で働き始め、ナンバーワンホストを経て、現在はホストクラブ、BAR、飲食店、美容、歌舞伎町初の書店など十数軒を運営するSmappa!Group会長を務める。また、歌舞伎町振興組合常務理事として街作りにも携わる。著書に『自分をあきらめるにはまだ早い 人生で大切なことはすべて歌舞伎町で学んだ』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)。

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