今年で永眠から20年を迎え、残された作品や人物像に改めて注目が集まっているhide。
X JAPANのギタリストとして、そしてソロアーティストとしても圧倒的なカリスマ性を発揮し、まさにロックスターの名がふさわしい活躍を見せていた彼の素顔とは、一体どんなものだったのだろうか?
4月に週プレNEWSで配信した記事では、彼のステージを支えたダンサーとギターテクニシャンに舞台裏秘話を聞いたが、今回は音楽ライターとしてデビュー前からhideを知り、5月に発売された語録集『hide word FILE』でも監修を務めた大島暁美(おおしま・あけみ)氏にインタビュー。
ステージのhideからは想像もつかない、弱気で心配性だったという意外な一面を教えてくれた。
* * *
―hideさんと知り合ったのは、いつ頃だったんですか?
大島 Xがメジャーデビューする前、88年だったと思うんですけど、実ははっきり覚えてなくて。当時Xは目黒の鹿鳴館というライブハウスをホームグラウンドにしていて、hideさんは自分のライブがない日でも、暇さえあれば鹿鳴館に来ていたんです。それで店長さんに紹介してもらったのが最初だったと思います。
その頃は知り合いのバンドのライブがあると、みんなで終演後に飲みに行ってたので、そこで話すようになって。
―一緒に飲んでいるうちに仲良くなっていた?
大島 そうですね。それから雑誌で取材もするようになりました。89年にXが「BLUE BLOOD」というアルバムでメジャーデビューして、ツアーもスタートしたのですが、そのとき「Xに関してわかるライターがいない」と言われて、いろんな雑誌からレポートを頼まれて。
ライブレポートは1誌しかやらない主義だったんですけど、Xは大好きで応援したいと思っていたので、断れずにお受けしていたら、結果的に5~6誌に記事を書き分けることに......。
―2本に書き分けるだけでも大変なのに、5~6本はヤバいですね!
大島 なんとかレポートは書いたんですけど、hideさんは気づいていたんですよ。「どの雑誌を見ても大島さんだった」と言ってくれて。たぶん、そのくらいから気を許してくれたのかな。電話番号を教えてくれて、飲みに行くようになったんです。
それで、89~90年にかけて「ROSE&BLOOD」というツアーがあったんですけど、2週間くらい密着して写真集を作ったんです。後から聞いた話なんですけど、hideさんがライターは大島さんがいいと言ってくれたらしくて。理由は「毎晩、一緒に飲んでくれるから」って(笑)。
―うれしいような悲しいような(笑)
大島 当時は若くて元気だったので、二日酔いでも喜んで飲みに行ってたんです。hideさんもツアー中は、ホテルに着いたら「じゃあ、6時にロビー集合ね!」とか、もう飲みに行く前提でしたね。
―hideさんは酒席での武勇伝も多かったそうですが、そういう現場もたくさん見られたんじゃないですか?
大島 かなり見ていると思います(笑)
―関係者は怪獣にたとえて、ゴジラならぬ"ヒデラ"に変身すると言っていたとか。
大島 そうですね。でも私、本当に酷いヒデラは見てない気がするんですよ。当時の飲み仲間からは「お前も酔っ払ってたから忘れてるだけだろ」と言われましたけど(笑)。ただ、自動販売機を殴ったり、交差点の真ん中でコロコロ転がったり、そういう現場は何度も見ましたね。
―素顔のhideさんは、どんな人だったんですか?
大島 hideでいるときと、松本くん(本名:松本秀人)でいるときは、ちょっと感じが違ってて。hideのときは声も大きくて滑舌もいいんですけど、プライベートではボソボソしゃべる感じだったというか。取材でもテープがまわっているときは、自信にあふれているような感じだったのに、一緒に飲んでいるときは「俺なんか死んじゃえばいいんだ」とか、「どうせ才能ないんだし......」とか、けっこう弱気なことも言ってて。
―確かに「hide word FILE」を読むと、ロックスター然とした発言も多い一方で、弱さが垣間見られる言葉も多いなと思いました。意外と普通の人と変わらないというか、むしろ普通の人よりも打たれ弱い人だったのかなって。
大島 そうですね。ソロデビューするときも、当時のXは東京ドーム3日間とかやっていたので、すごいプレッシャーを感じていたようです。まわりの人たちも「大ヒットさせなきゃ!」ということで、タイアップをつけようと楽曲に対していろんな意見を言ってて。
hideさんはそれに従いつつ、自分のポリシーを曲げないギリギリのところを見つけて作っていたんですけど、結局そのタイアップはダメになっちゃったんです。そのときはすごく落ち込んで、たぶんヒデラになっていたと思うし、2週間くらい"鎖国(さこく)"してましたね。
―鎖国というのは?
大島 誰とも連絡を取らずに引きこもっていたんです。たぶん、曲作りをしていたのかなとも思うんですけど「鎖国していたんだよ」と言われたことは何度かありましたね。そういう辛いときは、ヒデラになっちゃったり、八つ当たりしちゃったり、まわりに迷惑をかけることが分かっていたから、人に会わないようにしていたのかなと思うんです。
―でも、そういう弱さがあったからこそ、多くの人に響く言葉が生まれていたんでしょうね。
大島 「hide word FILE」の語録では、弱いところを出している言葉も選んだんです。やっぱり完璧な人に見えてしまうと、違う世界の人だと感じてしまうし、もう亡くなってから20年も経っているので、なかなか親近感を持つのは難しい。
でも、実際のhideさんは、等身大の人だったんですよ。ものすごいカリスマの部分を持ってはいるんだけど、もしかしたらクラスに1人はいるような身近さも持っていた人だったので。
―逆に言えば、クラスで目立たないような人でも、hideさんみたいになれる可能性があるということですよね。hideさんに"なれる"か"なれない"かの違いは、なんだと思いますか?
大島 自己管理というか、やると決めたことは絶対に成し遂げる。それは昔から思っていたみたいで。小さい頃のhideさんは太っていたんですよ。当時の写真を見ても、まるまるしていて。でも、理想とするロックスターは、絶対に太っていてはいけない。だから、バンドを組んでライブをやると決めたとき、2カ月くらいで猛烈にダイエットしたんです。本当はあまりよくないけど、物を食べなかったりして。
まだちょっと太っていた頃に、バンドのメンバーと衣装を買いに行ったそうです。他のメンバーは試着して見せに来るけど、hideさんは履きたいと思った紐付きのスパッツがパンパンで、本人いわく「ボンレスハムみたいだった」って。
メンバーには見せられなかったけど、それを買って部屋に飾り、絶対にカッコよく着るんだって決めて、ライブまでにしっかり痩せたんです。そのやると決めたときの意志の強さは、なかなか普通の人にはないものを持っていたのかなって。
―表で強気な発言をしていたのも、自分に言い聞かせていた部分があったんでしょうね。
大島 そうだと思います。すごい心配性だったし、自分に自信もないし、自分で自分を鼓舞していたのかなって。hideさんは自分の声が嫌いで、留守電に声を残さなかったくらいだったんです。
ソロデビューするときも、最初は自分が歌うなんて考えられないみたいな感じで。だから別の人に歌ってもらうことも考えたみたいなんですけど、自分がファンだったら、好きなアーティストが初めてソロの曲を出したとき、知らない人が歌ってたら絶対イヤだと思うに決まってると。それで自分で歌うことを決意したんです。だからソロデビューのときは、うまく歌うということ以前に、自分の声に慣れることから始まったと言ってました。
―自分の好き嫌いよりも、ファンの気持ちを優先させて、自分のコンプレックスを乗り越えた。
大島 もともと自分がロックファンだったから、ファンの気持ちがよくわかるし、本当にファンのことを大切にしていましたね。hideさんは中学生の頃、KISSのファンクラブに入ったんですけど、お金を振り込んだ次の日から、毎日、家の前で会報が届くのを待っていたらしいんです。
―翌日に届くわけないのに(笑)
大島 それが楽しくてしょうがなかったみたいで。そのうち郵便屋さんが来る時間を把握して、それに合わせて学校から帰るようになり、届いてないのを確認してから遊びに行くみたいな。
―その気持ちが原点にあったんでしょうね。hideさんの生き方からは、どんなことが学べると思いますか?
大島 すごくポジティブな人だったと思うんです。自分がやりたいと思ったことは必ず実現するし、そのための方法を自分で探して、見つけて、切り開いていった。小さい頃は内向的で、コンプレックスもたくさんあったみたいなんですけど、それを跳ねのける術を痩せたときくらいに身に着けたんじゃないかなと思うんです。
声がコンプレックスというのも、声量や音程は練習すれば直るけど、声質そのものは変えられないから、普通は諦めちゃうと思うんです。でも、自分が歌わなきゃいけないんだと克服したのは、こうと思ったら絶対にやりとげるパワーとポジティブさがあったからだと思います。
―いま前向きになれない人でも、何かひとつ乗り越えたら、hideさんみたいになれるかもしれない。
大島 そうですね。だから「hide word FILE」を通して、がんばって自分を変えて、夢を実現した人がいるんだよっていうことが伝わったらいいなと思います。
―最近でも『チームしゃちほこ』の咲良菜緒(さくら・なお)さんがファンであることを公言していたり、若い世代のファンが増えているそうですが、hideという存在の受け止められ方が、昔と変わってきたと感じるところはありますか?
大島 昔から男の子のファンは多かったんですけど、私のまわりにも最近ファンになったという若い男の子が増えていて。知り合いの息子さん、通っているジムのトレーナーの息子さん、飲み屋のバイトの弟さん、hideさんを好きになってギターを始めた子が3人もいて、みんな中学2年生なんですよ。
―それは親の影響でファンになったんですか?
大島 知り合いの息子さんだけは親の影響だったみたいですけど、他の2人は全然関係ないらしくて。きっかけまでは聞いてないんですけど、いまはYouTubeや動画がたくさんあるし、きっとネットで知ったんでしょうね。イエローハート(hideが愛用したギターのなかでも人気のモデル)を買うくらいハマったみたいです。
―「hide word FILE」のなかで、大島さんがいちばん気に入ってる言葉は?
大島 最後のページに入れた「ロックの神様、ありがとう」ですね。絶対にこの言葉でこの本を終わらせたかったんです。ライブ中で、顔が映っていて、しかも上を向いている写真がいいと思って、当時のカメラマンさんに電話して探してもらいました。
―この言葉を選んだ、その心は?
大島 よくライブの最後に言ってたんですけど、hideさんの人生を表している言葉だと思うんです。ロックの神様に愛されるためにがんばって、最終的に愛された。それに対してまた、hideさんが「ありがとう」って言ったのかなって。
(C)HEADWAX ORGANIZATION CO.,LTD./photo by HIDEO CANNO(CAPS)
●hide
1964年12月13日生まれ 神奈川県横須賀市出身。X JAPANのギタリスト"HIDE"として、またソロアーティスト"hide"(hide/hide with Spread Beaver/zilch)として多大なる影響を与え続けている。1998年に永眠してから20年という節目を迎える今年、その残した「サウンド」と「メッセージ」を後世に伝えるべく様々なメモリアルプロジェクトを展開中。詳細はオフィシャルサイト「hide‐city」にて
■『hide word FILE』(セブン&アイ出版 880円+税)