2017年に誕生から100周年を迎えた日本のアニメ――。日本が世界に誇る一大コンテンツのメモリアルイヤーを記念して、週プレNEWSでは旬のアニメ業界人たちへのインタビューを通して、その未来を探るシリーズ『101年目への扉』をお届けしてきた。

第10回に登場するのは、声優の福山潤さん。『巌窟王』『コードギアス 反逆のルルーシュ』『暗殺教室』『おそ松さん』など、数々のヒット作に出演してきた人気声優として知られている。

そんな福山さんは今年4月、同い年の声優・立花慎之介さんと共同CEOとして新事務所「BLACK SHIP」を立ち上げた。現役の声優が事務所を作ることは過去にもあったが、共同で事務所の代表を務めるというのは前例がない。なぜ福山さんは、異例の体制で新事務所を立ち上げることにしたのか?

■40歳を目前に後進の育成を考え始めた

――なぜ、立花さんと共にBLACK SHIPを立ち上げることになったのでしょうか?

福山 昔から独立心が強かったわけではないんです。僕が業界に入った頃は声優の仕事といえば、アニメのアテレコとナレーションと吹き替えの3本柱が主な活動の場でした。だから僕も、いちプレーヤーとしてそれをまっとうすることに集中してきました。しかし30歳を過ぎた頃から、仕事の範囲がタレントさんのようなものまで広がるようになり、個人としていろいろやりたいことが出てくるようになって。

前に僕と立花が所属していた「アクセルワン」でも、スタッフの方々に良くしていただき、いろんなサポートをしてもらいました。でも、人気声優をたくさん抱える事務所でもあったので、僕だけのために動いてもらうわけにもいかない。それで40歳という節目が見えてきた37歳くらいのときから、いよいよ自分で行動を起こしたいという気持ちが芽生えてきて、社長の森川さんに相談したんです。

――アクセルワンの創業者であり、自身も声優である森川智之さんですね。

福山 まだ何も決まってなかったのですが、「いつか独立しようと思っています」とお話させていただいて。森川さんからは、「自分も声優として事務所を作ったし、独立心を持つことは良いことだから、いつでも応援する」と温かい言葉をもらいました。そこから、具体的に独立について考え始めたんです。

――その時点では、まだ立花さんと話し合っていたわけではない?

福山 立花と独立について話すようになったのは、その後ですね。以前から「DABA」というプロジェクト(1978年生まれ――午年にちなみ命名――の声優たちで結成したユニット)で一緒に活動していたんですが、お互いに独立の意志があると知ったのは2年ほど前のことで。自分が「まだ具体的なことは決まってないけど、いつか勝負しようと思っている」と伝えると、彼が今の会社の構想を話してくれました。

正直、自分がやりたいことをやるだけであれば、会社にする必要はないんです。でも僕自身、プレーヤーとしての成長を求めるだけじゃなく、後進の育成について考え始めた時期でもありました。以前の僕は他人のパフォーマンスには口を出さず、自分のやりたいことを追求すればいいって思いが強かったんですね。

でも、2015年に殺せんせー役で『暗殺教室』に出演したときから、そうした考えが間違っていたのかもしれないと思い始めて。あのとき生徒役を演じた若手の声優たちが現場ですごく頑張ってくれて、僕にとっても助けになったんですね。僕の後輩で現場に入っていた子が、レギュラーが初めてくらいの新人の子にアドバイスしていたりするのを見て、「自分だったら、どういう言葉をかけてあげられるだろう?」って考えるようになりました。

これまでずっと現場では下の世代のつもりでしたけど、気が付けば40歳も目前になり、後輩が大多数の年齢になったんですよね。それなのに自分は若い子たちと仕事について一歩踏み込んだコミュニケーションをとってきたかというと、その経験値がすごく不足している実感があって。これからは僕なりに若い子たちにプラスになるようなこともやっていきたいと思ったのが、立花との会社というかたちを選んだきっかけではありますね。

■歌手活動なんて考えられなかった

――福山さんと立花さんのおふたりだからこそできる後進のサポートにはどのようなことがあるのでしょうか?

福山 まだ実際に着手しているわけではないので、あくまで可能ならばという前提ではありますが、僕らは業界が急速に変化するときに立ち会ってきた世代だということが大きいです。僕らが業界に入ったばかりの頃は、タレント的な活動を求められることは少なかったんですよ。しかし10年くらい前から、それまで思ってもみないオファーが来るようになって。

僕らが若い頃は仕事の8割以上は声だけを使う仕事でした。しかし、素の自分が求められるような仕事が徐々に増えてきて、業界に入った頃は考えられなかったような仕事もやるようになりました。それこそ歌手活動なんて、自分の歌が売り物になるなんて考えてもいませんでした。

――昔の雑誌アンケートで、「嫌いなこと」に「カラオケ」を挙げてましたね。

福山 自分が音程をとれてないのがわかるし、周りが盛り下がっているのもわかるから、本当に苦手で(笑)。キャラクターソングはキャラクターとして一生懸命にやらせていただいていたんですが、本職の歌手の方に比べたら足元にも及ばない。それなのに売り出されるCDの値段は一緒じゃないですか。そこに申し訳なさを感じていて。

――それで「30歳になるまで歌は出さない」と言っていたんですか。

福山 それは歌だけじゃなく、個人名義の活動全体ですね。声優としての本来のフィールドをしっかりやったあとでないと個人の活動をする余裕はないから、30歳まではそこに集中させてくださいと当時の事務所とは話していて。だから、ブログの開設も30歳になってからでした。

――実際、"福山潤"名義でのCDデビューは31歳でした(アルバム『浪漫的世界31』)。「歌は苦手」と自分で語るほどだったのに、30歳になって歌手活動に踏み切ったのは?

福山 僕はデビューが18歳ですから、30歳で12年のキャリアがありました。それぐらいになると、もう周囲からアドバイスをされなくなるんですよ。できなければ、そこまでの人間なんだと判断されるだけ。自分を成長させるための手段は、自分で探すしかないんです。そう気が付いたときに、それまで個人活動に抱いていたこだわりを一回捨ててみようと思いました。

ちょうどそのとき、『腐女子彼女』というオタク趣味の女の子とのラブストーリーを描いた作品が実写映画化されるから、僕と日野聡という同い年の声優に本人役で出演してくれないかというオファーが来ました。それまでだったら断っていたんですが、自分が体験したことのない実写の撮影現場を見てみたいと思って、オファーを受けたんです。

そうしたら、主演の大東俊介くんの現場の気配りに衝撃を受けて。このときの彼はまだ若手だったと思うんですが、タイトな撮影時間の中で、自分よりも年下の人間が周りの出演者やスタッフにものすごく気を配っていたんですね。これにすごく学ぶことがありました。自分が避けてきた分野から、大きな刺激をもらったんです。

これは歌手活動もそうで。自分は歌が下手だから出したくないっていうのは簡単だけど、それでも僕のCDを出したいと言ってくれる方や買ってくださる方がいる。そういう思いをちゃんと受け止めたときに、自分はどう変わっていくのかってことを肌で感じたいと思ったんです。

実際、うまくいかないことは多々ありましたが、周囲の方々が支えてくれて、今まで自分が閉じていた範囲だけであればできなかったこともできるようになってきました。ちゃんと前を見て進もうと思えば、自分だって成長できるし、できないことを怖がるのはナンセンスだなって実感できたんです。

それからは言葉は悪いですが、僕の前向きな表現として(笑)「火傷週間」を設けるようになりました。意図的にやったことのないことをやって、火傷する期間を作っていたんです。宣言してましたからね。「俺は火傷してくる!」って(笑)。

■声優が売れるまでの期間はどんどん短くなっている

――『JUNON』などアイドル雑誌への登場が目立つようになるのも、この時期からですよね。

福山 最初は僕も、「どうかしてるな」って思ったんですよ(笑)。当時の僕は30歳を過ぎていたのに、ほかのページに載っているのは10代、20代の子たちじゃないですか。なので、状況が理解できないままに、「やったことのないことに挑戦する」って気持ちで出ていました。

――福山さんが個人としての活動を解禁し始めた時期がゼロ年代の後半で、ちょうど声優ブームの到来と重なっているんですよね。

福山 インターネットが当たり前の存在になり、ユーザーが声優を身近なものとして感じるようになった時期と、僕が『コードギアス』というヒット作に巡り合って、声優業界での知名度が上がってきた時期がうまい具合に重なったんですよね。これはもう運としか言いようがないです。

――まさに声優をめぐる状況が劇的に変化する時期に立ち会っていた。

福山 僕らはその急速な変化に戸惑いながらも、それぞれのやり方で向き合ってきたわけですが、今の若い子は最初から、そういったものがある前提で入ってくる。僕は最初の10年は声優としての実力をつけることに集中してきましたけど、今の若い子は最初から歌ったり踊ったり、あるいはニコ生やイベントであったり、自分のパーソナルな部分を表に出す機会のほうが多くなっているかもしれません。

これには良いこともあると思うんですよ。例えば、今の若い子たちに比べて、僕らは食べていけるようになるまでの期間が圧倒的に長かった。でも、僕らより10年上の先輩を見れば、僕らも売れるのが早かったと言われます。声優の仕事が多岐にわたるようになったことで、段々と売れるまでの期間が短くなってきているんです。実際、細々とではあるけど、バイトせずに食べていける若手は増えたと思います。

でも、声優としてどうあるべきかってことに悩む時間が減ったことで、モチベーションを保ちにくくなったり、どういう方向に進めばいいかわからなくなることもあると思います。僕らは変化の中間地でやってきたという自覚があるので、これまでの世代が大事にしてきたことと、これからの世代が向き合っていることの両方を見て、教えてあげられることがあるかもしれない。反対に、若い子たちから僕らが学ぶこともあると思うんですよ。僕らはそういう交流を若い子たちと一緒に進めていきたい。そのためには自分で場を作るしかないじゃないですか。

――それがBLACK SHIPというわけですね。

福山 好き放題やって文句を言うだけでは絶対にダメですからね。ちゃんと事務所というかたちで、責任を持ってやっていかないといけない。いつになるかはわからないですが、BLACK SHIPではそういうことを実現していきたいと思っています。

◆続編⇒数々のヒット作に出演してきた人気声優・福山潤が「声優を辞めようと思った」ほど燃え尽きた作品とは?

●福山潤(ふくやま・じゅん)
大阪府出身。1997年、『月刊ASUKA』のラジオCMナレーションでデビュー。アニメ『無敵王トライゼノン』で初主演を務める。2018年4月には声優の立花慎之介と新事務所「BLACK SHIP」を設立し、代表取締役CEO兼所属タレントに。代表作に『コードギアス 反逆のルルーシュ』のルルーシュ役、『暗殺教室』の殺せんせー役など