濃厚フェロモンをまとい、セクシー女王・遠野舞子が帰ってきた!

9月22日(土)発売の『週刊プレイボーイ』41号で、約10年ぶりにグラビア界に復帰した遠野舞子さん。アイドル歌手としてデビューし、30代はセクシーグラビアで一世を風靡したレジェンドだ。そんな彼女が、これまでの半生からグラビア再開の理由までを赤裸々に語った。

■アイドル時代、彼氏の大学でライブ

──約10年ぶりのグラビア、いかがでしたか?

遠野 ものすごく楽しかったです。撮影が始まってすぐ昔の感覚がよみがえってきて、違和感なく現場に入ることができました。ホント、自分でも10年ぶりとは思えなかったほどです(笑)。

──2010年にご結婚されて、お子さんもいらっしゃいます。なぜ再びグラビアをやろうと思ったのでしょう?

遠野 もともとグラビアが大好きだっていうのが大きいですね。また、子供が小学校に入って少し手を離れたこともあり、またグラビアをやれるチャンスがあるのなら挑戦してみたいなと。

──ブランクがあるとは思えないほど、完璧なスタイルでしたね。

遠野 普段からランニングや筋トレはしているのですが、撮影が決まった2ヵ月前からパーソナルトレーナーをつけて、イチからカラダづくりをしたんです。腹筋には自信があるので、ぜひそこも見てもらいたい! このインタビューを受けるときに思い出したんですけど、私のグラビアデビューって、実は週プレさんなんですよ!

──え、そうなんですか!?

遠野 当時、私はカメラマンの池谷朗さんの事務所に入っていて、作品撮りも兼ねてグラビアとかカレンダーを撮ってもらっていたんです。その流れで、週プレさんにも掲載していただけて。当時は10代でしたし、かなり初々しいグラビアでしたよ(笑)。

──アイドル歌手としても、1992年4月にシングル曲『Mr.サブマリン』でデビューしているんですよね。

遠野 レコード会社はけっこう力を入れてくれていて、作曲は馬飼野(まかいの)俊一さん、作詞はさいとう大三さんという、多くのヒット曲を持つおふたりに作ってもらいました。おかげで、その年、日本テレビ主催の音楽祭で新人賞をいただいたんですよ。

──ちなみに同期にはどんなアイドルがいたんですか?

遠野 安室奈美恵さんがいた「SUPER MONKEY'S」が一緒でした。当時のアイドルはプロモーションで日本中を行脚していたんですが、よく同じステージに立っていましたよ。安室さんのパフォーマンスは当時からズバ抜けて素晴らしくて、彼女たちの出番になると必ず客席まで見に行っていたなぁ。

ほかには、加藤紀子さんや、「KEY WEST CLUB」というアイドルユニットを組んでいた中谷美紀さんともしょっちゅう顔を合わせていましたね。 

──1993年には「フジテレビビジュアルクイーン」、翌年は「サントリービールキャンペーンガール」にも選ばれています。めちゃくちゃ忙しかったんじゃないですか?

遠野 CDが出るたびにキャンペーンで全国を回っていましたし、その合間に歌番組に出演したり、グラビアの撮影があったりして、それこそ朝から晩まで働きづめ。正直、体はボロボロでした。

ただ、うれしかったのは、NHK-BSで放送されていた『アイドルオンステージ』にレギュラー出演させていただいて、毎週NHKホールで歌わせてもらっていたこと。

一番の憧れだった本田美奈子さんとも共演させていただくことができたんですよ。覚えているのは一番端にあった私の楽屋まで、本田さんの発声練習の声が聞こえてきたこと。それまでそんな人は誰ひとりいなかったので、本田さんはやっぱりスゴいなぁって感動しましたね。

──恋愛について聞きたいのですが、アイドル時代はやっぱり禁止されていました?

遠野 表向きは(笑)。今だから言えますが、当時、高校のときに隣の席だった男の子と交際していたんです。カレが進学した大学の学園祭でライブをしたこともありますよ。もちろん、付き合っていることは内緒で。

──彼は心の中で優越感に浸っていたでしょうね(笑)。

遠野 ちょっと気恥ずかしかったですけどね。結局、4年くらいアイドルをやって、心身共に疲れ果ててしまい、その後は芸能界からいったん距離を置くことに。実家暮らしだったから、アルバイトをしたり、モデルの仕事をちょこちょこしたり。あらためて自分を見つめ直す時期でしたね。

■祖父はプロ野球界のレジェンドだった!

──そういえば、遠野さんのおじいさまって、野球殿堂入りした岩本義行さんなんですよね。プロ野球初の1試合4ホーマー、セ・リーグ第1号ホームラン、初代トリプルスリーなど、輝かしい成績を収めたレジェンドです。

遠野 当時のことはあまり知らないのですが、私がゴルフ雑誌で連載を持っているとき、長嶋茂雄さんにインタビューする機会があって。どんな方か教えてもらおうと祖父に相談したら、わざわざ福岡まで長嶋さんにメロンを持って会いに行ってくれたんです。「孫がお世話になるからよろしくな」って。

──豪快な話ですねぇ。そして遠野さんは、30歳くらいからグラビア活動を再開するんですよね?

遠野 そうなんです。写真を撮られたり、表現したりすることが好きだったので、またやってみようかなって。

──当時の写真集は、かなりセクシーです。

遠野 確かにかなり攻めていましたね(笑)。M女をテーマにした写真集や、娼婦に扮(ふん)したSっぽい写真集とか出していますから。

──実際の遠野さんはSとM、どっちですか?

遠野 どちらもいけます! って、何を言わせるんですか!!

──グラビア活動の第2章はいつまで続いたんですか?

遠野 結婚するまでですね。その後は専業主婦として、子育てに追われていました。今はだいぶ落ち着いたので、また芸能活動に本腰を入れたいなって思っています。

──今後の目標は?

遠野 グラビアを続けていきたいですし、休養前のようにいろいろなドラマや映画にも出演していきたいです。お芝居の幅もどんどん広げていけるように頑張ります!

──楽しみにしています!!

●遠野舞子(とおの・まいこ)
1973年10月6日生まれ 東京都出身
身長164㎝ B83 W59 H86
○1992年にシングル曲『Mr.サブマリン』で歌手デビュー。同年「日本テレビ新人音楽大賞」新人賞を受賞。1993年に「フジテレビビジュアルクイーン」アイドル部門グランプリ。女優としても活躍し、多数のドラマや映画にも出演。現在は芸能活動と並行して、まつ毛エクステサロンを経営。公式Twitter【@tohno_maiko】公式Instagram【@maikotohno】