TBSが誇る名物番組『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会が12月31日18時より放送予定!
そこに向けて、『週刊プレイボーイ』編集者が現在活躍中のSASUKE界の英雄たちを訪ね、共にトレーニングをするなかでそのパーソナリティを掘り下げていく、極めてマニアックなSASUKE応援コラム「SASUKE放浪記」が短期集中連載の形でスタート。シーズン1は全8回を予定しています。
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22年もの長きにわたって紡がれてきたSASUKEの歴史において、ただひとり、完全制覇を二度、成し遂げた男がいる。その男は、日々勝負の世界に身を置くアスリートでもないし、はたまたレスキュー隊員のような危険と隣り合わせの仕事をしているわけでもない。
紳士靴、婦人靴、子供靴の製造、販売企業。特に学校指定の通学靴ではトップシェアを誇る株式会社ハルタの社員。一介の「靴の営業マン」である漆原裕治その人こそ、22年の歴史で唯一、二度、頂点を極めた男である。"名もなき男たちのオリンピック"という番組コンセプトを、これほど体現したチャンピオンはほかにいないだろう。
「こう言ってはあれですが、本当に特別な取りえもない、普通の人間です」
漆原はそう笑う。
「今の仕事を始めたきっかけだって、靴職人になりたかったとかそういうことでもなく。工業高校には通っていましたけど、正直な話、やりたいこともなかったんですよ。母子家庭だったということもあり、専門学校や大学に行くという選択肢は資金的な部分であまり現実的じゃなくて。
何より、親に迷惑かけないためにも、高校を出たら働こうっていうことだけは決めていて、で、求人広告を見たらハルタがあった......本当にそれだけでした」
以来、ハルタに勤めて20年以上になる。
「最初はそれこそ、工場のラインに乗っていました。......ここにこう、靴があるじゃないですか。この、底に付いている上物(うわもの)の部分を『アッパー』というんですけど、そのメインのステッチを縫っていました。ロボットみたいにでっかいミシンを操作したり、糸を替えたり、横の穴を開けたり。一日に何百と。
午前と午後で違うものを作ったりはしますけど、基本的にはひたすら同じ作業です。それを、朝の8時から、休憩を1時間入れて、夕方5時まで、ずっと。地味な仕事でしたね......おかげで、忍耐力は結構つきましたけど(笑)」
SASUKEの存在は、その頃にテレビで観て知った。
「学生時代は体操をやっていて、単純に体を鍛えるのが好きだったので、出てみたいなと思いました。けれど、応募だけで何万通もくるという話で、当然本戦の100人の中になんか選ばれっこない。あきらめつつもトレーニングは続けていたという感じでしたね。その後、お台場のマッスルパークに行ったのがSASUKEとつながるきっかけでした」
かつて、東京の台場にマッスルパークというテーマパークがあった。その中にはサスケパークという、SASUKEのセットに挑戦できる施設もあり、そのセットを最初にクリアしたのがほかならぬ漆原だったのだ。
「SASUKEの予選会に呼んでもらえるようになって、念願叶って第21回大会(2008年)のとき、ちょうど10年前ですね、本戦出場することができました」
今のSASUKEを彩る常連プレーヤーたちは皆、ルーツを辿ればこのマッスルパークに通っていた面々なのだという。
「クライミングシューズの会社を起業した川口(前回第35回大会はゼッケン99番で登場)、キタガワ電気の日置(同、ゼッケン60番で登場)、配管工の又地(同、ゼッケン73番で登場)、ビルメンテナンス業の菅野(同、ゼッケン72番で登場)、前回は不出場でしたけど、型枠大工の朝一眞とか......もう知り合って10年以上になりますかね」
今でも共に練習に汗を流す仲間たちの名前を挙げながら、漆原は台東区浅草にあるハルタ販売部の社屋を案内してくれた。
「今、主に自分が営業を担当させていただいているのはAmazonさん。バイヤーと打ち合わせをして、いついつにこれだけの商品を入れさせていただくという商談や、新商品の提案をさせていただいています。それから学校様。私立の学校にうかがって、単価や納品時期の相談、通常の補充など定期的に行ないます」
現在、ハルタの営業部には漆原以外にも何人もの社員が働いており、それぞれ異なる持ち場を担当している。SASUKEをやっていて仕事に生きると感じることは、「名前を憶えてもらえること」だという。
「初対面の方でも、僕の名前を知ってくださっているというケースが結構多くて。これは営業としては本当にありがたいことです」
漆原はこの日、取材のためにわざわざ休みを申請した上で、ハルタで待っていてくれた。
「学校回りも多いので、土日は普通に仕事が入るんですよ。体育館に行って、何百人と採寸したりとか、保護者向けの催しは基本、平日にはできないですから。その分、今日のように平日に代休を取っています。今の時期は比較的仕事も落ち着いていますね。忙しいのはやはり二月、三月。入学前のシーズンです。......SASUKEって、二月の収録多いんですよ。
本当は仕事休んでる場合じゃなくて周りに申し訳ないんですけど、『その日だけは、すみません......』って。幸いにも理解はいただけているんですけど......さて、そろそろ上、行きますか」
取材場所をハルタにしたのには理由がある。この浅草の社屋の屋上こそが、漆原の日々の練習場所なのだ。
漆原について、最上階から階段で屋上に上がる。すぐに鉄骨に設置された、3㎝の突起に両手の指だけをかけて移動するSASUKEの名物エリア「クリフハンガー」や、1㎝の突起のついた板に逆手でぶら下がって移動する「バーティカルリミット」を模した練習器具が目に飛び込んでくる。
「だいたい、朝8時20分に出社してそのまま30分くらいトレーニング。朝は主に足系をやることが多いですね」
10㎏のベストを着用して1階から7階まであるビルの屋上まで、ダッシュで階段上りを数セット。それから50㎏超のバーベルを担いでのスクワット。これが漆原の基本的な朝のメニューである。
「僕、腕の力はそこそこ自信あるんですけど、脚は弱くて。前回(第35回大会)もそこの鍛錬が不十分でやられちゃいました」
漆原は前回大会、1stステージ最後のエリアである「そり立つ壁」までは順調に辿り着いたものの、その前の、合計860㎏のボックスを押していく「タックル」のエリアで脚力を消耗し、そり立つ壁を突破することができなかった。
この1stステージ随一のパワー系エリアであるタックルは第31回大会で初登場。体重50㎏台の漆原はこのエリアを特に苦手としており、以降5大会で2ndステージまで進めたのは一度だけである。
「正直、相性はかなり悪いです(笑)。でも、これもSASUKEなんですよね。普通の、あらかじめ決まったルールのあるスポーツと違って、SASUKEは競技の幅が本当に広い。僕が完全制覇できたときは、たまたま僕の体にSASUKEが合っていた。
当時から、『そのうちこういうエリアが出てきそうだな』という予感はあったんです。だから、自分に合ったSASUKEのときにそのチャンスをしっかり掴めるかどうか――それもSASUKEの醍醐味であり、面白さかなと思います」
階段ダッシュを終えた漆原を見て気づく。漆原は会ったときの服装のまま――おそらく営業の仕事着であろうワイシャツ姿のまま、トレーニングを続けている。たずねると、体質的にほとんど汗をかかないのでこのままトレーニングをして朝9時から就業開始、夕方6時に勤務を終えたあともそのまま夜のトレーニングをこなして帰宅するという。
「家に帰ってから着替えてとか、ジムに行ってとか、そういうのができないんですよ。で、仕事の前後にそのままやるのが一番効率いいし自分に合っている。そうじゃないと、続かないんですよね。ということで、会社の許可をもらって」
だから漆原がトレーニングするのは基本的に「仕事のある日」。休日はSASUKE仲間と一緒にセット練習をすることもあるが、主に体を休めることにあてている。最近はまっているのは磯釣りだ。
「いつもは夜にやりますけど、今日は取材なので、上半身のトレーニングもやりましょうか」
そう言って、漆原は手始めにクリフハンガーの練習を見せてくれた。
速い。とにかく速い。
一般人では掴まることすら困難な3㎝の突起に指だけでぶら下がると、まさにシャカシャカ音がしそうなほどのスピードで漆原はクリフハンガーの往復運動を始めた。そこには、まるで重力というものが感じられない。
そう、漆原裕治といえばSASUKE界屈指の"空中戦の達人"。難攻不落と謳われる3rdステージ、FINALステージで圧倒的な勝率を誇るプレーヤーとして知られている。続いてバーティカルリミットの練習も披露してくれたが、漆原がやると普通の雲梯か何かで遊んでいるようにすら見える。
だからこそ、近年3rdステージ以降での漆原の雄姿が見られないことが悔やまれるのだが......。
「いや、でも今の3rdステージは僕がクリアできていた頃とは別物ですよ。特に『バーティカルリミット』はね......。今のバージョンは、それこそ人生を懸けて挑まないとクリアできない、そのくらいの難度なんじゃないかと思います」
漆原はバーティカルリミットの練習をする際は、必ずゴム製のグローブを着用する。そうしなければすぐに、指の皮が破れてぼろぼろになってしまうのだという。
「次こそは3rdステージまで、行きたいですね。ここ数年、ジャニーズの塚田(僚一)君や岩本(照)君らと一緒に練習するようになったんですけど、彼らに3rdステージに挑む自分を見せたい、というのが新しいモチベーションになってきているんですよ」
特にA.B.C-Zのメンバー塚田僚一は、漆原を「SASUKEの師」と公言している。
「塚ちゃんと出会ってから、あんまり師匠らしいところ見せられてないので。最初は、タレントさんだし、仕事として来てるんだろうなーくらいに思ってました。でも違った。相当本気でやられているので僕も本気で教えないと、という気になりましたし、やっぱり見本になるようなパフォーマンスを見せてあげたい」
ちょうど10年前、30歳のときにSASUKEデビューを果たした漆原も、すでに40歳。年齢を感じることはあるのだろうか。
「体も動きますし、それどころか、以前のSASUKEなら余裕で完全制覇できるだろうなっていう感覚もあります。だから、完全制覇できるという可能性を自分で感じられているうちは、続けていくと思います。ただ、最近のSASUKEの進化が凄すぎて、その可能性は年々下がっているような気はするんですけど(笑)」
SASUKEに憧れる若い人たちに何かアドバイスをするなら。そうたずねると、こんな答えが返ってきた。
「トレーニング自体を好きになること。SASUKEに出たくてトレーニングをしている人は、もしかしたら続かないかもしれない」
そしてこう続ける。
「懸垂をね、毎日100回やるんです。どんなに不格好な懸垂でもいい。とにかく100回。毎日ですよ? サボらず、毎日。1年続ければ、3万回以上。20年やれば......70万回以上ですか。僕、高校生の頃は体重45㎏くらいしかなくて、ひょろっひょろだったんですよ」
そう言ってハルタ屋上の鉄骨で懸垂をする漆原の両腕は、丸太のように太くたくましい。決して握ることのできない太さの、掴まりづらい形状の鉄骨であえて懸垂をするのも、本番を見据えたトレーニングの一環である。
何事も、いきなりできるようにはならない。仕事も、もちろんSASUKEも。それは、工場勤務から地道に靴の仕事を覚えていった漆原の哲学で――その鍛え抜かれた前腕はまさに、「積み重ねられる強さ」の象徴に違いなかった。
最後に、定番の質問をした。
――あなたにとって、SASUKEとは。
「昔は『どこまでやれるのか』自分の力を試す場所でした。でもだんだん変わってきて。今の僕にとってSASUKEとは、『つなげてくれたもの』ですかね。工場で働いていた頃はひとりでやっていたトレーニングも、今は一緒にやる仲間がいる。
それこそ、テレビに出るようなタレントさんと、同じ目標に向かって楽んでいる未来なんて、あの頃には想像すらしていませんでした。今日もほら、(記者と自身を指しながら)僕たち、つながったじゃないですか。そういうのって、人生においてすごく貴重なことだと思うので」
重なるはずのなかったいくつもの人生が、交差する喜び。それこそが、二度の完全制覇を達成した漆原裕治が今もなお、SASUKEに挑み続ける唯一の理由なのだろう。
●漆原裕治 Urushihara Yuji
1978年8月21日生まれ、東京都出身。身長163㎝、体重55㎏。30歳でSASUKE初出場。2010年開催の第24回大会、2011年開催の第27回大会で完全制覇を達成。現在は株式会社ハルタで営業を担当。SASUKEにおけるライバルはいないというが、「(自身の次に完全制覇を達成した)森本が二度目の完全制覇をしたら、ちょっと悔しいと思います(笑)。でも、あいつは遠くない将来、するでしょう」
『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会の情報はこちらから!
【https://www.tbs.co.jp/sasuke_rising/】