パルクール団体SENDAI X TRAINの東京支部、アルファスタントジム内にて。「現代の社会問題でもあると思うんですけど、子供が運動する場所や機会が減っていて、なおかつ正しい運動の仕方を見せられる大人も減っている。そういう現状に対して、パルクールを通じた視点を提示していきたいです」(佐藤)
TBSが誇る名物番組『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会が12月31日18時より放送予定! 

そこに向けて、『週刊プレイボーイ』編集者が現在活躍中のSASUKE界の英雄たちを訪ね、共にトレーニングをする中でそのパーソナリティを掘り下げていく、極めてマニアックなSASUKE応援コラム「SASUKE放浪記」が短期集中連載の形でスタート。シーズン1は全8回を予定しています。

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「パルクール」をご存知だろうか。

走る、跳ぶ、登るといった移動に重点を置いた動作を用いて心身を鍛錬する、フランス発祥のスポーツ。語源はフランス語の"parcours du combattan"。和訳するなら「障害物コース」。

そう、まさにSASUKEである。

そして両者のあいだに親和性があることは、日本人で初めてパルクールの国際指導員の資格を取った佐藤惇(じゅん)が、直近の4大会すべてで3rdステージに進出していることからも明らかだろう(ちなみにこの安定感は、現役最強のSASUKEプレーヤー森本裕介に匹敵する)。女性版SASUKE『KUNOICHI』でも泉ひかりらパルクールパフォーマーたちが旋風を巻き起こし、「パルクール、すげぇな!」と唸った番組ファンも多かろう。

特に佐藤は、今年の3月に放送された第35回大会で1stステージを20秒以上残してクリア。これは8人の2ndステージ進出者のうち、最速の記録である。

そのスピードスターぶりと安定感の秘密を探るべく、取材班は東京・荻窪にある佐藤の本拠地を訪ねた。パルクールの指導・イベント・パフォーマンスなどを手がける合同会社SENDAI X TRAIN、その東京支部。彼はこの会社の共同代表を務めているのだ。

到着すると、早速佐藤によるパルクール講座が始まった。入念な準備運動のあと、出てきたのは一台のパイプと、平均台。

「パルクールの神髄は、『体のコントロール』です。まずはこのパイプの上を歩いてみましょう」

長さ約5m、幅数センチほどの細いパイプの上を、佐藤は普通の床を行くように難なく歩いていく。

「次は後ろ向きに進みます」

この時点でパルクール初心者にはかなり難しいのだが、佐藤はまったくふらつくこともなく、後ろ向きのままひたひたとパイプの上を進んで行く。

「次はこちらの平均台を......目を瞑って進みます。足の裏で台の面を感じながら。自分の体の軸を強く意識してください」

平均台のほうがパイプよりも幅が広く、歩きやすいはずなのだが、目を瞑ったとたんに難度が跳ね上がる。まず、見えない恐怖感がすごい。右に左にふらつく記者。対照的に、息をするように躊躇なく進んでいく佐藤。


佐藤の強さ、パルクールのすごさの一端を垣間見た気がした。まさに「体のコントロール」。人間は、自分が思っている以上に自分の思ったとおりに体を動かすことができない。だが、パルクールで鍛えた佐藤は、自分の体を造作もなく、意のままに操ることができるのだ。

「次は難しいですよ。このパイプの上に、横向きで、つま先だけで掴まって歩きます。重心は後ろ。この、お尻に重心を持ってくる感覚、忘れないでください。SASUKEの1stステージでも、至る所で使えますよ。『ローリングヒル』もそうですし、『タックル』もそうです」

タックル、も――? 頭の中で、合計860㎏の3つのボックスを押すパワー系エリアを思い浮かべる。

「タックルは脚ではなく、尻で押すんです。じゃないとその次の『そり立つ壁』を登る脚力が残りません」

その後も目からウロコのパルクール講座は続いた。前述の「後部重心」を意識しながら正しいフォームでジャンプし、狭いスペースに正確に着地する練習。室内に散らばった障害物をスピーディに飛び越えていく練習。

佐藤の肩書は「パルクール指導員」。この日も朝10時半から夕方6時過ぎまで、一コマ75分の講習会を繰り返して老若男女にパルクールを教えていた。こうした障害物との格闘は、佐藤にとっては日常の一部。いわば、毎日SASUKEをやっているようなものだ。1stステージをあのスピードでクリアできるわけである。



「基礎的な体の使い方ができていれば、例えば新エリアが登場しても簡単には失敗しないはずなんです。加えて普段から、野外のトレーニングではもっと足場の悪いところを動いたり登ったりしていますからね。番組のセットは事故防止のために滑りにくくなっていたり、安心感が担保されていますから」

この日は終日ジムで指導をしていたが、職場は日によって変わる。

「母校の小学校で放課後にパルクールクラブを開く日もあれば、杉並区から依頼を受けて、体育の授業の中で跳び箱だとかの運動を教えるために別の小学校に派遣されていくこともあります」

みっちり1時間以上汗を流したのち、佐藤が仕上げに指示したのは「疑似そり立つ壁」。壁に立てかけたマットを三角蹴りの要領で蹴上がり、天井近くの鉄製の突起に掴まるという練習である。

「そり立つ壁は1stステージの最後に出てきますから、(疲労した状態で辿り着く)本番のシチュエーションに近づけるために、さっきやった障害物を越える動きの最後にこれを組み込みましょう」

こうしてパルクール講座を終えて、佐藤と「パルクール式」の握手(握手していないほうの片腕で相手の背中を叩き、健闘を称え合う)を交わす。パルクールの強み、楽しさを存分に味わえたと伝えると、佐藤はうれしそうに破顔した。

「そういう人をひとりでも増やすために、こういう活動をやってるので」

今でこそ、パルクールは日本でも広まりつつある。だが、佐藤が初めてパルクールに触れた15年以上前の日本で、その言葉を知っている者はかなり限られていただろう。

「幼稚園の頃からとにかく体を動かすのが好きな子供で。『集合写真撮るよ』って言われて、ひとりだけ木に登っちゃうみたいな。その延長で、初めてパルクールに触れたのは小5か、小6のとき。パルクールの練習会のようなものに参加して、それまで学校しかなかった僕の生活の中に、パルクールやそこで出会った仲間たちとの時間が入り込んできた――そんな感じでしたね」

運動が大好きな佐藤にとって、パルクールをやっている時間は楽しかった。しかし、中学入学と同時に、その生活に変化が訪れる。

「中高一貫の私立校だとよくある話なんですけど、授業の進度がものすごく速くて。もともとそこまで勉強が得意だったわけではないので、もう全然追いつけない。理解できないまま次に行って、それなのに課題はどんどん出る。終わらないから徹夜する。無理がたたって体調を崩す。休んだ分、また遅れる」

佐藤は当時、水泳部に所属していたのだが、試験の結果が芳しくなければ部活にも出られない。体を動かし、発散させて集中力を得るタイプの佐藤にとっては、まさに負のスパイラルだった。

「そのうち重圧で睡眠障害になっちゃって。それで中3の夏前、風邪を悪化させて一週間くらい入院したのをきっかけに、張りつめていたものが切れてしまいました。何もやる気が起きないし、家から一歩も出たくない。親とも口をきけないくらいのレベルで、もちろん学校に行く気なんてひとつも起こらない。それまで普通にしゃべれていたクラスの友達とも、ブランクがあるせいで会話ができなくなってしまったんです」

そんな佐藤にとって唯一の生きがいが、パルクールだった。

「何もしたくないんだけど、パルクールをしているときだけは楽しかった。自分が真っ暗闇の中にいる状態で、そこだけが光って見えているというか、心が自然と傾く場所がそこだったんですね」

当時のパルクール仲間の助言もあり、佐藤はなんとか中学を卒業したあと、定時制の高校に進学する。そしてこの高校時代に、転機が訪れる。

「パルクール仲間たちととあるCMに出演させていただく機会があって。そこで、僕のパルクールの師と呼べるような人と出会ったんです。イギリスのParkour Generationsという団体で、今、代表をやっている方なんですけど」

Parkour Generationsとの出会いは、佐藤のパルクール観を180度変えた。

「それまでは我流でパルクールをやっていたので、自分の中の芯がなかったというか。『パルクールって何?』って聞かれたときに、説明できない自分がいたんです。

映像を参考に漠然と、高い所から跳んだりとか、前宙したりバク宙したり、そういう派手な、ちょっと危なっかしい動きをすることがパルクールだと思っていた。でも彼らは『違うよ。それはパルクールじゃないよ』って」

Parkour Generationsが佐藤に伝えた「本物のパルクール」。それは、安全に体を動かすために、より心と体をコントロールできるよう、心身を鍛えるという「理念」だった。

「派手な動きをする。危ないことをする。それはパルクールの本質からは外れている。パルクールってあくまで心と体を鍛える手段であって、それ自体は目的ではないんです。自分ができる限界の動き、ここまでは安全にできるという動きをちゃんと把握して、それを少しずつ広げていく。『今日はここまで行くことができた。明日はもう少し先に行けるように頑張ろう』。その繰り返し。

つまり、自分の人生で何か達成したい目的、目標があって、そこに到達するためのサポートを行なうのがパルクールなんだということがわかったんです」

そこから佐藤は、より深くパルクールについて学ぶためのさまざまな機会を得る。YAMAKASHIというパルクールの創始団体のメンバーに会うためにドイツを訪れ、パルクールの国際指導資格を取得するためイギリスにも赴いた。そして自身が惹かれたパルクールの本当の魅力を、ひとりでも多くの人に伝えるため、現在はSENDAI X TRAINという団体を立ち上げ活動を続けている。

「今、世間で広まっているパルクールって、『見た目の動き』そのものにしかフォーカスされていない気がするんです。鍛えるとか、自分と向き合うとか、そういう本質の部分と離れちゃっている。僕らが伝えたいのはその抜け落ちた部分で、それって子供の運動発達とか、教育の部分にも通じていると思うんです」

佐藤と共にSENDAI X TRAINの共同代表を務める石沢憲哉(かずや)氏は作業療法士としての一面も持っている。彼らの説くパルクールにはリハビリ医学、生涯発達学、教育学などの考え方が組み込まれており、それはスポーツという枠組みを飛び越えて「もっと大きなもの」を伝えようとしているように感じられる。

「よく言われますよね、今の子供は昔よりもケガしやすいとか。要は体の使い方だとか基礎運動を教わる機会が、今の子供には足りてないということで」

だからこそパルクールを入り口に、自分の体の使い方を理解した上でさまざまなチャレンジをして、そのマインドを持って人生を歩むことができれば――。

「もうひとつ、パルクールの大きな特徴があるんですけど、それは『自由であること』。今日、やっていただいた障害物の配置だとか練習内容も、別に決まりがあるわけではなく、僕が自由に考えたもので。

......子供のときの外遊びって、本当にルールも何もない楽しさがあったじゃないですか。木に登ったり、公園の遊具を、普通とは違う使い方をしたり。自分の視点でチャレンジを見つけて、それをクリアして、仲間と分かち合って。パルクールって、それそのものなんです。

今の日本の子供って、そういう遊びの中で自由に考える機会が少なくなっている。スポーツといえば型にはまった、いわゆる勝負事という意味合いでのスポーツの中でしか体を動かすことがないから、中にはスポーツ自体を嫌いになっちゃう子供もいて。

もちろん、好きな人は継続できるかもしれないけど、今度は競技特化しちゃう。ほかに経験がないから、それしかできないってなっちゃうんです。それって、すごくバランスの悪い状態だと思うんです」

佐藤の話を聞いているうちに得心する。パルクールとはおそらく、単なるスポーツではなく「道」なのだろう。行為を通じてその精神を学び、人生を豊かにする。そうした考え方がパルクールの源流にはある。

「危険な状況をしっかり回避して、安全に体を動かすための手段。それがパルクール。続けていればSASUKEのような舞台でも力を発揮できるし、SASUKE以外でもきっと、自分のなりたいものに近づくことができる。それを僕は、これからも伝えていきたいんです」

最後に、定番の質問をした。

――あなたにとって、SASUKEとは。

「『もうひとつのパルクール』です。自分が培ったものを全力でぶつけ、その分、結果になって返ってくる。そのときの弱点や新たな限界を教え続けてくれる。そうして現れた壁を乗り越えていくことこそ、僕にとってのパルクールだと思うので」

心身を鍛錬し、壁を越えていく者。SASUKEへの挑戦は、自由なパルクールに人生を変えてもらった佐藤惇の生き様そのものなのである。

●佐藤 惇 Sato Jun
1991年9月26日生まれ、東京都出身。身長174㎝、体重68㎏。16歳でSASUKE初出場。日本で初めてパルクールの国際指導員の資格を取得。現在はパルクールの指導・パフォーマンスを行う団体SENDAI X TRAINの代表を務める。趣味は写真。「パルクールの指導員になる前は、写真の専門学校に行っていました。会社のホームページには、自分で撮ったものも結構使っているんですよ」

『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会の情報はこちらから!
https://www.tbs.co.jp/sasuke_rising/

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