キタガワ電気の子煩悩店長、日置の自宅セットの前で。店のモットーは「お客様の生活の中に入ったサービス」。「エアコンひとつ付けるのにも、必ずご自宅にお伺いして間取りや日当たりを確認、相談した上で商品を提示します。『この日当たりで6畳用を付けちゃうと効きが悪くなっちゃうので、こちらの商品がベターですよ』とか。アフターケアのことも常に考えています」(日置)
TBSが誇る名物番組『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会が12月31日18時より放送予定! 

そこに向けて、『週刊プレイボーイ』編集者が現在活躍中のSASUKE界の英雄たちを訪ね、共にトレーニングをするなかでそのパーソナリティを掘り下げていく、極めてマニアックなSASUKE応援コラム「SASUKE放浪記」が短期集中連載の形でスタート。シーズン1は全8回を予定しています。

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トレードマークのブルーのポロシャツに、「キタガワ電気」のロゴ。競技中の仲間に熱いゲキを飛ばす腕白小僧のような横顔は、もはや近年のSASUKEの名物のひとつと言っていいだろう。

3月に放送された前回(第35回)大会ではゼッケン60番を背負って登場し、それまで59人を沈めた史上最悪の1stステージを鮮やかに突破。特に、新エリア「ドラゴングライダー」を攻略したお手本のようなパフォーマンスは圧巻だった。

SASUKE界の"切り込み隊長"、日置将士(まさし)。傍らで常に彼を支える家族の姿とセットでご記憶の番組ファンも多いだろう。

愛らしいふたりの子供と、輝く笑顔の伴侶。人のためになる仕事に日々汗を流し、さらには庭にSASUKEセットを造れるような立派な家まで建てている。

人の人生は千差万別で、さまざまな形があって然るべきなのだけれど、それでもこの男を見ていると、「幸せってこういうことなんじゃなかろうか」などと考えずにはいられない。

今回の待ち合わせ場所はもちろん、番組内でも紹介された日置家。千葉県印旛郡の住宅街を進んでいくと、それはすぐに見つかった。圧倒的な存在感を放つ、幾重にも連なった庭の鉄骨。なかでもSASUKEの代名詞エリア「そり立つ壁」がひと際目を引く。

「さて、何からやりますか。実は、これらは全部、僕が苦手なエリアなんですよ。ここで簡単に遊べるレベルになれば、3rdステージまでは行けますよ!」

実に充実した日置家のSASUKEセット。今回は1stステージに照準を合わすべく、トランポリンを使う新エリア「ドラゴングライダー」対策から始めることにする。

「一番重要なのは、トランポリンを見て跳ぶこと。一本目のバーに届かずに落ちている人のほとんどは、バーに気を取られてトランポリンを見てないんですよ」

そして日置式の攻略法の肝は、一本目のバーを「順手と逆手」、つまり左右で手の向きを変えて掴むことにあった。通称"ジュン・サカ"。3rdステージの「パイプスライダー」をやる際などによく用いられる技術である。

「ジュン・サカで持つのとジュン・ジュン(順手・順手)で持つのだと、掴んだときの安定感が全然違うので。腕力に自信のある人はジュン・ジュンでもいけると思いますが、そうでないならジュン・サカをお勧めしますね。ただし、普通の懸垂だとかのトレーニングでこんな握り方しませんから、当然慣れが必要です。本番でいきなりやってもたぶん上手くいきません」

トランポリンを跳ぶ。ジュン・サカでバーを握る。ひたすらその練習を繰り返したあと、「一段レベルを上げますか」という日置の言葉に従い、一本目のバーからその先にあるバー(日置家のものは共に固定されているので、バーを使って高速でグライドするドラゴングライダーより難度は低い)に飛び移る練習まで行ったところで、手のひらの豆が悲鳴を上げた。

「それじゃあ次は......せっかくうちに来たんだからあれ、やってってください」

その視線の先には、そり立つ壁――。

「ポイントは『ぎりぎりまで壁を蹴り続けること』です」



今度はひたすら壁を上ること数十分。やがて日置は、壁の横に軽トラをつけた。

「普通の状態で壁を上れても、実は足りないんです。本番のコースは、その前に『タックル』がある。今日の仕上げに、これを押した後に壁を上りましょう」

タックルとは、合計860㎏のボックスを押していくパワー系エリア。一般的な軽トラの重さもちょうど同じくらいである。早速運転席に日置を座らせて押してみると――。

当たり前だけど、めちゃめちゃ重い。そしてそのあとのそり立つ壁は、確かにまったくの別物だった。全然、脚が上がらないのだ。脚から筋肉が抜き取られてしまったような、そんな錯覚に陥る。

疲弊した状態で辿り着く1stステージ最後の関門。さらには、この辺りで鳴り始めるラスト10秒を告げる警告音も、挑戦者の精神力を容赦なく削りにかかる。なんとも計算し尽くされた番組制作チームのマネジメントに戦慄する。

「タックルのコツは、体を一直線にして力を分散させないことです」

およそ2時間に及ぶトレーニングを終えて日置家に入ると、すぐに日置の妻、真弓夫人が温かいコーヒーとお菓子を運んできてくれた。いつまでも居たくなってしまうような、実に居心地のいい家。そのまま、真弓さんも同席してのインタビューを始める。

「僕がSASUKEにのめり込むきっかけとなった場にも、彼女がいたんですよ。当時は25か26歳で、まだ結婚前でしたけど」

かつて東京・台場にあったサスケパーク。友人に勧められてふたりで出かけたところ、交際中の真弓さんの前で日置は醜態を晒す羽目になる。

「こんなにできねぇのかと。『絶対クリアしてやる』なんて思えないくらい、もうこてんぱんにされました。でも悔しかったから、その後彼女には内緒でトレーニングをしていて。あるとき『もう一回行ってみない?』と。そしたら、クリアはできなかったけどちょっとできるようになっていた。彼女も喜んでくれたので、それからは頻繁に台場に遊びに行くようになって」

めきめきと強くなる日置だったが、唯一パイプスライダーのエリアだけがどうしてもクリアできなかった。

「当時は今みたいにSNSも発達していなくて、誰かにすぐ聞けるような環境じゃなくて。見かねた彼女が、当時流行っていたミクシィのサスケパークのコミュニティみたいなのを使って、メールで聞いてくれたんです。『彼氏がクリアできないんですけど、コツを教えてくれませんか』って(笑)」

そしてそのとき返信をくれたのが、今のSASUKEの常連メンバー、当時は長距離ドライバーをしていた川口朋広(前回大会はゼッケン99番で登場)だった。

「『将士、お台場のサスケパークを完全制覇してる川口さんっていう人が教えてくれるって!』と言われて。同い年でクリアしてるすげぇ人がいるんだなぁって、約束の日時にサスケパークに行ったら、待っていたのが頭を剃り上げて、だぼだぼのデニム履いた強面の兄ちゃんだったわけです」

当時の川口は、現在の甘いマスクからは想像もつかないゴリラのような風采をしていたそうな。

「とんでもねぇところにメール送ったなと思ったんですけど(笑)、そのときの川口が顔に似合わずものすごく優しく丁寧に教えてくれて」

現在のSASUKE界を引っ張るふたりの、意外なファーストコンタクト。当時は日置も、そしてのちにFINALステージを経験する川口でさえも、SASUKEの1stステージクリアどころか出場することすら夢のまた夢だった。



「『あの川口さんが予選会で負けちゃうのか』って感じで、すごくレベルも高くて。あとは、(総合演出の)乾さんも言ってましたけど、SASUKEはスポーツ選手権じゃなくて、番組だから。オーディションでダメだったりすることもありました。今でも覚えています。第28回大会(2012年)の予選。腕立て伏せを100回やって、でも二次の面接にも進めなくて。悔しくて頭が真っ白になりました」

日置がコンスタントに本戦に出場できるようになるまで、3、4年の月日がかかった。その間、妻の真弓さんには「いいかげん、やめたら」と言われることもあったという。

「そりゃそうですよね。出られるかどうかすらわからないものに労力をかけて、結局出られない時期が続いて」

真弓さんとしても「もっとほかのスポーツのほうが、やった分ちゃんと結果に表れるものがたくさんあるんだから」という思いだった。それでも真弓さんは、日置の挑戦を傍らで見守り続けた。そこには、こんな理由があった。

「私のほうが、先に自分のやりたいことをずっとやり続けていて。彼が、それを応援してくれていたので」

真弓さんの夢は「イルカの調教師になること」。専門学校を出て夢を叶えた彼女は、兵庫県の城崎にある城崎マリンワールドに就職した。関東で働いていた日置とは、必然的に遠距離恋愛になる。

「城崎にも何度も足を運んでくれました。それでそこを辞めてやっと帰ってきたと思ったら、今度は三宅島でドルフィンスイムのガイドの仕事を始めて(笑)」

城崎からの、三宅島。当時の心境を日置はこう語る。

「城崎でも十分遠いのに、今度は船かよ! と思いました(笑) でもすごく楽しそうに仕事していたから、応援したかった。今は......まだ子供がふたりとも小さいですから難しいけど、いずれはまた三宅島に行っていいよ、という思いです」

聞けば、日置がそれまでの勤め先を辞めて「町の電気屋さん」として働き始めたのも、真弓さんの父が独立してキタガワ電気を立ち上げた際、男手が足りずに手伝いだしたことがきっかけだったという。

「転職と結婚は、ほぼ同じタイミングでした。仕事を一緒にやるということについての疑問はなかったんですけど、当時は『俺、電気屋の仕事、ひとつもわからないけど大丈夫なの?』という感じで。部品の一個もわからないから、一から勉強でしたね。でも、基本的に人としゃべるのが好きなので、うちみたいな地域密着型の小売店の仕事は合っていると思います。お客さんも顔見知りばかりで、用もないのにちょっとコーヒー飲みに立ち寄ったりとか(笑)」

こうした過程を経て、SASUKEはいつしかふたりのものに、そして今では、子供たちも含めた家族のものになった。ひとつ、日置はこんなエピソードを教えてくれた。

「最初は、自分が格好いいところを見せたいだけのSASUKEでしたけど......この前、突然娘が聞いてきたんです。『SASUKEやる前ってドキドキしない?』って」

事情はこうだ。ピアノの発表会を控えた長女の心結菜(みゆな)ちゃんが、真弓さんに「間違ったらどうしよう」と不安そうな顔を見せた。すると真弓さんは、「それは絶対、父に相談したほうが」と助言したのだった。

「『楽しめばいいんだよ。楽しみだろ、ピアノ弾くの。楽しまないともったいないよ』と伝えました。表情も見違えて、結果、過去最高の演奏だったんじゃないかな。だから、そういう影響を子供に与えられるんだって、最近気づかされて。できなかったものができるようになった喜びとか、そういうことも含めて、普段SASUKEをやっている僕を見ているから、説得力があるからって、妻は言ってくれています」

SASUKEは家族で観ても楽しめる番組だ。だからこそ日置家の面々を見ていると、彼らの姿が「SASUKEの楽しみ方」、そのひとつの答えのようにも思えてくる。

「若手のSASUKEプレーヤーが就職したり、結婚したり、子供ができたり、彼女ができたりしたとき、必ず言うことがあるんです。『SASUKEを1番にするなよ』って。1番、2番に家庭とか仕事とか、なんでもいいんですけどその人にとって本当に大切なものがあって、SASUKEは3番か4番か、それくらいでいい。――そうじゃないと続けられないし、周りに応援してもらえない」

自宅にセットを造って毎日練習し、SASUKEの日本代表にまで上り詰めた日置だからこそ、その言葉の持つ意味は重い。

最後に、定番の質問をした。

――あなたにとって、SASUKEとは。

「......以前は、『二度目の青春』。僕、高校時代はバドミントンで全国大会、日本代表を目指していて、で、燃え尽きて。もうあんなに熱中できるものはないだろうって思っていたのに、大人になってからもう一度、少年のように頑張れるものに出会えた。できないことができるようになる喜び。仲間と一緒に涙を流せる喜び。ああ、青春がもう一度、来たんだって、そんなふうに思っていましたけど......」

ここまで言ってから、日置はちらりと脇の真弓さんを見て、苦笑いする。

「今は子供もいるし、奥さんもいるから、青春とか言っていていいのかな」

「でも、それじゃない?」

腕白小僧のような日置将士を見つめる妻・真弓さんのまなざしは、どこまでも優しい。

●日置将士 Hioki Masashi
1981年6月5日生まれ、千葉県出身。身長169㎝、体重62㎏。28歳でSASUKE初出場。直近の2大会で3rdステージに進出。常連の実力者の中では早い番号で登場するので"切り込み隊長"とも呼ばれる。「仲間たちと研究したことを先に実践しているだけで、自分ひとりの力でクリアしている意識はありません」

『SASUKE NINJA WARRIOR』第36回大会の情報はこちらから!
https://www.tbs.co.jp/sasuke_rising/

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