近い将来、女優やモデルといった分野の最前線で活躍していくであろう10代の美少女たち。そんな彼女たちの魅力を読者に知ってもらうべく始まった、週プレNEWS&週プレモバイルの連載『微熱少女』。

週刊プレイボーイが注目した美少女が毎週月曜日に登場するこの連載。撮り下ろしカットとロングインタビューで、彼女たちの魅力をお届けします。

第4回は、13歳で女優としてデビューし、初主演を務めた短編映画『そうして私たちはプールに金魚を、』でサンダンス映画祭短編部門グランプリを受賞した、湯川ひなちゃんが登場!

インタビュー前編となる今回は、彼女の幼少期の話や、女優を志したきっかけについてせまります!

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――今回は、微熱少女にご出演いただき、ありがとうございます。この企画では、「来年ブレイク必至の女優」である皆さんに、撮影とインタビューをさせていただいてます。

湯川 ありがたいですけど......現実的じゃない気がします。私、たぶん来年は売れていないと思うし......(笑)。

――いきなり謙虚すぎますよ(笑)。撮影はいかがでしたか?

湯川 スチールのお仕事は今までほとんどなかったので緊張していたんですけど、カメラマンさんがフランクな雰囲気で、いっぱい話しかけてくださって。失礼かもしれないですけど、最後には友達といるような感じで、楽しく撮影させていただけました。

女のコらしいワンピースと、逆にボーイッシュなパンツスタイルを着させてもらったんですけど、普段はなかなか着ない感じと、いつもどおりの両方を見せられてよかったです。

――楽しんでいただけていればなによりです。というわけで早速ですが、湯川さんは小さい頃、どんな子どもでした?

湯川 うーん、昔から死ぬほど人見知りで......相手が大人か子どもか関係なく、人が大勢いる場所が苦手なコでした。どこに行っても母を通訳にしてしゃべる、みたいな感じで。

母から教えてもらったんですけど、保育園でも1年以上、ひと言もしゃべらなかったらしいです。やっと声を出したときに、先生が母に「初めて声を聞けました!」って報告するくらい......。

――相当な人見知りだったんですね。でも、どうして苦手だったんですか?

湯川 たぶんですけど、人から注目されるのがイヤだったんです。自分が声を発したときって、周りはこっちのほうをパッと見てくるじゃないですか。そういうときにどうしていいかわからなかったし、そもそも「自分のことを誰かに話したい」っていう欲は今もないし......。

――なるほど。ちなみに、逆に好きなものは何かありましたか?

湯川 バスケですね。小学校3年生の頃に始めて、中学では一度辞めてしまったんですけど、高校でもう1回始めました。バスケをやってるときは、私も高いテンションでいられるし、戦術的な「ヘイ、パス!」みたいな声かけ以外でも、元気よくしゃべれるようになるし。

「結果的に人と仲良くなれる」といったら変な言い方ですけど、そういう意味でもバスケが好きです。

――物静かな印象だったので、スポーツ女子だったとは意外でした。

湯川 まさにバスケ一筋でしたね。放課後にクラブの練習がない日も、学校で上級生に混ざって練習するくらいで。実は進学する中学も、バスケで決めたんです。

――というと、強豪校に進んだとか?

湯川 いや、逆に弱い中学を選びました。私が住んでいる区に、すごく強い中学があって、ミニバスをやってるコはみんなそこに行きたがるんですけど、私はむしろ弱いところへ行って。「自分がレギュラーになって、その中学を強くする!」って思ってました。今思うと、めちゃめちゃ熱かったですね......(笑)。

――少年漫画の主人公みたいなセリフ! でも、そんなバスケ一筋の小学生が、どうして女優の道へ?

湯川 きっかけは、高学年の頃に今の事務所にスカウトされたことでした。でも、女優をやるならバスケの練習を休まないといけないし、そもそも注目されたくないし......。母はもともと演劇や映画を観るのが好きだったので、オススメしてくれたんですけど、私はずっと「やりたくない」って断ってたんです。

でも、中学でイヤなことが重なって、バスケを一度辞めてしまって。それによって、土日がすごく暇になってしまったんですけど......それを埋めるように、母が私を映画館や演劇鑑賞へたくさん連れて行ってくれるようになったんです。そこでいろんな作品を観ていくなかで、初めて映画や演劇の良さがわかりました。

――バスケの代わりに触れることが増えたのが映画や演劇だった、と。その"良さ"とは、具体的にはなんですか?

湯川 その世界に夢中になればなるほど感動させてくれたり、イヤなことをちょっとだけ忘れさせてくれたりするところです。映画に出ている役者さんたちや映画を作っている人たちは、私のことなんか知らないし、私のことを救おうとなんかしていない。でも、私は実際に、勝手に心を救われるような気持ちで観ていました。

......もともと小学生の頃から、漠然と「困っている人を助ける仕事がしたい」っていう夢があったんです。いろんな作品を観ながら、「こうやって人を助ける方法もあるんだ」って思ったら、演技の世界がすごく良いものに見えて。それで事務所に入って、オーディションを受けたんです。

――湯川さん自身が映画や演劇に救われて、それが小さい頃からの夢とつながって。そういう意味でも、女優業は湯川さんにとって天職だったんですね。ちなみに、当時観た印象的な作品は?

湯川 『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』というミュージカル映画や、『ベリー・エリオット』という舞台です。どちらも海外の作品で、『ベリー・エリオット』はDVDで観たんですけど、もう見入っちゃいました。海外の役者の方々って、"実在する感じ"がすごいんですよ。

――実在する感じ、ですか?

湯川 セリフも格好も"全部決められたもの"のはずなのに、それをまったく感じさせないんです。だから私は、その作られた世界に惹き込まれて、心を動かされて......。そのときの「自分もいつか、そういう演技がしてみたい」って感情は、ずっと忘れずにいたいと思ってます。

(スタイリング/小山田孝司 ヘア&メイク/友森理恵(ROOSTER))

★後編に続く⇒「柔道整復師の資格をとって、"自分で自分を"治したい」若手女優・湯川ひなはちょっと独特な女のコ?

●湯川ひな(ゆかわ・ひな)
2001年2月26日生まれ 東京都出身 身長159cm
◯2014年、「ミサワホーム」のTVCMで女優デビュー。2016年には、主演を務めた短編映画『そうして私達はプールに金魚を、』が『サンダンス映画祭』(アメリカ)の短編部門で、日本初のグランプリを受賞した。最新情報は公式サイトにて

★湯川ひなちゃんのアザーカット、そして撮影時のメイキング動画が『週プレモバイル』でご覧いただけます!

★『微熱少女』は毎週月曜日更新!★