昭和から年号が変わった年に誕生し、平成という時代を生きた子供たちが30歳を迎える。その顔ぶれを見渡すと、スポーツ、エンタメなど各界の第一線で活躍する"黄金世代"だった!
社会は阪神淡路大震災やオウム真理教事件など世間を震撼させた災害や事件が続き、ゆとり世代として教育改革の狭間に置かれ、ある意味で暗い時代を生き抜いた――そんな彼らの人生を紐解くインタビューシリーズ第5回。
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1988年生まれここにあり、と世に知らしめたドキュメンタリー番組が、2014年春にオンエアされた『情熱大陸』の800回記念放送(TBS系)だ。2週連続という異例の特集で88年生まれのトップランナー8人が取り上げられ、うち4人は俳優・女優陣からフィーチャー。アートからスポーツ界にいたるまで、分野を問わず活躍する"黄金世代"だが、彼ら彼女らが最もひしめき合い、互いに鎬(しのぎ)を削る場所が芸能界なのだ。
「黄金世代って呼ばれてるんですか? へえ、"ゆとり世代"なら言われたことありますけど」
そんな生き馬の目を抜く芸能界でひとり、飛び抜けたキャリアを持つ30歳がいる。女優・佐津川愛美。時折鼻歌を口ずさみながら取材に応じる本シリーズ第5回のゲストからはしかし、厳しい世界で生きてきた芸能人特有の"険(けん)"のようなものは見て取れなかった。失礼を承知で正直な印象を伝えると、彼女は笑って言う。「テレビの中の私って、そんなふうに見えてます?」と。
14歳で芸能界入りした彼女が、16歳で『がんばっていきまっしょい』にて連続ドラマデビューを果たして以降、積み重ねてきたキャリアは13年。その年数もさることながら、注目すべきは出演作品数104という数字だ。彼女の出演作が2ヵ月ごとに一作品増えていくという驚異的なペース。先の『情熱大陸』で取り上げられた俳優陣の実に1.5倍といえば傑出度がわかりやすいだろうか。
むろんこれは同世代の俳優陣のみならず、芸能界を見渡しても飛び抜けた数字であることは論を待たない。つまり言い換えれば、彼女は平成30年間の実に半分を"他者を演じる"ことに費やしてきた、ということだ。ヒロインはもとより小悪魔系から肉食女子、果ては巨大ロボットまで演じる名バイプレイヤー・佐津川は、どのようにして100もの役を演じつつ、女優として形づくられていったのか。
「確かに、おかげさまでたくさんの作品に出させていただきましたね」
佐津川はライフグラフを目の前に、どこかひとごとのようにそう呟いた。ゲストの人生のアップダウンをグラフとして図式化する、本インタビューの恒例企画「ライフグラフ」。彼女の出演作を列挙するのに、A4サイズのコピー用紙は少々小さすぎた。
「(ライフグラフの)最初は......『80』からにしとこうかな。私、8が好きだから。そう、8月生まれだからね」。0歳地点で80のマス目に点を打ち、佐津川は訥々(とつとつ)と語りだす。1988年8月20日に生を享(う)けた彼女、誕生花はフリージア。「清純」を関するその花は、彼女のその後を暗示するものだったのかもしれない。
「小さいときは、映画やドラマで女優さんを見て『ああいうふうになりたいな』って思うこともありませんでしたね。むしろ、趣味とかも何もなくて、そういうことに熱中していた同級生のことをうらやましいって思ってたぐらい」
唯一熱を上げたという『セーラームーン』でも、「主人公にはいかない、ほかの人気キャラにもいかない。(ごっこ遊びで)狙うのはセーラージュピター」というあたり、のちに女優になるとは思えない奥ゆかしさであったことがうかがえる。筆者の指摘に、「なにごとも4番手ぐらいがちょうどいいんですよ、ほどほどがね」と応える間も、グラフを描く鉛筆は10代の期間、徐々にではあるが下降が続いていた。
「熱中できることも、好きなものも全然なくて......とはいえ、ちょっと下がりすぎですかね? でも、闇の10代だったからなあ。ふふっ」
佐津川はそう屈託なく笑う。熱中できるもの、趣味、個性がないくらいで"闇"とはいささか大げさすぎるのでは――と一笑に付すことは難しい。1990年代から現在に至るまで、日本全国を幾度も席巻した"自分探し"ブームに代表されるように、この30年間は若者にアイデンティティの確立を過剰に強(し)いていた時代でもあった。
当時の佐津川が、そうした潮流に居心地の悪さを感じ取っていたであろうことは想像に難(かた)くない。多感な中学生だった彼女にとって、茫漠(ぼうばく)とした自己をつかみ切れなかった10代は文字どおり"闇"だったのだろう。
「いえ、実は今だってそうなんですよ」と佐津川は、自身が編集者役として出演する18年秋季ドラマ『プリティが多すぎる』の撮影を例に出して言う。撮影の多くが東京・原宿で行なわれたという、ファッション編集部を舞台とした同作品。「原宿のパワーってすごくないですか? あそこにいる若い子たちみんなすごく個性的でしょ。全員が『私を見て!』って言ってるみたい」と感嘆してみせたあと、「あそこに入るだけの個性はないなあ」と笑った。ちなみに佐津川がスカウトされたのは原宿でも渋谷でもなく、家族で買い物に訪れたという新宿である。
と、ここでひとつの疑問が浮かぶ。過去のインタビュー記事を見ても、「(オーディションで)隣の人が受かればいいと思っていた」というほどバイタリティとは無縁な彼女。それに加え、"個性"がある意味で何よりも重んじられる平成という時代に、自称"とことん無個性"な佐津川が、100もの役を演じ分ける稀代のバイプレイヤーとして頭角を現した要因とはなんだったのか?
「そうですね......"これが自分"っていうものがなかったからでしょうか」。演技の話になると一転、真剣な表情で言葉を選びつつ佐津川は答える。「このお仕事を始めるまで、"これが私なんだ"って思えるものが何もなかった。だからこそ、お芝居で"ほかの誰か"を演じることにのめり込んだのかもしれません」
岸田国士(くにお)戯曲賞を受賞した劇作家・山崎哲はその著書において、物語が生み出される直前の舞台を「まっさらな原稿用紙」にたとえた。スカウトを機に静岡から上京し、"無個性"に漠然とした不安を抱いていた14歳の少女は純粋無垢そのものの、さしずめ白紙のキャンバス。10代の頃の悩みの種がはからずとも女優として芽吹く契機となったわけだが、そこから役者としての才能が開花するまでは早かった。
上京翌年の05年、彼女はある作品への出演をきっかけに、女優としての世界を歩み始めていく。
●佐津川愛美(さつかわ・あいみ)
1988年8月20日生まれ、静岡県出身。2005年、映画『蝉しぐれ』でブルーリボン賞助演女優賞ノミネート。07年、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で同賞および新人賞にダブルノミネート。写真集『Alter Ego(オルターエゴ)』(ワニブックス、撮影:丸谷嘉長)が発売中。2019年1月6日からスタートするNHK BSプレアムドラマ『モンローが死んだ日』(毎週日曜22:00~)に出演。
公式Instagram【@aimi_satsukawa】