昭和から年号が変わった年に誕生し、今年度に30歳を迎える"黄金世代"の半生と共に平成をふり返る連載企画 『さらば平成!』。第5回は女優・佐津川愛美

インタビュー前編では、女優としてデビューする以前を"闇の10代"と総括した佐津川。2018年秋季ドラマにも2本同時に出演し、過去出演作は計100本にものぼる稀代のバイプレイヤーがたどった平成の軌跡とは――。

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100もの役を演じ分ける上で、佐津川が大切にしているものは「想像力」だという。

「自分の経験に、想像で肉付けしていくっていう感じ。演技を通して、『このときはこういう心情なんじゃないのかな』って引き出しを増やしていくイメージですね」

24歳で逝去した伝説のハリウッドスター、ジェームズ・ディーンは、俳優という職業を「この世で最も孤独な職業」と表した。「そこには集中力と想像力以外、何もない」と。

繰り返すが、佐津川がこの世界に飛び込んだのは14歳。静岡のごく普通の中学生だった彼女の"経験"などたかが知れている。それを補って余りある想像力とは、すべてステージ、つまり演技の場で培(つちか)われたもの。マシンによるトレーニングではなくリング上のみで拳を磨いた、純粋培養の格闘家のような。

「でも、誰かを演じるほうが簡単なんです。だって、バラエティ番組とかって台本がないでしょ? そっちのほうが難しいなって思って、苦手に感じていたんですよね」

台本がないほうが、難しい。いかにも"女優・佐津川愛美"らしいひと言だったが、それを感じさせられる場面がつい先日にもあった。10月1日に放送された『FNS番組対抗 オールスター秋の祭典』(フジテレビ系)にて、出演中のドラマ『結婚相手は抽選で』のキャストチームとして出演した佐津川は、クイズコーナーにおいて用意されたセットの巨大風船を、ただひとり誤って解答前に破裂させてしまったのだ。防護眼鏡をつけるのも忘れて呆然とたたずむ彼女を思えば、一見突拍子もない見解も腑に落ちる。

話をインタビュー前編の終わり、女優としてのキャリアを歩み始めた頃に戻す。2004年に静岡から上京した佐津川は、早くも翌年に黒土三男(くろつち・みつお)監督作品『蝉しぐれ』に抜擢。本作で映画初出演作にもかかわらず、第48回ブルーリボン賞助演女優賞ノミネートという快挙を成し遂げる。

「初めての映画で、右も左もわからない状態。でも、監督さんや大勢のスタッフさんたちと何かをつくりあげるっていう体験がとても面白いなって感じました」と当時を振り返る佐津川。彼女は中学時代、新体操でジュニアオリンピック出場という輝かしい実績を持つが、団体競技の経験はない。

「それまで熱中するものも趣味もなかった私が初めてのめり込んだものが、『演技』だったんでしょうね」

アイデンティティの確立を強制する自分探しの時代・平成で、"確固たる個性を持たないこと"をどこか引け目に感じ、他者の目を恐れていた10代前半の佐津川。しかし役者という職業、映画というステージにおいて、何者にも染まっていないその純粋無垢さは大きな強みとなったのだろう。折しも、邦画業界は冬の時代を終えた隆盛期。『蝉しぐれ』で一躍注目を浴びた佐津川は、続く『ストロベリーフィールズ』で一躍若手女優として注目を集める存在になる。

当時はストレートの黒髪というビジュアルも相まって、清純派女優として確固たるパブリックイメージまで固めていた佐津川。しかし彼女はデビューからわずか3年後、あっさりとそのレッテルを自らはぎ取る。芥川賞作家・本谷有希子の舞台劇を原作とした映画『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』の主要キャストの座を射止めたのだ。

「あの映画をきっかけに本谷さんの舞台(『来来来来来』『遭難、』)に出させていただくこともできましたし、これもある意味大きな転機でしたね。こう言うと変ですけど『清純から開放された』って感じ」

型破りな姉(佐藤江梨子)に振り回され虐げられる気弱な妹・清深。一見弱者である清深が、徐々に本性を表しその類まれな才能で姉もろともその場の空気を掌握していくさまは圧巻であったと同時に、それまでの佐津川の印象を覆(くつがえ)す怪演だった。『蝉しぐれ』『腑抜け...』で名実ともに気鋭女優の仲間入りを果たした佐津川だが、意外にもこの時期のライフグラフは急降下を見せる。

「14歳でこの世界に入ってきたこともあって、ずっと若手のつもりだったんです。『まだ大人じゃない』『いい子でいなきゃ』って言い聞かせてたときに、(『腑抜け...』で)注目が集まって、周りの目が気になるようになっちゃった」

2000年代のグラフの下降を彼女はそう説明する。個性がない、という漠然とした不安を抱えていた佐津川が「若手実力派女優」という肩書を手にした途端、新たな不安に苛まれるとはなんとも皮肉な話である。しかし佐津川は、「でもね、今は大丈夫なんです」と力強く言いながら、ペンを持ち替えて再びライフグラフを書き始めた。鼻歌交じりに描かれる直線は、30歳に向かって緩やかにだが上昇し続けていく。

上昇のきっかけを問うと、「30歳が近づくにつれて、自分で自分を見られるようになったっていうのかな。それまでは周囲を気にして、勝手に『私(の演技)はまだまだダメなんだ』って思い込んでたんです」。その後少し照れたように笑って、こう続ける。

「でも、あらためて周りに耳を傾けたら、演技に関して『ダメだね』って言う人なんていなかったんですよ。ほとんど『よかったね』って褒めてもらってた。自分で『こんなんじゃまだまだなんだ』って勝手に思い込んでただけ。若いときは気づけなかったけど、周りにすごく恵まれていたんです」

そして佐津川は、ライフグラフの右上、30歳の現地点に点を打った。「だから、今が『100』だね」と言いながら。最近では、「自分の演技を映像で見て『おっ、けっこういいじゃん』って思うこともある」らしい。

今夏30歳を迎えた佐津川は、11月10日に写真集『Alter Ego』をリリースした。これまでも写真集を刊行した経験を持つ彼女だが、今回は初めて企画段階から関わっている。「カメラマンさんや編集さんやメイクさん、みんなで一緒に何かをつくるのが好きなんだな、ってあらためて実感しました」と振り返るあたり、初出演映画『蝉しぐれ』で感じた初心は今も変わっていないようだ。

自身がつけたというタイトルには「『分身』とか『もうひとりの自分』、『演じる』とか......いろいろ意味があるんです。コンセプトがあったほうがいいかな、って」と解説した。インタビュー後編冒頭、「台本がないバラエティは難しい」と語った彼女にとって、コンセプトという拠りどころは不可欠だったのだろう。

「写真集の私は、お芝居と同じで『自分であって自分ではない』という感じ。違う人物を演じているんだけど、演じているのは私だから、役の先には『自分』を見せたい、っていうことを意識してやりました」

まるで禅問答のような答えに、ふと疑問が浮かぶ。映画やドラマでわれわれが目にする佐津川は、彼女の言を借りるならば、無数の「分身」のうちのひとつにすぎない。現在も平行してふたつのドラマに出演し、さらに来年1月放送開始のドラマにも出演。十数年のキャリアで100以上もの役を演じ分けてきた彼女が、本来の「自分」を見失うことはないのだろうか?

「それはないですね」、これまで慎重な受け答えが続いていた彼女にしては珍しく、即答だった。「『自分とは何か』ってよく聞く悩みですけど。すべて、自分なんですよ」。そして控えめに両手を広げながら、こう続ける。「私だったら、あの役も私、この役も私。ぜーんぶ、私」と。

『横道世之介』で天真爛漫な令嬢・睦美、渋谷のギャルを演じた『ギャルサー』、『結婚相手は抽選で』では奇妙にねじれた母娘関係に翻弄される看護師、『電人ザボーガー』では悲哀のなかにもどこかコミカルさを感じさせる巨大ロボを演じた佐津川。そのキャリアゆえ演じてきた役は多岐にわたるが、そのすべてを演じるプロセスこそが、彼女自身というものを形成していったのだ。また近年、彼女は女優としてだけではなく監督としても映像作品を手がけている。

「去年、自主映画を監督したのも大きかった。事務所の人たちも『いいんじゃない』『やりなよ』って後押ししてくれて。役柄のほかにも、『あ、こういうのも私なんだな』って思えましたね」

「だから......」ライフグラフを書き終えた佐津川は、30歳、「100」の目に打った点の上に星印を書きながら続けた。「30歳の今が一番楽しい。周囲の目なんて気にする必要ないんです、だって全部『私』だから。だから今は、バラエティだって楽しもうって決めたの」

そう力強く宣言した佐津川。「周囲の人たちに恵まれている」と再三語る今の彼女は、早世のハリウッドスターが遺した"役者は孤独"という通説とはまるで無縁のようだ。そう問いかけると、彼女は「そうなんです。周りにいい人がたくさんいる今の私は――"最強"なので」と悪戯っぽく言い残し、軽やかな足取りで次の現場へと向かっていった。

●佐津川愛美(さつかわ・あいみ)
1988年8月20日生まれ、静岡県出身。2005年、映画『蝉しぐれ』でブルーリボン賞助演女優賞ノミネート。07年、『腑抜けども、悲しみの愛を見せろ』で同賞および新人賞にダブルノミネート。写真集『Alter Ego(オルターエゴ)』(ワニブックス、撮影:丸谷嘉長)が発売中。2019年1月6日からスタートするNHK BSプレアムドラマ『モンローが死んだ日』(毎週日曜22:00~)に出演。
公式Instagram【@aimi_satsukawa】