『さらば平成』第6弾は、「まーきの」の物まねで有名なおばたのお兄さん 『さらば平成』第6弾は、「まーきの」の物まねで有名なおばたのお兄さん

昭和から年号が変わった年に誕生し、平成という時代を生きた子供たちが30歳を迎える。その顔ぶれを見渡すとスポーツ、エンタメなど各界の第一線で活躍する"黄金世代"だった!

社会は阪神淡路大震災やオウム真理教事件など世間が震撼した災害や事件が続き、ゆとり世代として教育改革の狭間に置かれ、ある意味で暗い時代を生き抜いた――そんな彼らの人生を紐解くインタビューシリーズ回。

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室町時代、越後の国(現在の新潟県)に生まれ能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、自身の残した『風姿花伝』で「一芸に秀でよ」と説いた。それから600年、多様化が進む今日においてその言葉はより大きな意味を持つ。スポーツ界であれ芸能界であれ、ダイバーシティという現代の荒波を超えていくのはジェネラリストではなくスペシャリストなのだ。

森脇さんには全然かないませんでした。あの人、マラソン選手みたいに高地トレーニングとかしてるらしいんですよ、すごいですよね

お笑い芸人・おばたのお兄さんはそう言って感嘆の息を漏らした。今年10月、おばたは生放送番組『オールスター感謝祭』(TBS系)に出演。恒例企画「赤坂ミニマラソン」に出場し、五輪メダリスト・キプサング、森脇健児に次ぐ3位という大健闘を見せた。満身創痍(まんしんそうい)の力走ながら、競技中に持ちネタ「まーきのっ」をいくども披露してみせたのは芸人としての挟持(きょうじ)だろう。

僕、長距離走は経験がないので。次回はちゃんと練習して、1位を獲れるようにしたい

芸能人としては「実質1位」と言っても批判のそしりは受けまい。若手芸人としては十分すぎる"爪痕"を残したように思えるが、彼の口調はおよそ冗談とは程遠い真剣なものだった。

おばたのお兄さん、30歳。「ドラマ『花より男子』で小栗旬が演じた花沢類の物まね」という"スペシャル・オブ・スペシャル"な一芸でブレイク。今年3月には、フジテレビアナウンサー・山﨑夕貴と結婚したことでもメディアを賑わせた。学生時代は野球、アルペンスキー、ラクロス、剣道に打ち込み、そのすべてで輝かしい実績を残すなどスポーツマンとしての一面も。先のミニマラソンのように身体能力を買われたメディア出演も多い。

スポーツをやる前はエネルギーを持て余していたのか、やんちゃすぎて一度保育園を"クビ"になったんです。ちょっと先生たちの手に負えないという感じで

自身の30年を振り返り、その人生のアップダウンを「ライフグラフ」として図式化する最中、おばたは冒頭からそう言って頭をかいた。小学校以降、野球、スキー、剣道すべてで市大会の最優秀選手として表彰されているおばた。「保育園をクビ」という型破りなエピソードから、当時よりいかに有り余るエネルギーを内包していたかがうかがい知れる。

典型的なガキ大将でしたね。転園した先は自由奔放にやらせてくれるタイプの保育園だったのでのびのび過ごせたんですけど。

そうそう、途中で妹が同じ園に入園してきたんですよ。妹は構ってほしくて後をついてきてはぐずるんですけど、僕だって同い年の友達と遊びたいじゃないですか? 面倒をみつつ思いっきり遊ぶ、『どうやったら両立できるかな』って考えて、園のステージで友達みんなでドラゴンボールごっこをやることにしたんです。妹には『お前は"お客さん役"だから、座って見てな』って言ってね

単なる問題児にとどまらない面倒見のよさも、自らを"ガキ大将"と表した理由だろう。思えば吉本興業の若手芸人が集う企画ライブ、その幕間のフリートークにおいても彼の気配りは目立っていた。前に前に出ようとする我が強い若手――全員が自らのライバルであるにもかかわらず――のボケを巧みに拾い、トークを振り、場を整理して流れをつくっていたのはコンビ時代のおばたであった。その片鱗を早くも見せていた保育園時代、おばたいわく「当時を知る先生は、『おばたくんが芸人になったのは当然だ』って」。

大小多様なスキー場を構える新潟県魚沼市。日本有数の雪上スポーツの地で小学生になったおばた少年は、スキーだけでなく野球、剣道とさまざまな競技に打ち込む。

テレビゲームとかもあまりハマったことがなく、とにかく体を動かすことが好きでした。スキーの練習がない日でも、ひとりで近所の山の中を駆け回ってバク転の練習してたんですよ。日が暮れるまで山で飛んだり跳ねたりしてたから、地元の人たちの間で『あそこの山はどうやら天狗が出るらしい』って"天狗伝説"が生まれたり(笑)

ガキ大将から野生児へと成長したおばた。この頃より魚沼市から3種の競技で最優秀選手に選ばれていることは先述したとおりだが、意外に早く最初の壁にぶち当たることになる。

小学校4、5年ぐらいは市でずっと一番だったんです。すべての競技で、団体でも個人でも。ただ......徐々に周りの子も体格ができてきて、自分の力が通用しなくなっちゃったんですよね

おばたのライフグラフは中学入学を境に急降下し、多少持ち直すものの高校に入ったとたん再び下がっていた。しかし、年齢を重ねるつれ「自分の力が通用しなくなった」とはいえ、まだまだ学生レベルではトップクラスだったのではないだろうか。

正直、『野球ではプロに行ける』と思っていたんですよ。でも、いろんな学区からすごいやつが集まってくるのを見ると、ちょっと自分には(プロは)厳しいな、と......

予想外の答えに一瞬、アスリートにインタビューしているのかと錯覚しそうになった。先の「赤坂ミニマラソン1位宣言」と同じく、おばたの目は幼少時から常人よりはるか上を見据えていたらしい。高校生になり、目標をプロから全国大会に"再設定"したおばただったが、進学先は公立高校。当然、ほかのメンバーとの軋轢(あつれき)が生まれることになる。

高校時代は野球部でキャプテンだったんですが、公立校なのでチームの中で目標や意識の差が出るんですよ。剣道やスキーと違って団体競技だし。だからそのときだけは、あまりスポーツが楽しくなかったかな......高校野球からはたくさんのことを教えてもらいましたけどね

おばたに書いてもらったものを元に作成した「ライフグラフ」。縦軸は気分(上に行くほど調子がいい)、横軸は年齢 おばたに書いてもらったものを元に作成した「ライフグラフ」。縦軸は気分(上に行くほど調子がいい)、横軸は年齢

おばたにとってスポーツの楽しさとは、単なるレジャーにとどまらず、とことんストイックに競技の神髄を追い求めた先に初めて見えるものなのだろう。スポーツマンガで定番の、孤高の努力家。『SLAM DUNK』でいえば赤木剛憲(たけのり)、『ROOKIES』だったら安仁屋恵壹(あにや・けいいち)のような。それでも日本体育大学へ進学後に始めたというラクロスで「つま恋カップ最優秀選手賞」を獲得するのだから、彼のポテンシャルは並大抵のものではない。しかし大学時代は好調を維持していたライフグラフが急降下する時期がある。21歳、この時期にいったい何があったのか。

このときですか? ふふふ、『R-1ぐらんぷり』の予選に出て、とんでもなくスベったんですよ

そういって苦笑する彼を前に、唐突のことで少々戸惑う。野球部では主将・セカンドとして鳴らし、小学生時代より学級委員長から生徒会長、応援団長を経験するなど、本人の言を借りれば「とことん目立ちたがり屋」なおばた。スポーツでの活躍では飽き足らず、率先してリーダーシップを取ることで消費されていたバイタリティが、大学時代に意外な形で発揮されたということか。

(出番の)前がハイキングウォーキングの(鈴木)Q太郎さん、後ろが友近さんだったんです。めちゃくちゃウケて、僕でスベって、また大爆笑で、って。『すごいな、芸人さんって』って初めて思いましたね

時期を前後して、彼は日体大で教員免許を取得していた。過去に例のない就活氷河期のなか内定も手にしていたというが、真剣勝負で感じたお笑い芸人の力に"あてられた"若者に引き返すという選択肢はありえなかった。突如燃え上がった芸人への情熱は、おばたを芸人の登竜門・吉本総合芸能学院(NSC)へと誘うことになる。

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■後編⇒平成という時代を生きた30歳に独占直撃!【さらば平成!第6回】おばたのお兄さん「パコーンって"跳ねた"あの瞬間」

おばたのお兄さんおばたのおにいさん
1988年6月5日生まれ、新潟県出身。吉本興業所属(NSC東京校18期生)。選抜メンバーに選出された音楽ユニット「吉本坂46」が『泣かせてくれよ』で2018年12月26日メジャーデビュー。公式Instagram【@bataninmari】