バラエティプロデューサー角田陽一郎氏(左)が、『多十郎殉愛記』で20年ぶりに長編劇映画のメガホンを取った巨匠・中島貞夫監督に聞く!

『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。

先週に引き続き、最新作『多十郎殉愛記』で20年ぶりに長編劇映画のメガホンを取った巨匠・中島貞夫監督が登場!

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──『多十郎殉愛記』は20年ぶりの長編作品ですよね。

中島 『極道の妻(おんな)たち 決着(けじめ)』(1998年公開)でおしまいだと思ってたんです。当時もう60歳を過ぎていたから、タイトルにもけじめと入れてね。

──監督にとってもけじめだったと。

中島 岩下志麻さんにも同じことを言われましたね(笑)。その後もいくつか企画を考えて台本は書いてたけど、現場からは離れていたんです。

──久しぶりの現場はどうでした?

中島 体力が持つか不安でした。ヨレヨレだから。でも、ちゃんばら映画だからね、杖を持っているとやりやすかったな(笑)。

──影響を受けたちゃんばら作品はありますか?

中島 例えば、マキノ(雅弘)のオヤジの『月形半平太』(61年公開)。大川橋蔵さんを使ってやってるんだけど、間の取り方やふっと斬るタイミングがうまい。そういう芝居のつけ方は彼から学びました。とはいえ、ちゃんばらはもともと好きじゃなかったんですけどね。

──え!? そうなんですか?

中島 実は戦後のちゃんばら映画はアメリカの西部劇の影響を受け、そのドラマツルギーを用いたものが多いんです。戦後、ちゃんばら映画が禁止され、復活したときに西部劇のようになってしまった。ええものがわるものをやっつける手段として、ピストルの代わりに日本の場合は日本刀だったと。

──戦前は違っていたんですか?

中島 戦前はね、ちゃんばらの中に生きるか死ぬかのドラマがあったんですよ。昔、助監督をやっているときにスタッフルームで田坂具隆(たさか・ともたか)、内田吐夢(うちだ・とむ)、伊藤大輔という天下の大巨匠たちが話し込んでいるのを聞いたことがありましてね。

伊藤さんが「関係ないやつばっかり斬っててかわいそうじゃないか」ってぼやいていて。つまり、悪いやつを斬るという立ち回りの目的を描かずに、ただ立ち回りを見せるために斬っているだけだと。

──なるほど。

中島 ちゃんばらはね、もともと歌舞伎の動きだったんですよ。それをマキノのオヤジが「これはダメだ。もっと本物に近いことを」と考えて、それから10年くらいかけて変えていったんです。

──僕らが今想像するような、映画的な殺陣の動きは戦前にはなかったんですか?

中島 そうそう。マキノのオヤジが撮った『國定忠治 信州子守唄』(36年公開)を見ると、舞台的なものから映画的なものに移り変わる、それがものすごく感じられます。そのときにどれだけ苦労したかというのは、マキノのオヤジから聞かされっぱなしで(笑)。

彼が少年時代から青年時代に経験してきたことを聞きましてね、日本映画の歴史の中におけるちゃんばらの大きさを知ったんです。

──すごい......鳥肌立ちました。

中島 『多十郎殉愛記』は、日本映画界の伝統であるちゃんばらを後世になんとか伝えようと作りました。主人公(高良健吾)は戦っていくなかで、初めて女(多部未華子)を愛していたとわかってくる。立ち回りの中にドラマがあります。ぜひ劇場でご覧ください。

●中島貞夫(なかじま・さだお)
1934年生まれ、千葉県出身。日本のやくざ映画を代表する巨匠。代表作は『くノ一忍法』、『日本の首領(ドン)』シリーズ、『893(やくざ)愚連隊』、『狂った野獣』、『木枯し紋次郎』、『新極道の妻(おんな)たち』など

■『多十郎殉愛記』公開中
©『多十郎殉愛記』製作委員会 配給:東映/よしもとクリエイティブ・エージェンシー

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