吉田照美、大沢悠里、そして荒川強啓。ラジオ界のレジェンドたちと肩を並べる男が誕生した。その名は、杉作J太郎(すぎさく・じぇいたろう)。サブカル界のトップランナーが故郷の愛媛県で、まさかのブレイク中という。
そーいうことで、本人直撃ですっ!!
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■サブカル王が愛媛のご当地スターに!
――ラジオ界のレジェンドといえば、月曜から金曜まで週5で帯番組を担当するのが必須条件! そんななか、J太郎さんのラジオ出演率は?
杉作 僕の場合はね、週7でやってますから!! いやー。もう本当に大変ですよ!
――いきなりレジェンド超えしてるじゃないですか!
杉作 ラジオは、月に一度くらい収録のときもあるんですけどね。基本は生放送です。あとね、4月からは日曜の朝にテレビのレギュラーもやってるんですよ。まー。どっちも南海放送だから放送地域は限られてますけどね。
――それ、地方とはいえ完全に超売れっ子ですよ! 確変入ってますよ!!
杉作 売れようなんて意識なかったですけど気づいたらそうなってたというか。
――そもそも、どうしてそんなことになったんですか?
杉作 きっかけは東京から、故郷の愛媛県松山市に移り住んだことですね。そして、「ラジオDJやりませんか?」といわれて2017年から始めたのが、土曜夜の生放送番組『MOTTO!! 痛快!杉作J太郎のどっきりナイトナイトナイト』(南海放送)。
これの聴取率がよくて、気づいたら月曜から金曜の帯番組に変更しないかと、打診されたんです。
――でも、東京での仕事もあったでしょ?
杉作 そうなんです。当時は、まだ東京の仕事も多かったから、時間をやりくりして、行ったり来たりしてました! それもクルマで移動だったから、何度も死にかけましたよ! だから、土曜も入れて週6の放送にしてくれって頼んだんです。それなら東京の仕事に未練なく、こっちに専念できますから。
そうしたらOKが出ましてね。週6なら、いっそ日曜もやったほうがいいんじゃないかって。それで今年の4月から『痛快!杉作J太郎のどっきりナイト7』(南海放送 @jtaro_night)として週7のラジオ放送が始まりました!
――ところで、どんなコンセプトのラジオ番組なんですか?
杉作 いやー。コンセプトとかないんです!
――ない!? 本当ですか!!
杉作 ないというとアレですが(笑)。週7でラジオをやるってのは業界でも前例がないほど大変なことですし。とりあえず、今までにない番組にしたいなと。
――今までにないとは?
杉作 型どおりの番組にはしたくないってことです。いや、大まかなテーマはありますよ! 月曜は音楽、火曜は健康、水曜は食べ物、木曜は流行、金曜はアイドル、土曜はフリー、日曜は取材モノみたいな。でも必要以上に縛られないというか。僕は先が読めないことをやりたいんです!
――成り行き任せだと?
杉作 そう! それです!! ええ、計画性ゼロです。
――自分で言っちゃったよ!
杉作 でも先が読めないのが面白いのは確かですね。昨日も「好きなふりかけ総選挙」というテーマで延々と盛り上がってましたから。
――それって、そんな盛り上がる話なんですか?
杉作 リスナーで大論争ですよ。2時間半語り尽くし、翌日まで続きました! ほかにも「高橋悦史さんの出ている映画の感想文大会」「俺の掟!」なども盛り上がりました。
――前々からのトークイベントと同じノリですね(笑)。
杉作 ラジオって、そもそもひとりで聴くことが多いメディアですから。普段、誰にも理解されず不満に思っていること、ひとりきりでこっそり思い悩んでいるようなことを扱いたいんですよ。と同時にはやってるもの、どこででも聴けるような音楽は断じて扱いたくない! 僕は地方局から中央の文化に対する挑戦状をたたきつけたいんです!
――なるほど。そこまで深く考えてるんですね。だけど、成り行き任せで、放送事故とかないんですか?
杉作 昨年の大晦日、『どっきり紅白曲合戦』って、僕が選んだ100曲をかける7時間の特番をやったんですよ。でも、僕がしゃべりすぎちゃって、かけられたのは30曲程度。あれはまいりましたね。
――そもそも7時間放送ってのがおかしいですよ! どんな曲をかけたんですか?
杉作 寺山修司、江本孟紀、つのだ☆ひろ、若山富三郎。そんな曲をかけたら、その人たちの話をしたくて仕方ないですよ。次回はせめて14時間欲しいです(笑)。ちなみに寺山修司は曲でなく短歌の朗読でした(笑)。
■テレビでもブレイク! Jの活躍が止まらない!!
――そんな挑戦的なラジオに加え、現在は毎週日曜のテレビ番組『もぎたてテレビ』(南海放送)にもレギュラー出演中なんですよね?
杉作 30年近く続く生放送の情報番組だから、僕でいいの?って思いましたよ。でも、ラジオの評判がよかったんで声をかけてくれたんです。いつもどおりのトークで構わないっていうので楽な気持ちでやらせてもらってます。
――さっき南海放送の館内に番組の視聴率が「8%から15%に上がった」って張り紙がありましたよ。すごいじゃないですか?
杉作 それは僕が入ったからなのかはわかりませんけど!
――でも、これだけ露出すると、お出かけ中に周囲がザワつくことも?
杉作 知らない人から話しかけられることは増えましたね。お寺でお年寄りの方から声をかけられたり、商店街で学生が近寄ってきて「ラジオを聴いてる」って話しかけられたり。温泉に行って小学生から「杉作さんですか?」なんて言われたりすると、フルチンなんで困ることもあるけど(笑)。
こうして、いろいろな世代から声をかけられると、頑張って生放送をやってるかいがあるなと思いますね。
――もう地元のスターじゃないですか! それにしても、なぜそこまで生放送にこだわるんですか?
杉作 やっぱりリスナーの助けになりたいって気持ちがあるからなんですよ。生じゃないと、本当に助けを求めている人がいても、すぐ対応できないし、あと気持ちも響かない気がするんです。
例えば、リスナーの中には、金がなくて困ってる人もいますよ。でも「俺、貧乏だから安い飯を教えてください」って他人にはなかなか聞けないじゃないですか。だったら僕が、安くてうまいものを紹介する。生放送だと、リスナーがそれをすぐに買いに行けるんです。それで喜んでもらえたら一番うれしいですね。
――なんか、いい話にまとめようとしてるんですか?
杉作 いやいやいやー。そんなことないんですけどね! ただ、僕、20歳のとき、病気で入院したことがあって、毎日身動きも取れないし、鬱々(うつうつ)としてたんです。で、そのときの唯一の楽しみはラジオ。すごく救われた気になったんですよね。
――数字どころか、愛媛県民の好感度も手中にするつもりじゃないですか! これって、ゆくゆくは地元から選挙に出るとか狙ってます?
杉作 だははは。それはないでしょー(笑)。もともと僕が地元・松山に戻ってきたのは自分の映画を撮ったり、アニメを作るためのスタジオを造るためだったんですよ。でも機材は高額だし、簡単に手に入らないので、頓挫しちゃった。だから、一生懸命ラジオやテレビの仕事を頑張ったら、いつか南海放送のカメラとか編集機材をタダで貸してくれるんじゃないかって(笑)。
――相変わらずの成り行き任せっぷりで安心しました。
杉作 でも最近ですね。カメラや編集機材をタダ借りしようってのを、局の人にうすうすバレてるんじゃないかと思うんですよね。だからね、このインタビューの掲載誌とか絶対に南海放送には送らないでくださいよっ!
――送りますっ!
●杉作J太郎(すぎさく・じぇいたろう)
1961年生まれ、愛媛県出身。週刊プレイボーイでもおなじみのサブカルおじさん。写真の南海放送正面ロビーの階段は、Jさんのイラストを全面プリント。空前のJブームが到来中!!