7月17日、ある短編映画が東京・渋谷のライブハウスで初公開された。

4月18日の銃刀法違反容疑での逮捕(5月23日付で保釈)から約3ヵ月。企画、脚本執筆、撮影、そして公開までを驚異的なスピードで駆け抜けた。

豊田利晃(とよだ・としあき)監督の新作『狼煙が呼ぶ』に込められた、映画人の魂とは?

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■父から譲り受けた祖父の形見の拳銃

《2019年4月18日、拳銃不法所持で僕は逮捕されました。その拳銃は祖父が戦争中に自分の身を守るために使っていた拳銃。父親は祖父の拳銃を形見として引き取り、ずっと大切に持っていました。(中略)僕には父の想いが詰まった拳銃を捨てることはできませんでした。

(中略)不祥事が起これば、映画の公開は中止、販売配信はストップ。真摯に作品を作ったスタッフ、キャストの意志は無視して、当たり前のように自粛することに対して、憤りを感じずにはおれません。そのファシズムのような思考に危険な予兆を感じています。

そんな流れに対して、映像で意志を返答したいと思い、この企画を考えました。映画監督は映画で返答すべきだと。(後略)》

上は、映画監督、豊田利晃が新作短編映画『狼煙(のろし)が呼ぶ』のパンフレットに寄せた文章からの抜粋だ。

映画監督は映画で返答すべきだと――。この一文を目にして、その真意を聞いてみたいと思った。真偽不明な情報が乱れ飛び、ネットリンチともいうべき"惨状"が当たり前のように繰り返される昨今。渦中にあった映画監督は、手巻きたばこの香ばしい煙を燻らせながら、静かに語り始めた。

「拳銃は、5年前に父親が亡くなり、実家を処分したときに遺品として引き取ったものです。僕の自宅は散らかっていて、電子レンジの上にいろんなものが積み重なって、拳銃もそこに置きっ放しになっていた。実は、この拳銃は子供の頃から見ていたもので、グラフィックデザイナーだった父親が事務所の机の上に飾っていたんです。

「YOUNG AMERICA」と書かれたリボルバーで、掌(てのひら)に収まるような小型だけど、かっこいい。当時からかなり錆(さ)びついていて、本物なのか、モデルガンなのかもわからなかった。母親が言うには、祖父が戦争中に使っていたものだと。大阪市東成区の名士だった祖父は、天皇を警護する近衛兵だったんです」

今年の4月18日、電子レンジの上の拳銃を、ガサ入れに入った刑事が見つけた。これは祖父の遺品だと豊田は説明したが、刑事は首を傾(かし)げた。

「まさか、こんなんで捕まえないですよね?」

「たぶん大丈夫だと思うけど、一応本部に確認する」

そんなやりとりをした30分後、豊田は連行された。車が静岡県警三島署に着いたとき、目を疑った。多数のテレビカメラが待ち受けていたのだ。県警トップと思(おぼ)しき人間が、「俺がドアを開けて合図を出すから、豊田を先頭で車から出せ」と、刑事に指示するのが聞こえた。

「もう、テレビ向けの演出ですよ。たぶん、普通の人なら逮捕されることもなく、地元の警察署に届け出をすれば終わる話です。僕が捕まったのは、映画監督としての名前があるからですよ。取り調べのとき、あまりにひどいんじゃないの?って、抗議したんですけど......」

刑事は「おそらく不起訴になるからすぐ出られる」と言ったが、結局9日間、たった6畳の3人部屋に留置されることになった。

「留置所ではなるべく何も考えないようにしてましたけど、愕然(がくぜん)としてました。なんで捕まんの? また捕まったのか俺......あまりにも自分の人生が映画的......なんでこんな理不尽な目に遭ったんだろう?と」

「また捕まった」というのは、2005年に覚せい剤取締法違反(所持)で逮捕された過去を指す。

「拳銃は父の自宅を引き払う際、金庫から出てきたものだ」という兄の証言が決め手となり、4月26日に釈放。5月23日付で不起訴処分となった。なお、形見の拳銃は返却されていない。

■名優たちからかわいがられて

豊田は1969年、大阪市に生まれ、少年時代は将棋棋士を目指していた。9歳で日本将棋連盟のプロ棋士養成機関である新進棋士奨励会に入会。しかし、10代後半になると、将棋に全身全霊を注ぐことが苦痛になった。情熱を失い、勝てなくなり、17歳のときに退会。

「そこから何もする気力がなくて、21歳までの4年間、大阪でダラダラと引きこもりのような生活をしていたんですが、ちょっと実家にもいづらい状況になって、東京に出てきました」

引きこもっていたという4年間で、好きな本、漫画、映画をたらふく吸収していた。上京後、出版社のアルバイトに応募したが、中卒の豊田を採用する会社はなかった。

転機となったのは、映画配給事業も行なう出版社・リトルモアの代表、孫 家邦(そん・かほう)との出会いだ。

「(映画監督・プロデューサーの)荒戸源次郎さんの事務所がアルバイトを募集していた。電話したら『明日から来い』と。月給は3万円。映画の宣伝とか、ちょっとしたロケの手伝いをやっていました。そこにいたのが孫さんで、『おまえ、何がやりたいねん?』って。監督をやってみたいと言うと、『じゃあ脚本書け』と。それで書いたのが『王手』です」

1991年公開の『王手』は、奨励会時代の経験を基に描いた将棋の物語で、阪本順治監督がメガホンを取った。豊田は脚本、助監督に加えて将棋指導も担っている。

「当時21歳くらいだったので、金子信雄さんや汐路 章(しおじ・あきら)さんら往年の名優たちからアイドルのようにかわいがられた。この映画は若山富三郎さんの遺作なんです。すでに癌(がん)を患っていたのですが、体中から炎のオーラが出ていた。それが本当に肉眼で見えるんです。

映画の世界には命をかけている人がいる。なんて面白い世界だ。監督をやりたいという思いをさらに強くしたときに、孫さんが『映画作れ』って。それで作ったのが『ポルノスター』でした」

監督デビュー作『ポルノスター』(98年)は千原浩史(旧芸名・現在は千原ジュニア)演じるナイフ使いの若者が次々とヤクザを刺殺するバイオレンス映画で、日本映画監督協会新人賞を受賞した。2002年、漫画家・松本大洋原作、松田龍平主演の『青い春』が大ヒット。

05年の直木賞作家・角田光代原作、小泉今日子主演の『空中庭園』は海外でも高い評価を得たが、公開直前、先述の覚せい剤取締法違反で逮捕され、執行猶予付きの有罪判決を受けた。09年の『蘇りの血』まで、復帰には4年を要した。

しかし、今回は完全なる無罪だった。

■この借りは即行、返す

映画監督は映画で返答すべきだと――。その言葉どおり、16分の短編『狼煙が呼ぶ』には"形見の拳銃"が登場する。冒頭シーンは現代。少女が田舎の屋敷の蔵を整理していると、拳銃を発見。錆びついたその拳銃が辿(たど)ってきた歴史を想像する。

舞台が幕末に移る。虐(しいた)げられた農民たちが神社に集まり、武器を手に取り幕府に立ち向かっていく――。一揆である。

しかし、この映画で伝えたいことは反権力のメッセージではなく、自らの潔白でもない、と豊田は強調する。

「VS警察とかVS国家ではない。それよりも、現代社会の病巣に対して声を上げている。留置所にいる間は情報が遮断されていたのでわからなかったのですが、マスコミとSNSの相乗効果による、自分に対するリンチのようなことが行なわれていました。マスコミは好き勝手なことを言い、SNSで嘘が拡散される。無自覚に、誰もがそのリンチに加担することができる。

それは今回の僕の事件に限ったことではなく、現代社会の最大の病巣だと思うんです。本来なら、起訴、裁判を経て有罪か無罪かが確定する。それを待たずして、自粛という言葉の下に、公開延期や販売中止に追い込まれる。不祥事が起これば、当事者を社会的に抹殺するまでリンチは続く。そんな社会のありさまにずっと疑問を抱いていた」

不祥事は、逮捕の第一報が最も大きく伝えられるものだ。豊田の事件でも、あるワイドショーは長々と特集を組んだが、不起訴処分には触れずじまいだったという。

「だから、いまだに僕が刑務所に入っていると思っている人はたくさんいるはず。『この借りは即行、返さないと意味がない』と思って、短編映画という手法を採ったんです」

釈放され、令和の時代が幕を開けた頃、脚本を書き始めた。撮影は6月中、主演は豊田作品の常連俳優、渋川清彦と決めていた。

「渋川は、僕が留置されてからずっと心配して、各方面に連絡を取ったりしてくれていたんで。ところが、意外にあいつのスケジュールがパンパンで(笑)、じゃあ空いてる日にシュート(撮影)しようと。

次に、どこで上映するか。一発目は映画館じゃなくて、ライブハウスがいいなと思って。渋谷のWWWに知り合いがいたんで電話したら、7月17日なら空いていると。そうして仲間がつながっていった」

企画から脚本執筆、撮影、公開まで約3ヵ月という驚異的なスピードである。渋川のほか、元ブランキー・ジェット・シティのドラマー・中村達也、本作の音楽も担当する和楽器パンクバンドの切腹ピストルズ、さらに浅野忠信、松田龍平、高良健吾ら大物俳優も出演。撮影や衣装、美術などのスタッフも一流の人間だ。

超低予算のため、彼らの多くは無償。それでも、これだけの人間が集まったのは、「映画監督は映画で返答する」という、豊田の映画人としての姿勢を意気に感じたからだろう。

「一揆に向かう農民たちが神社に集まる。それがすごく絵になると思ったんです。映画作りも、個人ではできない。人が集まることによってできるメディアなので」

つまり一揆は、映画製作そのもののメタファーなのだ。農民たちが集う架空の神社は「狼蘇山(おおかみよみがえりやま)神社」という。埼玉の秩父や奥多摩など関東の山間部には「狼信仰」が存在し、狛犬(こまいぬ)ではなく狼の像が鎮座する神社がある。そこに着想を得た。

「ニホンオオカミは明治維新のときにほぼ絶滅している。近代化で、山を開拓するときに邪魔者扱いされ惨殺されたんです。狼は山の食物連鎖の頂点にいた。それが絶滅すれば、秩序は崩れていく。近代化によって崩れた秩序。それも現代社会の病巣のひとつのメタファーになりますよね」

マスコミとSNSによるリンチ。それは、かつてあったひとつの秩序が崩壊したことによる副産物かもしれない。

「映画にしろ、音楽にしろ、僕ら表現者はメタファーで戦っていくしかないんじゃないかなって。だからといって、誰かと敵対するわけじゃなく、白も黒もあっていい。大事なのは、想像することと、想像することを楽しむこと。それは誰にも侵すことはできない」

令和元年の自粛社会。形見の拳銃に"想像"の力を宿した、表現者たちの反撃の狼煙がスクリーンから上がる。

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7月17日、満月の夜。渋谷WWWで開催された『狼煙が呼ぶ』ジャパンプレミアイベントは、さながら"決起集会"のようだった。開場と同時にライブハウスを埋め尽くした観客たちは皆、これからここで起こる出来事に期待し胸を高鳴らせていた。

舞台が暗転し、元ブランキー・ジェット・シティの照井利幸がギターを爪弾く。スクリーンには、VJの豊田が自身の作品の名シーンを数珠繋ぎに映し出す。音楽と映像の美しいコラボレーションに観客たちが酔いしれた後、豊田、渋川清彦、松田龍平、浅野忠信らキャストが登壇。豊田は舞台挨拶でこう述べた。

「映画っていうのは完成したらスタッフで試写会やって、その後マスコミに見せて、それから一般公開なんですよ。今回は最初が一般公開っていう。一度やってみたかった。僕、ちょっと拳銃で捕まったんですけど、この映画は拳銃がモチーフにはなっているんですけど、アンダーカバーの高橋 盾(じゅん)さんが(コラボTシャツに)"TOO MUCH CONTRADICTION"――"多すぎる矛盾"というメッセージをくれた。"多すぎる矛盾"に対して意志を表明したっていう映画です。

令和元年の5月1日に企画書を書いて、心意気のあるスタッフとキャストに集まってもらって、すごく感謝しています。WWW、本当に感謝してます。16分の、本当に短い、体感2分くらいの映画なんですけど、楽しんでください。今日はどうもありがとうございました」

豊田の意志を讃える拍手喝采。そして『狼煙が呼ぶ』の上映――その素晴らしい出来栄えは是非、今後の上映会でチェックしてほしい。

最後は切腹ピストルズがぶちかましてくれた。鉦、太鼓、三味線、篠笛の和楽器パンク集団が打ち鳴らすビートに観客が熱狂する。豊田のVJプレイにも拍車がかかる。表現者たちの底力を見せつけられたようだった。

終了後、興奮の余韻に浸りながら空を見上げると、煌々と輝く満月が最高の一夜を祝福していた。

■『狼煙が呼ぶ』 
少女が家の蔵で古びた拳銃を見つけたことから物語が始まる。主演に渋川清彦を迎え、浅野忠信、高良健吾、松田龍平らが出演。8/3(土)~8/5(月)、京都「出町座」にて3日間限定上映。以降の上映会は『IMAGINATION』H.Pよりご確認ください

●豊田利晃(とよだ・としあき) 
1969年3月10日生まれ 大阪府出身 映画監督。
主な監督作に『ポルノスター』『青い春』『空中庭園』『蘇りの血』『泣き虫しょったんの奇跡』などがある。今夏には初の自叙伝となる『半分、生きた』(発行:HeHe/ヒヒ)の出版が控えている