『ザ・ワールド・イズ・マイン』『キーチ!!』などで、漫画ファンからアツい支持を受ける漫画家・新井英樹による初期の代表作『宮本から君へ』が映画化された。監督は、昨年高い評価を得たドラマ版(テレビ東京)の演出も担当した真利子哲也が引き続き務める注目作だ。
主人公・宮本浩を池松壮亮、ヒロイン・中野靖子を蒼井優が演じ、原作の後半部分を描く映画版では、今度は宮本と靖子が「ある事件」に見舞われたことから"究極の愛の試練"にさらされる。靖子の元恋人・風間裕二を井浦新、ラグビー部に所属する怪力の持ち主・真淵拓馬を一ノ瀬ワタルが演じる。
今回、原作者の新井英樹先生を直撃。『宮本から君へ』の誕生秘話やエレファントカシマシ愛を語ったインタビュー前編に続き、インタビュー後半では、先生が影響を受けた少女漫画のお話から、意外な好きな女性のタイプまで、新井作品を読み解くカギのひとつである"女性"について主に話をうかがった。
■20年引きこもって外に出たときにわかったこと
――『宮本から君へ』は、ドラマ版の原作となった前半部分では甲田美沙子、映画版にあたる後半部分では中野靖子と、主人公である宮本浩と女性たちとの出会いが物語を動かしていきます。しかし、彼女たちはヒロインであるにもかかわらず、男の思い通りにはならず、むしろ男を翻弄するような存在でもある。これは先生のほかの作品にも共通している特徴ですよね。
新井 男の願望を投影したようなヒロインにしないようにというのは、ものすごく意識しています。女の人を描くのはもともと好きだし、昔から女の人自体を女神・聖母系とかではなく、生き物として尊敬して憧れていましたから。ただ、50歳を過ぎてからは、「実は男性も女性も物事に対する考え方はそんなに変わらないのでは?」と思うようになりましたね。
――それは何かきっかけが?
新井 30歳くらいから20年も引きこもって漫画だけを描いている生活をしてるうちに、どんどん人間のことが嫌いになっていて(笑)。このままだと登場人物をぶち殺す漫画ばかり描くようになりそうだったから、外に出ていろんな人に会ってみようと思ったんです。そうしたら女友達もかなりできて。それで話してみると、基本的な考え方や感じ方は意外と男性と変わらないじゃんって気がするようになって......。
たとえば、処女童貞問題ってありますよね。男は年齢を重ねても童貞でいるのがツラいって思っているけど、「まだ処女なんです」という女性だって同じくらい、もしかしたら男よりもツラいかもしれない。だってセックスの主導権を握っているのは基本女性なわけで。女性が許可しないと普通はセックスできないから。そういう主導権を自分が握っているにもかかわらず、まだ処女だってキツさは童貞よりもあるかもしれないわけですよ。
もちろん、オレが会った女の人から聞いた上での話で、根っこの部分での感じ方の違いはあるだろうけど、何かのニュースとかに接したときの反応だって、男性も女性もそんなに変わらない。前から薄々と感じていたことではあるんだけど、実際に人に会って話を聞いてみたことで、「やっぱり、そうなんだな」と確認できました。あくまでもオレまわり調べですけどね。
■『ベルばら』が好きで「オレのアンドレ」と呼んでいた
――以前から薄々と感じていたとのことですが、そういう女性に対する考え方は何かに影響されて?
新井 どうなんだろう? 妹はいましたけど。
――女性をステレオタイプで描かないという意味では、もしかしたら少女漫画の影響があったりするのではと思ったのですが。
新井 ああ、少女漫画の影響はすごくあると思いますね。子供の頃に好きで読んでいて一番デカかったのは、里中満智子先生。『アリエスの乙女たち』とか『季節風』とか。それから山岸凉子先生の『日出処の天子』。さらに、やっぱり『ベルサイユのばら』(池田理代子先生)かな。アンドレが好きで、一時期は「オレのアンドレ」と呼んでいたくらい(笑)。
――ヒロインのオスカルじゃなくて(笑)。
新井 アンドレ大好き。初めてオスカルとアンドレがセックスした回を読んだときには、「オスカルはアンドレに抱かれながら、頭の中ではフェルゼンを思い浮かべている」と想像しました。そのほうがアンドレの切なさが際立つから(笑)。
――男性キャラクターの思いが報われないほうに想像力を働かせていたんですね。
新井 こう言ったら怒られるかもしれないけど、女の人の薄情さっていうのは、オレにとってプラスのポイントでしかないんですよ。反対に男は別れた女の人を「あいつには幸せになってほしい」とか言うじゃない? そこは役割の違いで、男は未練タラタラ、女の人は「男を振り回してこそ!」って思っちゃってる(笑)。
――それは『宮本から君へ』にもあてはまりますよね。宮本は甲田美沙子のことをけっこう引きずっているけど、靖子は元恋人の風間裕二にも思いを残したまま宮本と結ばれる。
新井 そうそう。中野靖子にとっての裕二は、別れたあとも心の一部を占めていて、あいつがいることによって救われる部分もあるわけですよ。そこは新しい男にも手が出せないところで、「そのスペースをオレが奪い取ってやるんだ!」というのは、ちょっと下品じゃないかな。というか欲が深すぎる。
■理想の女性像は『風と共に去りぬ』のヒロイン
――先生としては、女の人に振り回されたいって願望がある?
新井 体力があるうちは(笑)。これは知り合いにしか話していないけど、「オレの理想の女性は誰か?」って話をアシスタントとしたことがあるんですよ。そのときに出てきたのがね、スカーレット・オハラ(笑)。
――『風と共に去りぬ』のヒロインですね。その美貌とわがままぶりで次々と男性を振り回していくことから、元祖・小悪魔みたいに言われるキャラクターですが、それが理想だと。
新井 うん。その話が出たあと、確認しようと思って映画を見直したんだけど、冒頭の何でもないシーンでスカーレットがわがまま放題やっているのを見て、ボロボロ泣いちゃって(笑)。「オレが探していた『女像』は全部ここにあった!」って。今では彼女はレイシストだとかいろんなことを言われているけど、女性の生き方として見たら、オレが思う「それでこそ!」って要素がそろっている。むしろ、オレが近付きたくないのはメラニー・ウィルクスのほう。
――スカーレットの義理の妹で、彼女とは正反対に包容力にあふれた優しい人物として描かれている女性ですね。
新井 彼女の言動は、オレには「できれば勘弁してほしい」ってことばかり。もちろん、スカーレットと付き合ったらくたびれ果てて地獄を見ることはわかっているんだけど、絶対にオレはスカーレットを選ぶ。いや、選べないかもだけど(笑)
――なぜそこまでスカーレットに惹かれるのでしょう?
新井 要するに、自分の物差しの中で汚い行為じゃなければ、何を選び取ってもいいんだってことをスカーレットは体現している。物語の中で何回も結婚するけど、それは好きだからとかではなくて、「今の生活を続けるためにはこいつと結婚したほうが得だな」って判断だったりするわけですよ。
それからスカーレットが素晴らしいのは、結婚相手が戦死したあと、本当は喪に服さないといけないのに、「あたし、喪服じゃなくてきれいなドレスでパーティーに出たいの!」って言うの。「すげえ!」と思って(笑)。人にどう思われるかなんて関係ないんだ。パーティーがあればきれいなドレスを着たいし、パーティーに行ったら楽しくてつい踊っちゃう(笑)。
そういう女の人を漫画でちゃんと描けたときは、すごく楽しいんですよ。女の人には特に生きることに対して素直に生きて欲しい。哲学とか美学とか、そういうくだらないことに左右されるのは男が他にやることがないからでしょ。
■なぜ中野靖子はどんどん美人になっていったのか?
――『宮本から君へ』のヒロインである中野靖子は、物語が進むにつれて、顔つきがどんどん美人に変わっていきました。彼女の変化は確信犯としてやったことだったんでしょうか?
新井 そうです。だから中野靖子は最初、単に"地味な年上の女性"として出したんです。
――飲み会にたまたま居合わせたという、この人が後のヒロインになるとは思えないような登場の仕方でした。
新井 でも、オレはその時点から靖子をヒロインにすると決めていました。周りからは美人と言われない女性でも、主人公が「この人のことが好きだ」と思い始めたら、彼の目線ではどんどんきれいに見えていくはず。靖子でやりたかったのは、そういうことでした。
――そうやって宮本と靖子が結ばれて、読者から見ても靖子がとても魅力的に見えてきたときに、映画版の中心にもなっている「あの事件」が起こります。
新井 漫画の後半の部分を映画化するって聞いたときには、「これは理論武装しておかないと」と思いました。というのも、中野靖子に「あのこと」が起こったあと、宮本が部屋に乗り込んできて口論になって、「○○されたら偉いのか!」って言うじゃない? あのセリフは今の時代やばいだろうと思った。だからツッコまれたらどうしようって身構えていたんだけど、意外に取材でも聞かれないんです。
――あの場面は映画でもそのまま再現されていましたが、反発を覚えるというよりも、「こいつ何を言っているんだ」と呆れて、思わず笑っちゃうんですよね。
新井 宮本はアホなんですよ。ただ、「あの事件」が真淵拓馬との対決につながっていくわけだけど、あれは靖子の心の傷を癒すためじゃないでしょ。映画のラストで宮本が「靖子なんてむしろ敵だったぜ」と言い切るように、自分のためでしかない。そこまで宮本にさらけ出されたら、あとは心の傷を負った靖子がこのアホを選ぶのかどうかってことだけが問題になる。なんでそんな展開にしたかっていうと、これはよく取材で話していることだけど、もともとオレは靖子にあんなことを起こそうとは思ってなかったんです。
――当時の『モーニング』編集長から「こういう手もあるぞ」と提案されたとか。
新井 そうです。「それをやっていいなら、どんな話が描けるだろう」と思って描くことを選んだんだけど、その後の靖子を考えれば考えるほど、オレには彼女を救える気がしなくなって。ただ、宮本と靖子を別れさせることだけは絶対にイヤだったから、宮本には「靖子のため」なんて言わせず、ひたすら勢いだけで拓馬との対決に向かわせるしかない。
そのうえでプロポーズをするんだけど、あれは完全にオレのわがまま。「靖子ごめん、オレにはこの問題を解決できませんでした。あとは君が決めてください!」っていうね。でも、靖子を演じた蒼井優さんが、「あの場面を演じて素で感動しました」と言ってくれたので、ようやく「許された気がする」と思えるようになりましたね。
■『宮本から君へ』はオレにとってラブストーリー
――『宮本から君へ』は本当にいろんなものが凝縮された作品ですが、映画化されたものを観たとき、あらためて新井さんはこれをどういうジャンルの作品だと思いましたか?
新井 それについては、試写を観たマスコミの人たちが衝撃で言葉をなくしているという話をさっき聞いて、どうやって説明すれば世間に一番届くのだろうと考えていたんです。でも、やっぱりオレにとってはラブストーリーかな。それは連載のときから変わらない。
連載中に小学館漫画賞(青年一般部門)受賞を発表の号で、朝出勤する前の宮本が靖子にフェラチオで抜いてもらうシーンを描いたら、めちゃくちゃ不評だった。でも、オレとしてはロマンチックなシーンとして描いたつもりなんです。「新井は露悪的だ」と言われたけど、いやいや、みんなやっていることを描いて露悪的はないだろうって。
オレが『宮本から君へ』でやりたかったことのひとつは、男女の中で普通にやっていることをちゃんと描いて、その姿をロマンチックだと感じられる人を増やしたかったんだと思う。当時はトレンディドラマの全盛期だったから、恋愛ものにそういうシーンはいらないって声ばかりだったけど、「みんなやってるでしょ? それをロマンチックなことだと思ってやってるじゃん。あるものをないって否定するより、あるものをあるって肯定したほうが人生が豊かになるよ」って言いたかった。
――トレンディなことをするだけがラブストーリーじゃないと。
新井 トレンディなことをやってないとラブストーリーじゃないってなると、オレには耐えられない。だから、今の若い人が『宮本から君へ』という映画を観て、どう思うだろうかってことはすごく気になる。決まりきったところからはみ出しているかもしれないけど、こういう恋愛もロマンチックだと感じてもらえたらうれしいですね。
●新井英樹(あらい・ひでき)
1963年生まれ 神奈川県出身 漫画家。
1989年のアフタヌーン四季賞夏にて『8月の光』が四季大賞を受賞しデビュー。1992年には、『宮本から君へ』で第38回小学館漫画賞青年一般向け部門を受賞した。その後も『愛しのアイリーン』『ザ・ワールド・イズ・マイン』『キーチ!!』など、衝撃的な作品を発表。漫画ファンのみならず、漫画家をはじめとした作り手にも大きな影響を与えている。
■映画『宮本から君へ』は全国公開中。詳細は公式HPにて。