「客をひとりも独りぼっちにしないで、全員を巻き込む作品をいつか撮ってみたい。地球の人口は今、何人ですか? 77億人? やっぱり究極の目標はそこですね」と語る豊田利晃監督

父親の形見として預かった古びた拳銃が"狼煙(のろし)"の引き金になった。今年4月18日に銃刀法違反の容疑をかけられたが、すぐに身の潔白が証明されて釈放。留置所の中で、やり場のない怒りは強い覚悟に変わった。映画監督は映画で返答するべきだ、と。

豊田利晃(とよだ・としあき)監督の新作短編映画『狼煙が呼ぶ』は、企画から公開(7月17日・渋谷WWW)まで3ヵ月という驚異的なスピードで産み落とされた。去る9月20日には、全国37館の劇場で一斉公開が実現。上映時間は16分。料金は一般的な劇場公開作と同様に1800円。「お礼参り」と称して監督が全劇場を巡るなど、前代未聞にして映画史に刻まれるべき"事件"になった。

そして、軌を一にして半生を綴った自伝『半分、生きた』(HeHe/ヒヒ)が上梓(じょうし)された。

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――反撃が続いています。

豊田 「革命ですね」なんて言う人もいるけど、俺は全然。たまたまこんな流れになっちゃっただけで、もちろん映画監督なりの狙いはありますよ。『狼煙が呼ぶ』は一気にやりたくて、全国の劇場関係者が「豊田のアイデアに乗った!」と応えてくれました。その心意気には頭が下がります。

そもそも単館上映で一斉に公開するのは、日本初の試みなんです。単館は時期をずらして1、2年かけて全国を回るのが一般的ですから。

――自伝の出版もこのタイミングを狙って?

豊田 一斉公開の話を具体的にしたのが1ヵ月前で、自伝の発売日を決めたのも同じ頃です。菊池 修さんという写真家の作品集に寄せるために、自らを振り返る長めの文章を書いたのがベースにありました。

本もそうだけど、映画って時間がかかるのが当たり前の世界じゃないですか? それがずっとストレスでした。完成から公開まで、1年も待つなんて......。映画にも鮮度があります。少なくとも半年。半年以内にやらなきゃダメ。本も同じようなものじゃないですか?

――確かに。『半分、生きた』は一言一句が生きているというか、言葉がまとう熱がしっかり伝わります。

豊田 どうせなら映画と同じく、集団劇にしちゃったほうが面白い。編集者と相談して、文字だけじゃなくて各章に絵を描いてもらうことにしました。「みんな参加!」みたいなノリです(笑)。

2週間くらいの締め切りでよく引き受けてくれました。松田龍平が描いた新井浩文はちょっと泣かせますね。彼に聞いたら、「いや、新井君か豊田さんか、どっちにしようか迷ったんだけど」って。

――本の内容についても聞かせてください。監督は奨励会(※1)に入ってプロ棋士を目指されました。『泣き虫しょったんの奇跡』(2018年)につながるルーツの話ですが。

豊田 学校の先生には「もう学校に来なくていい。将棋を頑張りなさい」と言われるくらいにのめり込んでいました。7歳から本格的に指し始めて、将棋に一直線でした。もう意識的には将棋指しだったんですよ。

だから、卒業文集に将来の夢を「棋士」とするのは当たり前すぎて、「映画監督」と書いたっていう。5年くらい前に同窓会で言われて判明したんですけど。17歳で奨励会を辞めたときの感情は言葉にできないです。解放感と失望感。目の前にぽっかり穴が空いたみたいな。

――21歳で上京。翌年、映画界に飛び込むまでのエピソードが印象的でした。漫画『迷走王 ボーダー』(※2)の世界そのままで。

豊田 周りの奴らはみんな好きでしたが、俺はしっかり読んだ記憶がないです。でも、あの頃は時間があって、本や漫画雑誌を片っ端から読んでたから、もしかしたら引っかかっていたのかもしれません。

『迷走王 ボーダー』の主人公は、アンチェイン蜂須賀でしたよね? 2作目の映画『アンチェイン』(2001年)のアンチェイン梶の名前はそこからパクったのかな? いやいや、そんなことは絶対にありません(笑)。

――監督の20代はちょうどバブルの終わり、1990年代とオーバーラップします。

豊田 何かになれるんじゃないかと期待して東京に出てきて、なんとなく暮らしてもそれなりに楽しめる。求人誌なんてこんなに分厚くて、仕事に困ることなんてありませんでした。

例えば俺の場合、明大前にある証券会社のバイトが一番長く続いて、元ヤクザのおやじやフラメンコギター弾きなんかがいて、よく飲みに連れ回されました。いっぱい面白い話はありますが、サヨナラも言わずに別れる関係でしかなかった。あの頃、人が蠢(うごめ)いていても、結局は寄り道でしかないような場所があちこちにあった気がします。

――大阪・西成での生活も書かれています。

豊田 あの頃はまだ『ポルノスター』(1998年)で監督デビューする前。前後するけど、『アンチェイン』は撮り終わっていたはずです。

西成は敗者が許容される街。もっと言うと敗者しかいない。まだ将棋の挫折もあったからか、どこか居心地の良さみたいなものを感じていました。金がなくても朝から酒を飲めますし。負けて飲む酒って気持ちがいいものです。まだ明日がある、次は勝てる、最悪の今よりは明るい未来が待っている。酔ってるうちはそう信じられますからね。

――人生は負けてもいいと思われますか?

豊田 負け続けるのは違う。負けたら立ち上がる。何度負けても、立ち上がり続ける。『あしたのジョー』や『ロッキー』も負けから立ち上がってヒーローになりました。俺の中には敗者の目線がずっとあって、初期の作品が支持された大きな理由はそれが大きいはずです。もちろん、今でも忘れることはありません。

――2000年代以降の作品にまつわる記憶は本を読んでもらうとして、最後に教えてください。監督が映画を撮り続ける理由はなんですか?

豊田 映画は「祭りと戦争」だと思います。俺はもういつ降りてもいいんだけど、人間はどちらも止められない。『狼煙が呼ぶ』を撮って、また違う段階に入るんじゃないかという手応えもあります。

ベストセラー小説と売れっ子の俳優を捕まえて「興行収入○億円突破!」みたいなゲームじゃなくて、まったく別のやり方でナンバーワンを取ったほうがカッコいい。まだ詳しくは言えませんが、近い将来に必ずやります。全国に狼煙が上がった、今の先を絶対に。

(※1)奨励会...新進棋士奨励会のこと。日本将棋連盟が運営するプロ棋士養成機関。入会のハードルの高さは言わずもがな。入会後も熾烈な昇級試験が続く。

(※2)『迷走王 ボーダー』...原作:狩撫麻礼。作画:たなか亜希夫。1986年から89年にかけて『漫画アクション』(双葉社)で連載された。バブル社会にあらがう若者たちの群像劇。

●豊田利晃(とよだ・としあき) 
1969年生まれ、大阪府出身。阪本順治監督『王手』(1991年)の脚本家として映画界に登場。1998年、千原浩史(現在は千原ジュニア)主演の『ポルノスター』で監督デビュー。その年の日本映画監督協会新人賞を受賞した。2001年に初となるドキュメンタリー映画『アンチェイン』を監督。主な監督作に『青い春』(2002年)、『ナイン・ソウルズ』(2003年)、『空中庭園』(2005年)、『蘇りの血』(2009年)『モンスターズクラブ』(2011年)、『クローズ EXPLODE』(2014年)、『泣き虫しょったんの奇跡』(2018年)などがある。2020年にはドキュメンタリー映画『プラネティスト』の公開が控えている。
〇『狼煙が呼ぶ』劇場公開情報は『IMAGINATION』H.Pよりご確認ください

■『半分、生きた』
(HeHe/ヒヒ 1800円+税) 
映画より、映画的な人生があるとしたら? 中学の卒業文集に将来の夢を「映画監督」と書いた少年は、プロ棋士を目指して奨励会に入るも挫折した。警察の厄介にもなった。逃げるように故郷を捨てた。でも、映画の夢だけは諦めない。あの頃も、今も――。人生の半分=50歳を迎えた豊田利晃が、真っすぐな言葉をぶつけた出会いと別れの半生記。装画は美術家の奈良美智が描き下ろし。松田龍平、瑛太、渋川清彦、浅野忠信など、各章ごとに縁のある俳優やミュージシャンが作品にまつわる絵を寄稿

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