糸井重里(いとい・しげさと)さんにとって『MOTHER』シリーズは、"プレゼント"であり、4年前に亡くなった任天堂元社長の岩田 聡さんと出会わせてくれた大切なゲームだった――糸井さんが語ります。
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■岩田さんの逝去から4年、今、本を出した理由
――糸井さんが主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」が手がけた本、『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』が今年7月に発売されました。
本書は、任天堂の元社長で、2015年7月に55歳で亡くなった岩田 聡(さとる)さんが過去のインタビューなどで語っていた言葉を再構成したそうですが、どうして逝去されてから4年たった今、発売したんでしょう?
糸井 僕らが岩田さんのことを忘れることはないけれど、"去る者は日々に疎し"という言葉があるとおり、任天堂ファンの方なんかでも次第に忘れていっちゃうことはあるかなと。だからこういう岩田さんの言葉をまとめた本を出しておきたかったんです。
でも、すぐに出して、過剰に「追悼!」みたいになるのも本意ではなかったし、商売っ気が先行しているように思われるのもいやだったし、何より岩田さんのご家族の気持ちが整理できてないうちに出すのも違うだろうと思っていたんですよ。
実際、僕がこの本を岩田さんの奥さまに手渡したときに、「1年前に出ていたらまだ読めなかったかもしれない」とおっしゃってて。そういう意味で4年という歳月はちょうどよかったのかもしれないですね。
――岩田さんといえば、多くのヒット作を生み出したゲームクリエイター・プログラマー。そんな岩田さんと糸井さんの出会いは、『MOTHER2 ギーグの逆襲』の制作中だったと伺いました。
糸井 そうですね。『MOTHER2』の制作が破綻しかかっていたときに、当時、HAL研究所(ゲーム制作会社)の社長だった岩田さんが、助っ人プログラマーとして来てくれたんですよ。
そのときに岩田さんは、まず僕に「今あるものを生かしながら手直ししていく方法だと2年かかります。一から作り直していいのであれば、半年でやります」と提案してきたんです。
――その言葉の字面だけ見ると、ちょっと高圧的な雰囲気もありそうですが......。
糸井 実際はすごく感じがよかったんですよ。全然威張ってなくて、むしろ下から目線(笑)。そのふたとおりの提案のうち、「どちらにしますか?」っていうのを、純粋に質問したんだと思うんですよね。だから僕や制作スタッフの意思を尊重して、こちらの自由をすごく大事にしてくれているのが、すぐにわかったんですよ。初めて会う人なのに、この人の言うことは信じられるって思いましたね。
――そして糸井さんは、半年で一から作り直してもらうほうを選んだわけですね。
糸井 岩田さんがまず作ったのが、スタッフの誰もが修正作業に取りかかれるツール。そんな方法があるのかと驚きました。そのおかげで現場がまた明るくなって活気が戻って。スタッフみんなが感謝してたんですよね。岩田さんって、みんながハッピーになることを実現したい人なんです。自分よりも、一緒に仕事する人とか、そのゲームをプレイしてくれるお客さんとかをハッピーにすることで、彼自身がうれしくなるんでしょうね。
そういうところは僕も岩田さんと通ずるところがあるんだけど、"自分が置き去りにされた瞬間"が一番うれしいタイプなんですよ。自分のチームの中から、いいアイデアやいい作品が生まれてくると、それを考えたスタッフに「どうやってそんなおもしろいこと思いついたの!?」って聞くときが、岩田さんも僕も一番楽しいのかもしれないな。
――おふたりは、根底にある仕事観が似ていたから、ウマが合ったんでしょうね。
糸井 僕と会うときは、岩田さんはずっとしゃべってましたしね(笑)。もちろん僕が考えていることを話すこともあって、ともかくふたりでずっとしゃべってた。今まで語り合った時間を全部足したら、僕の友達のなかでも岩田さんが一番だと思います。
■胸が痛まない人はMOTHER好きじゃない
――岩田さんとの出会いのきっかけをくれたのが『MOTHER』シリーズだったわけですが、そもそも30年前、コピーライターだった糸井さんが『MOTHER』を作ろうと思ったきっかけは?
糸井 『ドラゴンクエスト』がおもしろかったから僕も作りたいなって(笑)。『ザ・ブラックオニキス』とか『ウルティマ』とか、パソコンのロールプレイングゲームはやってたけど、全然ハマらなかったんですよ。だから最初は『ドラクエ』にも興味なかった。
だけどある日、仕事は休みで雨降ってて友達と約束もない、どうしようもなくつまらない日があって。仕方ないからやってみようかって手を伸ばしたのが『ドラクエ』。ちょっと進めたら、もうやめ時がわからないぐらいハマっちゃってね。それでクリアした後のエンドロールを見たときに、ここに名前が出てるやつはうれしいだろうなー、なんで僕はここにいないんだろう?って思って。
――なるほど。ですが『MOTHER』は、『ドラクエ』のような中世ファンタジーではありませんでしたよね?
糸井 逆になんで中世ばっかりなのかなって疑問だったんですよね。それで、当時はスピルバーグの映画が好きだったから、現代のアメリカを舞台にしたらおもしろいだろうなと。
あと、アメリカを舞台にしたらアメリカに輸出できそうだし、スピルバーグ本人に届く(プレイしてもらえる)かもしれないじゃないですか? 素人ほどそういう山っ気が強いんですよ(笑)。
――『MOTHER2』は『EarthBound』のタイトルで、日本発売翌年の1995年に北米でも発売され、大ヒットしました。ですから、スピルバーグにも届いていたかもしれません!
糸井 それはわからないけど(笑)、アメリカでは今でもホテルを借り切って、「MOTHER祭り」みたいなイベントをやっているファンの方々がいるんですよ。アメリカ人にも愛されているのは感慨深いし、すごくうれしいですよ。
――『MOTHER』の主人公は、超能力が使える以外は至って普通の少年。半袖半ズボンの子供がバットで戦うという設定は、当時の小学生たちにとって"等身大の冒険"がそこにあり、没入感がハンパなかったです。
糸井 序盤の敵は「でんきスタンド」「のらイヌ」「おじさん」とかですしね。"弱い主人公"っていう前提で考えるのが僕は好きだったので、自然とそうなっていったんですよ。
あとは、『MOTHER』シリーズ全部にいえることだけど、ゲームのなかに僕が普段生活していて感じていること、考えていること、いろいろ詰め込んでますからね。だから僕の良心の呵責(かしゃく)みたいなものや、自身の心の弱さとかが出てると思うんですよ。
例えば、フライングマンという5人兄弟は、ひとりずつ仲間として連れいていくことができるけど、死ぬとお墓が立って絶対に生き返らない。ふたり目、3人目を連れていけるけど、どんどん減っていく......。
――胸が痛みました(苦笑)。
糸井 ただ何も考えずに"得ならそれでOK"って考えてゲームしている人に、いじわるなことをしたかったんだよ。まぁでも、そこで胸に棘(とげ)が刺さることもなく、痛くも痒(かゆ)くもない人は、そもそも『MOTHER』シリーズを好きになってないと思うな。
■僕からのプレゼント。だから『4』はラブ?
――『MOTHER』シリーズは、ラスボスにきちんとバックボーンとなる物語があって、しかもとても悲しくて切ないんですよね。
糸井 そういう悲しさや切なさを、プレイしてくれた子供が感じてくれるわけじゃない? "教科書"を渡せるっていう喜びは、ゲームを作る者としてたまりませんよね。やっぱり『MOTHER』シリーズは、僕からの"プレゼント"だと思うもの。
――あえて聞きますが、糸井さんはもう『MOTHER4』は作らないんですか!?
糸井 あー......作れたら楽しいだろうなぁ。
――......えっ!?
糸井 作らないですけどね(笑)。でも今だったら、こういうのやりたいなっていうのが全然違うと思うんですよ。ラブロマンスとかやりたいよね。......やんないけどね(笑)。
――では、『4』を作るとしたらラブロマンスということでいいですか......?
糸井 万が一やるとしたらラブロマンスだけど、やらないよ(笑)。ただ形が見えやすくて、後々まで残るのって"ラブ"なんですよね。ほら、例えば歌も、ずっと歌い継がれる名曲ってラブソングばかりじゃない。だから男女の愛をテーマにした心の話がいいですよね。
まぁ念を押しておきますが、作らないですけどね(笑)。そういうのを想像するのは、案外老後の楽しみにはなると思ってますよ。
――念を押されましたが......新作、期待しています!!
●糸井重里(いとい・しげさと)
1948年生まれ。有名CMやジブリ映画のキャッチコピーなどを生み出してきたコピーライター。故・岩田 聡さんとは気が置けない友人関係で、「ほぼ日刊イトイ新聞」が手がけた本『岩田さん 岩田聡はこんなことを話していた。』が7月に発売