大手芸能プロのマネジャーとして名だたるスターを担当し、その後は有名女優と結婚。プロレスラーと歌手になるという子供の頃からの夢を叶え、勢い余ってAVにも出演。

あぁ、素晴らしきかな人生! 誰が呼んだかゴージャス松野。無一文でもゴージャス松野。この男、「歩く人生経験」につき。

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■今、「業界一シビれる」といわれる必殺技

――まずはDDT(プロレス団体)のO-40のシングル王座獲得おめでとうございます!

松野 ありがとうございます。今年で58歳ですから正直、もうベルトに絡める年齢ではないのかなという気持ちもあったんです。でも今年の7月にO-40という、40代以上に限定されたベルトが新設されてからはちょっと欲が出てきて(笑)。

しかも初代王者の高木三四郎は私の憧れのレスラーであり一番のライバル。その彼からベルトを取れて感無量です。

――王座戴冠のニュースに「ゴージャスってまだプロレスやってたの?」と驚いた人も少なくないと思うんですが、レスラー歴は何年になりますか?

松野 途中、長い欠場もあったんですがDDTに移って15年、レスラーとしては今年で17年目になります。

――もう完全にプロレスラーの人生じゃないですか。

松野 始めた頃は「冷やかしだ」とか「長続きするわけない」みたいに批判されて悔しい思いもしたんですけど、そういう声を覆すには、やっぱり長く頑張るしかないと思うんです。プロレスは強くなるのも難しいですけど、長く続けるのはもっと難しいと思うんです。

9月29日に行なわれた高木三四郎vsゴージャス松野のO-40のシングル王座戦。試合はパワーに勝る高木のペースで進むが、終盤、一瞬の隙を突いたゴージャスがスクールボーイで押さえ込み3カウント。悲願のシングル王座戴冠を果たした

ゴージャスの必殺技のひとつである619(シックスワンナイン)

――試合を見ていて思ったんですが、ゴージャスさんの技のひとつひとつにはこれまでの人生が乗ってますよね。特にゴージャス・スーパースターエルボー(ロープに走っていって逆立ちし、その反動を利用して相手にエルボーを落とす必殺技)には感動しました。

松野 それはうれしいです。あれは今、「業界一シビれる技」っていわれてますから(笑)。

――ロープに走って逆立ちした後、1回止まってしまって反動が利用できていないようにも見えるんですが(笑)、それでも松野さんが繰り出すと重みが違うなと。

松野 技だけではなくて、背負っているものを見せるのがプロレスラーだと思うんです。だから、まだまだ若い選手には負けられませんね。

■泥沼の離婚裁判でゴージャスブラフ炸裂!

――今回、あらためて松野さんのウィキペディアを見たんですが、「東宝芸能のマネジャー」から始まり、「女優と結婚」「ホスト」「AV男優」「演歌歌手」「プロレスラー」「心肺停止」......と、まさに男のロマンを体現したような人生ですよね。ご覧になったことはありますか?

松野 たまに見てます。自分でも忘れてることがあるので(笑)。

――今日はこの波瀾万丈(はらんばんじょう)の人生と男の生きざまをテーマにお話を聞きたいと思ってます。そもそも子供の頃の夢はなんだったんですか?

松野 僕はプロレスラーや歌手に憧れていたんですが、体格や才能がなくて断念しました。それでも夢が諦められず、大学時代は劇団で役者もやっていたんです。東宝に入ったのはその夢の延長線上で。

――東宝芸能に入社後はすぐに沢口靖子さんのマネジャーをされていたんですね。

松野 はい。沢口さんの現場をやって、後半はチーフとして斉藤由貴さんの仕事を取ってきたりしていました。ほかには松原千明さん、高嶋兄弟の担当もしていました。

――名だたるスターばかり。敏腕マネジャーだったんですか?

松野 いや、当時は生意気だったんで上司によく怒られたり、干されたりもしてました(苦笑)。でも役者さんにはかわいがってもらいました。

――それで当時、他事務所の女優だった沢田亜矢子さんから東宝に移籍したいと相談を受け、後に結婚。同時に独立して沢口さんの個人事務所を設立されます。女優さんから直々にご指名とは、やっぱり当時はモテたんですか?

松野 そんなことはないですけど、飯坂温泉(福島市)の置屋の息子なので遊びは派手でしたね。20代から銀座のクラブで飲んだり、箱根の芸者さん遊びをやったり。僕はモノに執着がまったくなかったので、稼いだお金は全部、遊びというか、自分磨きに使っていました。

――でも結婚から2年で泥沼の離婚騒動に発展していきます。当時は松野さんのDV疑惑から夫婦の性生活まで連日ワイドショーで取り上げられ、松野さんは犯罪者のような扱いを受けてましたよね。

松野 もう犯罪者以下でしたよ(苦笑)。毎日、ワイドショーが早朝から家に押しかけてきますし、今と違ってコンプライアンスも緩いですから、メディアも言いたい放題、やりたい放題。当時はSNSもないので反論する場もなく、日本中からバッシングを受ける生活が1ヵ月以上続きましたからね(苦笑)。

――ウィキに「『高裁では手元にある沢田のセックスビデオ4本を証拠として提出する』と松野は断言した」とあるんですが、本当ですか?

松野 はい。でも実はビデオテープはなかったんです。

――え?

松野 裁判で僕が「離婚騒動に入ってからも性交渉があった」と主張したら「あれは強姦(ごうかん)だった」と向こうが言ってきたので「じゃあビデオを出すよ」と。あれは訴訟上の駆け引きといいますか。

――ゴージャスブラフだったんですか! でも、要は行為を撮影したこと自体はあったということですよね。

松野 まぁ、それはどこの夫婦でもありますから(笑)。

――いや、ないですから!

■人生を変えた総額132万円の整形手術

「レスラーとしてのパラメーターはスピードとパワーは1か2ですが、人生経験は10です」と不敵にほほえむ松野氏

――離婚騒動を経て30代半ばでマネジャー生命を絶たれ、ここからジェットコースターのような人生が始まります。

松野 仕事もお金も社会的信用も失って本当のドン底でした。電気、ガス、水道も止められて、コンビニのバイトの面接に行っても取り合ってもらえない。だからホストだろうがAVだろうが、やらざるをえない状況だったんです。

――当時、新宿のクラブ愛でホストとして働く様子を『サンジャポ』でよく見ました。

松野 ホストというよりも半分は広告塔みたいな感じでしたね。亡くなった愛田武社長にいきなり「まずは整形しろ!」と言われまして。

でも、親にもらった体に傷をつけるのは抵抗があったんで、1週間悩んだ挙句「勘弁してください」と言ったんです。そしたら「じゃあ、明日から来なくていい!」となったんで、すぐに「やります!」って(笑)。

――で、どうでした?

松野 これが思いのほか、よかったんですよ(笑)。目の二重をくっきりさせて、歯を差し歯にし、顎(あご)にシリコンを入れて輪郭をハッキリさせたら気分も非常に前向きになって、上を向いて接客できるようになった。総額は132万円でしたか。今でも愛田社長には感謝してます。

――さらにAV男優にも挑戦。ここではレジェンド、川奈まり子さんとのカラミも!

松野 当時は2本でギャラ500万円というオファーだったので、ふたつ返事で「やります」と(笑)。正直、AVがどうだとか、カラミがどうだとか考えてる余裕はまったくなくて、頭の中はお金だけでした。今、考えるとちょっともったいなかったですね(笑)。

――とはいえ、川奈まり子さんといえばバリバリメジャーのエース級。バットはちゃんと勃(た)ったんですか?

松野 至ってそれはスムーズだったはずです。当時は僕もいろいろと勢いがあったんで(笑)。

――さらには露天での人生相談に司法試験受験、タイガー・ジェット・シンのマネジャーと、もう聞いてるだけで頭がクラクラしてきます。

松野 今思うとちょっと突っ走りすぎていたんでしょうね(苦笑)。02年にプロレスデビューしたんですが、離婚騒動の心労も出たのかその後、うつ病になりまして。誰にも会いたくない、起きていたくもないという状態で、日本酒と睡眠薬と抗うつ薬を併用したりして体はボロボロ。次第に入退院を繰り返すようになりました。

――08年にはとうとう肝不全による心肺停止で緊急搬送されることに。

松野 医者からは「助かる見込みがないから家族を集めてくれ」とまで言われたそうです。幸い、一命は取り留めたものの、その後も酒がやめられなくて......。当時はカロリーさえ取っていれば命は大丈夫だと勘違いしていて、毎日、日本酒のみで2000キロカロリー取っていたんです

――豪傑すぎです!

松野 そしたら今度は栄養失調になって、階段の上り下りもできないほどガリガリに。

――今のバッキバキボディからは想像もつかないほどに衰弱していたんですね

松野 転機になったのは2011年の東日本大震災でした。福島で被災したんですが、自分の心臓が止まってもやめられなかった酒を、あの日以来、一切飲まなくなりました。

ちょうど震災のあった月に後楽園ホールでDDTの大会があって「サプライズで元気な姿を見せてください」と言われて行ったら、お客さんが非常に喜んでくれまして。それでもう一回、頑張って復帰しようと思ったんです。

――マインドは完全にプロレスラーなんですね。

松野 不摂生が原因で試合を休んだりしていたのに、DDTの高木社長は「体調がいいとき、歌で会場を沸かせてくれればいいから」と契約を打ち切らないでいてくれて。だからDDTと高木社長には、これからも恩返しをしていかなければと思ってます。

■「離婚騒動のおかげで夢がすべて叶った」

8月には「モデルジャパン」東北大会に出場して見事、準V。緊張で顔は引きつるも、17日の全国大会の切符をゲットした

――そこから本格的に肉体改造に着手。今年の8月には肉体美を競う「モデルジャパン」東北大会に初出場して見事、準グランプリを獲得。次は全国大会で日本一を目指されるとのことですが、これはボディビルの大会とは違うんですか?

松野 はい、単に筋肉の大きさを競うのではなくて、「細身でスリムなカッコよさ、美しさを求める」ものです。笑顔やポージングも重要な要素なんです。

――近くで見ると本当にえげつない体ですよね。今、体脂肪はどのくらいですか?

松野 5.5%くらいです。

――イチロー以下ですか!

松野 今は週3回トレーニングしていて、食事も徹底管理しています。ベジファーストといって野菜を最初にとって、家では鶏の胸肉の皮をはいだものと、サバやイワシなどの青魚。最後に玄米を食べます。以前に肝臓を壊してますから、油も良質なものにしています。

妥協なきトレーニングと食事管理で現在は血管も浮き出るほどのバッキバキのボディに。体脂肪は驚異の5.5%。写真は撮影前に筋肉をパンプアップさせようとゴージャスプッシュアップに励む松野氏

――かつては不摂生の塊だったのに、本当にストイックになられたんですね。

松野 やっぱり体はウソをつかないですからね。いくら口でカッコいいことを言っても、さぼればさぼった体になってしまう。それではプロ失格ですから。

――あの番組のように伺いますが、松野さんにとって「プロフェッショナル」とは?

松野 僕は歌もへただし、運動神経も悪い。でも歌手やプロレスラーとして人前に出る以上は、人の100倍努力しないといけないと思ってます。

――松野さんのパートナーである、演歌歌手の田代純子さんが、「松野は歌はうまくないけど、何回も何回も自分の声を吹き込んで、また聴き返してを何時間も延々とやってる。本人には『いいかげんにしてよ』ってよく言うんですけど、本音を言えば大したものだと思う」とおっしゃってました。

松野 才能があれば、そんなことしなくても済むんですが。

――それでも女優と結婚し、AVにも出演。今でもプロレスラー、歌手として活躍と、もうこれは男のロマンですよ。

松野 離婚騒動はツラかったですが、感謝もしているんです。あれがあったおかげで結果的に子供の頃の夢がすべて叶(かな)っていますからね。AV男優は夢じゃないですが(笑)。

――東宝のマネジャー時代はまさかこんな人生になるとは思ってなかったですよね?

松野 ええ、もし東宝に残っていたら、今頃は役員クラスになって銀座を闊歩(かっぽ)していたかもしれないですが(笑)。

――それこそ「おい、(長澤)まさみ!」と呼んでいたかもしれない(笑)。どちらの人生がよかったですか?

松野 もちろん東宝の役員は魅力的ですよ。だけど、そこでは出会えない人とたくさん出会えたので、今の人生に満足してます。やっぱり人との出会いが何よりの財産ですから。そもそも東宝に残っていたら、とっくにクビになっていたかもしれませんよ(笑)。

●ゴージャス松野 
1961年生まれ、福島県出身。86年に東宝芸能に入社。女優の沢田亜矢子との結婚、離婚騒動やAV出演、プロレスデビュー、心肺停止などを経て、58歳の現在は男として完全に仕上がる。その波瀾万丈な人生は本文参照。身長177cm 体重59kg