2016年に異例のロングランヒットとなった映画『この世界の片隅に』に新作カットを加えた長尺版『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』。
口コミから広がり大ヒットとなった前作の"続編"でも"完全版"でもなく、本作を"新作"として送り出す真意や、その裏話を、主演を務めた女優・のんと片渕須直(かたぶち・すなお)監督のふたりに語ってもらった。
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■口コミから27億円の大ヒットに!
2016年11月、ミニシアターから瞬く間に口コミで評判が広がり、約27億円の興行収入を記録して異例の大ヒットとなったアニメ映画『この世界の片隅に』。この作品に、新規エピソードを追加した新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が、12月20日から公開されている。
第2次世界大戦前後を舞台に、広島市から呉(くれ)市に嫁いだ主人公・すずが、戦時中でもめげず、嫁ぎ先で工夫を凝らす日々を愉快に、シリアスに描いた前作。
本作ではそこに、遊郭で働く女性・リンとすずの友情、複雑な恋模様などを追加し、また違った味わいの作品に仕上がっている。そこで、主人公を演じた女優・のんと、監督・脚本を務めた片渕須直の対談をお届けする。
■遊郭で働く白木リンがもたらす新たな物語
――前作から約3年を経ての公開ですが、本作のオファーはいつ頃あったんですか?
のん 正式にオファーをいただいたのは1年くらい前です。でも、前作の公開のときに、監督から「やるかもよ」っていうのは聞いてました。
片渕 なし崩し的な側面が強くて。前作では、リンさん役の岩井七世さんが収録直後に「もっとリンさんを演じたかった」と言っていたので、岩井さんやのんさんには「その点に関しては大丈夫ですよ」と、今回の新作をにおわせる感じで予告もしてましたしね。
のん そうそう。でも半信半疑でした(笑)。
――リンは、すずの旦那・周作とかつて恋人同士のような関係だったわけですが、原作にあったリンのエピソードを前作で大胆に削った理由は?
片渕 どちらかというと前作は、すずさんとお姉さん(義姉の径子)の話で、ふたりの関係の変化を通じて戦時中の空気を語っていました。けれど、そこにリンさんを入れると、いろいろ違った展開になるので、スッキリさせるために削っていたんです。
だから今回、リンさんのお話を描くということは、"別の映画"として踏み出すということなんですよね。
――恋愛に絡む、すずの新たな一面が出てきますが、その表現は難しそうですね。
のん すずさんは、自分を"北條家のお嫁さん"としてではなく自分そのものを見てくれるリンさんに親近感を覚えると同時に、リンさんのことを知るにつれて、自分が北條家にいる理由を脅かされるかも、という不安を抱くんです。その心境を表現するシーンでは、何度も原作を読んで気を使って。自分の中の抑えきれない感情を、すずさんがどういうふうにとらえているのかって考えて、丁寧にやらなきゃなぁと思って演じました。
収録時は片渕監督が作品に徹底的に血を通わせていく演出だったので、私はその監督の演出に、自分の解釈を一緒に乗っけていく感じでしたね。
片渕 お互い信頼感はありましたね。リンさんとの話を加えていくとすずさんに全然違う側面が出てくるわけですが、のんちゃんがやる限り「こんなのすずさんじゃない」とはならない確信がありました。
――予告編にもあった「周作さん、うちはなに一つリンさんに敵(かな)わん気がするよ」というセリフからは、普段のすずが出さない"女の感情"が漏れ出ていました。
のん すずさんの中のモヤモヤがある意味取れた場面だったので、演技もドスの利いた感じでやりました(笑)。
片渕 あそこは予告編で使った声からもう一回テイク重ねているんですよ。だから本編だともっと違った演技になっていると思いますよ。
のん 日を変えて録り直したんですよね。感情のコントラストをもっと強く出すような指示も監督からいただきました。原作を読んだとき、どちらかというとリンさんを自分から奪う、周作さんへの嫉妬心があるのかなと思ったのでそういう部分も出して。
片渕 ひととおり録音を終えて、よりすずさんとリンさんへの理解が深まっていたので、そうなったときにもう一度、のんちゃんと岩井さんを別々に録音してみたほうがいいかも、となったんですよ。
■"補完バージョン"ではなく"新作"
――日を空けてそこまで何度も録り直すのは、かなり珍しいんじゃないですか?
片渕 普通の劇場用アニメなら、早ければ2日で全部録り終えることもありますが、この作品は3ヵ月かけているんですよ。もちろん毎日録っているわけではなく、間を置いてアフレコ日をつくっている感じですけどね。一度録り終えてから、別の作業を進めていると、より作品の形が見えてきて、もう一度録ったほうがいいかなとなるんです。
――のんさんはNHKの朝ドラ『あまちゃん』で岩手弁、『この世界の片隅に』で広島弁に挑戦されていて、方言の演技に定評がありますよね。
のん すずさんは、東京のコが岩手に行ってエセ東北弁を話すのではなくて、本当に広島の人の役なので方言についてはとてもシビアに勉強しました。
片渕 でも、出来上がったものを広島出身の方に見せたら、「あれは(広島の)うちのおばあちゃんの世代のしゃべりだよ」と太鼓判を押してくれて。
のん 方言シーンで好きなのが、ラストにシラミだらけの女の子に夕暮れの呉を案内するとこで、シラミの子が「呉?」って聞くんですけど、すずさんや周作さんは「呉」って語尾を上げるんですよね。
片渕 広島出身の役者さんたちとお昼ご飯を食べているときに、呉では語尾を上げるってことを話していたんですよ。そしたらのんちゃんが「ここはその言い方で言っていいですか?」ってね。
のん あそこで地元の人の感じが出せた気がしています。
――お昼ご飯を一緒に食べるなど、収録現場は和気あいあいな雰囲気だったんですね。
片渕 うどんの出前がずっと来なかったんだよね(笑)。
のん すぐ着きますって言われてたのに、1時間待っても来なかったんですよ! 「すぐっていつですか、30分をすぐっていうタイプの人じゃないですよね!?」って、伝えに来てくれたスタッフさんを問いただしてしまって。「それぞれのすぐがありますから」って諭されました(笑)。
――最後に皆さんにひと言お願いします。
のん えっと、本当にタイトルどおり各キャラクターの"さらにいくつもの片隅"が描かれていて、前作とは違う味わいに生まれ変わっているので、ぜひ見に来てください。
片渕 すずさんのもうひとつの側面を知ると、本作がある種、前作と対になる関係だということが見えてくるはず。前作の"補完バージョン"ではなく、前作とは違った"新作"になっていると思いますよ。
■『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』
12月20日(金)より、テアトル新宿、ユーロスペースほか全国順次ロードショー公開予定。ロングランヒットとなった前作に、原作にあった人気エピソードを新規カットで追加。戦時下を生き抜く主人公・すずの慎ましくもたくましい日常に訪れる新たな展開が、再び世界を感動させる。声の出演/のん、細谷佳正、稲葉菜月ほか
●片渕須直(かたぶち・すなお)
宮崎 駿監督の『名探偵ホームズ』の脚本などを経て、1996年テレビシリーズ『名犬ラッシー』で監督デビュー。『マイマイ新子と千年の魔法』などの話題作を手かけた後、2016年の『この世界の片隅に』が異例の大ヒットを記録
●のん
1993年生まれ、兵庫県出身。前作『この世界の片隅に』ですずを演じ、第38回ヨコハマ映画祭「審査員特別賞」を受賞。2020年2月にのん主催音楽フェス『NON KAIWA FES vol.2』を開催。2020年春公開の映画『星屑の町』ではヒロインを演じる