『週刊プレイボーイ』のノンフィクション連載「日向坂46ストーリー ~ひらがなからはじめよう~」が待望の単行本化。書籍『日向坂46ストーリー』として、2020年3月25日(水)に発売されます。

東京ドーム公演も決定し、今、最も勢いにのるアイドルグループ「日向坂46」。『日向坂46ストーリー』は、少女たちが「けやき坂46」から「日向坂46」へと名前を変える前日譚を描いた感動の青春群像ストーリーで、単行本あたり、シングルデビュー後の日向坂46のストーリーを描いた最終章も新たに書き下ろし。全36話収録、数々の秘蔵エピソードとともに、日向坂46の現在までの歩みを記します。

このたび、初版6万5000部から、発売前に重版1万5000部が緊急決定し、現時点で発行部数が8万部に達しました。

この事前重版決定に感謝し、『日向坂46ストーリー』から、彼女たちのストーリーの序章である「まえがき」と第1〜2話を無料公開いたします。ぜひご覧ください。

<まえがき>

2019年12月18日、千葉県の幕張メッセで、アイドルグループ・日向坂46のワンマンライブ「ひなくり2019」が行なわれていた。クリスマスの時期に合わせた内容のライブで、前日からの2日間で計4万人を動員していたほか、大手配信サービスでの生中継も行なわれていた。

そのライブ終盤、ステージ上でメンバーたちがMCをしていたとき、突然照明が落とされ、モニターに「ひなくり2020開催決定!!」というメッセージが映し出された。あまりにも気の早い発表にメンバーからも笑い声が上がったが、次のメッセージを見て、その声はほとんど悲鳴にも近い叫び声に変わった。

「IN 東京ドーム」

誰も予想さえしていなかった会場名に、ステージ上のメンバーたちは冗談ではなく腰を抜かし、次々と尻もちをついてしまった。まだまだ遠い夢だと思っていた東京ドームが、1年後には自分たちがそこに立つはずの確かな目標になったのだった。

この年の3月にデビューした日向坂46は、1stシングル『キュン』を初週だけで47万枚以上売り上げ、女性アーティストの1stシングル売り上げ記録を大幅に更新。続くシングルも次々とヒットを記録し、特番を含む各局の音楽番組に軒並み出演。年末には『日本レコード大賞』に、新人賞部門ではなく大賞を争う優秀作品賞部門でノミネート。さらに大晦日の『NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たし、堂々たるパフォーマンスを見せた。

そして今、東京ドームを目指して走っている――。

あまりにも順調な活動に、人は選ばれた者だけが持つスター性を感じるかもしれない。あるいは「どうせ最初から約束されていた成功だろう」と鼻白むかもしれない。

しかし彼女たちがデビューに至るまでに辿ってきた数奇な道のりは、ほとんど知られていない。そもそも"たったひとりのアイドルグループ"というイレギュラーな形でスタートしたこのグループは、活動のなかで何度も大きな危機に直面しながらも、自分たちの夢だけを信じて諦めずに歩んできた。

その過程には数え切れないほどの涙があり、喜びがあり、仲間を思いやる優しさがあった。本書は、そんな知られざるグループの歴史を紐解いたノンフィクションである。

願わくば、彼女たちの「夢を諦めない心」が、次の誰かに受け渡されるように。


<第1話 ひとりぼっちのアイドルグループ>

2015年8月21日。当時ソニー・ミュージックエンタテインメントが所有していたSME乃木坂ビル内で、後に欅坂46としてデビューすることになるメンバーたちの最終オーディションが行なわれようとしていた。

審査直前、候補者たちは写真撮影のため壇上に並ばされた。しかし、"候補者番号17番"のスペースだけが、誰もいないままぽっかりと空いていた。

実は、ここに立つはずだった少女は、最終審査当日になって急遽上京してきた母親に連れられ、すでに長崎へ向かう飛行機の中にいたのだ。

その少女の名前は長濱ねる。

後に「日向坂46」としてデビューするグループが歩んできた、数奇で、濃密なストーリーは、まずは彼女の個人的な事情から始まる。

■衝動的だったオーディション参加

1998年、長崎市内の家庭で生まれた長濱ねる。「ねる」という珍しい名前には、"考えを練る"という意味が込められていた。幼い頃から聡明で本が好きだった彼女は、高校も県内で一、二を争う進学校に進んだ。

昔から勉強することは嫌いではなかった。高校に入ってからも、テスト前には16時間も机に向かうことがあった。ただ、心の中はいつも曇り模様だった。

その頃のことでよく覚えている光景がある。高校1年生の冬のある日、遠回りして家に帰ろうと、いつもは使わない海沿いを走る列車に乗った。長崎の海が夕焼けのオレンジ色に染まっていた。その美しい景色を見ながら大好きな乃木坂46のアルバム『透明な色』を聴いていると、突然、涙がこぼれてきた。自分でも驚いたが、涙はぽろぽろと落ち、止まることがなかった。

この頃、彼女は進路のことで悩んでいた。物心つく前から海外旅行を経験し、地元の国際交流団体に入って活動していた長濱は、将来は空港のグランドスタッフ(地上勤務職員)になりたいという希望を持っていた。そのために高校卒業後は専門学校に進むつもりだったが、学校からは当たり前のように反対され、難関大学への進学を強く推されていた。

「結局、私は決められたレールをはみ出せずに、学校から言われたとおりに進学するんだろうな」

そう思うと、自分の将来もくすんで見えてきた。それに加えて、人間関係を極度に気にする性格だったので、学校の教室の中でも窮屈さを感じていた。そんな心の澱が涙になって、まぶたからあふれ出したのだった。

ちょうどそんなときに、乃木坂46に続く新プロジェクトのメンバー募集が告知された。実は小学生のときにパソコンクラブに所属し、AKB48の動画をひたすら見ていたという長濱は、"AKB48の公式ライバル"として結成された乃木坂46のことを「これは私だけのアイドルなんだ」という気持ちで最初期から応援していた。ただ、アイドルになりたいという気持ちを持っていたわけではないので、乃木坂46の2期生オーディションには応募していない。イヤホンから彼女たちの曲が流れていれば、それだけで幸せだった。

そのはずが、高校に入ってから葛藤の日々を過ごすなかで、衝動的にこの新プロジェクトのオーディションに応募してしまったのだ。そのときは、自分がアイドルになって何をしたいのかもよくわかっていなかった。だから、応募書類の志望動機の欄は空白のまま提出した。

■「S」評価を与えられた少女

オーディションを担当したレコード会社のスタッフは、彼女の応募書類をよく覚えている。まず「ねる」という珍しい名前が気になった。通っている学校は、どうやらかなりの進学校らしい。添付されていた写真を見ても、大きな目元がアイドル性を感じさせる。無数に送られてくる応募書類の中でも、彼女のそれは輝いて見えた。

書類選考を通過し、長濱は福岡で行なわれた2次審査に参加する。その審査員の前では、腕を大きく広げてチャームポイントの"猿腕"を披露し、乃木坂46のメンバーだった伊藤万理華の持ち曲『まりっか'17』を歌った。

「優等生だと思っていたが、明るく、よくしゃべるコで、応募書類の写真よりもかわいい」

この時点で、オーディション担当者は彼女に「S」という評価をつける。Sは"special"の頭文字で、合格水準であるAよりもはるかに上の評価であり、2万人以上が応募したこのときのオーディションでも数人にしか与えられなかったものだった。

この2次審査に合格したという通知を彼女が受け取ったのは、ロンドンに住む叔母の元にホームステイをしていたときだった。実は、その前に長崎の両親にはすでに連絡が入っていたのだが、両親は本人に知らせていなかった。オーディションを受けていることはもう家族も知っていたが、あくまで"記念受験"であり、娘は今までどおり長崎の高校に通い続けるものだと思っていた。振り返れば、この時点で後の"事件"の種になるすれ違いが起こっていたのかもしれない。

ただ、この頃は長濱も「どうせ落ちるだろう」と思っていたので、都内で行なわれた3次審査は東京見物に行くつもりで参加した。しかし、本人の予想に反して3次審査も通過し、次の日に行なわれる最終審査に臨むことになった。

その日の夜は、母親が取っていた飛行機のチケットをキャンセルし、レコード会社が用意したホテルに泊まった。そこで、初めて家族とこの件について真剣に話し合うことになった。

携帯のテレビ電話越しに見る母親の顔には、焦りが浮かんでいた。翌日に予定されていた最終審査に進む候補者は、長濱を含めて46人。「"なんとか46"なんだから、全員受かってしまうんじゃないか」と心配していたのだ。むろん全員が受かるものでもないのだが、万一合格すれば世間に顔と名前が公表される。そうなれば、せっかく猛勉強して入った高校も辞めることになる。

しかし、両親に姉を加えて長い長い時間話し合った結果、家族は「ねるを応援してあげよう」という結論に落ち着いた。

そして翌朝、最終審査に付き添うため、母親が飛行機で上京することになった。

■連れ戻しに来た母に放ったひと言

審査当日の朝、ホテルにいたスタッフからオーディション担当者の元に緊急連絡が入った。

「長濱ねるさんが最終審査を辞退し、お母さんと帰ると言ってます」

驚いた担当者はすぐに母親と連絡を取り、帰途につく前になんとか話し合いの席を設けてもらった。

しかし、長濱にもう一度オーディションを受けてもらうためにもった対話は、寒々しいものに終わった。母親は取りつく島もなく、娘のほうはひと言も発さずにしくしくと泣くばかりだった。もう引き留めるすべがないと悟った担当者は、最後に母娘に向かってこう話した。

「生意気なことを言いますが、これは親子のコミュニケーションの問題だと思います。ねるちゃんもアイドルになりたいんだったら、自分の気持ちをちゃんとお母さんに話したほうがいいと思う。お母さんも娘さんの話をよく聞いた上で、もう一度考えてあげてください」

こうして、"候補者番号17番"のスペースは空白のまま、最終審査が行なわれることになった。

しかしなぜ、前夜の家族会議で「応援する」と言った母親は、娘を連れ戻したのか?

長濱ねるの両親は、ふたりとも長崎の学校に勤める教師で、それまで堅実に3人の子供を育ててきた。だが、娘に厳しかったわけではない。今思い返しても、長濱には両親から「勉強しろ」とか「あれはやっちゃダメ」と言われた記憶がない。今回だって、心配しながらも「応援する」と言ってくれていた。

ただ、"なんとか46"もよくわからない母親にとって、芸能界は依然として未知の世界だった。長崎から羽田空港へ向かう飛行機の中でひとり考えていると、不安がどんどん膨らんできた。東京に着く頃には、なんとしても娘を連れ戻さなければいけないという気持ちになっていた。

母親が応援に来てくれるものとばかり思っていた長濱は、ホテルに着くなり「もう帰ろう」と言った母親に驚かされた。「ここまで来たら最後まで受けたい」と一度だけ言ったが、それまで親にまともに反抗したこともなかった彼女は、このときも結局は母親の判断を受け入れる。

ただ、高校で進路を決められたときのように、また自分が誰かの決めたレールの上を歩くと思うとひたすら悲しかった。あんなに優しかった母親が、有無を言わさず自分の将来の可能性を奪おうとしている状況にも混乱していた。

羽田空港で飛行機を待っているとき、長濱はたったひと言だけ、しかし強い毒を母親に突き刺す。

「お母さん、これで満足した?」

■乃木坂46が両親に与えた衝撃

実家に戻った頃には、涙も枯れていた。表情のない顔でテレビを見ていると、自分が受けるはずだったオーディションの結果がニュースで流れた。笑顔でカメラに向かって手を振る合格者たち。グループ名は、当初告知されていた「鳥居坂46」から「欅坂46」に変更されたという。

「ねるにも最後までチャンスを与えるべきだったんじゃない? 先に危ない芽を摘もうとするよりは、壁にぶち当たったときに助ければいいんじゃない?」

父親にも相談せずに娘を連れ帰ってきた母親に対し、姉が諭すように話をしていた。母親は、黙ってニュースを見ている娘の姿に胸が苦しくなり、「取り返しのつかないことをしてしまった」とパニックになっていた。そんな家族の様子を見た父親は、その日の夜のうちに、娘が最終審査さえ受けなかったこの欅坂46というグループの運営スタッフに電話を入れた。

「妻が娘を連れ戻してしまったんですが、娘の夢をここで断ってしまうことが正しいことなのか、私にはわかりません。父親として何かやれることがないかと思い、ダメ元でお電話しました」

実直に話す父親の言葉は、胸に迫るものがあった。

実はこのとき、不思議な縁が両者を再びつなぐことになる。最終審査の翌日と翌々日に、乃木坂46の全国ツアーの福岡公演が予定されていたのだ。長濱も随分前からチケットを買い、楽しみにしていたライブだった。

そこで運営スタッフは、父、母のふたりもこのライブに招待することにした。

「一度、お母さんも含めて僕たちのライブを見に来てください。そこで、僕たちがつくっているものがどういう世界なのかわかっていただけると思います」

2日後の8月23日夜、長濱家は福岡国際センターで行なわれた乃木坂46 のライブを観覧した。そこで、長濱ねるの運命を変えるものを目撃することになる。

乃木坂46のこの年のツアーでは、各公演で特定のメンバーをフィーチャーしたVTRが流された。そして長濱家が観覧していた回で流れたのが、秋元真夏というメンバーとその父親の物語だった。

秋元の言葉。

「(乃木坂46に合格したとき)お母さんに電話しました。喜んでもらえると思ってかけたんですけど、『え......』って言われて」

秋元は、中学受験で中高一貫の進学校に入学し、高校では生徒会長も務めた優等生である。そんな娘が、高3の時点で乃木坂46のオーディションを受けることに父親は強く反対しており、秋元は合格直後から休業することになった。

その間の父親としての葛藤。そして、大学に合格して乃木坂46に復帰し、今、テレビの中で自分の人生を生きている娘を見て感じたこと――。そんな父親の本心がつづられた手紙が、VTRの中で読み上げられた。

「ずっと言えなかったけど、もう反対はしていない。今は常に、真夏の味方だよ」

そんな言葉で締めくくられた映像を見て、長濱の父親は、自分の心と重なるものを感じた。

「どこの親もこうして心配しながら娘を芸能界に送り出しているんだな」

母親のほうも、コンサートを見るなかで気持ちが変わっていった。あれだけ偏見を持っていたアイドルというものは、実に華やかで、一生懸命に頑張るメンバーたちの姿はかけ値なしにすてきだと思えた。

「こんなにちゃんとしたグループだったんだ。娘もこんなふうに一生懸命になれるものを見つけたんだったら、自分はそれを後押ししてあげるべきなんじゃないか。危険から守ろうとするんじゃなくて、娘のやりたいことを理解してあげるべきなんじゃないか」

コンサート後、両親は運営スタッフに頭を下げて言った。

「今から、オーディションの辞退を取り消していただけないでしょうか」

もともと長濱に「S」評価を与えていた運営にとっても、願ってもないことだった。だが、最終審査を経ていないメンバーをそのまま加入させるわけにはいかない――。

ここから、長濱ねるの特異なアイドル人生が始まることになる。

■長濱ねるの仲間を探そう

欅坂46の運営委員会では、早速長濱の処遇が検討された。

「もう一度、最終審査とまったく同じ状況をつくって、ひとりぼっちのオーディションを受けさせよう」

「長濱を欅坂46に加入させるかどうか、ファンに審判してもらおう」etc .

いくつものアイデアが上がったが、決定的だったのは、欅坂46の総合プロデューサーである秋元康の言葉だった。

「ご両親の思いを考えると、長濱ねるにもう一度チャンスを与えてあげたい。ただ、今から彼女を欅坂46に加入させるのはほかのメンバーに申し訳ない。だから、欅坂46というグループの中に、ひらがな表記の"けやき坂46"というチームをつくろう。長濱ねるをその最初のメンバーにして、彼女と一緒に活動する仲間を探すオーディションもやろう」

この瞬間、「けやき坂46(通称・ひらがなけやき)」というグループが産声を上げた。しかし、実はけやき坂46というグループ名は、欅坂46に与えられるはずの名前だった。都内に実在する「乃木坂」という地名にちなんだ乃木坂46と同様、港区にある坂の名前である「けやき坂」の名を冠したグループになるはずだったのだ。

しかし、画数でグループの運勢を占ってもらう際に、スタッフの連絡ミスで漢字の「欅」を使ってしまった。そしてその欅坂46という名前が最高の上昇運を秘めていたことから、結果的にグループ名としてこの漢字表記が使われることになった、という経緯がある。

つまり、けやき坂46というグループ名は、幻に終わった当初の構想を再活用したものだったのだ。

そして何より重要なのは、欅坂46とは違うけやき坂46というグループに所属させることによって、長濱への反感を抑えようという意図もあったことだ。運営サイドは彼女を合格基準に達していると認めていたとはいえ、最終審査を受けていない彼女を攻撃するファンが出てくるのは予想がついた。そこで、欅坂46の後輩的なポジションにけやき坂46を位置づけることにした。

だが、欅坂46の中にあり、欅坂46とは違うけやき坂46というグループは、いったいなんなのか? 欅坂46のアンダーグループなのか、それとも今までにない新しいものなのか?

このけやき坂46というグループの立ち位置については、運営スタッフも含め、誰も明確な答えを持っていなかった。だからこそ、けやき坂46の歴史とは、そこで活動するメンバー自身が手探りで自分たちの存在意義を探す、地図のない旅のようなものになっていったのだ。

■「ようしゃべる、人見知りしないコ」

オーディションから約1ヵ月後の9月下旬。欅坂46のマネジャーは、グループの冠番組『欅って、書けない?』のディレクターと共に、長濱ねる本人に会うべく長崎へと赴いた。彼女が住む街を歩きながら、ここでどんな生活をしてきたのか、最終審査当日はどんな様子だったのか話を聞いた。

そのときマネジャーが受けた印象は、「ようしゃべるな。人見知りしないコだな」というものだった。

長崎市内で生まれた長濱は、3歳から7歳までの5年間、五島列島の島で暮らしたことがある。入り組んだ海岸線と起伏に富む土地が生み出す豊かな自然のなかで、釣った魚を骨まで食べたり、木登りをして遊ぶような毎日を過ごした。共働きの両親に代わり、昼は近所のおばさんに面倒を見てもらい、"島民みんなが家族"といった雰囲気のなかで成長した。そんな暮らしのなかで培われた人懐っこさが、彼女の人格の核になっていた。

あの乃木坂46のコンサートを見た日から、欅坂46に合流するまでの2ヵ月間は、彼女が生来の人懐っこさを隠さず素直に過ごせた期間である。実は、10月に上京した長濱とほぼ同じタイミングで欅坂46の地方メンバーも東京に来たのだが、彼女たちに長濱の存在は伏せられていた。事務所でも他メンバーと鉢合わせしないように細心の注意が払われ、ダンスレッスンもひとりきりで受けさせられた。

しかし、長濱本人は東京での新しい生活に胸を躍らせていた。オーディションに応募した当時は、自分がどうしてアイドルになりたいのかわからなかったが、本当はアイドルでもなんでもよかったのかもしれない。ただ、決められたレールから抜け出したかったんだと、今ではわかる。

だが、けやき坂46として出発した彼女は出だしからきつい洗礼を受けることになる。

■悲鳴と嗚咽が上がったスタジオ

11月のある日。『欅って、書けない?』を収録していたスタジオに、長濱ねるの姿があった。ほかのメンバーに知られないままサプライズで登場するために、セットの裏で名前が呼ばれるのを待っていた。これから本物のテレビカメラの前に立つと思うと、さすがに怖くなって涙が出てきた。

収録を行なっていたスタジオのほうでは「重大発表」「欅坂46に新メンバー加入」というナレーションが流れ、メンバーたちの悲鳴が上がった。続けて、長濱の両親に取材したVTRの音声が聞こえてきて、長濱のホームシックを誘った。

「欅坂46新メンバー、長濱ねるさんです! どうぞ!」

MCに呼ばれると意を決して涙を拭き、スタジオに入って自己紹介をした。さっきまで悲鳴を上げていたほかのメンバーたちのほうは見れなかった。MCからは、彼女は新グループ・けやき坂46のメンバーになると同時に、けやき坂46の追加メンバーのオーディションもこれから行なうということが説明された。

実は、こうして長濱が登場する直前、番組では欅坂46が行なった初イベントの"メンバー人気ランキング"が発表されていた。CDデビューを目指してみんなで頑張るはずのグループで、初めてメンバーの序列がつけられたことに全員が衝撃を受けたところだった。

その直後の新メンバー加入発表。さらに、MCから「(長濱は)乃木坂でいうところのアンダーメンバー」「(けやき坂46メンバーたちは、現欅坂46メンバーと)入れ替わったりすることもある」と言われ、泣きだしてしまうメンバーもいた。

彼女たちの先輩グループの乃木坂46における"アンダー"とは、シングルの表題曲を歌う選抜メンバーに対して、選抜から漏れたメンバーのことを指す。選抜とアンダーは、人気やそのときの期待値に応じてシングルごとに入れ替わる。つまり、アンダーの長濱が入ってくることによって、今後グループの中で激しい競争が行なわれることになると全員が思い込んだ。

そんな騒然とした状況のなかで、長濱にとって思わぬ出来事が起きた。番組の1本目の収録を終え、2本目の収録が始まる直前、長濱は隣に座っていたあるメンバーからはっきりと宣告された。

「ごめんやけど、私、仲良くなられへんと思う」

グループに加入した瞬間、長濱は仲間であるはずのメンバーから強い反感を持たれてしまった。こうして、"ひとりぼっちのアイドルグループ"けやき坂46は、波乱のなかで活動をスタートした。

(第1話 終)

➡︎<2話 初めて仲間になれた日>