今年4月に10周年を迎える、ラジオ日本『真夜中のハーリー&レイス』メインパーソナリティ・清野茂樹氏

新日本プロレスや総合格闘技の実況アナとしてテレビ等でもおなじみ清野茂樹アナウンサーがパーソナリティを務め、2010年から放送されているプロレストークラジオ番組『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本、毎週日曜23:00~放送中)が、この4月に開始から10周年を迎える。

これまで"一期一会"をスローガンに掲げ、NWA世界ヘビー級への挑戦者と称した500人以上ものゲストを、ほぼ毎週休みなく迎え続けた清野氏のライフワークともいえる番組だが、プロレスをメインテーマに掲げながらもそのゲスト人選はプロレスラーやその関係者のみならず、諌山創(漫画家)、上坂すみれ(声優)、神田松之丞(講談師/現・六代目神田伯山)など多岐にわたる。

しかしこの番組にはブレーンとなる特別な放送作家がいるわけではない。その番組企画構成からゲストの選定、しかも出演依頼に至るまで、内容に関するほぼ全ては番組パーソナリティである清野氏自身の"DIY"で行なわれているという。

そんな手弁当の活動を10年にわたり毎週続けてきた清野茂樹アナウンサーにこれまでの苦労、成果を振り返っていただきつつ、さらにはラジオというメディアに対して思う意義についてまで、以下、様々な角度からお話を聞いてみた。

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――放送10周年おめでとうございます。まずは10年やり続ける、という実績を積み上げてこられたことに対して改めて今、どのように感じていらっしゃいますか?

清野 言ってみれば、ひとつ山を登ったようなような達成感はありますね。いつの間にか僕自身もあれから10歳、年を取りましたし。

――しかもこの番組は本当に毎週、一切休みなしですもんね。

清野 もしこれがテレビだったら、年末年始とか、春や秋の改変期には別の特番が入るので、ある程度は必ずまとまった休みも入るんです。でも恐ろしいことにラジオは違う。本当に1年52週だったら、キッチリ52回やりますからね(笑)。

――調べてみたら、本当に大晦日や正月と重なっても休んでないんですよね。10年間のうち放送休止は選挙特番による2回のみ。しかも放送開始の2010年から2017年まではガチで真夜中2時や3時からの生放送でした。

清野 自分で言うのもなんですけど、よくやってましたよ(笑)。

――今は基本的に収録という形になりましたが、溜め録りで予定を調整できたりも?

清野 いや、それが溜め録りは1回もしたことないんですよ。3年前に収録になってからもちゃんと毎週1回、決まった日にここへ来て録ってます。

――じゃあほぼライフワークというか、生活の一部になってらっしゃる?

清野 そうなんですよ。普段からも頭の中では8割ほどずっとこの番組のこと考えてます。

――そんなに!

清野 誇張じゃなくて本当に。収録の日だけじゃなくて準備もあるので「来週はこの人が来てくれるなら何を話そうか」とか考えながら、同時にその2、3週先のゲストの予定まで考えて、出演交渉もしなきゃいけないですし、何かしら毎日やることがあって。

――驚いたのは、出演交渉まで清野さんご自身がやってらっしゃるんですね?

清野 ええ、自分でやってますねえ......。

――そこにはやはり、最初の交渉から自分でやりたいという清野さん流のこだわりが?

清野 いやいや、ないですないです。それはお恥ずかしい話、単にマンパワーの問題です。本当にこの番組、スタッフが少ないので......(笑)。

――でもそれは先方さんもビックリされるんじゃないですか。パーソナリティが自ら出演交渉してくる番組って、あまり聞いたことがないので。

清野 そこは一長一短ですね。なかには「なんで出てくれたんですか?」って聞いたら「清野さん自身が連絡されてきたので誠意を感じて出る気になった」とおっしゃってくれる方もいて、そういうときはよかったな~と思うんですけど、逆に僕が直接連絡することで「大丈夫か、この番組?」って警戒されることもあります(笑)。そうなると番組自体がやや軽く見られてしまって......出演交渉がうまくまとならないなんてこともありますね。

――そこは相手の受け取りようなので難しいですね。

清野 特に大きな芸能事務所を通しての出演交渉になる場合は、最近ようやくですけど専用の秘書を雇って、あえて代理人を立てて進めるようになりました。でも結局、代理人を立てたところでやってもらうのは窓口業務だけで、実質は僕がほとんどやらざるを得ない。相手に渡す番組概要の資料なんかも僕が自分で作りますし、時には手紙も書きますし。

――手紙を書かれるということは、もともと何かしらのツテのある人だけに声をかけているわけではなく、まったく面識のない人にいきなり出演依頼をされることも?

清野 むしろそういう方が多いですね。この番組の収録で初対面だった人、山ほどいます。

――ちなみにゲストの選定は清野さんが? 一般人もいらっしゃいますよね。

清野 たとえば最近だと、昨年『キン肉マン』の超人図鑑というものすごい本が出てかなり話題になったので、それを企画された学研の編集者の芳賀(靖彦)さんというイチ会社員の方にご出演いただきました。

他にも僕は、そもそも全く詳しくないんですけど、ユーチューバーで今この人がキテるなんて話を詳しい知り合いから聞いたら興味を持って調べてみて、それで僕が実際に面白そうだと感じたら即連絡してみますね。

――プロレス番組といいつつ、各界の著名人、さらには一般の会社員の方までゲストの幅がとにかく広いですよね。しかもこの番組の大きなルールとして、一度呼んだゲストは繰り返し呼ばない"一期一会"ということを掲げていらしゃいます。そこにはどんなこだわりが?

清野 色をあまりつけたくないなということですね。どうしてもこの類いの番組って、同じ人を何度も呼びがちになるんですよ。それはそれでファミリー感が出ていいんですけど、そうなると番組にもリスナーにも傾向ができて、そこに向かない人は出しづらくなる。

それを避けたいなっていうのと、あとこれは僕の個人的な主義で"機会均等"と言いますか、どんな有名無名に関わらず、それで扱いを変えちゃいけないだろうという風に思ってます。それが大きいですね。

――人それぞれにドラマがあるということでしょうか。そこに清野さんの持ってらっしゃる人間愛のようなものを感じるんですが......。

清野 いやいや、そんな大層なモンじゃなくて(笑)。単に自分がそういうので差別されたらイヤじゃないですか? だから自分がされてイヤなことを人にしないってだけの話ですね(笑)。

――ちなみにひとりのゲストに対して、下調べなどの準備はどれくらいかけてやってらっしゃるんでしょう?

清野 これは人によりけりですね。全く初対面の方だと1ヵ月前から著書を読んだりして時間をかけることもありますし、自分が普段から実況の仕事で関わってるプロレスラーの方なんかだと、予備知識が既に十分ありますからスッと対応できます。

またはゲストのスケジュールの都合で急に来週、みたいなこともあって、そういう場合は短い時間でやらざるを得ないのでどうしても慌ただしくなりますね。

――たとえば先ほどお話の出た学研の芳賀さんなんかの場合だと、検索しても生い立ちなどの情報は出てこないでしょうし、そうなると下準備はどのように?

清野 そういう場合は私から事前アンケートをメールでお送りしてお答えいただいて、その回答をもとに人柄を想像して、聞きたいことを膨らませてお話させてもらいます。

――別で放送作家がいるわけではなく、それも清野さんご自身で?

清野 もちろんそうです。

――そうやって詳しく作業工程を聞けば聞くほど、改めてその10年は重いですね。ちなみにこれまで500名以上の"挑戦者"という肩書きのゲストと"対戦"を重ねてこられて、その中から対戦時に一番緊張した挑戦者をひとり挙げるとすればどの方になりますか?

清野 壇蜜さんですかね!

――それは......意外なところが来ましたね。なぜ壇蜜さん?

清野 彼女が来てくれたのは2012年(11/27放送回)なんで、当時はまだグラビアのお仕事がメインの頃だったと思うんですけど、夜中3時の生放送に、わざわざあの壇蜜さんが来てくれたんですよ! それで本番前に打ち合わせをやるんですけど、まずそこからですよ。初対面で最初に彼女、僕に保湿マスクをプレゼントしてくれたんです。

――めちゃくちゃいい人じゃないですか。

清野 僕からしたらいきなり先制パンチですよ。初めてなのにアナウンサーという僕の仕事を知ったうえでお気遣いしてくださって。それでまず心をひとつ持っていかれたまま打ち合わせが終わって、いよいよ本番という時に彼女が言うんです。

「じゃあちょっと着替えてきますね」って。ラジオですよ? 映らないんですよ? なのにいざ始まったら、身体のラインがピターッと見えるものすごいセクシーな衣装でブースに入ってこられて......。

――なんて手強い!

清野 めちゃくちゃ手強いですよ!(笑) ゲストとしてホームに呼んでるはずの僕の方がドキドキしちゃって、完全に彼女のペースで試合させられた感がありましたね。

――毎回、番組の最後に対戦結果の判定が下されますけど、ではさすがにこの日は清野さんの敗北ということに?

清野 僕も危ないと思ったんです。でもその結末がまたすごくて、なんと彼女......自ら負けに持ち込んだんですよ。

――壇蜜さんが、自分で敗北を宣言された?

清野 はい。実際はこの番組、たいてい試合はドローで終わって規定により僕がチャンピオン防衛ってなるパターンがほとんどなんですけど、珍しいことに彼女はちゃんと負けたんです。

でもそれ最後どうやって負けたと思います? ものっすごいセクシーな小声で「ワン......ツー......スリー......」ってささやいてくれて、僕のピンフォール勝ちですよ。こんなのね、全く勝った気がしない! (編集注:結果は清野氏のフォール勝ちによる防衛

――ほぼ清野さんの負けですね。

清野 そうなんですよ。でも壇蜜さんはそうして自ら負けを認めることによって男を立てるという。こっちからすると「どこまで気持ちよくさせるんですか!?」って感じですよね。いやぁ......あれはとんでもない試合でした(笑)。

このベルトをめぐって挑戦者とのトークを繰り広げる。ちなみに、あのSAKUベルトをつくった人が製作したものらしいです!

――なかには放送事故みたいなアクシデントもあったりされたんでしょうか?

清野 そうですね~。一度、本当にマズかったのは生放送が基本だった頃の話なんですけど、放送ブースの中に"カフ"っていうマイクのオンオフを操作するレバーがありまして。収録後にブースに残って雑談とかしてた時にゲストの方のヒジか何かがそのカフに当たっちゃいましてね。マイクがオンになって、別の番組に僕らの雑談が少し乗っちゃったんですよ。

――それは......本当にマズい話ですね。

清野 あれはさすがにね~。こういう仕事してる者として僕がちゃんと注意払って見とけって話なので......それで顛末書も書きました。あの時は本気で落ち込みましたね。

――もしかしてその顛末書の作成も清野さんご自身が?

清野 当然、それもDIYですよ!(笑) それこそ誰か他のスタッフがいたら真っ先にお任せしたいところですけどねえ。でもそれくらい僕がかなり責任を負ってやってる番組だってことですよ、そう考えて前向きにとらえるしかなかったですよね(笑)。

――そんな熱い思い入れを持って10年、やり続けてこられたことで自分なりにここは成長したなというようなことは具体的に何かありますか?

清野 ずいぶん人の話を聞くようになれたところですかね。実はもともと僕、人の話を聞くのがとても苦手だったんですよ。

――意外ですね。こういう番組なのに?

清野 もしかしたらそれはアナウンサーっていう職業を選んだ人全般にそもそもありがちなのかもしれませんけど、自分の話をまくし立てるのは得意なんです。でも代わりに人の話をちゃんと聞けない。それが弱点だと思ってたくらいです。

そこは克服しないといけないとずっと考えてて、それで自らに圧をかけようとしてこの番組を始めた......というところも最初は正直、ありましたね。

――10年かけてその成果は出ましたか?

清野 今も聞き上手だなんて僕自身、全然思ってないです。でも始めた10年前の頃よりは相当マシになったかなと。それは続けてみるものだなぁと思ったひとつですね。

――初期の放送などを聞き返してみるとやはり違う?

清野 むしろ初期の放送なんて怖くて聞けないです! だから聞き返すことはまずないですけど、でも意識として明確に変わったところはわかってて、10年前に始めた頃は「自分がまず楽しむ」「ゲストからとにかくたくさん自分が面白いと思う話を聞く」ということを鼻息荒くやってたと思います。

でも今は、何よりゲストに楽しんで帰ってもらうことを大事にするようになりましたね。そもそも最初ずっと生放送だったのも、僕がラジオ日本に相当無理を言ってそうしてもらったんです。どうしてもそこが自分の譲れないところだったので、そうじゃないとやりません、くらいの勢いで。そこもすんなり折れて収録に変わりました。そのほうがゲストの方も来やすいでしょうし、そう思うと僕自身の考え方もかなり柔軟になりましたね。

――ちなみに、これだけ大勢のゲストを迎えてこられた清野さんから、人と話すのが苦手な人、人見知りしてしまうような人に向けて、初対面の人とうまく話すコツのようなものがあればぜひ教えてもらいたいんですが?

清野 僕が意識してやってることをひとつ挙げるなら「共通点を探す」ということですかね。なんでもいいんで共通点。例えば僕は兵庫県出身なんですけど、同じ関西出身の人が相手だったらまずそこから話を振って地元のローカルCMやスポットの話なんかをしてみたり。

他にも集英社さんの取材だから言うわけじゃないですけど、僕と同世代の男性なら週刊少年ジャンプや『キン肉マン』の話を振ってみたり。それで「ああ、僕もずっと読んでました!」みたいな反応が来たら、そこから広げていけばそんなにイヤな思いはされないと思うんですよ。それで距離が縮まるというのはありますよね。

あとは、僕は年配の人と話すの好きなんですけど「おいくつですか?」って聞いて「1954年生まれ」「じゃあ昭和で言ったら29年ですね」って即答すると「よく知ってるね!」って、そこから積極的に昔の話をたくさんしてくれたりね。ついさっきの話とも少し繋がってるのかもしれませんけど、自分のことを話す前にまずちゃんと相手を見て相手のことを知ろうとするって大事ですよね。

――今まで、取りつく島もないってことはなかったですか?

清野 少なくともこの番組のゲストに関してはまだないですね。それこそ探せば何か必ずありますよ。相手が自分と世代も全然違うアイドルの女の子で、育った文化もまるごと違うしどうしようって時でも「お父さんいくつですか?」って聞いたら「1973年生まれ」「ああ、僕と同い年ですよ!」みたいなこともありますしね(笑)。

――話す相手にちゃんと興味があれば、自然と話はできるってことですかね?

清野 僕はそう思います。時々ゲストの方でも「なんで僕が呼ばれたんですか?」って収録前の打ち合わせの時に聞いてこられることがあるんです。

そういう時は「実は、あなたの経歴でこれこれこういうところがものすごく面白いと思ってて、自分もその気持ちは共感できるのでそういうところから今日は話を広げていきませんか?」って、事前説明をすると非常にうまく会話が回っていい放送になったなということは多いです。

――10周年のその先、この番組が目指していきたい境地のようなところは何かありますか?

清野 単純にまだまだこの番組を通してたくさんの人に会いたいですね。10年超えて特に何が変わるってことでもなく、それをただやっていきたい。というのは、まだ会いたくて会えてない人がたくさんいますから。

――具体的にはどういう方が?

清野 この番組のタイトルにも使わせていただいているハーリー・レイスさんやドリー・ファンクJr.さん、ボブ・バックランドさんなどプロレス界のレジェンドと呼ばれる方々には既に大勢出ていただきましたけど、実はまだね......アントニオ猪木さんには達していないんですよ。

そこにはいつかたどり着きたいと思ってますし、漫画家の先生だと先ほど少し話に出た『キン肉マン』のゆでたまごの嶋田先生には出ていただきましたけど、作画担当の中井先生にはまだ出ていただいてないので、そこもいつか叶うとうれしいですよね。猪木さん以外にもそういうたどり着いてない人がいっぱい。

10年やったといっても番組の力も僕の力もまだまだ弱いのはわかってて、ここのラジオ日本のリングに大物を呼ぶのは結構、難しいんです。でもそこは僕にしてみれば大仁田厚のような心境ですよ。「電流爆破に引きずり込むんじゃーっ!」って(笑)。あれはいいお手本ですよね! 

長州力さん、佐山サトルさん、藤原喜明さんとか「えーっ、この人も?」って人までどんどん引きずり込んでいったじゃないですか。大仁田さん流のバイタリティはこの先、ぜひ見習っていきたいですね。

――じゃあ、せめて猪木さんをラジオ日本のリングに引きずりこむまでは?

清野 そのためにはまだまだ番組も僕も力を付けないとってことですね。それだけの情熱を持ってやり続ける。少なくとも周りから「もういい」って言われるまでは、僕自身今はやめるつもりはないですね。

――では最後の質問になりますがそんな清野さんにとって、ラジオとはなんでしょう?

清野 もともと僕は昔からのラジオ少年だったわけじゃないんです。就職の際にアナウンサーとしてたまたまラジオ局に採用されて、そこからラジオとのつき合いが始まって。でもそれが結果的に合ってたんですね。

ラジオの最大の魅力って、裏方と演者の境界線が曖昧なところだと思うんです。テレビだとそこはハッキリ分かれてる。でもラジオは僕みたいに裏方作業全部やってる人がそのままパーソナリティまでやってるケースも結構あって。それだとどんな放送になるかというと、リスナーに番組の意図が圧倒的に伝わりやすいんですよね。人任せにしてることがひとつもないのでブレもない。そう考えるとこんなに自己表現できるメディアってなかなかないですよ。

もちろん最近だとYouTubeとかもありますけど、そこも根本の魅力はラジオと同じだと思ってます。めちゃくちゃテレビで売れててもわざわざラジオやYouTubeをやりたがる人が多いのは、そこの魅力に気づいてる人ってことだと思うんです。だから、僕にとってラジオとはなんだ、と問われてあえて答えるなら......僕をそこにどっぷり取り込んでくれるものってことだと思います。

――この番組がいつか猪木さんにたどりつく日に期待して、10年目以降も楽しみに聴かせていただきます。今日は長い時間、ありがとうございました!

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10周年のオープニングとなる4月5日の放送では、まだ清野氏が駆け出しの局アナだった20年前の広島エフエム時代、一緒に番組をやっていたという博多大吉をゲストに迎えてお送りするほか、お祝い月間として4月の放送は毎週いつもより少し豪華なゲストを予定しているとの情報も!

すっかりベテランの10年選手となっても、現在4代目というお手製チャンピオンベルトの輝きにかけて、そこに手抜きや慢心、衰えのようなものは一切見当たらない。毎週日曜、深夜23時からひっそりと......しかし決して休みなく執り行われる"言葉の"プロレス30分一本勝負。そのマッチメイクと話芸の妙からは、この先も目が離せそうにない。

清野茂樹きよの・しげき) 1973年生まれ、兵庫県出身。大学卒業後の1996年に広島エフエムへ入社。2006年に独立すると、夢だったプロレス・格闘技実況の道へ転向。2015年には、新日本プロレス・WWE・UFCの世界3大メジャー団体の実況を史上初めて達成。近著に、『1000のプロレスレコードを持つ男』(2017年、リットーミュージック)、『コブラツイストに愛をこめて 実況アナが見たプロレスの不思議な世界』(2018年、立東舎)などがある。2010年4月より『真夜中のハーリー&レイス』(ラジオ日本、現在は毎週日曜日23:00~23:30)放送開始。今年4月に10周年を迎える。番組ホームページは、http://www.jorf.co.jp/?program=mayonaka