「大河ドラマと『情熱大陸』(TBS系)以外のテレビ番組は全部出た」と語るほど、長年、多方面で活躍する勝俣州和(かつまた・くにかず)。
どんな大物タレントとも絶妙なかけ合いを見せる"芸能界のミスタースーパーサブ"が、6月1日(月)発売『週刊プレイボーイ24号』に掲載の、インタビューマン山下氏によるシリーズ連載『令和に語り継ぎたい昭和・平成芸能伝』に登場。"師匠"萩本欽一とのエピソードを語る。
■"師匠"欽ちゃんとは親子のような関係
――勝俣さんの芸能界デビューは、師匠である萩本欽一さんがMCを務めていた『欽ちゃんのどこまで笑うの?!』(テレビ朝日)、『欽きらリン530!!』(日本テレビ)ですよね。どちらも月曜日から金曜日の帯番組でしたが、いきなり大変じゃなかったですか?
勝俣 そうですね。テレビ朝日から日本テレビまで、毎日欽ちゃんと車で移動していました。
――え! 当時、勝俣さんは新人ですし、萩本さんは大物芸人という立場ですから、ふたりきりの車移動は気を使いませんでした?
勝俣 それが全然。大学を辞めてすぐに「一世風靡(いっせいふうび)セピア」に入ったんですけど、芸能界やタレントを目指していたわけではなくて、ただ根性をつけたかっただけなんですよ。
欽ちゃんの番組もたまたま合格したけど、「番組が終わったら田舎に帰るんだろうな」と思っていました。だから僕は欽ちゃんに対して、タレント対タレントという意識がまったくなくて、恋愛相談とかしていました(笑)。
――フレンドリーですね(笑)。
勝俣 親父みたいなもんだよね。なんでも腹を割って話していましたから。「昨日話していた運の話をもうちょっと聞かせてください」とか「稽古でやっていたあの方法がわからないから教えてください」とか。欽ちゃんは「聞いちゃダメ」ってみんなによく言っていたけど、僕はめっちゃ聞いてたの(笑)。
――ダメじゃないですか(笑)。
勝俣 それが怒られたことはないんだよね。欽ちゃんは忙しかったから、車で移動中に寝たかっただろうけど、僕がずっとしゃべりかけるんでくたくたになっていたと思う(笑)。
――萩本さんからいろんなお話を聞かれていると思いますけど、特に勉強になったことはなんですか?
勝俣 技術は上がっているはずなのにウケなくなった時期があって、欽ちゃんに「面白くなるためにはどうすればいいですか?」って聞いたの。そしたら、欽ちゃんに言われたんだよ。
「面白くなんてならなくていいよ。もっと優しくなれ。優しい人がやっている笑いはみんなが笑う。冷たい人がやる笑いは誰かを傷つけて泣かせているかもしれない。だったら笑いの技術を磨くより優しい人間になれ。その優しさを研ぎ澄ませていったら、みんなを温かい気持ちにできるから」って。
僕はその助言がなかったら、絶対に「あの人は今?」になってたと思う。それが欽ちゃんと出会って一番よかったことかな。
●勝俣州和(かつまた・くにかず)
1965年3月12日生まれ、静岡県出身。1988年、萩本欽一に見いだされて芸能界デビュー。アイドルグループ「CHA-CHA」の一員として活動し、以降タレントとしてバラエティ番組を中心に多方面で活躍する。現在は『朝だ!生です旅サラダ』(朝日放送)のレギュラーほか、出演番組多数
■『週刊プレイボーイ24号』(6月1日発売)の『令和に語り継ぎたい昭和・平成芸能伝 勝俣州和』では、和田アキ子、とんねるず、ダウンタウン、ウッチャンナンチャン、SMAPなど、かっちゃんだけが知っている“特濃エピソード”を大放出!