古典芸能にはお宝が眠っていると誰かが言った。落語は言わずもがな、最近は講談に光が当たり、YouTubeなどネット上で演目に触れる機会が増えている。

そんな今だからこそ薦めたい3つ目のジャンル――浪曲。かつては"大衆芸能の王様"と呼ばれるほどの人気を誇った"節(ふし/※1)・啖呵(たんか/※2)・語り"による超人的な芸道だ。現代浪曲界の旗手・玉川太福(たまがわ・だいふく)に、これまでとこれからを聞く。

※1...歌の部分。浪曲では「唸(うな)る」と表現される。 ※2...せりふの部分。

※このインタビューは5月25日発売『週刊プレイボーイ23号』に掲載されたものです。

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■入門した師匠との早すぎる別れ

玉川「『プレイボーイ』は資料集めでむちゃくちゃコピーとってましたよ。大宅文庫や高田馬場にあった六月社(ろくがつしゃ)とかに行って――」

浪曲師になるずっと前のこと、玉川太福には放送作家を志していた時期がある。ダウンタウン直撃世代である太福は、幼い頃から漠然と「お笑い」に関わる職業に就きたいと考えていたのだ。

だが、大学卒業後にありついた仕事は、テレビのリサーチャー。番組用の資料集めが主で、目指す「お笑い」にはほど遠い。早々に見切りをつけた太福は、生計をアルバイトで立てつつ、演劇ユニットや映像コント集団などに参加し、ネタを書くようになった。

玉川「売れる気配すらないのに、ずっと根拠のない自信に満ちてましたね(笑)。初めはテレビ的なお笑いを志向していたんですが、徐々に演劇の魅力に目覚め、芝居寄りのコントを書くようになりました」

そんな太福が浪曲と出会う。大先輩の俳優、村松利史(むらまつ・としふみ)が浪曲の定席である浅草・木馬亭(もくばてい)に誘ってくれたのだ。すでに20代も終盤に差しかかっていた。

玉川「衝撃でしたね。テレビの世界をのぞき、演劇やコントを自分でもやってみた。落語も少し追っかけました。そのどれとも違う。理屈を吹っ飛ばしてくれるような楽しさが浪曲にはあったんです。出てくる人が、みんなスーパーマンなんですよ。表現が云々(うんぬん)以前に、フィジカルの部分で自分にまねできそうな要素が1ミリもない(笑)。すぐハマりました。

そのうち、自分がやるとかまったく想像がつかないからこそ、逆に、ここにぶつかってみたら何か生まれるんじゃないかと思えたんです。当たって砕けろで浪曲の世界に飛び込みました」

太福が師匠に選んだのは、二代目玉川福太郎。天性の声の迫力と、明るさに満ちた口演に惹(ひ)かれた。

当時、若者がほとんどいなかった浪曲界で、20代男性の入門志願に福太郎が喜んだであろうことは、想像がつく。しかし、「俺が教わったことは、全部おまえに教えてやる」とまで言ってくれた師匠・福太郎は、不慮の事故により、太福の入門から3ヵ月足らずで帰らぬ人となってしまう。

玉川「今ならまだ引き返せるよ、と言ってくれる人もいました。でも、やめようとは思わなかったですね。一門のおかみさんや姉弟子たちがイチから面倒を見てくれて。ほかの師匠方も皆さん優しかった。直接の師匠がいないことで、かえっていろんな師匠のカバン持ちをさせてもらう機会が増えて、結果的には吸収する幅も広がった。今では貴重な財産になっています」

最初の3年間、福太郎との約束どおり古典に専念した太福は、やがて、入門前に培ってきた演劇やコントのテイストを浪曲と融合させた新作浪曲に、活路を見いだす。

玉川「自分にしかできない笑い、っていうのはずっと念頭にありました。僕がかじってきた少し引いた目線で日常を観察するようなコントの世界と、熱量高くグイグイ押していく浪曲の世界が、どうにかしてうまくつながらないものかと。試行錯誤しているうちに、徐々に化学反応を起こせるようになってきたというか」

太福の現時点での代表作『地べたの二人』シリーズは、作業服に身を包んだふたり――50代のサイトウさんと30代のカナイくんの些細(ささい)なやりとりや感情の揺れを、浪曲の節で唸(うな)るというもの。第2作『地べたの二人 おかず交換』というネタは、若者に人気の落語会「渋谷らくご」で初披露され、観客を爆笑の渦に巻き込んだ。

玉川「最初はまったく手探りでした。ウケるかどうかもわからない。手始めに『作業着の名前の刺しゅうがオレンジ色ぉぉぉ~』って唸ったら、「ドンッ!」って今まで感じたことのないようなお客さんの笑いの圧がきた。

『わっ、そんなに喜んでくれるのか。じゃあ、これならどうだ』ってまた細部を唸ると、さらにドッカーン!みたいな。ホント初めての経験ですよ。客席を沸かせるってこういうことだったのか!って。コントやってた時代には味わったことのない感覚でした(笑)」

このネタは、創設されたばかりの「渋谷らくご創作大賞」にも輝き、玉川太福の名を広く演芸界に知らしめた。

■同世代芸人との切磋琢磨

今や浪曲の枠を超えたつながりも多い。週プレでもおなじみの人気講談師・神田伯山(かんだ・はくざん)は、お互い最も多く二人会を重ねてきた間柄だ。今年2月に行なわれた伯山の披露興行にも出演した太福は、新宿末廣亭(すえひろてい)で新作浪曲『神田伯山物語』を熱演し、喝采を浴びた。

以前は、寄席(よせ)に浪曲師が出演すること自体、年に数度のレアケースだった。だが昨年、太福は落語芸術協会に会員として迎えられ、今では毎月のように出演している。寄席の楽屋に出入りするようになって、太福はあらためて浪曲の偉大さを思い知ったという。

玉川「落語の師匠も色物の先生も、浪曲を愛好する方がたくさんいるんですよ。『あの先生はこうだった』っていう思い出話から、『あの音源がいいよ』とか、『なんか落語にするのにいい演目ない?』とか、皆さん話しかけてくださって。どこの馬の骨ともわからない僕がそんなふうに温かく受け入れてもらえるのも、先人たちの偉大な遺産のおかげだなって」

2017年には、同世代の落語家である瀧川鯉八(たきがわ・こいはち)、春風亭昇々(しゅんぷうてい・しょうしょう)、立川吉笑(たてかわ・きっしょう)と「ソーゾーシー」という創作話芸ユニットも結成した。

同ユニットでは新型コロナ禍の影響で急速に広まったリモート寄席に先駆けること3年前、すでにウェブサイト上での興行を実現しており、昨年にはクラウドファンディングを利用した全国ツアーも行なっている。

玉川「ソーゾーシーの活動はホント刺激的です。落語と浪曲とジャンルは違えど、『創作』というキーワードの下、同じ話芸として仲間に加えてもらえたのはありがたかった。全国ツアーなんて、現時点ではとてもひとりではできないことも、4人でならできる。今はコロナの影響による自粛の流れで大変ですけど、ネタやトークを配信したり、どんどん面白いアイデアが生まれています」

■通常営業の『笑点』に出たい

王道の古典から時にはトリッキーな新作まで、次々と高座にかけられていく横で、ずっと三味線を弾いて太福を支えるのが、亡き師匠・福太郎のおかみさんでもある、曲師(きょくし)の玉川みね子だ。

玉川「おかみさんの存在は本当に大きいです。よちよち歩きの頃から、ずっと弾いてもらってますからね。お金にならないような仕事でも、不満も言わずについてきてくれる。正直に言えば、いろんなことがありましたけどね。

私も生意気なほうなんで、意見してぶつかったり、必要以上に気を使わなかったり。でも、今はお互い言葉をそれほど交わさなくても、『伝わってる!』って瞬間がある。まあ、言葉を交わしたほうが早いこともあるんですが(笑)。

お元気なうちに、おかみさんをもっと大きな舞台に連れていきたいですね。旅の仕事がお好きなんです。今までめったになかった地方の仕事も、ここ2~3年ですごく増えてきたし、今年は開催できれば、ソーゾーシーの全国ツアーで15ヵ所巡ります。喜んでもらえるんじゃないかな」

リサーチャー時代にはクレジットすらされなかったテレビの世界からも、ちょくちょく声がかかるようになった。国民的演芸番組『笑点』には、すでに2度出演している。

玉川「1度目は(桂)歌丸師匠がお亡くなりになった直後のオンエアで、2度目は無観客収録っていう。次こそは、通常営業の『笑点』に出たい(笑)。ただ、テレビに出ることが目的になってもしょうがないわけで。

まずは浪曲師・玉川太福として、どの都道府県にも『こいつの浪曲をナマで聴きたい』という人が一定数いるっていう知名度と、それに見合った芸の力を磨く、と。そこを目指しながら、メディアに合わせた芸も引き出しとして備えたい。それがどんな芸なのか、イメージすらできてないのですが(笑)」

■来たれ、ラッパー!?

緊急事態宣言の解除後、条件付きではあるものの各寄席が扉を開け、浪曲の定席である浅草・木馬亭も再開した。リモートによる公演の配信スタイルも広がり、新たな形で高座に触れる機会が増えてきた。

そこで、本記事の締めくくりに。「これから初めて浪曲を聴く」という読者を想定して、浪曲体験の楽しみ方を教えてもらった。

玉川「よく伝統芸能は『感じてもらうのが大事』って言いますけど、まさに浪曲は『体に響く芸』です。なので大劇場もいいですけど、まずは100人ぐらいの小屋でビリビリくる振動を浴びてほしいですね。

内容はわからなくても大丈夫。かつては大衆芸能の王様だったわけで、誰でも楽しめるエンタメなんですよ。講談でも落語でもなんでも貪欲に取り入れて発展し、人口に膾炙(かいしゃ)するくらいはやったわけで。

ラジオ全盛時代に人気のピークを極めて、でもテレビ時代がくるとだんだんと下火になった。それでも浪曲漫才グループの玉川カルテット先生や、コメディアンとしても活躍した玉川良一師匠など、形を変えながら生き残ってきた。

私の大師匠・三代目勝太郎は、昼帯番組のレギュラーで人物伝浪曲みたいなことをやっていたそうです。もっと国民的な存在でいえば、歌手に転向した、村田英雄、二葉百合子、そして三波春夫。浪曲の節を譜面化した『俵星玄蕃(たわらぼしげんば)』は、歌謡浪曲(浪曲の入った歌謡曲)の完成形でしょうね。

歴史をさかのぼってみても、実にいろんな浪曲師がいました。ただ、常に変わらないのは、一節一声を聴いただけで心をわしづかみにするっていう音楽性ですね。

私もそうありたいんですが、初めての会場なんかだと、ついネタ要素の強い新作に頼りがちで、音楽性がおろそかに(苦笑)。まあ、節がうまい方は何人もいますけど、爆笑がとれる浪曲師はそういないので、今はそれでよし、としてる部分もあります。
 
ある意味、浪曲って『和製ひとりミュージカル』なんです。歌にお芝居、語りに、所作。要素が多く、『どう見せるか、聴かせるか』という演出については、自由度が高い。ただその分、浪曲師の個性が丸出しになる。丸出しですから、ただうまくても"魂"が入っていないと響かない。
 
たまに『ラップミュージックみたいですね』とも言われます。まさしく、そう。実際、鼈甲斎虎丸(べっこうさい・とらまる)とか木村重松(きむら・しげまつ)っていう昔の名人なんて、超絶カッコいい節回しで、ほとんどラップです。

もともと、社会の底辺に生きる者たちが大道芸から始めた浪曲と、身近なメッセージを強く訴えるラップのパワーが合わさったらすごいことになるかも。ですから、こう言いたい。来たれラッパー、浪曲は門戸を開いているぞ、と(笑)」

●玉川太福(たまがわ・だいふく) 
1979年8月2日生まれ、新潟県出身。2007年に二代目玉川福太郎に入門。2013年11月名披露目(なびろめ)。日本浪曲協会と落語芸術協会に所属。趣味はラグビーとサウナ。TOKYO FM『ON THE PLANET』の火曜パーソナリティを務めている