1985年に『週刊少年ジャンプ』で連載が始まった『魁!!男塾』(さきがけ・おとこじゅく)。塾長の江田島平八(えだじま・へいはち)が名うての不良少年たちを全国から集め、日本のかじ取りを担う人材を育てるべく過激な教育を施す「男塾」を舞台に、塾生たちの根性や友情を描いた、漫画家・宮下あきらの代表作だ。
宮下の男臭い画風と、男しか出てこない登場人物。江田島を筆頭に一号生・剣桃太郎(つるぎ・ももたろう)、富樫源次、虎丸龍次、J、二号生・明石剛次、三号生・大豪院邪鬼(だいごういん・じゃき)、関東豪学連の伊達臣人、雷電、飛燕、月光ら、個性豊かな面々がシゴキやバトルを通じて絆を深めていく。
さらに男心をくすぐる撲針愚(ボクシング)、磁冠百柱林闘(じかんひゃくちゅうりんとう)、驚邏大四凶殺(きょうらだいよんきょうさつ)、大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)といったネーミング、謎の書籍「民明書房」――。1988年にはテレビアニメ化もされるなど、その破天荒なバトルと男臭い友情・努力・勝利でジャンプ黄金期を代表する作品となった。
連載開始から35周年経った今もなお、スピンオフ作品が発表され続ける『男塾』。なぜ、こんなにも男たちの記憶に深く刻まれ続けるのか? その魅力の秘密を作者・宮下あきら氏に直撃。作品誕生からアイデアの秘密、そして宮下氏の意外な経歴、今夏世間を騒がせた「フェラーリ事件」まで、前後編に渡ってお届けします!
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――先生、『魁!! 男塾』連載開始35周年、おめでとうございます!
宮下 おお、ありがとう(照笑)。でも正直、35年と言われても実感ないんだよ。まぁ、あっという間だったよね。
――『男塾』は、今なお男たちのバイブルとして高い人気を誇る作品です。どうやって誕生したんですか?
宮下 オレはそれまでジャンプで、『極道(きわめみち)』(『私立極道高校』)、『極虎(ごくとら)』(『激!!極虎一家』)、『毘沙門(びしゃもん)』(『嗚呼!!毘沙門高校』)、『ボギー』(『ボギー THE GREAT』)とかいろいろ描いてたんだけど、「ヒットしたい」とかそういった感情を一切無くして、改めて「自分が一番好きなものを描きたい」って始めたのが『男塾』だったんだよね。
――先生の初連載作品『私立極道高校』(1979年)に近いというか、原点回帰ですか?
宮下 そうだね。やっぱりオレが描きたいのって学園モノとかケンカなんだよ。そこから少しずつ形にしていった感じかな。
――「男塾」というアイデアはどこから?
宮下 オレは別に何の政治的思想もないんだけど、軍隊とか武士道の世界観とか精神は好きなんだ。ああいうタテ社会の厳しさのなかにも、苦楽を共にしながら絆が生まれていくみたいな男の世界を描きたかったんだよね。
――第一話の1ページ目から銃剣を構えるシーンで始まります。
宮下 マクラ(導入部分)から「死ねい貴様ら!! 死んで祖国の御盾(みたて)となるんじゃーっ!!」だもんな。その辺は三島由紀夫の楯の会をイメージしてるんだけど、半ばギャグのつもりで描いたんだよ。今だときっとアウトだな(笑)。
――そもそもの前提として、男塾って「高校」なんですか?
宮下 よく聞かれるんだけど、オレにもわからないんだよ(笑)。登場人物の年齢も謎だしね。ヒゲを生やしたヤツもいれば、何年も学園を支配したなんてヤツもいる。不良少年が集まった私塾ってことで理解してもらえればいいかな。
――連載当初は、教官たちの無理難題に塾生たちが四苦八苦する学園ギャグ漫画でした。
宮下 どおくまんの『嗚呼!!花の応援団』って漫画知ってる? あの体育会系のノリとか人情味とかが好きだったんで、『男塾』も影響を受けてるかな。
――ただ、途中からバトル漫画へシフトします。何があったんですか?
宮下 当時のジャンプは『北斗の拳』とか『ドラゴンボール』が人気でね。俺もバトル描けば票が集まるから、どんどん描いていって。読者が喜ぶものを描くって、ジャンプでは自然な流れだよ。
――そのバトルが他の漫画とは比べものにならないほど荒唐無稽です! 針のついたグローブで殴り合う「撲針愚(ボクシング)」などの男塾名物をはじめ、一千度の硫黄泉や南極大陸の五重の塔で戦ったり、世界中の殺人奥義を極めた武術家たちと死闘を繰り広げたり。ああいう破天荒なアイデアはどうやって生まれるんですか?
宮下 そうだなぁ......、たとえば桃太郎たちに崖を渡らせるため、仲間たちが人間の橋を作るなんてのがあったでしょ?
――「万人橋(ばんじんきょう)」ですね。
宮下 まず最初に絵が浮かぶんだよ、組体操みたいに人間で橋を作っている絵が。みんなで力を合わせて苦境を跳ね返す、みたいなことから思いつくんだけど、オレの場合、こういう絵を描こうって思いついて、そこからストーリーを組み立てるんだよね。絵がストーリーを引っ張ってくれるというか。
――じゃあ毎週の編集者との打ち合わせも、まず先生が絵のアイデアを言って、そこからストーリーを考えて......。
宮下 いや、打ち合わせなんてしないよ。世間話して、飲みに行くだけ。ネームだって、連載会議に出すため最初の3話までは作ったけど、そのあとはほぼやらなかった。基本的にはあまり深く考えずに描いていたかな(笑)。
――あまり深く考えず(笑)。でも、読者は「来週どうなるんだ?」って毎週ドキドキしてましたよ!
宮下 週刊誌は「引き」が大事だから、とりあえず最終ページを引きの強い展開にしておいて、あとは来週、「で、どうするか」って考えるみたいな(笑)。オレ自身も「来週どうなるんだ?」ってドキドキしてたからさ(笑)。
――それで毎週描いていたなんてスゴいですね。
宮下 週刊誌の漫画家なんてみんなそうだよ。漫画で一番大事なのは、ページをめくったら何が出てくるのかって読者をワクワクさせることだからね。作者も先が見えないくらいでちょうどいいんだよ。
――あと、『男塾』で忘れてはならないのが「民明書房」です。
宮下 ふふっ、全部デタラメだけどな(笑)。あれは昔、白土三平先生が忍者漫画で、技や武器を科学的に解説していたのから思いついたんだ。最初の頃は、読者も本当にある本だって信じてくれてたね。
――ゴルフの由来が中国の呉竜府(ご・りゅうふ)って武道家の名前だとか、「本当?」って思ってましたよ!
宮下 今考えるとメチャクチャだよな(笑)。ただ、蜘蛛(クモ)の調教に挑んだ武道家が「失敗だ~」って言ったのが「スパイダー」の語源だとかナントカって描いた辺りから、小学生にも「インチキだ」ってバレちゃったんだよね。うん、あれはやりすぎたな、失敗した。
――あと、何人ものキャラが死んでは、ことごとく生き返るのも『男塾』ならではかと。
宮下 あれは読者のためなんだよ。自分の好きなキャラが死んだら悲しいし、でも生き返ったら喜んでくれる。どちらにせよ読者は作品を楽しんでくれるわけだからね。死んだままにする手はないよ。
でも、そのキャラが死んだことを忘れたまま描いちゃって、アシスタントに「先生、死んでますよ!」って言われたこともよくあったね。オレ、前に描いたことなんて細かく覚えてないんだよね(笑)。
――覚えてないって(笑)。先生の中で印象に残ってるシーンは?
宮下 「油風呂」は好きだな(灼熱の油風呂の中で、浮かべた紙船のローソクの火が消えるまでじっと耐える男塾名物の根性試し)。笑えるでしょ?(笑) 第2話に出てくるんだけど、民明書房的な解説もつけてあるし、あそこで『男塾』の方向性が見えたよね。
あ、あと、よく言われるけど邪鬼の登場シーンも印象に残ってるな。
――出た! 三号生筆頭・大豪院邪鬼の初登場シーンですね!
宮下 あれは今見ても、ちょっとデカく描きすぎたな(笑)。
――その後、富樫が挑みかかりますけど、今でいう『進撃の巨人』くらいありますよ。
宮下 アレはさあ、なんて言うかオーラなんだよね。邪鬼のオーラがすごくて体がデカく見えたっていう。民明書房の解説を付けとけばよかったな(笑)。まあその後出てきたときには、普通の大きさにしたけどね(笑)。
――ちなみに先生が『男塾』で一番好きなキャラクターは誰なんですか?
宮下 桃太郎みたいな二枚目よりは、富樫とか不器用な三枚目キャラが好きだけど、やっぱり一番は塾長の江田島平八かな。
――「わしが男塾塾長、江田島平八である!!」でどんな猛者も黙らせるんだから、最強のキャラクターですよね。
宮下 最初は、キラー・カーンみたいな昭和のプロレスラーと昔の頑固オヤジをイメージして描いたんだけどね。まあとにかく圧倒的な強さがあるから、動かしやすいし、何を描いてて楽しかったよ。
――銃で撃たれても「ぬんっ!」で弾を体からはじき出しちゃうし、生身で宇宙遊泳して大気圏突入までしてたし、太平洋戦争終結時のアメリカ大統領が「EDAJIMAがあと10人いたらアメリカは敗北していただろう」と言うのもうなづけます。
宮下 でも江田島ならやりかねないでしょ?(笑) ああいう無茶苦茶なんだけど、ワクワクする感じが好きだよね。まさに『男塾』を象徴するキャラクターだよ。
■宮下あきら(みやした・あきら)
1953年10月8日生まれ、東京都出身。高橋よしひろのアシスタントを経て、1979年『週刊少年ジャンプ』で『私立極道高校』を連載開始。1985年に『魁!!男塾』を連載開始し大ヒットとなる。他代表作に『激!!極虎一家』『ボギーTHE GREAT』『天より高く』など