ミスターSASUKEこと山田勝己と、傍らで応援するSASUKEオールスターズの長野誠、竹田敏浩、山本進悟(左から)。今大会には最強の漁師と呼ばれた長野も久々に復帰し、番組に華を添えるミスターSASUKEこと山田勝己と、傍らで応援するSASUKEオールスターズの長野誠、竹田敏浩、山本進悟(左から)。今大会には最強の漁師と呼ばれた長野も久々に復帰し、番組に華を添える
あの伝説の男が、帰ってきた。

23年の歴史を誇るTBSの名物番組SASUKE。その歴史上最も有名なプレーヤーといえば、山田勝己をおいてほかにいない。出場者として初めて自宅にセットを作り、SASUKEにのめりこむあまり職を失い、護摩行や滝行まで積んで完全制覇を目指す様はまさに修羅。しかしいつも、あと僅か及ばない。悲哀溢れる後ろ姿に多くのファンは涙し、いつしか彼は"ミスターSASUKE"と呼ばれるようになった。

引退後は「山田軍団・黒虎」を立ち上げ、後進の育成に心血を注いでいた山田だったが、このほど12月29日に放送される第38回大会で(エキシビション出場を除くと)8年ぶりに復帰。意気込みをこう語る。

「昨年、黒虎の山本良幸と伊佐嘉矩(よしのり)が大活躍して、自分ももう一度出たいと思った。今年55歳で、誰も俺がクリアすると思ってないだろうけど、山田勝己はまだ死んでいないというところを見せたい」

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SASUKEの伝説、山田勝己。その魅力を、現在のSASUKE界で「最強」と目され、かつて山田が付けた栄光のゼッケン100番を今大会で背負う森本裕介はこう語る。

「山田さんはSASUKEを世に知らしめた偉大な大先輩。そして記録よりも記憶に残る名選手です。すべてを懸けて挑んでも、いつもぎりぎりのところで失敗してしまう。視聴者が頭を抱えるような悔しい結果が本当に多い。

しかしひたむきに努力する姿、心から悔しがっている姿、そういう山田さんの『人間らしさ』に皆が惹かれるのだと思います」

■傷だらけの55歳。復帰までの困難な道のり

現在はバラエティ番組『水曜日のダウンタウン』にも出演するなど、未だにSASUKE史上最も有名な選手であることに異論の余地がない山田。しかし、意外にもFINALステージ進出は過去に一度だけ。SASUKEの歴史は山田の血と汗と涙の歴史でもある。

8年前、夢半ばにして選手を引退した山田だったが、前回大会での弟子たちの大躍進に触発され、もう一度SASUKE復帰を決意する。

しかし、その過程は困難なものだった。一昨年、業務中に1トン近い鉄板を左足の上に落として複雑骨折の重傷を負った山田は、医者から「もう二度と選手としては復帰できない」と言われたという。

「春先までは、軽く走るだけで痛みが出るくらいで。緊急事態宣言が出たあたりから、なんとか負荷をかけた走り込みができるようになりました」

復帰のめどが立ったところで、山田はSASUKEのオーディションの準備に着手する。山田が率いる「山田軍団・黒虎」には前回大会3rdステージに進出した山本良幸と伊佐嘉矩がいる。山田は黒虎の看板に頼らず、一般参加者に戻って正面からオーディションを突破する道を選んだ。

「数年ぶりに書類審査も受けましたし、オーディション名物の腕立て伏せ100回、あれに備えて、番組サイドにPRするために自分のYou Tubeチャンネルで腕立てを1111回やったりしました」

だが、"無冠の帝王"をまたしても悲劇が襲う。

「今度は腕立てのやりすぎで頸椎を痛めて、肩にも痛みが出てしまって。結局、本番まで上半身のトレーニングはほとんどできませんでした」

しかしそこは"浪速のブラックダイヤモンド"と呼ばれた男。1stステージの傾向は分析済み。焦ることはなかった。

「今の1stステージはほとんどが足を使うエリア。なので、トラックを押したり、そり立つ壁をやったり、『ウイングスライダー』対策でスパイダーウオークの要領で壁と壁の間に張り付いたり。下半身に関しては10割仕上がりました。結果的にはいい準備ができたんじゃないですかね」

さすがは"浪速のターミネーター"。ピンチをチャンスに変え、これまでいくつもの壁を――『そり立つ壁』には跳ね返されることも多かったが――乗り越えてきた。

左足首の複雑骨折。右膝の半月板損傷。ここ数年は野球のプレー中にピッチャーライナーが頭を直撃した影響で右目の視力が落ち、ドラゴングライダーのバーは二重に見えてしまう。まさに傷だらけの55歳。老いてなお、山田をSASUKEに駆り立てるものはなんなのか。

「できない悔しさですね。それに尽きます」

できない悔しさを胸に、修羅のごとく鋼鉄の魔城に挑み続けてきた孤高の男・山田勝己。彼がまとうある種の「狂気」に、視聴者はこれほどまでに惹きつけられるのだろう。

■訪れた心境の変化と、「もう一度、戻れるなら」

「SASUKEを楽しいと思ったことは一度もない」。かつてそう語った山田だが、最近、心境の変化を自分自身で感じている。

「前回大会で黒虎のふたりが揃って3rdステージに進出したとき、初めてSASUKEを楽しいと思えた。それで、今回復帰できるなら『もっと楽しんでSASUKEと向き合いたい』と思ったんです」

今大会に向け、山田は23年のSASUKE歴で初めて、自身も名を連ねる"SASUKEオールスターズ"と呼ばれる番組のレジェンド選手である"元祖・最強の消防士"竹田敏浩や"SASUKE唯一の皆勤賞"山本進悟らと合同練習を行なった。

「楽しかったですね。みんなと一緒に楽しく練習ができたのは、本当にSASUKE人生で初めてでした。SASUKEへの取り組み方が180度変わったというか。これまでは黒虎の若い子らにも『そんなんしかできへんなら完全制覇なんて無理や!』とか昔ながらの指導をしていたんですけど、今回は『とにかく楽しく、目いっぱいやってこい』と、そういう感じで」

孤高の男・山田にとってSASUKEへの挑戦は常に「独り」だった。しかし黒虎をつくり、若い世代と触れ合うなかで、頑なだった心にも変化が訪れた。完全制覇のためには「不要」だと信じてきた「他者との絆」が本当は一番大切で――それが実は、自分の足元に転がっていたということを山田はようやく知ったのだった。

完全制覇まであと30㎝と迫った第3回大会。「俺にはSASUKEしかないんですよ」と涙した第10回大会。SASUKEの歴史に残る"手袋失格事件"の第12回大会。山田を語る伝説はあまりに多すぎる。

SASUKEの歴史に残る手袋失格事件を起こした若き日の山田(第12回大会)。「2ndステージでゴールボタンを押したものの、ルール上はコース途中で外さなければならない手袋をつけたまま最後まで進んでしまい、失格となりました。SASUKEの歴史に残る大事件としてファンの間で語り継がれています」(森本)SASUKEの歴史に残る手袋失格事件を起こした若き日の山田(第12回大会)。「2ndステージでゴールボタンを押したものの、ルール上はコース途中で外さなければならない手袋をつけたまま最後まで進んでしまい、失格となりました。SASUKEの歴史に残る大事件としてファンの間で語り継がれています」(森本)

「もしも、SASUKEのあの瞬間に戻れるなら」。そうぶつけると、少しの間の後に山田はこう答えた。

「俺が20代の頃にSASUKEがあったら。そんなふうに考えることもありますけど......もし叶うなら、もう一度、第1回大会から出たい。それで山本(進悟)君みたいにすべての大会に出場し続けて、もう一度SASUKEを最初から全部、目いっぱい楽しみたいですね」

――あなたにとって、SASUKEとは。

「俺の人生ですかね。目標を持って今までやってきたこと、それが人生になっているし、これから先もたぶん、死ぬまでSASUKEと関わっていく。だから、人生なんでしょう」

ミスターSASUKEの熱き魂は、一切の変わりなくあの頃のままだ。

■山田勝己(やまだ・かつみ)
1965年10月22日生まれ、兵庫県出身。"ミスターSASUKE"。SASUKEには1997年開催の第1回大会から出場。初めて自宅に本番コースを模したセットを造って挑んだ第3回ではFINALステージに進出するも、あと30㎝のところで涙をのむ。2012年開催の第28回大会で3度目の引退宣言をしたあとは「山田軍団・黒虎」を立ち上げ、後進の育成に力を注いでいたが、このほど12月29日19:00放送開始の『SASUKE2020~NINJA WARRIOR~』第38回大会で約8年ぶりの本格復帰を果たす