自他ともに認める大のプロレスファンの山田邦子さん。現在、プロレスリング・ノア中継(AbemaTV)のゲスト解説で見せているマニアックな知識とプロレス愛の深さが、「マラソン解説の増田明美級!」とファンの間で評判になっている。
山田さんとプロレスとの関係は古く、1987年にまでさかのぼる。当時、人気が下降気味だった新日本プロレス中継のテコ入れ策として始まったトークバラエティ番組『ギブUPまで待てない!!』のMCに抜擢されたのが、27歳の山田さんだった。
しかし、この番組中に"事件"が起こってしまう。とある回、流血試合の映像を見た山田さんが、「血はすぐに止まるものなんですか?」と、ゲストの馳浩に何気なく聞いたところ、「つまんない話を聞くなよ。止まるわけがないだろ」と、なぜかキレ気味に答えられ、スタジオが凍りついてしまったのだ。
その後、わずか半年で番組は打ち切りとなってしまったため、「山田邦子はプロレスラーをバカにする発言をして、馳浩を激怒させた」という誤った認識だけが残り、今日までに至っていた。
あれから34年、今年1月4日の後楽園ホールで因縁のふたりが邂逅した。NOAHの新春大会にシークレット参戦を果たした馳が、試合後、ゲスト解説に来ていた山田さんに接近し、まさかのグータッチを交わしたのだ!
34年間の呪縛から解き放たれた今、山田さんは何を思うのか? 当時のお話、そしてプロレス愛からお笑いに至るまで話を聞いてみた。
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――邦子さん、今日はプロレスに関するお話を伺いに来ました。
山田 あら、うれしいわ。太田プロにいた頃から、何回もプロレスに関する仕事をしたいと思っていて提案はしていたんだけど、一切なかったんですね。
それで今の事務所にお世話になることになったら、すぐに社長がAbemaの方を紹介してくださって、解説をやらせていただけることになったんですよ。
――邦子さんが古くからのプロレスファンだというのは有名ですもんね。NOAHのゲスト解説はどうですか?
山田 解説って初めてやったの(うれしそうに)。そしたら、おしゃべりが私にハマったのかな? 今まで、それこそジャイアント馬場さん、アントニオ猪木さんの時代から、チケットを買ってちゃんと会場に行っていますからね。だからその分、ネタもいっぱいありますよ。
――その、プロレスラー関連のネタがファンには好評ですね。
山田 そうなのよ。でも、リング上って解説の声が聞こえているんですってね。
――あ、聞こえているんだ(笑)。
山田 だから私に自分のことをしゃべってもらいたいのか、選手の方々がみんな挨拶をしてくれるの。新日にしても、ジャイアント馬場23回忌の大会にしても、会場に行ったら挨拶をしに来てくれるから、「私も頑張ってしゃべらなきゃ」と思っているんです。
――今年の1月4日、後楽園ホール大会のお話を聞いてもいいですか?
山田 まさか、馳浩さんとねえ(笑)。
――あの大会は、入場曲がかかって初めて誰が登場するのか分かる形式でした。
山田 そう、だからもうビックリしてね。実は(馳の地元の)金沢大会も、わざわざよく観に行っていたの。馳さんは国会議員さんだし、ましてや文部大臣までされた方ですからね。だから金沢まで行っても、なかなか会えなくて。
地元の名士の方や仲のいいレスラーの方が紹介してくれるって話がありながら、なぜかここまで会うことができなかったの。
――え、34年前のあれ以来、一度も会ったことがなかったんですか?
山田 そうなのよ。しかもあのとき、会場に来ていた方々も、私と馳さんの関係を知っている方が多かったのか、馳さんが出てきたら笑ってくれたし、私の名前を呼んでくれたりしたから、すごくうれしくなっちゃって。それでリングに向かって手を振ったりしてたんですけど、試合が終わったら馳さんが降りて来てくれて......。
――ビックリしましたね。
山田 コロナ禍だったからハグはできなかったんですけど、グータッチをしてくれてね。しかも後ろには、奥様の高見恭子ちゃんもいらしてたんですよ。実は恭子ちゃんとも疎遠になっていたんですけど、あの後、数十年ぶりにメールが彼女から来てね。ホントうれしかった(とニコリ)。長年の呪縛が解けたようなね(笑)。
――呪縛ですか(笑)。
山田 そしたら、そのことがYahoo!ニュースや『週刊プロレス』に載ったりしたから、「ふたりがあの大会を全部持っていっちゃいますね」って言われたんだけど、しょうがないじゃないね。役者が二人揃っちゃったんだから(笑)。
――山田邦子と馳浩の因縁は、プロレスファンなら誰もが知っていることですもんね。
山田 でもこれって、映像がひとり歩きしていてね。大したことない話だったと思うのよね。
――そう思います。
※ここで問題のシーンを含む、ゲスト・馳浩の登場場面の映像(約5分間)を見てもらう。
――どうですか?
山田 私も勉強不足で若かったし、下手クソなインタビューをしました。だからカチンと来たんでしょうけど、馳さんも若かったわよ。
ほら、途中から変でしょ? プロデューサーをはじめスタッフがみんなサブから降りて来て、私のことをかばおうとしてくれてたのよね。なんだか「馳の発言は暴力だ!」みたいな険悪な雰囲気になっちゃって、CM中にスタッフから「大丈夫ですか?」って言われたり、しまいには「もう、番組をヤメよう!」みたいな話になっちゃって。
――そんな大事になってたんですね。今見ても、全然大した話じゃないのに。
山田 本当。他の共演者のみんなはなんとかつなごうとしていて、えらいわね。私も馳さんもお互いに未熟だったわね。
――邦子さんもプロレス番組のMCとしては未熟だったし、馳さんもテレビ番組に慣れてなかった。お互いが未熟だったから、変になった空気を戻すことができなかったんですね。
山田 そう。ケンカならケンカにすればいいんだけど、別にケンカまでも行っていない。あの後、番組で何度か会っていれば「仲が悪い」ってことにはならなかったんだろうけど、視聴率が悪くて番組も終わっちゃった(笑)。
結局、馳さんとは会ったのは34年前の番組が初対面で、今年の1月4日が2回目なんですから。
――まさに時を超えた話ですね(笑)。
山田 こういう噂ってひとり歩きするんですね。向こうだって政治家でお忙しいなか、何かっていうと山田邦子の話は出たと思うし、私だってプロレスを観に行くたびにその話をされて......。いつか、和解っていうのをしなきゃいけないと思いながら今まで来たんですよ。
――いや~、そういう話を聞くと、あのグータッチがより感動的になりました! 『ギブUPまで待てない!!』の17年後の2004年に『ハッスル』が始まってインリン様がリングに出たりハッスルポーズが流行ったりしましたが、プロレスとエンタメを融合させたあの番組は、やっぱり時代が早過ぎたんですかね?
山田 いや、私がついていけなかっただけだと思います。たぶん、猪木さんにはその発想はあったと思うの。
だけど、私もまだ若かったのでそこまでできなかったし、他のことが忙しかったのもあった。今だったらなあって思うことがいっぱいありますよ。番組をヤメるってなったときにも、猪木さんはすごく残念がってくれてね。
――え、そうだったんですか?
山田 そうよ。藤波辰爾さんなんて、わざわざ訪ねて来てくれて「なんとか続けてもらえないか」って言ってくれたりね。今でも、その辺りの方々とは仲良しです。
だから私のせいなんです。私がもう少し情熱があって、もう少しプロレスのことをわかっていれば、もう少しできたんだろうけど、あの頃はまだ女、子どもの出る幕じゃなかったのよ。だからこそやりがいはあったんだけど、その頃の私はただのお茶の間の人気者だったんでしょうね。そこは反省です。でも、また時代に合ったことをやればいいんだからね、とは思っていますよ。
――プロレス人気はいつの時代も不変ですもんね。
山田 今はいい時代が来てるわよ。「プ女子」って言われる人たちがプロレス会場に一眼レフを持ってズラーッと並んでね。楽しくなってきましたよ。やっぱりプロレスが一番楽しいわ。
――近いうち、馳さんとは正式にお会いするんですか?
山田 どうだろう? 馳さん、お忙しいし、政治家だからコロナ禍の今は、ちょっとしたことで叩かれちゃうしね。
ただただ今は、NOAHに感謝ですよ。馳さんと接点をつくってくれたんだから。
※明日配信のインタビュー【後編】では、山田邦子さんがプロレス愛を語ります!
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著:山田邦子 860円+税 新書判224ページ 2021年3月1日発売
還暦を過ぎてもなお、YouTubeや舞台と新しいことに挑む山田邦子さんの人生指南書。夏目雅子さんや島倉千代子さんなど今は亡き大スターとの思い出や、「ひょうきん族」で苦楽をともにしたたけしさん、紳助さん、さんまさんなどとのエピソードで振り返る山田邦子さんの生きる力の源とは――。