左から、愛川ゆず季、相澤仁美、木口亜矢。相澤さんのおなかには新しい命が! 先輩ママふたりが終始、体調を気遣う和やかな取材になりました(※相澤さんは、2月7日に第1子女児を出産されました) 左から、愛川ゆず季、相澤仁美、木口亜矢。相澤さんのおなかには新しい命が! 先輩ママふたりが終始、体調を気遣う和やかな取材になりました(※相澤さんは、2月7日に第1子女児を出産されました)

今年、記念すべき20周年を迎えた芸能事務所・プラチナムプロダクション。ここまで至るには、あのレジェンドたちの輝きがあったから。事務所の初期を支え、グラビアで一時代を築いた相澤仁美愛川ゆず季木口亜矢の3人に当時を振り返ってもらった。

*この同窓会対談は『週刊プレイボーイ7号』(2月1日発売)に掲載されたものです。また、週プレYouTubeチャンネルでもこの対談の模様を配信しています。

■海外でグラビア撮影ができた時代

――皆さんはどんな経緯でプラチナムプロダクションからデビューされたんですか?

愛川 渋谷の109でスカウトされました。当時は若槻千夏ちゃんと岩佐真悠子ちゃんがいたんですけど、私はプラチナム初の巨乳だったらしく(笑)、売り込みに力を入れていただいて。それでグラビアに出るようになりました。

相澤 私は誕生日に恵比寿の薬局でスカウトされました。最初、芸能界にはまったく興味がなかったんですが、なんとなく若槻千夏さんに会えるかもと事務所に行って話を聞いたら、やってみようって。こんなに長く芸能活動を続けるとは思ってなかったですけどね。

木口 中学の頃に芸能の仕事をやっていて、いったん学業に戻ったんです。で、19歳のときにプラチナムに入って、復帰しました。そうしたら何も言ってないのにグラビアのお仕事が来た(笑)。それから気づいたら、毎日撮影してました。

――それぞれデビューしてすぐグラビアに出て、雑誌の表紙も飾り、あっという間に人気者になりましたよね。

愛川 いや、人気だなんて思ったことないですよ。何もできないままデビューしたので、当時は事務所からはいつも怒られてましたから。体形維持や言葉遣いから、自分が一番年下の現場では「みんなの靴をそろえなさい」的な礼儀のことまで毎日。ただ運が良かっただけですよ。

相澤 私もそんな意識なかったです。もともと胸が大きいのがコンプレックスで、「本当に出ていいのかな?」と思ってたので"おっぱい番長"と呼ばれるようになってからは、少しだけ自信が出てきたけど。

――"おっぱい番長"っていい響きですよね(笑)。

相澤 学生の頃、私を慕ってくれる人が数名いたって話を編集さんにしたら、いつの間にか呼び名が"番長"になってました(笑)。

木口 私は身を任せる感じだったので人気とか考えなかったです。あと、私もすぐ太るのでよく注意されましたよ。

相澤 うっそ~!

木口 私の中でグラビアを始めた頃はぽちゃぽちゃ期だったの! でもいつからか、くびれを"あやカーブ"と呼んでホメてもらえるようになったのはうれしかったですね。

愛川 当時、ストイックに腹筋やってたもんね。

木口 やってた! グラビアの仕事が本当に楽しかったから、頑張りたくて。

相澤仁美 2007年27号掲載 撮影/中山雅文 伊豆にて撮影。週プレ初表紙&巻頭を飾ったメモリアルな一枚。当時は胸を「寄せて」「揉んで」の指示が多かったとか 相澤仁美 2007年27号掲載 撮影/中山雅文 伊豆にて撮影。週プレ初表紙&巻頭を飾ったメモリアルな一枚。当時は胸を「寄せて」「揉んで」の指示が多かったとか

――特に印象に残ってるグラビアのロケ地はあります?

愛川 やっぱりハワイとか単純にうれしかったですね。バリ島にもよく撮影に行ってました。

相澤 私はタイとか。食べ物もおいしくて、申し訳ないけど遊びに行ったみたいな気分でした。撮影中もプールでワニごっこしたり(笑)。

――皆さんの時代は海外ロケも今より多かったですしね。

愛川 でも周りからは、昔はもっと頻繁に行ってたし、豪勢だったと言われてました。

相澤 一日で撮影を終えて、残りは遊びみたいな。それでも私たちは幸せですよね。今は海外どころか、日帰りロケがほとんどみたいだし。

木口 私も海外に行ったけど、ふたりよりデビューが少し遅いので、もうそこまで多くはなかったかも。

――つらいロケはありましたか? 例えば、すっごく寒いとか。

相澤 真冬に川でロケとかあったけど、撮影中は集中してるから寒くはなくて......私はいい思い出しかないなぁ。

愛川 うらやましい! 私は寒いのはダメ。きぐっちゃんは?

木口 私も。北海道の雪山でグラビア撮影したのはつらかった。水着のままリフトに乗ったり、雪に水着で倒れ込んだり。けっこう無謀ですよね!

――写真だと伝わりづらいですが、本当に寒いんですよね。体を張ってもらい、ありがとうございました。

愛川 "あやカーブ"をやりすぎて腰が痛くなったりは?

木口 あった! 当時たくさんひねったから、腰痛持ちになっちゃった(泣)。今思うとよくあんなに腰をひねることができたなって。

愛川 "おっぱい組"はそういうポーズでつらいことはなかったですね。揺らせばいいわけだし。

相澤 でもおっぱいだけ写って、顔が切られたことはよくありましたよ! それは別の意味でつらいといえば、つらいのかも(笑)。

愛川 印象に残ってるといえば、私、2年間プロレスしてたんですけど、当時、週プレさんに撮ってもらったグラビアがそうですね。雑誌に出るのはプロレス専門誌だけだったから感激しました。

愛川ゆず季 2011年24号 撮影/熊谷 貫 職業=グラレスラー(グラビア×プロレス)としての生きざまを追ったルポの一枚。生々しい傷が彼女の本気を物語る 愛川ゆず季 2011年24号 撮影/熊谷 貫 職業=グラレスラー(グラビア×プロレス)としての生きざまを追ったルポの一枚。生々しい傷が彼女の本気を物語る

――ありましたね。プロレスラーへの転身は衝撃的でしたから。

愛川 実は最初は、事務所に相談されてなんだか断れず、でした。でも昔、テコンドーをやってたし、デビュー戦を終えたら「自分の良さを120パーセント出してくれるのはプロレスなんだ」と実感して、のめり込んでいきました。

相澤 毎週試合して、すごかったよね。引退試合を見に行ったとき泣いちゃったもん!

木口 私も大泣き! 普通はあそこまでやれないよ。

愛川 体つきが変わって、グラビア向きじゃなくなっていくのはつらかったですけどね。あ、忘れないうちに言っておかないと。3月3日に一夜限定でプロレス復帰します。日本武道館でやりますよ!

木口 まさかの告知(笑)。

相澤 期待しちゃうなー。

愛川ゆず季 2013年17号 撮影/熊谷 貫 プロレス引退の直前に撮り下ろしたグラビア。コスチュームを脱ぎ、リングの上で鍛え抜かれた水着姿を披露した 愛川ゆず季 2013年17号 撮影/熊谷 貫 プロレス引退の直前に撮り下ろしたグラビア。コスチュームを脱ぎ、リングの上で鍛え抜かれた水着姿を披露した

■娘がグラビアをやりたいと言ったら?

――皆さん、ほかに告知はあります?(笑)

相澤 私は......この号が出てる頃に出産予定です。(編集部注:2月7日に第1子女児を出産されました)

木口 わー! おめでとう! 楽しみだね!

――ではおふたりから、先輩ママとしてひと言!

愛川 産んだらいろいろ大変になるから、今のうちにゆっくりしておいたほうがいいよ。

木口 夜も眠れなくなるし、体がボロボロになるからね。ちゃんとケアしないと。

相澤 母乳をあげると痩せちゃうって聞くけど本当なの?

愛川 え! ひーちゃんの母乳を飲むの? 赤ちゃん、うらやましいな!

相澤 何言ってるの!(笑)

――愛川さんと木口さんのお子さんは、ママがグラビアをやっていたことを知っていますか?

愛川 ウチの息子はまだ2歳で、おっぱいが大好きなんです。自分のグラビアはまだ見せてないけど、水着のコをみるとキャッキャしておっぱいを指(さ)します。

――男のコですねー(笑)。

木口 ウチは娘で今3歳なんですけど、自分の古い動画を見せたら「これ、ママ?」って。ちゃんとわかるんですよね。

相澤 もし娘さんがグラビアやるって言い出したら?

木口 ダメダメ!

相澤愛川 えーっ!

木口 決して悪い仕事じゃないし、私自身は誇りを持ってやってたけど、親の気持ちになったら......やっぱり心配になっちゃう。勧めないかも。

相澤 私はやりたいと言われたらやらせちゃうなぁ。心配ではあるけど、経験しないとわからないこともあるから。

――プラチナムが木口さんの娘さんって知らずにスカウトしたらどうします?

木口 それならよくわかってるから、まだ安心かな(笑)。

■40歳でグラビアのオファーがあったら?

――プラチナムは皆さんにとってどんな事務所ですか?

相澤 温かい社風ですね。安心できる場所みたいな。

木口 そう。なんでも相談しやすいよね。

愛川 あと昔からいる人を大切にしてくれる。だから長くいる人は多いし、私も20年近くいるのかな。社長が結婚式に来てお祝いしてくださったのもうれしかったし。

相澤 私も結婚前は気にかけてもらいました。私と手島優ちゃんが心配だって。

――手島さん、この号でウエディング衣装のグラビアを撮り下ろしするんですよ!

全員 おーっ!

木口 まだ現役ってすごいよ。

相澤 うん、立派だよ。

愛川 今やプラチナムのラスボスだね!

――では、もし40歳になってグラビアをオファーされたらどうします?

相澤 オファーをいただくというより、いいんですか?って感じ(笑)。挑戦してみたい気持ちはありますね。

木口 私も言われたら、体はつくっておくかな。でも6年前に週プレで人生最後のグラビアをやったんです。そのとき、すごく力を入れて体をつくったし、やり切った感があって。だからそれを上回るものでないと、やる意味はないかな。

相澤 やり切ったと思えるものを撮れたってすごいね。私は、その時々では一生懸命やってるつもりだけど、終わった後はもっとできたなって思っちゃうものだから。

木口矢亜 2014年31号掲載 撮影/アンディ・チャオ 本人が「やり切った」と語るラストグラビア。撮影はカメラマンと密室でふたりきり。飾らない姿を堂々披露した 木口矢亜 2014年31号掲載 撮影/アンディ・チャオ 本人が「やり切った」と語るラストグラビア。撮影はカメラマンと密室でふたりきり。飾らない姿を堂々披露した

――愛川さんはどうですか?

愛川 やりますっ!

相澤木口 おーっ(拍手)。

愛川 私もやり切った感覚がないからやっぱり、ね。

木口 プロレスに復帰するくらいだし、実現しそうだよね。 

――最後に、グラビアをやってよかったなと思うことは?

愛川 私は全部つながってると思うので。グラビアをやって、プロレスをやって、結婚して子供がいる。今を楽しく過ごしているので、とにかくやらせていただいたことに感謝ですね。

木口 グラビアを通していろんな人に出会えたことかな。それこそ普通じゃ会えない人まで。それは財産ですよ。

相澤 私はその時々でキレイな自分を残せたこと。普通に生きてたらそんなことできないです。しかもそれを子供にも見せられるんですから。本当にやってよかったです。

木口 グラビアは自分の一番いいときの記録だもんね。

相澤 ゆず季ちゃんも自分のグラビアを息子ちゃんに見せてみなよ。

愛川 やってみようかな。それこそおっぱい、おっぱいって大喜びするかも(笑)。

●相澤仁美(Hitomi AIZAWA)

1982年8月22日生まれ
身長160cm B93 W60 H92
○2004年にグラビアデビュー。Ⅰカップの豊満ボディを生かし、"おっぱい番長"の愛称とともにグラビア界を席巻。テレビのバラエティ番組を中心に幅広く活動した

●愛川ゆず季(Yuzuki AIKAWA)

1983年5月16日生まれ
身長158cm B100 W60 H89
○2003年にグラビアデビュー。2010年、プロレスラーとしても活動、人気を博す(2013年引退)。現在、YouTube『ゆずポンちゃんねる』にて、プロレス復帰までの日々を更新中

●木口亜矢(Aya KIGUCHI)

1985年10月11日生まれ
身長160cm B89 W53 H86
○14歳で芸能活動を開始。大人びたなまめかしい雰囲気と「あやカーブ」と呼ばれるくびれを武器にグラビアで活躍。バラエティのほか、女優としてドラマや映画にも出演した

*同窓会動画はコチラ➡週プレYouTubeチャンネル【https://youtu.be/ogp0jNHXKcU