映画『あの頃。』の原作者でミュージシャン・漫画家の劔樹人さん(上)に、角田陽一郎氏が聞く

『さんまのスーパーからくりTV』『中居正広の金曜日のスマたちへ』など、数多くの人気番組を手がけてきたバラエティプロデューサー角田陽一郎氏が聞き手となり、著名人の映画体験をひもとく『週刊プレイボーイ』の連載『角田陽一郎のMoving Movies~その映画が人生を動かす~』。

前回に引き続き、現在、全国公開中の映画『あの頃。』の原作者でミュージシャン・漫画家の劔樹人(つるぎ・みきと)さんにお話を伺いました!

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――映画『あの頃。』は、劔さんのハロプロヲタ時代を描いた自伝的コミックエッセイが原作です。そもそもモー娘。や松浦亜弥さんにハマったきっかけってなんだったんですか?

 今思うと、完全にタイミングだったと思います。当時の自分は大学院の受験に失敗して、バンド活動を頑張っていたんです。でも、所属していたのがアンダーグラウンドなバンドでメジャーデビューなんてできなさそうだったし、しかも一緒にやっていた大学の先輩がモラハラ人間で、とにかくもう精神的に痛めつけられていた。

土日に10時間ずつバンド練習があったんですけど、ずっと誰かしらが怒られ続けてるような状況だったんです。

――ああ、ありがちですね。

 だから、精神的にもめちゃくちゃ落ち込んでいて......。そんな僕を見た友達のひとりが「これはまずい」と思ったらしく、アイドルの映像をくれたんですよ。それで松浦さんに出会って、「こんなことしていられない」って気持ちに変わりました。

――落ち込んでいたからこそ、心に染み入ったといいますか。

 はい。だから、ハマるまで松浦亜弥さんを知らなかったわけでもないんです。

――では、今の劔さんがいるのは"あやや"のおかげ?

 それはもう本当に、そう言って過言ではないと思います。

――では、『あの頃。』を描くことになったきっかけは?

 サブカル雑誌『EYESCREAM』のウェブサイトが始まって、そこにブロガーとして呼ばれたことがきっかけでした。でも、書くことがなくて、苦し紛れに漫画を描き始めたんですよ。

――最初は創作漫画でしたよね?

 そう。でも、その漫画はすぐに「本にしないか?」という話が来て、別の出版社で出すことになって。それで亡くなった友達のことを描くことにしました。当時は亡くなって3年くらいたっていて、徐々に記憶が薄れてきているのを感じてたんですね。だから、久しぶりにmixiにログインしていろいろと調べて、1話完結で印象に残っているエピソードを描いていきました。

――劔さんって、その瞬間に来たものを打ち返してますよね。

 そうなんですよ。何かをやろうと思っても、なかなか腰が重くてできなくてすごく考えちゃうんです。だけど、追いつめられると、割とすぐパッと動ける。

映画になったことで、アイドルヲタクから「俺らの話も映画にしてほしい」と言われるんですけど、僕はただ自分の思いを描いただけで。絵だってへたくそですし、まさか映画になるなんて思ってなかったです。

――では、映画『あの頃。』はどんな方に見てほしいですか?

 僕にとってはハロプロだったっていうだけで、何かにのめり込んだ経験のある人なら、少なからず共感できる作品だと思います。それでいて、今じゃない20年前の空気感だからこその雰囲気が映画では表現されています。

2000年代初頭がノスタルジーに入ってきていると思うんですよね。だからこそ、その頃に青春時代を過ごした人には感じるものがあると思います。

●劔樹人(つるぎ・みきと)
1979年生まれ、新潟県出身。「あらかじめ決められた恋人たちへ」のベーシスト、漫画家。「神聖かまってちゃん」のマネジャー、音楽プロデューサーを経て、2014年に犬山紙子と結婚。狼の墓場プロダクション所属

■『あの頃。』全国公開中
配給:ファントム・フィルム
©2020『あの頃。』製作委員会

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