バラエティや賞レースなどで独特の存在感が際立つSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)の芸人たち。男くさく、圧倒的な熱量を放つ彼らの芸風はいかに育まれたのか? ほかとは一線を画す育成方針と、さながら"虎の穴"を思わせる自前の劇場などから、SMA芸人たちの強さの秘訣に迫る!
■かつては事務所名を言うだけで笑われた
ガラクタ集団。かつて、そんな陰口を叩かれた時代もあった。バイきんぐの小峠英二が振り返る。
「最初の頃、ライブで『所属はSMAです』って言うと、笑われたもんですよ。寄せ集めみたいな印象があったんでしょうね」
正式名称は、ソニー・ミュージックアーティスツ。ソニーミュージックグループに所属するタレントのマネジメントを行なう会社だ。失笑を買ったのは「ソニー」と「お笑い」のイメージが結びつかなかったせいもある。
だが、近年はバイきんぐを筆頭にハリウッドザコシショウ、アキラ100%など個性的な芸人が続々とブレイク。昨年は『M-1グランプリ』の決勝に錦鯉(にしきごい)がSMA勢として初めて出場するなど、今や立派な実力派集団であることを証明してみせた。
SMAがお笑い部門を設立したのは2004年。当初は「ガラクタ」と揶揄されたように、行き場を失った中堅どころの芸人たちが最後にたどり着く駆け込み寺的な事務所だった。
ちなみに同事務所から最初にブレイクしたのは「チクショー!!」の決め台詞(ぜりふ)で人気者になったコウメ太夫だ。
「あれでさらに笑われるようになった」
と小峠が冗談ぽく言えば、錦鯉の渡辺隆も
「SMAで(売れた芸人)第1号ですからね。名刺が派手すぎでしたね」
と相槌(あいづち)を打つ。
今や超売れっ子のバイきんぐも複数の事務所を経てSMAに流れ着いたクチだ。
同様にSMAに漂流してきた錦鯉の長谷川雅紀が回想する。
「当時はソニーがお笑いを始めるらしいぞという噂を聞きつけて、ワタナベ、太田、吉本、松竹などあちこちの事務所で通用しなかった芸人たちがワッと集まった。僕は30歳で札幌から上京してきたんですが、ある事務所の所属条件に〈30歳未満〉とあって、お笑いに年齢制限があるの?ってビックリしたんです。
でもソニーだけはすんなり入れた。普通、所属するには養成所に入るかオーディションを受けるしかないんですけど、ソニーはバイトの面接みたいなのを受けただけで『じゃあ、今度のライブに出て』って。めちゃめちゃハードルが低かったですね」
07年結成のトリオ、や団のロングサイズ伊藤も「入るつもりはないのに入っちゃった」と振り返る。
「簡単にライブに出られると聞いて、ひとまず面接を受けたんです。名前ぐらい書いた覚えはあるんですけど、気づいたら所属になってました」
や団は最初に所属したのがSMAという珍しいトリオだ。彼らは『キングオブコント』で6度も準決勝に進出している実力者ながら、決勝の壁はまだ超えられずにいる。リーダーの本間キッドが言う。
「最初に入ったときは正直、野良犬のたまり場に来てしまったと思いました。ただ、僕らも『何かが足りない』と言われ続けて13年たってしまったので、今や立派な野良犬ですけど」
■面接で「不合格者」が出ない理由
SMAのお笑い部門をスタートさせた平井精一(せいいち)は、かつて渡辺プロダクションでホンジャマカやTIM、ふかわりょうなどを担当した、いわゆる「敏腕マネジャー」だった。
98年にSMAに移籍し、しばらくは音楽の宣伝などを担当していたが、再度、お笑いの世界に飛び込む決意をする。
「東京のお笑い事務所の考え方って基本的にどこも『少数精鋭』なんです。でも30~40組の芸人を抱えてチマチマやっていてもしょうがない、やるならその逆をいきたいとずっと思っていて。
だったら来る者拒まずで、あぶれているやつらは全員、受け入れてやろうと。安くて形の悪い野菜でもしっかりと調理すればおいしく食べられますから」
そう話す平井は面接の際、芸人のネタの良しあしで合否を判断することはほとんどないという。
「時代ってクルクル回っているんで、ポップな芸人が求められる時代もあれば、クセの強い芸人が喜ばれる時代もある。だから、いろんな時代に対応するにはいろんな芸人がいたほうがいい。専門店よりも百貨店の発想です。なので、うちの面接は最低限の受け答えができれば合格です。
結局のところお笑いって、最後は好き嫌いじゃないですか。でも僕の好き嫌いで選ぶのはちょっと違うんじゃないかと思っていて。だからネタでは判断しないんです」
来る者は拒まず、芸人をネタでは判断しない。SMAはあらゆる面で従来の事務所の逆をいく。
ほかにも「逆張り」はある。吉本興業のNSCに代表されるように、昨今は多くの事務所が「お笑い学校」を持っている。そこを経由して所属タレントになるのが王道だ。
だが平井は養成所をつくる気はサラサラないという。
「芸人たちに、養成所へ行ってよかったことを聞くと『相方が見つかった』くらいのものなんです。それにうちに来てる芸人のほとんどがお笑い学校を否定してきたか、もしくは落第生。そこがうちの魅力ですから、わざわざそのストロングポイントを削ぐようなことをする必要はないんじゃないかと思うんです」
逆に多くの事務所にはなくて、SMAにあるものもある。自前の劇場だ。
池袋駅から東京メトロ有楽町線でふたつ目の千川(せんかわ)駅から徒歩2分のところにそれはある。「BeachV」と綴(つづ)り、「びーちぶ」と読む。住宅街にひっそりと立つビルの地下1階にあるその空間は小・中学校の教室より少し大きい程度。照明や座席、ステージは決して上等なものではなく、どこか「虎の穴感」が漂う。
コロナ下の現在はライブはほとんど開催していないが、通常はほぼ毎日、なんらかのライブか開催されている。
昨今のSMA芸人の活躍はこの、びーちぶなしには語れないと小峠は言う。
「最初、千川って聞いたときは『どこだよっ!』って思いました。アクセスも悪いしね。でも都心に小屋をつくったら家賃が高い分、お客さんをしっかり入れなきゃならない。それだと、ここまでライブで好き勝手できなかったと思うんですよね」
吉本をはじめ、自前の劇場を持つ事務所はほかにもある。だが小峠が言うように「ここまで好き勝手」できる劇場、つまり、採算を度外視した自前の劇場を持つ事務所はそうそうない。
★バイきんぐ、ハリウッドザコシショウ、アキラ100%、錦鯉、個性派芸人が続々ブレイク「なぜ今SMA芸人が売れるのか?」【後編】
●バイきんぐ・小峠英二(ことうげ・えいじ)
1976年生まれ、福岡県出身。44歳。吉本興業のNSCの面接で偶然再会した旧知の西村瑞樹と96年にバイきんぐを結成。その後、SMAに移籍し12年に『キングオブコント』で優勝。これは多くのSMA芸人たちから「革命」と呼ばれた。現在のSMAお笑い部門の総大将格
●錦鯉・長谷川雅紀(はせがわ・まさのり)
1971年生まれ、北海道出身。49歳。フリーター、劇団員などを経て、94年に札幌吉本に所属。高校時代からの友人、久保田昌樹とマッサジルを結成。解散、再結成の後、再び解散し、12年に渡辺隆と錦鯉を結成。渡辺いわく「突き抜けたホンモノのバカ」
●錦鯉・渡辺隆(わたなべ・たかし)
1978年生まれ、東京都出身。42歳。東京NSC5期生。SMAに移籍後、現だーりんずの小田祐一郎と「桜前線」を結成。08年に解散したのち、ピン芸人として活動。12年に長谷川雅紀と錦鯉を結成し、20年には『M-1グランプリ』決勝で4位となった
●や団
小・中学校の同級生だった本間キッド(38歳)と中嶋亨(38歳)にロングサイズ伊藤(39歳)が合流し、07年に結成。これまで『キングオブコント』では準決勝に進出すること6回。昨年は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』内の「山-1グランプリ」で優勝するなど、ネクストブレイクが期待される実力派トリオ
●SMA・平井精一(ひらい・せいいち)
渡辺プロダクションを経て1998年、SMAに入社。04年にお笑い部署を立ち上げた後、現在までに数多くの人気芸人を育てている