バラエティや賞レースなどで独特の存在感が際立つSMA(ソニー・ミュージックアーティスツ)の芸人たち。男くさく、圧倒的な熱量を放つ彼らの芸風はいかに育まれたのか? 前編に続き、ほかとは一線を画す育成方針と、さながら"虎の穴"を思わせる自前の劇場などから、SMA芸人たちの強さの秘訣に迫る!
■なぜSMAの芸人は皆、声がデカいのか?
一般的に芸人が単独ライブを開催するには相応の経験と実績が必要なものだが、SMAではどんな若手でも、どんなに売れていなくても、劇場が空いていればいつでも単独ライブを打てるのだという。
や団の中嶋享(なかしま・とおる)は言う。
「ありがたいことに、僕らも結成1年目で単独ライブをやらせてもらいました。事務所から『やれやれ』とせっつかれたんです」
SMAのお笑い部門をスタートさせた平井精一は「ハナから興行目的の劇場をつくるつもりはなかった」と話す。
「どんな芸人でもとにかく数多く舞台に立たせて、ガッツリ育てるのがうちの育成方針。へたに一等地に大きい劇場をつくると回収するのが大変で、結局、立ち行かなくなりますから」
びーちぶ(SMAの劇場「BeachV」)のキャパシティは50~60人がいいところだ。それでもかつては、まったく客が入らなかった時期もあった。バイきんぐ・小峠英二が言う。
「ふたりとか3人とか普通にありましたよ。出演者は10組くらいいて、みんなでその客を集中攻撃するから気の毒なくらいで。なかには客がゼロってこともあったらしいですよ。とりあえず始めたんだけど、『これ、なんのためにやってんだ?』ってなって途中でやめようとしたらしいんです。でもそのとき、客がひとり入ってきちゃって、仕方なく最後までやったって」
錦鯉の渡辺隆も同様の経験がある。
「今日は客ふたりかと思ってよく見たら、ひとりと1匹でした。お客さんが犬を連れてたんです。犬も入れる劇場なんて聞いたことないですよ」
さらに、この劇場はなかなかの芸人泣かせの仕様になっていると小峠が言う。
「元はライブハウスだったんで壁が全部、防音加工されてるんです。だからお客さんの笑い声が吸収されて、全然ウケてる感じがしなくて。逆によその小屋で大爆笑を取ると鼓膜が震えるぐらいに感じることがありました。『こんなにウケてたのかよ』って驚くんです。いやいや、普段からホームでも正当な笑い声聞きてえよって」
錦鯉の長谷川雅紀も続ける。
「僕らの声も吸収されちゃうんで日々、重りをつけてトレーニングしてるようなものなんです。だから、びーちぶに出ている芸人は自然と声がデカくなると言われてて。僕の声もデカくないですか?」
デカい。相方の渡辺も、バイきんぐのふたりも、ハリウッドザコシショウも、アキラ100%も。
びーちぶという独特の熱気を帯びた劇場で、ひたすら舞台に上がり続けるからこそ、エネルギーの塊のような規格外な芸人が次々と出てくるのだろう。
平井がこう感嘆する。
「錦鯉の長谷川なんて最初は全然人気がなかったんですけど、売れなきゃウソだと思ってました。彼の話って全部、実体験なんですよ。お金がなくて電気も水道も全部止められちゃって、でも次の日にオーディションがあるから髭(ひげ)だけは剃(そ)らなくちゃいけない。
それで信号機の明かりを頼りに剃ったら、青信号のときは剃れたけど、赤信号のときは見えにくくて剃れなかった。それで『やっぱり赤はストップなんですね』って。それを聞いて僕は思わず、『おまえ、すごいな!』って言っちゃいましたから」
■バイきんぐはいかに売れっ子芸人になったか
来る者拒まずのSMAだが、一度入ったらそこは完全な実力社会だ。現在、SMAは中堅以上のタレントを擁する「NEET」と、若手中心の「HEET」の2クラスがある。それぞれが1軍から6軍に分けられ、各階級の許容人数は約20組。つまりNEETとHEETを合わせると、最大240組もの芸人が熾烈な生存競争を行なうことになる。
階級を決めるのは観客だ。平井が説明する。
「あぶれている芸人って、どこか勘違いしているやつが多いんです。音楽で言うと『ハードロックでミリオン狙いたい』みたいな。そんなの無理じゃないですか。でも、僕がそれを理屈で言っても彼らは聞く耳を持たない。彼らの鼻をへし折ることができるのはお客さんだけなんです。
『ライブに来たお客さんが投票でおもしろくないと判断したから5軍なんだよ』と言うのが一番効く。それで1軍にいる芸人から優先的にテレビ出演などのチャンスを与えていきます。そこは完全に成果主義です」
バイきんぐも、かつては自分たちがやりたい過激なネタばかりをやっていた。しかしふた月に1回、びーちぶで単独ライブを開催し、6本の新ネタを披露するというノルマを課されるなかで「やりたいこと」と「客が求めていること」の重なり合う部分を見つけていった。平井が言う。
「バイきんぐは昔はめちゃくちゃでしたよ。車に轢(ひ)かれて、飛び出した自分の腸で縄跳びをするとか。そんなネタ、誰も共感しないじゃないですか。だからコントの設定はコンビニとか結婚式前夜とか、なるべくシンプルなものをやらせました。
そこで現実にあるちょっとした狂いをネタにすればいいってことに気づいたと思うんです。設定は普通でも演じる彼らは普通じゃない。だからおもしろいんです」
その単独ライブを始めた2年後、12年にバイきんぐは『キングオブコント』で優勝し、一気にスターダムにのし上がった。
これが転機となり、業界ではSMAを見る目ががらっと変わったという。その後も売れっ子芸人を続々と輩出し、最近では「バイきんぐを見てお笑い芸人になろうと思った」という若者たちもその門を叩いているという。
現在は一応、「40歳以下」という所属条件こそできたもののハードルの低さは相変わらずだ。結成8年目で、いずれも29歳とSMAでは比較的若いコンビ、シュビシャビレも「漂着組」だ。ボケ担当の藤井萌人(もえと)が話す。
「だいたいどの事務所も月に1回は新人のためのネタ見せライブをやっていて、僕らもオーディションを受けて、5つくらいの事務所のライブに出させてもらいました。普通はそこで認められると所属芸人になれるんですが、僕らはどこからも声がかからずで。
それでSMAの面接を受けたら、最後に『合否の連絡はあらためて連絡します。まあ、だいたい全員合格なんだけど』と。憧れの所属芸人に、こんなに簡単になれるなんて......」
今ほど多くの事務所が芸人を受け入れていなかった時代、無所属で活動を続ける「地下芸人」と呼ばれる芸人たちがいた。主人を持たず独特の臭気を放つ彼らは、時に「野良犬」と呼ばれた。びーちぶは、そんな時代の空気を感じられる最後の劇場ともいわれている。
ただ、それだけに時々、平井はこんな「ないものねだり」をしたくなるそうだ。
「今のうちのトップ芸人は、みんな男くさいでしょ。だから第7世代みたいな、女性がキャッキャ言うような芸人が出てこないですかね。そうすればグッズも売れるし。錦鯉がいくら売れてもTシャツは売れないですからね。でもわからないですよ。回り回って、いつかはそんな時代が来るかもしれない」
びーちぶに足を運べばわかる。そんな時代は、たぶん、来ない。
●バイきんぐ・小峠英二(ことうげ・えいじ)
1976年生まれ、福岡県出身。44歳。吉本興業のNSCの面接で偶然再会した旧知の西村瑞樹と96年にバイきんぐを結成。その後、SMAに移籍し12年に『キングオブコント』で優勝。これは多くのSMA芸人たちから「革命」と呼ばれた。現在のSMAお笑い部門の総大将格
●錦鯉・長谷川雅紀(はせがわ・まさのり)
1971年生まれ、北海道出身。49歳。フリーター、劇団員などを経て、94年に札幌吉本に所属。高校時代からの友人、久保田昌樹とマッサジルを結成。解散、再結成の後、再び解散し、12年に渡辺隆と錦鯉を結成。渡辺いわく「突き抜けたホンモノのバカ」
●錦鯉・渡辺隆(わたなべ・たかし)
1978年生まれ、東京都出身。42歳。東京NSC5期生。SMAに移籍後、現だーりんずの小田祐一郎と「桜前線」を結成。08年に解散したのち、ピン芸人として活動。12年に長谷川雅紀と錦鯉を結成し、20年には『M-1グランプリ』決勝で4位となった
●や団
小・中学校の同級生だった本間キッド(38歳)と中嶋亨(38歳)にロングサイズ伊藤(39歳)が合流し、07年に結成。これまで『キングオブコント』では準決勝に進出すること6回。昨年は『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』内の「山-1グランプリ」で優勝するなど、ネクストブレイクが期待される実力派トリオ
●シュビシャビレ
中学校時代の同級生、渡辺直人(29歳)と藤井萌人(29歳)が13年に結成。渡辺はこう見えて元高校球児、藤井は見てのとおり長身超イケメンの凸凹コンビ
●SMA・平井精一(ひらい・せいいち)
渡辺プロダクションを経て1998年、SMAに入社。04年にお笑い部署を立ち上げた後、現在までに数多くの人気芸人を育てている