立川談志師匠(中央)と娘のゆみこ氏(左)、その弟の慎太郎氏(右)
天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

師匠の遺品の中から見つかった50年前のカセットテープ。聞いてみると、そこにはある朝の立川談志ファミリーの日常が記録されていた。

 * * *

今年の11月で、父が亡くなって10年になる。父は5軒の家とマンションを所有していて、亡くなった後のリフォームと片付けは、それはそれは大変なことだった。今でもそれは続いている。

物のない時代に育った父は、「縁があって俺の所に来たのだから」と、どんな物でも大切にして使い捨てなかった。その為、どの家も大量の荷物であふれゴミ屋敷に近い感じだった。

両親は片付けも整理も苦手だった。父が大切に使っていた物や大事な資料も、ゴミのようなものもすべてが遺品なわけで、それらを吟味して整理していく作業を続けていたらトラウマのようになり、私の今住んでいる部屋には物がとても少ない。自称『立川談捨離』の私だが、それでもまだ手元には父の本、CD、DVD、父が撮ってくれた子供の頃の写真、アルバム、浴衣、ビン・ラディンのTシャツ、ラーメンドンブリ、包丁、父が最後まで使っていた千円の腕時計などなど、想い出の物がある。

その中に2本の古いカセットテープがあって、ケースには『ファミリー・朝 1972(47)4月』と父の文字で書いてある。50年前のテープの音は出るのか? 緊張感を持って再生ボタンを押してみる。若々しい父の声と幼い子供たちの声。母はおっとりしているイメージがあるが、この時は子育て中のお母さんの声で少々ヒステリックに話している。

私の記憶では朝、幼稚園や学校に行く時に父が起きていた事はほとんどなくて、家にいない事も多かった。たまにトイレに起きてくる父は、白のUネックの肌着と白のブリーフパンツ。アイマスクをおでこにずらした格好で、いつも不機嫌だった。そんな父がたまたま機嫌良く起きていた朝に、どこの家にでもある普通の朝の光景を録音したカセットテープだった。

当時私が8歳で弟が5歳。小学校と幼稚園に行く準備であわただしい、朝8時前の音源。じっくり聞いてみると、やっぱりウチは普通じゃなかったのかな?と思ってしまう。

「送ってってあげようか?」と優しい父の声。「ぼくバスだよ、スクールバス。どっちでもいい」と赤ちゃん言葉がやっととれたくらいの可愛い声と喋り方の弟。その後にはこんな会話が続く。

父「車には気をつけないとダメだぞ! こっちが気をつけてもバカみたいな奴がいるからな」
母「そうなのよ! 計算通り、みんなが規則を守ればいいんだけど」
父「羊と狼を一緒に入れておいても、両方が気をつければうまくいくなんて考えてるのが愚かなんだよ!」
母「私もそう思うのよ。頭のおかしい人っていうか、頭のおかしい人じゃなくてもそういう人が運転してるときもあるわよね。人間って、発作で心臓マヒ起こして、運転してるときにパタッと死んじゃう時だってあるわよね」
父「ちゃんと食いな! お前ら食いもん粗末にしたらぶっとばすぞ!」

父は食べ物を非常に大切にする人で、多少腐っていても、捨てるより腹を壊す方がいいと言って食べていた。私は気持ち悪いと思っていた。

母「早く制服着なさい!」
父「俺は一緒に行かなくていいのか?」
弟「うそでしょー、(一緒に)行くのなんて」
父「しんちゃん(弟・慎太郎)は(マンションの)下までだろ?」
弟「ひとりでいけるもーん」
幼い弟の精いっぱいの来ないでアピール。

母「自信持って、一人で行ってるんだものねー」
母はいつでも子供の肩を持ってくれた。当時30代半ばの生意気な落語家で国会議員になったばかりの父は、どう見ても普通のお父さんには見えなかった。乱暴なしゃべり方の父を友達に見られるのも恥ずかしかった。

父「バッチ付けて行きな、オレのバッチを! 参議院のパパのバッチ貸してやろうか?」
カンカンカンカン! 瓶のフタを叩くような音が響く。
弟「ボク、こげた臭いが好きなんだよー。うーん、バッチリだ」
母「パパお手伝い、ちょっとこのフタ開けて! 古いんだけどなぁー」
父「ちゃんと食べな! 横に広がってるなーお前は」
弟「食べてるよ、バカぁー」
父「本当にお前は横に広がってるなー」

ここでテープは終わっている。あの頃家族が住んでいた新宿のビルの7階、狭いキッチン。私はというと、この日は朝から誰かの悪口を言っていたようで、その内容はとてもここに書くことができない。

聞きながらタイムスリップしていた。「横に広がってるなー」というのは弟の顔の事で、丸くて大きめの横に広がった彼の顔を父はいつもさわったりして、ちょっかいを出していた。私には「女の子は耳が前に出てた方が可愛い」と言って、しょっちゅう耳を引っ張られていた。父の子供の可愛がり方はいつでもそんな感じだった。私も弟もファンキーな父に学校や幼稚園に来てもらいたくなかったが、本人に直接「来ないで!」と言った事は一度もない。

もうひとつ思い出した。私達が小学生だった運動会の日。その日もたまたま父が起きて来て、「運動会を観に行こうか?」と言い出した。私達は体操着に着がえ、母はお弁当を作っていた。私と弟は、父がついて来ないようにとソーっと家を出て、非常階段で下まで降り、いつもと違う道を走って学校へ行った。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。