立川談志師匠(左)とゆみこ氏(右)
天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。

雨が好きだったという立川談志師匠。今回は親友の石原慎太郎氏と、とある雨の日の印象深い思い出について。

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「雨の日は寝てようよ」。いい言葉。大好きだ。 

2021年6月。しかし今年は雨が降らない。紫陽花の花はドライフラワーのようになり、この先雨が降っても艶やかな姿に戻ることはないだろう。私はエアコンの除湿スイッチをつけたり消したりを繰り返しながら、こんな梅雨の時期が今まであったかな?と考えている。 

「雨の日は寝てようよ」は父の言葉で、父が亡くなった直後に弟が作った「2012年追悼 立川談志 御託週めくり」の中にある御託だ。10年前のカレンダーだから、日付と曜日は違っているけど、そんな事はどうでもいい。10年めくり続けているのだからいいかげん覚えてもおかしくはないのに、今だに「パパ、なるほどね」と、クスッと笑えたり、励まされたり、「そう、そう。そうなんだよ」と納得させてくれたり、「だよねー」と楽にしてくれたりする。  

立川談志のファンの方で、何度も父の独演会などに来て下さった方なら覚えているかもしれないが、談志ひとり会や独演会は雨の日がとても多かった。雨男だったのかしら?と思い出す。

落語のまくらで「雨が降らないで畑も田んぼも困ってるでしょう。そういうときは全国の雨男と雨女を一斉に集めて、雨乞いをしたら効くんじゃないか?」と父は言っていた。父は雨が好きだった。雨をボーっと眺めているのも好きだったし、台風も雷も好きだった。雷を見に、わざわざホテルの最上階のバーに一緒に行ったこともある。確かに雷は見ているととても綺麗で、なんかドキドキ、ワクワクして、ずっと見ていても飽きなかった。  

父が根津のマンションに住んでいた時、台風の中近所の根津神社に1人で行き、ずぶ濡れになって銀杏をたくさん拾ってきた。「強風で銀杏が落ちてくるからいっぱい拾えるんだ」と、ドヤ顔で喜んでいた。

拾ってきた銀杏は水と一緒にバケツに入れて、ベランダでしばらくふやかす。臭いなんてもんじゃない! ブヨブヨになった部分を手で剥いて天日干しにする。そして出来上がった銀杏はフライパンで炒る。その後がすごい。部屋中に新聞紙を敷き詰め銀杏をバラ撒き、トンカチでバンバン割っていく。ただでさえ散らかっている部屋が銀杏の殻でさらにめちゃくちゃに散らかった。

「うめーうめー」と嬉しそうに食べていた。自分で拾って自分で調理して、無論タダなのだから美味しさも倍増だったであろう。

もうだいぶ前の話だが、歌舞伎座で立川談志・立川談春親子会が開かれた。その頃の父は心身共に具合が悪く、特にその日は最悪だった。鬱っぽくもなっていたし、落語なんて出来そうもない状態だったが、なんとか歌舞伎座に連れて行った。

今でも談春さんには可哀想な思いをさせてしまったと思っているが、なんとか一席だけ演って、途中で家に連れて帰った。その時、客席には石原慎太郎さんご夫妻が来て下さっていた。 父の様子があまりにも酷くて心配になったのだと思う、親子会の翌日「師匠を連れて行きたいところがある。今日、行けませんか?」と石原さんから電話があった。

石原都知事自らの電話に驚いた母と私は、父を連れて行くことにした。石原さんから指定された高速の出口に行くと、石原さんは護衛もつけずに1人で傘をさして待っていてくれた。 

病院を紹介してくれるのかしら?と思っていたが、石原さんが案内してくれたのは目黒の一軒家で、祈祷師の様な方の家だった。お茶を出して頂き、石原さんと両親と私でしばらく雑談をしていると「こちらにどうぞ」と、それらしい部屋に通された。

母、父、私、石原さんと4人で並んで座った。お祓いのような儀式が始まると、その方は「談志さんには、丸顔の年配の方が憑いています」と言った。母と私は「小さん師匠だ!」と同時に思った。初めての事なのでよくわからなかったが、最後に和紙のような薄い紙を人の型に切ったものに、父が息を吹きかけるよう言われた。それを持って帰り、川に流すか火で燃やすようにとのことだった。石原さんにお礼を言って家に帰ると、父はその紙を子供のように茶化していじくった。「こんなもので病気が治るわけがない!」

私もそう思ってはいたが、「石原さんが雨の中1人で待っていてくれて、パパの事を心配してくれている気持ちや友情がわからないの!!」と、母と一緒に父を叱った。 

父と石原さんは50年以上ものお付き合いだ。若い頃から言いたい事を言い合い、喧嘩もしただろう。「石原さんが体の為に断食しろ!と言ってきたが、落語家と断食は似合わないから迷惑だ」などとも言っていたが、父にとってはとても大切な兄貴分で友人だった。

父が亡くなる少し前、石原さんから電話があった。「師匠の耳元に受話器をあててください」。喋れない父にどんな話をしてくれたのだろう? 父はゼーゼー、ハーハーと息の漏れる音だけで答えていた。

父のお別れ会では「俺ももうすぐ行くから待ってろよ! さよなら談志師匠」と素晴らしい弔辞を頂いた。3年くらい前、溜池にある私のかかりつけのクリニックのエレベーター前で偶然石原さんとお会いした。私が「談志の娘のゆみこです。お別れ会の節はほんとうにありがとうございました。」と頭を下げると、「何年になる?」「7年です」「早いなー、奥様は元気ですか?」と目に涙をいっぱいためて話して下さった。私も泣いた。

石原慎太郎と立川談志、2人とも雨が似合う。

連載コラム『しあわせの基準ー私のパパは立川談志ー』は、毎週月曜日配信です。